第十二章 遺した傷跡

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・今のところBL要素は少ないです。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





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 世界の均衡を崩した代償は大きい。

 彼岸と此岸が入り混じろうとしているのを止めるために本当の狭間にやってきて、門の前に立ち尽くしている。


「この先には“門番”がいる」


 シキはそう言った。

 きっとこの中の何人かはここが最後かもしれないと思いつつも、そんなことは口にしない。


「そいつは世界の秩序の番人でもある。だから倒さなきゃいけない。いける? みんな」


 シキは問いながらみんなの方に振り向いた。


「当たり前じゃ」

「余裕よ」

「…勿論」

「俺も全然余裕です」


 4人の言葉に奏が続いた。


「おいおい、俺らも連れてけ」


 ここに聞こえるはずのない声がして後方を見ればそこには九導一派がいて、今声を出したのは豹夏だった。


「おとう、さん…」


 響は目を見開いて驚いている。


「響…」


 九導もまた、何を言えばいいか分からずに立ち尽くしている。


「はいはい。謝罪も説明も後ね。今は時間が惜しいから力を貸してくれるなら行くよ」


 シキがそう言えば2人とも雑念を振り払う。流石はこれを生業としてきたプロなだけはある。


 一方シキ達4人は九導達を目の前に不穏な何かが膨れ上がるのを感じていた。


 彼らを殺せ、と。




 門を開けたその先、そこに“門番”はいた。

 人のような姿をしていて、人ではないと確信するほどの禍々しい力。

 辺りは野原のようだった。昔に人々に忘れられた廃墟が多くある。野晒しになったままの建物達。

 一言も話すことなく彼はシキ達に呪文を唱えるや否や消滅した。


「な、んだったの?」


 ミョウは状況を理解できないように呟く。

 その刹那、シキ達4人の中に呪詛が溢れ出した。


 自分達を失望させたのは人間だ。

 先に裏切ったのは人間だ。

 響を苦しめたのは人間だ。

 許せない、赦せない。許すな、赦すな。

 裁きを、鉄槌を。

 地獄の業火へ突き落とせ。

 人間が憎い、憎い、憎い、憎い。


 シキ達4人は頭を抱えて蹲った。

 異変に気づいた響と奏がそばに駆け寄る。


「シキ!? どうしたの? シキ、聞こえる!?」


 頭を抱えているシキの肩を掴んで顔を覗き込みながら聞くも、こちらの声は届いていないようだった。


「ダイラさんっ! ダイラさん! 聞こえますか!?」


 そのそばでダイラに駆け寄った奏が同じように声をかけるもダイラも苦しそうに眉間に皺を寄せて時々うめき声を出している。

 近くにいるミョウとチョウも同じような様子だった。


「(なんだ? なんだこれは)」


 思い当たるのは先ほどの消滅する前に“門番”が唱えた呪文。あれは自分達の世界のものではないのでどんなものなのかも分からないし、分かったところで解ける見込みは低い。

 しかも消滅と引き換えに残した呪文はさっそう呪いだ。


「うっ、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 チョウが顔を覆ったまま顔を上に向けて苦しそうな叫び声を上げた。


「チョウ!!」


 響が駆け寄ろうと立とうとするも、腕をシキに掴まれた。


「っ!? シキ! 大丈夫なの!?」


 シキは力なく響の腕を掴んだまま、言葉を紡ごうと口を開く。


「はぁっ、はぁ、だっ、めだ! 今のチョウにっ、近寄るな!」


 そう言うシキもとうに限界は近かった。不穏な呪詛に飲み込まれそうだった。

 チョウは叫び声をあげて目からは血を流して、酷く苦しんでいる。


「ねぇっ、シキ! 何が起きてるの!?」

「さっきのっ、“門番”が最後に遺した、呪いだっ! 此処の住人の消滅は、っ死を、表す、それと引き換えに遺した、呪いだっ、!」


 やはり、と思いながらも、その呪いの内容が響にはわからない。それに、解き方は無いのか


「どんな呪いなの?」

「簡単に言うとっ、今、九導らがっ、憎くて、憎くてっ、殺したくてたまらないっ!」


 その言葉に響は絶句する。


「と、解き方は!?」

「此処の呪いだ、僕達には解けないっ、うぁっ」


 言葉を紡いだ後、シキはまた苦しみ出した。解き方は無く、でもシキ達に九導達を殺させるわけにはいかない。この事が導き出す答えは、シキ達を殺す事。


「(そんなっ、そんな事、できないっ!)」


 響は一人、葛藤する。


 どうしたらいい?


