第十三章 蒼い青い春

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・今のところBL要素は少ないです。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





___________________________________________

















 赤鬼と青鬼。


 心優しく温厚な赤鬼は村の人達と仲良くしたいと思っていました。

 でも人々は鬼というだけで赤鬼を怖がります。そんな時、青鬼が村の人達を襲いました。そこへ赤鬼が駆けつけて、友である青鬼を止めます。

 村人は皆、赤鬼に感謝して宴が開かれました。

 夜もふけ、青鬼の元へ向かうと、一つの置き手紙がありました。

 “村の人達と仲良くしろよ。俺は旅に出るよ”

赤鬼は涙が止まりません。

 だって青鬼は赤鬼のために嫌われ役をしたからです。

 心優しい赤鬼と、友達思いな青鬼の話はここでおしまい。


 そんな話を本を読んでいたシキから聞いたことがあった。











_____________________






 賭けだったんだ。

 響が絶対君臨の神になるか、長年続く戦いに終戦をもたらす真の神子になるか。

 だって、僕たちにはもうどうしたって人間共が憎くてしょうがなかったから。きっと止められるのは響だけだった。止めてくれてもいいし、参戦してくれてもいい。響が望むままの世界を創りたかった。

 人間をとっても僕たちをとっても、響が幸せならいいと思ったんだ。それなのに、響が優しい世界を造ると分かった時、あぁ、人間を取ったんだって少し落ち込んじゃった。ちょっと考えればわかるのにね。

 歪でも、人でなしでも、響はいつだって僕たちのことを考えていたのに。




 今だから分かってしまった。シキは青鬼になろうとしたのかもしれない。それがシキの中のハッピーエンドのシナリオだったのかもしれない。

 何かの犠牲の上でしか成し遂げられないものは多い。ほとんどの事柄はそういう仕組みで出来ている。

 そういうところばかりが、世界は平等に出来ているのだ。

 





「今、幸せ?」


 式守兎神、シキは響に聞いた。

 もうすぐ冬が終わり春が来る。長い長い冬と夜が明けて暖かい日差しに包まれた春が来る。桜は蕾をつけ始め、真っ白い雪に覆われた銀世界が随分前のことのように思えてしまう。


「うん」


 響の答えにシキは安心したような笑顔を作った。


「そっか」


 寂しそうに、でも嬉しそうにそう言ったシキの頬を響は撫でる。愛おしくて、愛おしくて堪らない、ずっと自分を守ってくれた人じゃないもの。

 でも確かにシキは此処に居る。


「ありがとう、シキ。ダイラ達にももっとお礼言えたら良かった。ずっとずっと守ってくれて、愛してっ、くれて、あり、っがとうっ、!」


 響の瞳からシキの顔へ大量の雨が降る。

 シキは上へ手を伸ばして響の頬を優しく包み込んだ。


「ふっ、はは、響が泣いてる〜」

「しっ、き、」


 シキが笑っても響の涙は止まらなくて、シキの顔を土砂降りにして、濡らしていく。

 響がこんなにボロボロと涙を流したのを見たのは奏が死んだ時以来だった。響はこんな風に泣くのかと、シキは目が離せない。


「九導達とはやっていけそう?」


 シキは優しく優しく聞く。


「わかんないっ、」

「わかんないかぁ」


 いつの間にか響は年相応の子になっていたらしい。シキはそれに安堵すると同時に、その成長をもう側で見てあげられない事が悔しくて仕方なかった。


「最初から完璧にしようとしなくていいさ。響は響のペースでやればいい。今まですっごく頑張ったんだから、少しぐらい休んだってバチは当たらないよ」


 穏やかに笑いながらゆっくりシキは言った。


「響はもう十分苦しんだし、その苦しみも痛みも嘆きも後悔も、全部僕たちはそばで見てきたから分かってる」

「んっ」


 響は涙が止まらなくて、上手く話せない様子だった。


「あはは、もう響、そんなに泣かないで〜。僕たちが居なくて本当に大丈夫かなぁ」


 シキは困ったように笑いながら響の涙を拭う。もう片方の手は響の手と硬く強く握り合わせる。

 それでも響の涙は止まらない。止め方を知らないのだから。

 少し暖かい風が吹いて2人の頬を撫でる。まるで励ますように。

 少し落ち着いてきた響が語り始めた。


「僕っね、神様に、なった時っ、最初は一人ですごく、寂しかったんだ。…でも、シキがきてっ、くれたから……嬉しかった、あんな所まで迎えにきてくれて。シキ達はこれから何百年も暗くて何も無い場所で一人ぼっちなんでしょ?」


