第3話 与田かすみ
私が戻ってきた時間は1月。来栖海というあの不思議な少女が家に来た日と同じ日なんだな。ということは、私たちは付き合って4ヶ月くらいか。
浅香くんにファミレスで「面倒くさい女」と思われたことがずっと頭の中を巡っていた。
「そういえば、私は今日バイトないのかな?」
浮かれていたけど、もしかしてバイトは行かなきゃいけないんじゃない?スマホのカレンダーを開く。今日の日付の欄には何も書いていなかった。明日は夜中までバイトか。浅香くんは次いつ休みだろう。
私は浅香くんに会える時間を癖みたいに探していた。数年前のことは言え、戻って来た時間の生活に微塵も抵抗がない。まるで昨日のことみたいにすっと馴染むものなんだな。私がこの時期に特別とらわれていたからかな…。
家賃の安い、狭くて壁の薄い自分の学生マンションでぼーっとしているとスマホの通知が鳴った。
「え、優実!?懐かしい!」
優実は大学時代のいちばんの友達だった。就職と共に県外へ行ってだんだん疎遠になってしまったけれど、この頃の私たちはとても仲が良くて、大学の空きコマやお昼は毎日一緒にいた。優実は美人で優しくて、当たり前のように人に気を遣えるから誰にでも好かれる女の子。根が暗い私とは全然違う太陽みたいな子。バイトが一緒じゃなかったら、出会いもしなかったかもしれない。せっかくこの時間に戻ってきたんだから、もう疎遠にはなりたくないな。時間が戻るって、こういうこともやり直せるんだ。……本当にすごいな。
『かすみー!今日何時にする?』
メッセージの内容からして今日は優実と会う予定だったんだろう。優実に会うのは久々だから少し緊張する。
「かすみ!浅香先輩の件どうなったの⁉︎大丈夫⁉︎」
優実は会った途端私に詰め寄ってきた。久々に優実の家にお邪魔して、再会を喜ぶ暇もなく……とはいえ優実は昨日も私に会っていたんだろうけど。
「浅香くんがどうしたの?今日はバイトって」
「イヤリングのこと‼︎聞き出せたの?」
「……私はピアス開いてるけど」
「だからおかしいんじゃない!浅香先輩の家にイヤリングがあるなんて!!」
私は急に身体中の血液がなくなったような感覚に陥った。手が冷たくなって、意識ははっきりしているのに何も考えられない。周りの空気が重たい。どうやって呼吸をするのかわからなくなる。
ーー自分の心臓の音だけが聞こえる。
せっかく戻ってきたのに、なんでよりによってこのタイミングだったんだろう。忘れていたわけじゃない。悪いことには蓋をしていただけ。
私は『昨日』浅香くんの家で見たことのないイヤリングを見つけた。大きなビジューの安っぽい、私のものではないイヤリング。
「浅香くんには、聞けてない。幸せだから……聞けない」
私は辿々しく答えた。「幸せだ」と自分に言い聞かせているみたいだ。
「ごめん、大きな声出して。そりゃ聞けないわよね」
せっかく幸せな時間に戻ってきたのに。どうして、また苦しい想いをしなきゃいけないんだろう。あのイヤリングのこと、今の私はもう知ってる。
「優美、これは憶測なんだけどね。浅香くんと一緒にファミレスにいる時に、1回だけ、浅香くんのバイト先の女の子が来たことがあって」
紅茶を淹れてくれていた優実が私の前に座って黙って頷く。優実のこういうところ、好きだな。ちゃんと話を聞こうって思ってくれている。
ー-私たちが付き合って二ヶ月と少しが過ぎたころ。
夏はすっかり過ぎ去り、薄手のニットが必要な季節。気温が下がるにつれて、浅香くんの熱もどこか遠いものに感じる日が増えた。
「今日バイトめっちゃ忙しくてさー。バタついてるときに限ってミスする奴いるよな」
ポテトをつまみながら浅香くんは愚痴を言っている。浅香くんのバイト先はファミリー層も多い飲食店。今日はピーク時がいつもの倍くらい忙しかったそうで、ずっと愚痴っている。
「金曜日だから人多かったんだね」
私は当り障りない返事をする。こういう時の浅香くんにとって、私の返事はあってもなくても一緒だ。
最近一緒にいてわかったことだけれど、彼の中には彼なりの答えがいつも存在している。そしてそれは浅香くんの「絶対」だから、いつでも正しい。私みたいに相手の反応を見てびくびくしている人間とは対極のところにいる人だ。
「あー、かすみちゃん。今からここにバイトの後輩来るわ」
ー-来ていい?ではなく、来るわ。
「そうなんだ。私帰ろうか?」
帰りたくなんかないけれど、とりあえず正解を探ってみる。
「いや、いいよ別に。なんか不審者につけられたらしいわ」
そう言ってずっと触っていたスマホのメッセージを見せてくれる。
『バイト終わりに帰ってたら変な人がつけてきて怖いから、家に行っていいですか?』
えっと、家……?メッセージの相手のアイコンはピンクの服を着た巻き髪の女の子。自分の中で整理がつく前に心臓が反応してバクバクし始める。
『人といるけどいいならいいよ』
浅香くんはそう返していた。……私は、本当はよくないけどな。
ファミレスに現れたその人は、躊躇いもなく浅香くんの横に座って特に何を言うわけでもなくじっと私のことを見ていた。ピンクの服がよく似合う女の子だった。私は絶対につけない、大きなキラキラとしたビジューがついたイヤリング。胸下までの栗色の髪をふわふわに巻いている。本当に飲食店でバイトしてるの?と聞きたくなるほど長い爪は、キラキラでゴテゴテしていた。お化粧は少し濃くて、強調されたまつ毛が印象的だった。その奥の瞳は、怯えているようにも喧嘩を売っているようにも見える。
威嚇、されてるのかな。何も言わないけど。
浅香くんは自分で呼んだくせに、珍しく私ではなくその人に厳しかった。その女の子は何も食べなかったけれど、私はまともに呼吸もできないまま目の前にあったごはんをただ消費した。浅香くんは相変わらず携帯と見つめあって、ポテトのお皿を空にしていた。
「もう変なやついないでしょ。帰らんの?」
「浅香さんに送ってもらいたいです。怖いので。」
全然怖くなさそうにきっぱり言い切る彼女を、私はぼーっと見ていた。まるで自分は部外者かのように。
結局あの日浅香くんはその女の人を送って行った。私はその後の二人を知らない。
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