第3話 タヌキさんの嘘
「高塚さんは何月生まれですか?」
いきなり誕生日を聞いてくるんですかー。誕生日を聞くまでの前置きとか段取りとかは無いの? と言うかそれぐらいは事前にリサーチしておきなさいよ、同じ会社なんだから。話題に困るのにもほどがあるでしょ。私だって夕方に誘われて会社を出るまでの間に、あなたの生年月日ぐらいは調べてきたわ。あなたは一月生まれ。私より一ヶ月遅れで生まれたの。あれっ、私は
「私は十二月二十一日生まれよ」
「来月、誕生日なんですね」
なんだか満足そうな顔してる。良かったね、誕生日を聞きだすのに成功して。第一ミッションクリアってとこかな。
「お待たせしました。カルボナーラのお客様は?」
「あっ、彼女です」
えっ、彼女!?
こ、この場合の彼女は三人称の彼女だよね。特別な彼女じゃ無くて。何故だか「彼女」と言う言葉に反応してしまった。
「お腹空きましたね」
「そうね。食べようか」
私が特別な彼女となったのは、三人目の男の時だった。正確には特別な彼女だと思い込んでいただけ……。
私だって今時の女子なのでSNSぐらいはやっている。私の投稿にいつもコメントをしてくれる男性がいた。名前は仮にタヌキさんにしようかな。
確か二十六歳の時だったかな……。なんて、「確か」ではなく「忘れもしない」二十六の夏だ。
キツネさんのことがあってから、SNSが私の
たくさんの「いいね」がひしめく中、私の心に響く言葉で私の投稿を褒めてくれるコメントがあった。
いつしか私はそのコメントだけの為に投稿をするようになっていたかな。
そうなると、他のたくさんの「いいね」が
直接メールでやり取りをしても、彼は今まで通り優しい言葉で私を褒めてくれる。
私が写真を投稿すると、いつものようにたくさんの「いいね」が付く。そして公開されている多くのコメントとは別に、彼から直接優しいメールが届いた。
他の皆には内緒で彼と特別な関係になっているみたいで、何だか嬉しい。
彼のSNSのアカウントページには、車の写真がたくさん掲載されていて、その写真には五人ほどの女性がかならず「いいね」を付けたり、コメントを書いたりしている。直接彼とメールをしている私は、そんなコメントを見ながら優越感に浸っていた。直接メールをしていると、当然相手がどんな人か知りたくなってくるよね。それはタヌキさんも同じだったみたい。
とある金曜日の夜「写真を交換しようよ」というメールが届いた。すごく迷った。でも「相手のことを知らないままメールをするより、お互い知った上でメールをしたほうが安心だよ」という言葉に押されて、写真の交換をすることにした。
でもいざ自撮りをすると、どうしても変な顔になってしまう。そもそも私はモテる顔ではない。これがありのままの顔なのかも。いままで自分の顔を良く見せるため、こんなに努力したことはなかったな。スマホで自撮りの方法を調べまくって、目元の化粧をして、ちょっぴり写真を加工してようやく出来た自信作。
なかなか私から写真が届かないから「やっぱり写真を送るのは難しいのかな?」と、遠回しに催促のメールが届いたけど、適当に時間稼ぎをして「ごめん、遅くなっちゃたけど、写真送れるよ」とメールしたのは深夜の十二時。
先に彼から写真が送られてきた。えっ、「思っていたより良いかも……」ちょっとドッキっとした。でも逆に写真を送るのが少し怖い。彼になんて思われるか分からないし……。もう写真を受け取ってしまったから、送らないわけにはいかない。「私は顔には自信ないから」と言う一文を付けて写真を送った。すぐに「へ~、可愛いんだね」だって。努力して
彼の顔写真を脳にインプットして、イメージを更新するように、今までにやり取りしたメールを読み返した。彼のメールはいつも私を褒めてくれている。ちょっとニヤついていると「今度ランチでもしようよ」お誘いのメールが届いた。
えっ、会うの!? 深夜と言うのは理性を狂わす、魔の時間帯だ。迷うことなくOKしちゃった。でも迷う必要も無いわよね。別に悪いことしているわけじゃないんだから。
会うのは日曜日のお昼だって。明後日じゃん。いやいやもう深夜十二時を過ぎているから、明日か。ややこしい……。
もちろん前日の土曜日に今どきの洋服を買いに出かけた。といっても予定外の出費だから、そんなに高い物は買えない。郊外にある大きなショッピングモールに行って、上下で合計9,936円のお買い物。今の税率だったら一万円を超えていたな。アパートで独り暮らしをしている私には手痛い出費だけど、ある程度の投資も必要よ。
問題は送った写真が加工してある事だ。実際の私を見てガッカリするんじゃないかな。こんな事なら、加工なんかするんじゃなかった。でも加工しない写真を送っていたら、ランチに誘ってくれなかったかもしれない。
その点、目の前にいる藤崎君には実物の私しか見せていないから、気が楽だ。あの時の加工した写真を見せたら、なんて思うだろう。
それにしても、この人は不器用だな~、パスタがフォークに上手く絡まっていないよ。私に遠慮せずに、もうずるずるとすすっちゃいなさい。
「高塚さんは、いつも自分でご飯を作るんですか?」
「そうね、自分で作っているかな」
はい、嘘ついちゃいました。いつもスーパーでお
「藤崎君は料理が出来る女性が好きなの?」
「えっ、そ、そうでもないかな。どちらでも良いかな……」