 また響は泣き出しそうな顔をする。シキは困ったなぁと笑いながら、響と話す。


「うん。そうだね。本来人間を守らなければならない立場である僕らは大罪を犯したからね」

「でもっ、それは、僕のためで、」


 響がつなげようとする言葉をシキは首を振って止めた。



「ううん、違うよ。僕たちが嫌だったからだよ。響のためでも、響のせいじゃない。響は何にも悪く無い。むしろね、響と過ごせて良かった。それだけで—————、」



 そこまで言って、一度言葉を止める。次に発せられる言葉を聞いて響は目を見開いて時が止まったように感じた。



「———その思い出だけで、何百年の孤独にも耐えられるよ」



 シキは家族だった。愛していた。親で子で兄であり弟で師匠であり弟子で、ずっとずっと、一緒だった。探究心が強いシキが好きで、いつでも手を引いてくれるシキが大好きだったのだ。

 響はシキがよくしてくれるのは自分が神子だからだと思っていた。でもそんなの大間違いだった。

 だって、シキは、シキ達はこんなにも響を愛してくれていた。

 家族を知らない自分の家族になり、大勢を敵に回したとしても味方でいてくれて、神になって一人ぼっちになってもすぐ迎えにきてくれた。大罪を犯してまで自分を守ってくれた。


「うぅっ、ぁ、うぁっ、しっ、ぎ、」


 シキは全く後悔していないと、自分との思い出だけで何百年の孤独にも耐えられると言ったのだ。

 でもシキ達がまた生まれた頃には自分はいない。そのどうしようもない事実が響の胸を締め付ける。感情を覚えたての子供のように、自分の痛みという感情を初めて感じた響にはこのどうしようもない胸の痛みは激痛だった。


「せっかくの美人な顔ぐちゃぐちゃだよ〜?」


 シキは相変わらずニコニコしている。シキはいつだってこうだった。

 響が本気で怒れば一緒になってそれ以上に怒るし、響が悲しめば逆に笑ってそばに居てくれる。下手な慰めもないし、デリカシーがない時も多いけど、絶対そばに居てくれた。

 それがこれから、もうどんなに泣いたって怒ったって、隣にシキ達は居ないのだ。ずっと見守ってくれて、一人で立っていられない時ずっとそばに居てくれたシキ達はこれからは居ない。


「僕っ、いやだよ、僕、シキがいなきゃ、隣にいてくれなきゃ、寂しいよ」


 今なら分かるよ。




“ 幸せとは、けたたましく足音を立ててやって来て、泡の様に消え去る時に、深い深い傷跡を残すもの。”




 幸せな気持ちも。去っていく時の痛みも。だって今、こんなにも寂しくて苦しくて、痛い。

 そしてこの痛みは一生癒えることのない傷跡を残すんだって、分かるよ。

 知りたくなかったな。こんな痛み、全然知りたくなかった。でもこの傷跡すらも愛おしいと感じてしまうのだろう。響がどんなにそう思ったって、『大切なものはいつか失われるから大切なのだ』とシキが読んでいた本に載っていて、本当にそうだ、と思わざるを得ないのだ。

 シキは驚いた顔をして、涙を浮かべた。


「響、ごめんね、ごめん、響。ずっと、ずっとそばに居てあげたい。僕だって、ずっと響といたいよ。ダイラもミョウもチョウも。ずっとずっと、みんなで前みたいに暮らしていたいよ」


