第6話 福田楓

 家族は僕の全てだった。


「福田さんってなんでこんなとこで働いてんすかね?なんか俺らとは違いません?姿勢いいし」

「あーあの人なぁなんか前科持ちらしいぜ。てかお前姿勢ってなんだよ」

「そうなんすか!?いやーやっぱ人って見た目によらないっすねぇ〜何やったんすかね?ヤクとかかな〜」

「詳しいことは知らねぇけど、会社追い出されて奥さんと子供には逃げられたって噂」


 その通りだから何も言えないねぇ。狭い現場だから、若い子たちの噂話が嫌でも耳に入ってくる。

 ーー「前科持ち」か。


「福田さん、今月のお給料です。お疲れ様です」

「ああ、山上さん。ありがとう。お疲れ様です」

「お父さんが、福田さんがいて本当に助かってるからって少しお給料あげたみたいですよ」

「いやぁありがたいけどね、そんなことしなくていいって言ってるのに。山上さんから社長に言っといてくれないか」

 山上さんは事務を担当している、社長の娘だ。てきぱきとしていて、物静かな女性。社長は忙しくて月2回ほどしかこちらの現場には来ないが、彼女は若い人たちも上手にまとめてくれるからかなり仕事がしやすい。


「いえ、いいんですよ。実際パワータイプしかいない現場にデジタルを持ち込んでくれたのは福田さんですから。おかげで私の事務の仕事もかなり楽になりましたし、お父さん……社長も自由に動ける時間が増えたみたいですから」

「山上さん、パワータイプってなんだい?」


 この会社で働き始めてもう5年か。工事現場の仕事は全く未経験の僕を雇ってくれた社長には本当に頭が上がらない。それまではデスクワークばかりしていたから最初はたくさん迷惑もかけたし、体力が追いつかなくて困った日もあった。いや、しかし前の職場でのスキルが少しでも役に立つのは嬉しいものだね。お給料もいただけたし、早く家に帰って衣織さんの実家にお金を送ろう。



「ままー!ぱぱー!おててつないでー!」

 夕暮れを背に子供が僕の横を駆け抜けていく。夏がもうすぐ終わる。日が沈みだす時間はもう涼しい風が頬を掠める。幸せそうな家族が夕陽に染まり、その美しさに思わず寂しさが込み上げてくる。


 家に帰ると誰かが待っていて、食卓を家族みんなで囲んで、休みの日には子供の行きたいところへ遊びに行く。そんななんてことない日々が今は眩しすぎて目を逸らしてしまう。

 寂しいとは、一度暖かさを知ってしまったから思う言葉だ。もともと持っていなければ、知らなければこんなに苦しくはならなかった。でもどうしてだろう。出会わなければよかったとは思えないんだ。


 僕は、5年前突然「犯罪者」になった。



「助けて‼痴漢です‼」

 毎日使っている電車の中で女学生が叫んだ。電車内がざわざわし出す。満員電車だから痴漢しやすいと思ったんだろう。声を上げたのは僕の娘と同じくらいの歳の子だ。乗客はみなきょろきょろしていたが、女の子の後ろで深く帽子をかぶった不審な男がいた。パーカーにジーパンという何の特徴もない恰好をしている。がっしりとした体のその男に近づこうとすると、電車が次の駅に着いてドアが開く。


 次の瞬間、僕は地面を見ていた。ー何が起こった?