 そんな中、ミョウとチョウが九導達に攻撃をし出した。

 遅れながらもなんとか対応する九導達。

 ミョウとチョウの様子がおかしいのは一目瞭然だった。体中には呪文のようなものが渦巻いていて、目だって色が変わり、血を流している。


「ミョウっ! チョウ! やめるんだ! ダメだっ! 人間に危害を加えちゃ!」


 するとミョウとチョウは立ち止まり俯いた。


「………ごめん…響ちゃん、やっぱり私には赦せない。だって響ちゃんを苦しめたのはコイツらだよ……? どんな理由があったって、私はやっぱり赦せない」


 ミョウの言葉に響は驚く。呪詛にまみれる呪文をかけられようとも、自分を想うことに繋がることに。不謹慎だって分かっていても愛されているのを実感してしまった。

 とても、とても歪な形ではあるけれど、それでもこれも確かに愛だった。


「…そうだよ……どうして、響は赦せるの、? 俺は、コイツらが憎くて、憎くて仕方ない…」


 自分の気持ちを代弁してくれてるように感じた。自分よりは小さい2人が。自分は捨ててしまった怒りを、捨ててはいけなかった憤怒を、拾い上げてくれたような気がした。

 シキが言葉を失っている横で奏はシキとダイラに術を施していた。せめて進行を遅らせる事ができるようにと。

 ミョウとチョウの九導達への攻撃は止まらない。それでも九導達は防御するばかりで攻撃をしてこなかった。それに声を上げたのはミョウだった。


「今更善人にでもなったつもり!? そんなの通用するわけないでしょ!! 私は、私たちはお前たちを絶対に赦さない」


 ミョウもチョウも怒りと憎しみに飲まれている。

 九導達とミョウ達の間に響は立つ。急に勢いを殺すことは出来ずに響の頬と肩を掠めてそこから血が流れる。


「ミョウっ! チョウ! お願い、お願いだから、もう、やめよう?」


 響を傷つけてしまったことに絶句して2人は立ち尽くす。


「きょ、うちゃん…ごめんなさい…貴方を、傷つけるつもりは、なかったの」

「…ごめんなさい、ごめんなさい、僕、響が、」


 そんな2人を響は近くまで行って抱きしめる。

 どんな形でも、例えそれが間違っていたとしても、自分を想ってくれたのが嬉しい。それが、暖かいと感じたから。


「いいよ、いいんだよ、もう」


 響がそう言った途端、ミョウとチョウの体は 弾き飛ばされて壁に打ち付けられた。

 2人は悟った。


あぁ、もう時間なんだ、と。


 禁忌に触れてしまった自分達の末路はここか、と。






 響はすぐに駆け寄る。主人と式神として、いやもっとそれ以上に繋がっている響にも分かってしまった。2人がここで終わろうとしていると。


「わ、たしの、ために、っ泣いて、くれるのっ…? 響ちゃん…」


 力なく瓦礫にもたれたミョウが目の前にしゃがみ込んでいる響の頬に手を伸ばす。響の目からは静かに数滴の涙がこぼれていた。


「当たり前だよっ!」


 響ちゃん。私達の愛し子。私とチョウを妹と弟のように可愛がってくれて、無償の愛を注いでくれた人。

 貴方は人に愛されることを、家族に愛されることを知らなかったのに、私たちを精一杯愛してくれた。いつも寂しそうに一人で立っている貴方の背中を見るのが、私はとても辛かった。