 シキの体はもう既に薄くなり始めていた。足には鎖が繋がれていて、きっとその先は別次元の地獄に繋がれている。

 シキ達はこの次元に干渉しすぎた。それは世界の理に反する行いなのだ。

 神聖な儀式のような2人の姿はきっと誰も触れることの出来ない時間だった。

 響は握っているシキの手を自分の頬に強く当てる。存在を確かめるように。消えてしまわないように。痛いくらいに握りしめる。


「いやだ、おねがい、いかないで。僕、神様なんでしょ? シキ達を人間にできるんでしょ? 教えてよ、やり方、教えてよ」


 シキに懇願するように言ってもシキは困った顔をして涙を流しながら首を横に振るだけだった。

 言いながらも思い出すのはシキ達と過ごした日々だった。自分の事をよく心配していたシキ達、あの時はよく分からなくて、大丈夫?と聞かれても馬鹿の一つ覚えみたいに大丈夫だよと返していた。無理しないでと言われているそばから無理をした。そして何より、自分の命を疎かにした。

 その人が生きているだけで喜ぶ人がいて、その人が死んだら悲しむ人がいる。そんなのは物語の中だけだと思ってたんだ。そんな事なかったのに。シキ達は数えきれないほどそれを自分に伝えていたのに。

 今なら分かるよ。心配だったって言うのも、その気持ちも、今なら分かるんだよ。謝るよ。全部ぜんぶ謝るから。


「これから僕たちが隣に居られないのに、成功するかもわからない禁術なんて、使ったらダメだ。響の寿命が縮んじゃう」

「いいよっ! 寿命なんて! シキ達が隣に居ないんじゃ、長生きしたって意味がないっ、!」


 神様が本当にいるなら、と、神を恨むことすら出来ない。だってその神の椅子を奪ったのは響自身なのだから。

 祈る神すらいないのならどうしたらいい。誰に、何に、祈ったらいいのだ。

 シキは最後の時間を使って術をかける。

 優しくて、暖かい、泥の中みたいな、呪詛と呼ぶには甘すぎる、愛に溢れた術を。

 シキが術を施した瞬間、響は一瞬暖かい光に包まれた。


「な、にっ、したのっ、?」


 そう聞いてもシキの体はもう力が入らなくて、ほとんど光のように透けていて、響は嫌な予感がした。


「まさかっ!」


 響は体に気を纏おうとしたけれど感知できない。自分の気が感知できなかった。これじゃあ、気が力が、術が使えない。

 おそらく一時的なものではあるが。


「どうして、なんで、」


 ほぼ絶望に満ちた声色だった。だってもう、これじゃあ本当に、シキ達とは、



「響はね、僕たちの、愛し子なんだよ」



 ゆっくりゆっくり、きっとこれがもう本当に最後なのだと分かるようにシキは言葉を繋げる。



「響には、これから先、沢山の良い事が起きて、笑って、幸せに生きるんだ」



 響の手を握るシキの手にはもう力が入っていない。体は薄くなっていくのに足に繋がれた鎖だけが異様に目立っていく。



「そうなるように、おまじない、かけたんだよ」



 そういうとシキは深く息を吐いた。

 響はシキとの日常を思い出した。いつだってシキは底なしに優しくて、それがどんなことでも結局折れるのは響なのだ。そしてそれはきっと今日も今も変わらない。



「シキには本当に、敵わないや」



 響はそう言って笑った。泣いていても笑った。それをシキが望むなら、せめて、シキの最後の記憶は自分の笑顔であってほしいから。


「うん。やっぱり、響は、笑ってた方が、綺麗だね」