「駅員さん!この人痴漢です!早く!」

 僕は、帽子の男に取り押さえられていた。力が強くて一切抵抗できない。なんだこの力の強さは……。

 多くの人が取り囲むように見ている。シャッター音が聞こえる。

「瑞穂、大丈夫?気持ち悪かったよね。」「よく頑張ったよ、捕まえてもらえてよかったね。」



 泣いている女の子のそばで、同じ制服を着た友人らしき子がその子の背中をさすっていた。……蒼と同じ制服じゃないか。

 自分に何が起こっているかは理解できないが、周りの状況だけは俯瞰して見ていた。男の顔は、見えない。お香のにおいだけが印象的だ。


 その後のことは正直あまり覚えていない。ただ、僕はやっていないと強く主張した。結局やった、という証拠もやっていない、という証拠も出なかった。

 娘と同じ制服を着た被害者の女の子は、警察に長時間拘束されることに疲れたのか「もういいです。」と一言だけ放って帰って行った。


 自分がやったわけでは決してない。これは揺るがない事実だが、女の子は辛い思いをしただろう。声を上げることができた、それだけでも彼女は立派だ。


 この国は性犯罪者に甘い。「痴漢を性犯罪だなんて大げさだ」と、本気で笑う人が日本にはまだまだいる。

「そんな短いスカートを履いているからいけないんだ」「痴漢が嫌なら女性専用車両に乗ればいい」「加害者は妻子もいるのにかわいそう。自衛すればいいだけだろ」こういう声が本当にある。自衛は必要かもしれないが、たとえ短いスカートを履いていようが何だろうが、それは被害者が責め立てられる理由にはならない。


 大人は子どもを守るべきなんだ。高校生だってまだまだ子どもだ。「JK」も「制服」も大人が性的搾取していい存在じゃない。どうか、汚いものに触れずに伸び伸びと育ってほしい。おじさんに都合のいい社会はもう時代遅れだ。

 性犯罪を受けた女性は被害者で、何一つ悪いところなんてない。加害者だけが悪いに決まっている。あの女の子にも、どうかこの先もう二度と嫌な思いなどせずに生きてほしい。


 彼女も僕が犯人だと思っているんだろうか。もうあの時間の電車には乗らないようにしなくては。……あの帽子の男は、なぜ僕を捕まえたりしたんだろう。


 解放されてほっとしたのも束の間、そこからが本当の地獄だった。




「衣織さんただいま。聞いてほしいことがあるんだけど、今日……」

「楓さん、あの、これ」

 家に帰ると同時に、僕の言葉を珍しく遮った妻の衣織がスマホの画面を見せてきた。

「これ、は……」

 そこには今日の駅での出来事が動画や写真によって拡散されていた。

「私は楓さんがそんなことしないって、信じているから心配しないで。でも、楓さんの名前や会社の名前までなぜか広まってしまっているの。大丈夫かしら?」


 僕を疑うそぶりなど全くない。状況を聞くでもなく、無条件で信じると言ってくれたことがこんなにも心強いとは思わなかった。

「会社には連絡を入れているんだ。今日はほぼ一日警察署にいたから。上司は大変だな、と軽く笑っていたけれど……正直こんな動画があるとは思わなくて、動揺しているよ」

「蒼が、少し整理する時間が欲しいって。被害者の女の子が同じ学校の先輩だったらしいのよ。楓さんも大変だったわね。今日は二人で夕食を食べましょう。」


 焦る様子もなく、衣織さんは淡々と状況を整理してくれた。蒼に声をかけに行きたいが、自分で時間が欲しいと言ったんだから今は僕が話すべきではない。巻き込まれたとはいえ起こってしまったことはもう仕方がない。もしもこのことで蒼に迷惑をかけてしまうことになるのなら、引っ越しでも転校でも、彼女が望むことは何でもしよう。会社だって家族に比べたら微塵も大切なものではない。




 次の日僕は専務に呼び出された。朝は蒼には会えなかった。だいぶ早く家を出たそうだ。いつもは衣織さんが朝ごはんだと声をかけに行かなければ起きてこないのに。寝られなかったのだろうか。巻き込んでしまって申し訳ない。


「私も福田くんとは長い付き合いだからねぇ……。あんなことしないとは思っているが、会社の名前も流出しているんだよ。現代人は暇を持て余しているからね。それで、朝から会社への電話が鳴りやまないんだよ。……福田くんも仕事がしにくいだろう」


 気づいていた。出社した時の周りの人の疑念を含んだ視線。よそよそしい態度。結局僕が言い渡されたのは自宅謹慎だった。


 衣織さんはいい加減あきれてしまうだろうか。まだ僕のそばにいてくれるだろうか。冷静で愛情深い人だから、「何とかしましょう」と言ってくれそうな気もする。全てを許容してくれると思える人がそばにいることがどれほどの幸せか。

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