「チョウっ!!」


 ミョウの隣に倒れていたチョウがもう消え始めている。それに気づいた響は名前を呼んだ。


 響。俺たちの愛し子で、それ以上に家族で、何より大切な存在。正体の知らない俺たちを愛してくれて、優しくしてくれた、世界で一番心優しい少年。

 いつも孤独の中でひっそり息をしていて、それでいて何かを守る為に必死に生きているその姿は、凛々しくもあって、でも俺はその姿を見るのが苦しかった。


「…きょう、ごめんね、痛くない、? 泣かないで、ごめん、お願いだから、泣かないで」


 チョウは響の頬に手を伸ばして優しく涙を拭う。すると頬の傷は消えた。響はその手を強く握る。消えないように、消えてしまわないようにと、願いと祈りを込めて。


「行かないで、行かないでよっ」

「ごめん、っねぇ、響ちゃん」


 そう言いながらミョウとチョウはお互いの手を握り合った。この2人はお互いに喋ることこそ少ないが、いつだって想いが通じ合っているかのように見えた。


「僕、言ったじゃん……。僕の前から、いつか…居なくなっちゃう人なんて、嫌いって、言ったじゃんかっ…!」


 先に消えたのは自分なのに、なんて傲慢な子だろう。でもそんなところも全部含めて愛おしいのだからしょうがない。

 顔を歪めて怒る響を2人は愛おしそうな目で見つめていた。自分達は響の前から居なくなる。それは響にとって残酷な事実で、でもそれを悲しんで怒ってくれる響が愛おしくて堪らないのだ。


「……ねぇ、響…きっと、きっとまた、会えるよ」


 式神達は嘘をつかない。だからこそ守れない約束もしないし、無責任な発言もしない。そんな彼らの言う事だから信じるしかない。


「響ちゃん…、また会えた、その時は、本当の…家族に…なろうね……」


 そう言って2人はスッキリしたような顔で微笑んだ。


「…い、やだ、いかないで…置いてかないで……」


 どんな理不尽な目に遭っても弱音も溢さず、涙すら流さずに、助けも呼ばない彼がこうやって、自分達に懇願してくれるのが嬉しいのに、それを叶えてあげられないのがどうしようもなくもどかしかった。


「ごめん……ごめんっねぇ、響ちゃん…また、また会えるから」


 ミョウはそう言って響の手を強く握りしめた。


「響、また会える……。その時まで…の、お別れだよ……」


 チョウも手を握りしめて、響は本当に最後なのだと覚悟した。

 ならば、自分がしないといけないことは。


「っ、うん…っ…、さようなら、———明、懲」


 2人が思い残さないように、響は微笑みながら頷いた。

 次の瞬間、2人の体は光って消えていった。もう、ここに、2人はいない。さっきまで、手を握っていたのに、もう居ないのだ。


「うっ、うぅっ、うぁぁ!」


 響は声を出して泣き出した。でも悲しむ時間もないうちに後方から轟音が響いた。


「響! もう限界だ! 抑え込めない!」


 奏の声に振り返ればそこではギリギリ耐えているシキと九導達に攻撃を繰り出すダイラがいた。

 だがすぐにダイラは我に帰ったように止まった。

 そして響を振り返る。


 嗚呼、今自分は何をした?