 相変わらず人間だったらタラシすぎるシキの言葉にも今はもっと泣きそうだった。それを堪えて、響はシキの手を強く握ってもう片方の手で抱き締める。

 シキもゆっくり力の入らない手を動かして響の背中に腕を回した。




「響、愛してる。生まれてきてくれて、ありがとう。祝福を君に」




 もう響が自分が生まれたせいでなんて思わないように。

 自分が生まれたことに祝福の意味を持てるように。

 だって僕たちは響が生まれてきてくれて、本当に心の底からの祝福を感じたのだから。


 その言葉に響はやっぱり涙の量が増えたけど、それでも声が震えてしまわないように唇を一瞬噛み締めて、愛を返す。




「僕も、シキのこと心から愛してる。僕と出会ってくれて、ずっと見守ってくれて、そばに居てくれて、いっぱい愛をくれて、ありがとう」




たくさんたくさん、ありがとう。



お願い。お願い、シキを連れて行かないで。そばに居てよ。ひとりにしないで。僕を置いて行かないで。そう思っていたことは全部口にはしなかった。シキが安心できるように。

今はただ、暖かくて寂しくて惜しい時間に、愛とありがとうが溢れるように。



「うん。さようなら、響。幸せになってね」



 シキは笑っていた。それはもう響の好きな笑顔で。本当に幸せそうに笑っていた。

 その言葉を最後にシキの体は消えて無くなった。

 死んだわけじゃないから死体だって残らない。もちろん供養なんてのも出来ない。

 シキ達が居たという証拠もなければ、その存在を感じる事だってできない、永遠に、




 もう一生、シキ達には会えない。




 なくなってしまった温もりを感じながら、現実を噛み締めようとする。


「うっ、うぅ、あぁ、しき、だいらっ、みょう、っちょう、みんなっ、ああぁ、」



 その神聖な場では、1人の少年の泣き声だけが響いていた。

 膝をつき地面を殴りながら何度も何度も、式神達の名前を叫んで、声が枯れても泣き続けた少年にとって、小さな犠牲に大きな成果を得たとしても、あまりにも残酷な結末だった。

 九導らはそれを離れたところで見守って、何人かはまだ感情を覚えたばかりの子供のような少年の心情を思って涙を流した。

 永遠の別れ。もう笑いかけることもなければ、悪夢に魘されたって一緒にも寝てくれないし、悲しい時や辛い時そばにもいてくれない。ほんの少し前に、誕生日を祝ってくれた1人の少年を愛した式神達はもうこの世のどこにも居ないのだから。











_____________________






 どれくらい、泣いていたのだろうか。

 シキの消滅と共に今世界に戻ってきた響達。九導達もなんて声をかけたら良いのか分からなく、その場を離れて、気づけばシキと出会った廃墟に来ていた。

 廃墟の屋根はなく、綺麗な星空が見える。その場所も匂いも景色も、やっぱり響にシキ達を思い出させた。


「そういえば、シキ達は人間のお酒が好きだったなぁ…」


 独り言をぼやいて、立ち上がる。

 シキ達が家にストックしていたお酒を思い出して、家族を4人も失ったんだ。未成年だって飲んだくれるさ。そんな言い訳を多分ダイラにして、帰路につく。


 だけど部屋に帰っても殺風景に思えた。

 シキ達と出会ってからは、帰ってきて誰もいないと言うのが全くなかったから、出迎えてくれる人がいないと言うのはこんなにも寂しかったっけと、随分シキ達に絆されてたんだなぁ、と思いながら、シキ達がいつも使っていたグラスを五つ取り出す。