でしょうね。話題が無くて、とりあえず聞いてきただけだろうから。でも本当はどうなのかな。
タヌキさんと初めて会ったのは、東京駅の丸の内だったな。前日に買った洋服で身を固め、出来るだけの化粧をして、年に数回しか使わないよそ行きのバックを持って、丸の内北口の柱を背にしながら立っていた。
あのスリルに似たドキドキ感は何とも言えない。凄く会いたいとは思わないが、「早く来ないかな」と期待する気持ちと、わずかに「来ない方がいいな」という弱気な気持ちが混ざっている感じ。
不意に改札口の方から、
「高塚さんですか?」
と言う声がした。タヌキさんだ。私、改札口の方を見ていたのに、なんで気づかなかったんだろう。きっとそうとうボーッとしていたのだろうな。
「あっ、はい……」
自分のルックスにあまり自信が無い私は、前髪を直すような仕草で顔を何気なく隠してしまった。指の間から見えたタヌキさんの表情は写真通り。特に私の好みと言うわけでもないけど、まあまあかな。
タヌキさんが連れて行ってくれたのは、すっごく高級そうなお店。お洒落なビルの、えーと、何階かは忘れたけど、結構上がったような気がする。ちゃんと予約も取ってあり、個室に通された。
とても私には似合わない雰囲気。まずい、完全に借りてきた猫の状態だ。精一杯平静を装っているが、きっとぎこちなかっただろう。今の私だったら格好つけずに「こんなお店、初めて来たよ」って素直に言えるだろうけど、あの時は「素敵なお店ね」って、気取っていた。
「コース料理を予約してあるけど、良かったかな?」
コース料理! 凄いな。聞いたこともない料理名が書いてあるメニューを見て、注文しなくて良いから、ちょっと助かったわ。
席について、コース料理のお品書きを見てようやくフランス料理のお店だってことに気づいた。だって、フランスの国旗が描かれてあったから。フランス料理と言ってもフランスパンしか思い浮かんでこない。情けない。でもフランス料理の名前をスラスラ言える人って、あまりいないと思うけど……。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
タヌキさんは無口な私を気遣うように話しかけてくれた。
「あっ、はい。でも初対面なので……」
どちらかと言うと、ここのお店の雰囲気に圧倒されているのだが。
「自己紹介と言っても、メールでお互いの事は話しているからね。これからも会えるといいね」
「そうですね」
当時、タヌキさんは三十一歳。これまたキツネさんと藤崎君とほぼ同じ歳。私って三十一に縁があるの?
都内で働いている商社マン。趣味は車。SNSにカッコいいスポーツカーの写真がたくさん載っている。直接会って話しても、メールの時みたいに気さくで優しそう。
これって意外といい出会いなんじゃない。私もかなり前向きだった。そりゃそうでしょ。気になる所なんて、何もないんだから。
正直フランス料理の味なんて全く覚えていない。ただ、ただ、私は必死だった。お仕事も商社マンだし、趣味も車でなんだか男の人っぽい。話しも会うし、優しそう。感性を後回しにし、そんなタヌキさんの事を「好きになれ~、好きになるんだ」と自分に言い聞かせていたような気がする。
ランチの後、タヌキさんは予定があるらしく、その日は東京駅の改札で別れた。本当はランチの後も何処かに行きたかったという気持ちも少しあったけど「最初はこれぐらいがちょうどいいか」と自分に言い聞かせ、寄り道もせずにまっすぐアパートに帰った。
そう言えば、次に会える予定を聞いてくれなかったな、やっぱり私じゃ駄目なのかな。
タヌキさんからは「ランチとても楽しかったよ。また遊びに行こうね」という返事。フランス料理のランチをして「また遊びに行こうね」と言う返事ももらえて、普通に浮かれても全然不思議ではない状況なのに、どうしてだろう、素直に喜べないと言うか、なんか不安が残ると言うか。タヌキさんの返事を見て、「何だか社交辞令っぽいな。『また』っていつなんだろう。『また』は無いんじゃないかな」って思った。やっぱり頭の中で無理やり好きになろうとしていただけだから、気持ちは冷静だったんだろうね。
数日後タヌキさんから「今度はドライブに行こうか」とお誘いのメールが来た。大事にしている車に乗せてくれるんだ。ますます「好きになろう」と言う思いが強くなったな。そして毎週タヌキさんは高原に連れて行ってくれたり、遊園地に連れて行ってくれたり。私はようやくタヌキさんのことを心から好きと思えるようになり始めたし、不安もなくなっていたけど、タヌキさんの口からは「好きだよ」と言う言葉はまだ聞けていない。一緒にプールに行って初めて水着姿を見せたとき、どうしても確認したくて何気なく聞いてみた。
「私って、もう彼女なのかな~?」
「そうだね」
タヌキさんはそう言って笑っている。でも私の目を見ていたわけではなく、遠くを見ていたな。これがタヌキさんがついた、罪な嘘だとはその時は思ってもみなかった。私は彼女になれた事でタヌキさんとの間にあった
その日の帰り、私は彼に体を許した。 彼氏彼女なんだから、軽い女じゃないよね。
でもタヌキさんの彼女でいたのは一週間ほど。夏の長期連休の前に突然終りが訪れた。
つづく……
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