 響の守りたかった者達を傷つけた。


「だ、いら、」

「…なんじゃ」

「ダイラは、僕が神子だから大事だった…?」


 だから愛したの?と響はダイラに聞いた。響もまたずっと疑問に思っていたのだ。

 でもすぐに、それは違うと響は確信した。だってダイラが、悲しそうな顔をしたから。


「違うッ、違うんじゃ! 響! お前は、お前はっ」


 ダイラの悲痛な叫びだけが戦場を支配する。九導達ですら胸を痛めるような、いつもは温厚で、みんなのまとめ役なダイラの悲痛な叫び。

 響はそんなダイラを正面から抱きしめた。


「もういいんだ、もういいんだよ、大羅魏韻」


 名前を呼び、その役目が終わった事を告げる。名前で縛られる式神にとって、その告は解放を意味する。


「違う、ワシは、お前が、愛しいから。神子だからとかじゃない。響が、響だから」


 ダイラは抱きしめ返すこともせずにただただ言葉を並べた。


「ダイラ。僕ね、神様になったから分かるんだよ。ダイラは本当は人を愛する者だったんだね」


 響は尚も穏やかな優しい声でダイラに語りかける。

 ダイラの表情は未だ悲痛に歪められており、まるで死刑を言い渡される前の罪人のような表情で抱きしめている響の腕を掴み顔を覗き込む。


「違うんだ! 響、お前のせいじゃないっ」

「僕が弱かったから、可哀想だったから、人間達が許せなくなって、愛せなくなっちゃったんだよね」


 その言葉にダイラはさらに顔を険しくする。


「ちがっ、」


 その言葉を、響は遮って伝える。


「ありがとう。例えそれが、誇れたことじゃないとしても、憎しみや恨みの感情だとしても、僕のために怒ってくれたのが、僕は嬉しい」


 そこで切って、響はしっかりとダイラの顔を見つめる。ダイラも響の手を強く握る。


「だってダイラは僕の家族だから。家族が僕のために怒ってくれたなら、そんなに嬉しいことはないよ」


 響がそう言えばダイラは響を抱きしめた。

 まるで子が親から旅立つ時の別れのように、巣立つ時の感謝の気持ちを込めるように言った響と、それに親のように答えるダイラ。

 ずっと見守り、側で守りながら支えてきた存在。そんな愛し子が、響が、しっかり自分の気持ちの口にしていることがダイラは嬉しくてたまらないのだ。

 この子が、理不尽にばかり晒されて、奪われ続けるだけだったこの子が、いつか、いつか無邪気に笑って、ありがとうを心の底から言える存在が出来ればいいと常に思ってきた。

 その存在に自分がなれたことがダイラは嬉しくてたまらない。


「僕のことを家族って言ってくれて、ありがとう。愛し子って言って貰えて本当に嬉しかった。僕にとってダイラは父親みたいな母親みたいな存在で、本当に、本当にありがとう」


 ダイラは思う。

 こんな自分が、人間を愛し、守るために生まれたのに、自分の名にも役名にも背を向け堕ちた自分が、一生、永遠に守り続けると誓った存在である愛し子を、それすら果たせなくなる自分が、こんにも沢山のありがとうを貰っていいのだろうか。

 そんなダイラの思いを見透かしたように響は言葉をつづける。


「もういいんだよ。人を愛してもいいんだ。ねぇ、だから、僕を家族として愛して?」


 ___式神としての役目はもう終わったんだから。


「きょ、うっ、」


 ダイラは強く、強くその少年を抱きしめる。

 本来の役目に背いてしまったから、もう二度と愛なんて触れてはいけないと思っていた。響は愛し子でも、神子だからという理由がないと愛を伝えられないと思っていた。

 でも、もういいのか。響を、人間としての響を愛おしいと思っても、いいのだろうか。


「響、お主の成長が嬉しかった。無理をしすぎるからいつも心配じゃった。……怪我が絶えないからいつも肝を冷やしたぞ…、誕生日の日にはお主の存在に祝福を送った。いつか、響と、酒を飲める日を、楽しみにしていた。……愛している。親として、家族として、響のこれからに永遠の幸福を望む。本当に、———愛おしくてたまらない。」


 ダイラが響に向ける愛情は、親が我が子にむけるそれと同じで、でもきっと彼等にしかない密度で、それを育んできたのだろう、と、意識朦朧の中見ていたシキは思う。

 だって、こんなにも2人は幸せそうで、本当の親子が別れを惜しむように抱き合っている。九導らはそれをやるせない気持ちで見つめていた。


「うん、僕もダイラを愛してる。ダイラは僕のお父さんでお母さんだよ。僕の家族で居てくれてありがとう」


 本当の家族に愛されず、人からの愛を知らない子が、人じゃない者に愛されて、何も知らない無垢だから受け入れられるのだと思っていたのに、響は全て知ってしまってもダイラ達を愛し、神という手の届かない遥か遠い存在になってしまっても敬愛した。