 一つはいつか響が飲めるようになったらみんなで飲もうとシキが用意した響のグラス。


「少し早いけど、使わせてもらうよ」


 そう言って一番の酒好きのダイラが『これは響と一緒にいつか飲む』とずっと大切そうにしていたお酒を取り出す。それは響が生まれた歳のワインだった。


「本当、ダイラもシキも、みんな人タラシだよ」


 そこにシキ達がいても大丈夫なように。出来るだけ喋りながらグラスにワインを注ぐ。

いつもみんなが座っていた場所に置いて、自分もソファーに座る。


「んー、何に乾杯しようか」


 少し悩んで、すぐいいひらめきを思いついた。



「人でなしな僕らの新しい門出に、乾杯」



 そう言ってグラスを傾けて机に置いてあるシキのグラスに当てれば、カチンと気持ちのいい音がした。

 きっとシキなら、残酷な結果でも新しい門出と言うだろうから。それは多分シキらしい皮肉も込めて。


「何の話をする? 出会ってからの話だと山ほどありすぎて、何から話そうか」


 そう言いながら響は酒の酔いに任せて、シキ達に話すようにゆっくりで支離滅裂でまとまりのない話をずっと喋り続けた。

 出会ってから、別れるまでの話を。

 初めて飲むお酒は正直ブドウジュースと変わらなくて、それでも全然減らない4つのグラスを見ては、涙を溢して、きっと涙腺が壊れてしまったのだろうと思いながら、チビチビ飲んでは泣いてを繰り返して、いつの間にか眠っていた。




「…やっぱりぼく……みんながいないと、さみしいよ……」

 



 響は写真が嫌いだった。無意識で避けていた。時間を切り取って思い出を残すそれは、九導達をいつまでも実千流の存在に縛り付けたし、過去を振り返っても良い事は無いと思っていたから。

 でも今、シキ達の写真が一枚もないのを悔やむ。写真に写らない可能性の方が高いとしても、どうにかしてシキ達がいたと言う事実を残したかったから。

 もうどうやったって、シキ達が存在していた証拠はない。自分の薄れていく記憶だけが頼りだった。







_____________________






 シキ達が居なくなって2週間。

 あの日から同じ夢を見る。シキの夢だよ。

 4人とも大好きだったけど、やっぱりシキはいろんな意味で特別だったんだと思う。

 ミョウとチョウはそもそも2人でセットみたいなところがあったし、ダイラはいつも見守っている感じだったから。

 夢の中で僕達はずっと家族なんだ。僕とシキは同じ学校に通っている。

 学校には奏や憐がいるんだ。学校でも相変わらず一緒で、共に家に帰ればダイラがご飯を作っていた。それを僕たちも手伝っている間に外に出ていたミョウ達が帰ってきて、みんなでご飯を食べる。

 その後ミョウとチョウの話を聞いて、シキと一緒に課題をやり、お風呂に入って、ダイラも一緒にみんなで少し話してシキと寝るんだ。

 すごく幸せで穏やかな夢。僕が、僕たちが望んだ日常が夢の中にはあった。

 シキ達以外の“ナニカ”も居ないからシキ達に心配させることもない。それでもシキ達が人間じゃないのは僕の願望なんだと思う。

 どんな形であったとしても、シキ達にはそのままで居て欲しかったから。

 夢から覚めたくない。永遠に夜なら良いのに。それでも否応なしに朝日は昇る。

 今の世界にも“ナニカ”は存在しない。僕が造ろうとした世界のカタチがまだ残っているから。でも暫くしたらまた発生してくるんだろう。人の恐怖心や憎悪は底を知らないから。




 今日もまた同じ夢を見ていた。起きてしまって、風に当たりたくなり、ベランダに出た。空が明るくなり始めている。そして前よりは冷えていない風に、春が来るんだと思った。

 冬に去った者には二度と訪れない春が来る。時間が置いていくのは死んだ者と言うが、時間が置いていくのは生きている者だ。

 生きている者が永遠に置いていかれ続ける。

 弱い者は生き残れない。強い者が置いていかれ、いなくなった者を忘れることも出来ないままその世界で生き続ける。それがどれだけ残酷な事なのかを、響は誰よりも知っている。

 奏を失い、それでも立ち続けた。落ち込んでいる暇など無かったから。友の死を哀悼する時間もなかった。でもそのおかげで響は理解した。自分の周りに弱い奴がいても中途半端な奴がいても死んでしまうのだと。自分より強くなければ身を守れないのだと。

 だから、憐には生きていて欲しいから、遠ざけて、大人になるまで守ってもらえるように手を回して正解だったと思った。

 今の響は自分の人生をなかなか酷いものだと思う。でも、そこにシキ達と過ごした時間があっただけで、その感想は変わって、すごく、素晴らしい人生だったと言えた。この先に何があろうと、響は自分の人生を誇りに思う。

