第6話 話さなくても良いんじゃない?

 あれから二日が過ぎた。あとは藤崎君を仕事帰りに呼び出し、「OK」と伝えればハッピーに終わるはずだ。

 でも本当に、こういう時に限って生真面目きまじめな自分が嫌いになる。彼の事で何か不満があるわけではない。男の習性を持っていようが、どうでもいい……。いや、いや、どうでもよくないよ。けど、今はとりあえずおいておこう。

 私の中で、過去の出来事を黙っていることに、何かひっかかる物がある。きっと他の誰かに「過去の事を話したほうがいいよね?」って相談すれば十人中、十人が「過去の事なんか話す必要ないよ。これからの事が大事なんだから」って言うに決まっている。私もそう思う。でも話さなきゃ、という気持ちが強い。

 本当は「話さなきゃ」ではなく「話したい」だ。

 私は強くはない。過去の辛い出来事を心の奥に押し込んだまま生きていけるほど強くない。先日イタリアンっぽいファミレスで「辛い思いを抱えたままでいるより、話してしまった方がいいんじゃないかな……」と言ってくれた藤崎君に甘えようとしているだけだ。話してしまって、過去の辛い出来事から解放されたい。でも話したら今度は彼に嫌な思いをさせるだけ。それとも藤崎君は受け止めてくれるのかな……。


 お昼休みの後に、笑顔も見せずに彼の部署を訪れ、帰りに駅の反対側にあるカフェに来てもらうように伝えた。きっと私のその様子に不安な気持ちでいるに違いない。そう、私はあなたにひどいことをしようとしているのかも。


 彼より先にカフェに行こうと思っていたが、既に藤崎君が店内の奥の方に座っている。やっぱり、ちょっと不安そうな笑顔をしているな。ごめんね、あなたは何も悪くないのに。

「コーヒーでいい?」

「はい」

「じゃあ、買ってくるね」

「僕が買ってきますよ」

「いいのよ。今日は私が出すわ」

 私も緊張する。本当に話してしまうのか、って。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます……。今日は返事をもらえるのかな?」

 えっ、もうOKしちゃえばいいんじゃない。藤崎君に関係ない過去の事なんか話したって、しょうが無いよ……。

「今日はまだ……。その前に話しておきたいことがあって」

 私のバカっ! 何でそうなのよ。

「話し、ですか」

「そう、私の過去の辛い恋愛話」

 彼は軽く頷いているだけ。私が何を話し出すのか、少し不安そう。

「本当は恋愛と言えるような内容じゃ無いんだけどね」

 私はそう前置きをして、すべてを話した。最初は半信半疑はんしんはんぎで聞いていた彼も、だんだん表情が曇っていく。一応言葉では「辛い思いをしたんですね」と言ってくれているが、想いを寄せている女性の、過去の男話をきいて、気分が良いわけがない。

 私が話を終える頃には、もう何も言わずに黙り込んでしまった。体の中に取り込んでしまった痛みに耐えているように、ただじっと冷めたコーヒーカップだけを見つめて黙っている。どうして私がこんな事を話し出すのか、問いただす事も無く、ただ黙っているだけ……。


「ごめんね、こんな話をしちゃって」

 でも私は少し、気持ちが軽くなった。やっと体の外に出すことが出来た。しかしそれを受け止めてしまったのは藤崎君。頑張って笑顔を作っていることはなんとなくわかる。

 笑顔を保つエネルギーが無くなってきたのか「そろそろ帰りましょうか」と切り出し、カフェを出ると「それじゃ」と言って私の前から立ち去るように背を向けた。結局彼は一度も振り返らずに、そのまま改札口に消えて行ってしまった。

 やっぱり私、ひどいことをしちゃったな。私から返事をする資格なんて、もう無い……。

 悲しくも、むなしくも、辛くもない。なんか不思議な感じ。どうしてだろう、何故だか清々すがすがしいような感覚だけはある。こんな不思議な感じだけど、意外にもぐっすりと眠れた。


つづく……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る