 シキ達がいなくなった今、響の人生を照らしてくれる光はない。どう生きていけばいいのか、響には分からない。要するに悩んでいるのだ。年頃の子供らしく。

 そして一番の悩みがある。


「ぅっ、はぁッ! はぁ、はぁ、はぁ…ふぅ、」


 あの日から見る夢の回数はだんだんと減っていき、悪夢を見るようになった。毎日、毎晩、悪夢に魘されるのだ。

 それはシキ達が居なくなった事の現実を響に叩きつけているようだった。

 体が治せる術が使えるようになるまで、何度も何度も瀕死状態まで痛めつけられた時の夢。

憐と暮らしていた日常がなくなる時の夢。

憐を九導らに引き渡したのがバレて拷問された時の夢。

 奏が死んでしまった時の夢。

 シキ達のいない世界を、生きている、これはもう現実でもあるのだが。

 何より悪夢なのは、シキ達と過ごした時の夢だった。

 一見幸せそうな夢ではあるけれど、夢は夢でしかないことを響はしっかりと理解している。だけれど、だからそのギャップに耐えられるかどうかは別問題。なんせ響はまだ子供だから。

 悪夢に魘されて家族に泣きつくことを知らない。かつてはシキ達が気付いてくれていた。けれど今やそのシキ達は居ないのだから。

 拷問も尋問も痛めつけられることに対して昔はなんとも思っていなかった。人間死ぬ時は死ぬし、生きてる時は生きている。そういうもんだと、達観していた。


 シキ達と談話したリビングで一人でご飯を食べる。

 シキと眠ったベッドで一人で寝る。

 ミョウとチョウと遊んだ部屋を眺めるだけになる。

 ダイラの立っていたキッチンに響が立つ。

 カウンターを見ても誰も見えない。

 帰ってきても「おかえり」は聞こえない。

 楽しそうに話す笑い声は聞こえない。

 自分以外の誰かの気配をもう感じない。

 響にとってシキ達と過ごした家は今や響を苦しめるだけ。でも響は出ては行かない。この家にしか、もうシキ達の痕跡を辿れないから。

 居もしない者の影を追いかけるのは弱い者がやることだと思っていた。

 自分は一人で立っていると思っていた。

 一人で生きていけると思っていた。

 以前は出来ていたはずだった。

 それを変えたのは紛れもないシキ達だ。

 でも当の本人達は自分を置いていってしまった。

 





_____________________






『響はどんな人が嫌い?』


以前シキは響にそう聞いたことがあった。


『嫌い? 好きじゃなくて?』


相手の何かを知りたい時、普通は好みを聞くものだ。だから響はその質問が疑問だった。


『うん。好きは信用できないから。人間は良い加減で気まぐれで飽き性な生き物でしょ』


シキはそう言いながら今はもうないかつての村を思い出した。そしてそれと響を無意識に比べて、響は人間としてとても誠実に思えた。

シキの言葉に響は純粋に共感した。


『んー』


少しだけ考えるように頭を捻って、シキを見つめた。すると少しだけ悲しそうな優しいような微笑みを見せてから口を開いた。


『僕のことを置いていく人』


そう答える響の瞳は虚空を見つめていながら優しく、なんだかもうありはしない思い出を見つめているようだった。


『じゃあ奏の事は嫌いなの?』

『さぁ、もう覚えてないや』


その当時の響の頭の中は機械のようだった。要らなくなった記憶は削除されていく。響の人生という舞台ゲームから退場した者はさっそう響の記憶から消えていくのだ。

いや、蓋をされて奥底にしまわれる。何かの拍子バグで出てこない限り、本人はそれを口にはしない。

シキはやはり歪だと思った。

記憶から削除されるならば、先程の優しい目つきはなんだったと言うのか。思い出を見ていなかったなら、響は何を見ていたのか。


『ふーん、響は響だね』


そう言ってシキは笑った。


『なにそれ』


響もまた笑った。その瞳にはシキしか写っていなかった。






_____________________






 僕あの時、嫌いって言ったのに。


 昔の事をぼーっと考えていればカーテンの外は少しだけ明るくなっていた。

 スマートフォンが通知を知らせた。


【近いうち、いつでもいいので来て欲しい。】


 簡潔な文だった。“来て欲しい”とはおそらく九導らの拠点のことだろう。このメールは九導から送られてきていたから。


「……連絡先、教えたっけ…」


 そんな疑問を持ったが今時連絡先なんて簡単に入手できてしまうのだからと考えて、ベッドから降りた。

 キッチンに向かい、コップに水を入れて飲み干す。


 今は誰とも、会いたくないな。


 そんな事を思いながらも響は返信メールを打ち込む。


【分かりました。今日か明日中には向かいます。】


 何か仕事が入ったんだろうか、その程度にしか響は考えていなかったし、それを好都合とも思っていた。前のように怒涛の日々が来れば、きっと忙しさで感覚は麻痺していくだろうから。

 一瞬心配するシキ達を思い浮かべたが、もう居ないのだから、と一人折り合いをつけた。


【待っている。】


 九導からのその返信を見てスマートフォンをカウンターに置いた。シキはそのまま寝室に向かい、ベッドに潜った。夢を見るために。


 次に起きた時はもう夕方だった。鮮やかすぎるオレンジがカーテンの隙間から見えて、吸い寄せられるようにベランダに出た。

 柵にもたれて、目を閉じる。

 鳥が鳴いている。

 帰路に着く子供達の声が聞こえる。

 お隣か上の生活音が聞こえる。






『ねぇ君、人間じゃないよね?』


そう問いながら響は人の形をした“ナニカ”に近いた。“ナニカ”はあの廃墟で壁に背をつけて座り込んで、酷く弱っているようだった。


『もう人は殺した?』


なんで自分がこんな事を聞いているのか響にも分からなかった。殺したと言えばこの“ナニカ”を除霊するのか、なら、殺してないと言ったら?

“ナニカ”はゆっくり弱々しく首を横に振った。


『そう…。名前は?』

『シキ…』

『来る?』


僕の家に、とはなぜか言わなかった。

響の言葉にシキと名乗った“ナニカ”は顔を上げた。響はその紅い瞳と目が合う。

しばらくシキは響をじっと見つめ、ゆっくりと頷いた。


『おいで、立てる?』


響がそう言いながら手を差し出せば、頷きながら手を取り立ち上がった。


『行こうか』


そう言って歩き出す。

家に着いて、響はシキをリビングのソファーに座らせて紅茶を淹れた。


『紅茶とか飲める?』

『こうちゃ…』


シキは見た事ないものを見るように呟いて渡されたマグカップを見つめる。


『あ、そっか。まぁ美味しいから飲んでみてよ』

『ありがと』


シキは恐る恐る一口飲み、顔を明るくさせた。響が初めてみた式の笑顔だった。


『美味しいね、これ』

『でしょ?』


響も笑って返して、次はシキが目を見開いた。

この時すでに、というか出会う前から、響が生まれるずっと前から、シキには響が愛し子だと分かっていた。それでも、心打たれる何かがあった。

目の前が鮮やかに眩しく輝いたのだ。それと同時にこの子に降り掛かっている理不尽も見てきた。この瞬間シキの心にドス黒い感情と、それすらも照らしてしまうほどの明るい存在ができてしまったのだ。

お互いに月で太陽の存在。

響を照らすのはシキであり、シキを照らすのは響。

なんで?だとか、過程も経緯も関係なく、そういうふうに事柄が出来ているように、“そう”なのだ。


『これから一緒にいてよ、響』


名前名乗っけ、と思いながらも必要とされた事に響は無意識で喜んだ。


『うん。よろしくね、シキ』






『ねぇシキ、今日は別々で寝ない?』


寒い雨の日、響が家にいる限りは毎日一緒に寝ていたシキに響はそう提案した。シキは口を開けて、吃驚している。


『え、どうして? 僕寝相悪い?』


眠らないシキにとって寝相などは関係ないのだが、てんぱって変な事を聞いてしまう。


『いや、全然そんな事はないよ』

『じゃあなんで?』


シキが理由を聞けば響はシキの目を一瞬だけ見てから少し申し訳なさそうに微笑んだ。


『最近暑いしさ』


シキは響の誤魔化す時の癖を知っている。

目を一瞬合わせて申し訳なさそうに微笑む、それは響の誤魔化す時の癖。


『うん、いいよ』


シキは笑ってそう返した。

その日の夜、響は魘されていた。ここの所毎日なのだ。その度に起きてしまってシキが心配しているのを響は申し訳なく思っていた。


『…またか』


響は自分で落ち着かせて一人ごちた。


『響? 大丈夫?』


ドアの向こうからシキの声がした。


『ん、大丈夫だよ』

『……響はさ、』

『ん?』

『僕に嘘つかないよね』


その声は心なしかいつもより低く感じられた。


『………シキ…』


沈黙がとても長く感じられた。

窓の外は相変わらずの大雨で、その上にはきっと星天が広がっている。でもその星天を人間が目にする事はない。雨で覆われてしまっているのは少しだけ、響に安心感を与えた。

響はずっとカーテンを見つめていた。


『入るよ』


シキがそう言ってゆっくり扉が開いた。

響をみたシキは困ったような顔をした。そしてゆっくりと近寄りベッドに腰掛けて、響の目下に触れた。


『響、前より隈酷くなってる』


響はカーテンからシキへと視線を動かす。それでも黙ったままだ。


『眠れないの?』


シキの問いに響は言葉を発さずに頷いた。


『そっか。じゃあ響が眠れるまで起きてよう? 幸い僕達は寝るということはしないからね』


そう言って優しく微笑んで、布団に潜る。


『じゃなくて、僕が起きたらシキは心配するから…』

『いいんだよ。心配させてよ、家族でしょ』


暖かく生ぬるい空気は僕をダメにしていくようだった。だから、いつでも気を抜かず、流されて、慣れてしまわぬ様に。






『響は前世って信じるタイプ?』


シキがいつものように唐突な質問を投げかけた。


『さぁ、でもあったら嫌だなって思うよ』

『それは、どうしてじゃ?』


いつの間にか会話に入っていたダイラが次は聞いた。シキと、気づけばミョウとチョウも響の答えを待っていた。


『前世があったら来世もあるって事でしょ? それはめんどうだ』


その言葉にシキは笑い出した。


『そうだね。響にきっと前世なんてないよ』


何の根拠もない。そもそも前世だとか来世だとかは常識的に考えてくだらない話だ。

それでもその言葉が響には暖かく聞こえたのだ。


『たしかに! 仕事以外ではめんどくさがり屋の響ちゃんだもんね』


ミョウもそう言って笑って、チョウもそれに釣られて少し笑っていた。

響は思う。

前世も来世もどうでもいい。ただただ、今世のこの時間ができるだけ長く続いてくれたら良いと。そこに自分は居なくても良い。この4人が[[rb:永遠 > とわ]]に笑って暮らせたらこれ以上の幸はもうないのかもしれないと。






 世界を鮮やかに照らしていた夕日は沈み、今は星天と暗闇が世界を覆っている。

 4人のいる世界を、4人の幸せを誰よりも願った自分だけが世界に取り残され、4人はもう二度と会えなくなってしまった。

 僕が幸せを願った者は何時だって不幸になった。




『響、愛してる。生まれてきてくれて、ありがとう。祝福を君に』




 シキの言葉を思い出す。この言葉は呪いのように僕の心に遺った。

 不幸になる事は赦さないと言うように。でもそれでもシキの遺した呪いなら愛おしくて暖かった。

 明日、お父さん達に会いに行こう。

 そして近いうち、憐と奏にも会いに行こう。

 僕が前を向いていれば、シキ達もきっと笑ってくれると思うから。




 響の荒んだ心を夜の静けさは寒くも優しく暖かく包んでくれた。

 夜はシキに似ていると、響は思った。

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