___それを『無償の愛』と呼ばずして何と呼ぼう。



 遠くで、九導らの話し声がシキには聞こえた。


「俺らは、上手く愛せなかったな。響くんも、実千流も。結局響を苦しめただけで、本当に、父親として、何も、出来なかった…っ」


 九導は涙を流していた。そんな九導の背中に手を置き雅が言う。


「お前の子供は響くんだけど、響くんの親はお前じゃないんだよ」


 それは冷たく厳しい言葉だった。でも、あの光景を見たら誰でも分かってしまう事実だった。


「っ、あぁ、」


 響はやっぱり実千流に似ていた。笑顔が、笑った顔がどうしようもなく似ている。雅達がどんなに響と接しても見せることのなかったその笑顔、自分が母と重ねられている事に気づいても嫌悪も拒絶もなく、雅達のためを思って離れていった小さな背中。

 今、どうしようもなく、ダイラ達が羨ましいのだ。

 彼と寄り添う時間を過ごし、あの笑顔を向けられているのが。でも、それと同時にやはり嬉しくもある。自分達の大事で大切な仲間の子供が心の底から笑える日が来た事を、嬉しく思うのだ。

 だからこそ、それと同時に少年にやってきた別れに胸を痛める。


「…ままならないな」


 干灯がつぶやいた。


「本当に、全くその通りだ」


 豹夏は眉間に皺を寄せながら返した。

 4人はそれから黙ってその様子を見ていた。

 自分達が上手く愛せなかった子を、響を、愛してくれてありがとう、という気持ちを込めて。硬く目を閉じた。


 シキは一人、ぼやいた。


「…そろそろ、終焉、かな」


 そのぼやきは誰にも聞かれることはなかった。


「響、また、会えたら…またワシを、親だと、家族だと、言ってくれるか?」


 ダイラの透け始めた手を握りしめてやはり来てしまった別れに響はどうしても涙を止められない。

 こんなにいっぺんに家族を失うなんて、今の響には耐えられない。

 だから例え叶わないような約束だとしても、夢のような話だとしても、また会えるもしもの話が響を立たせてくれるのだ。


「うんっ、もちろんだよ、当たり前じゃないかっ!」


 その言葉を聞いてダイラは響の頭を撫でる。

 生まれ変わりとか、そんなものは信じないけれど、もし、もしも来世があるのなら、またこの子と巡り会いたい。そしてまたこの子を愛して、家族になりたい。

 ダイラはふっと笑った。


「…来世まで、待てるかのう……」


 その呟きは悲しんでいる響にも聞こえなかった。

 ダイラは先を考えるのを辞めた。今は残り僅かな響との時間を大切に刻もうと。一秒でも忘れたりしないように。


「ダイラ、ダイラは僕達の大事で大切な、これからも五人でずっと家族だよ」


 ダイラは涙を流した。この子が初めて五人で家族だと言ったのだから。自分も含めて五人で、と。自分達の愛がやっと伝わったような気がしたのだ。


「そうじゃなぁ…っ。愛している、響」


 その言葉を最期にダイラはミョウ達のように光って消えていった。きっと、来るのが早すぎる!と2人には叱られるだろう。


「だ、いらっ」


 響は噛み締めるように呼んで温もりを探すように最後にダイラが触っていた頭を触るも、そこには何も無く、自分の髪をくしゃっと握りしめて、俯くだけだった。

 でも、まだ、残っている。

 後ろを振り向けば、呪詛に塗れた身体でシキは響の方を向いてしっかりと立っていた。


「ダイラは、行ってしまったんだね」

「うん」


 シキは言いながら上を見上げた。響はそれに短く返した。


「響、僕ね、気づいてたんだ。自分達が心のどこかでは赦しきれてなくて、いつかそれは爆発してしまうって。まさかこんなに早く、しかも門番アイツの力で、とは思わなかったけど」


 その言葉に響は驚きを隠せない。

 響は少しずつシキに歩み寄る。


「ならっ、どうして! ……言って、くれなかったんだ…」


 次はシキが驚く番だった。響のその怒りは何もしなかったことに向いているのでは無く、隠していたことを悲しんでいるように見えたから。

 どこまで行ってもこの子は優しすぎる。愚かで救えない程に。


「僕は最初から赦すつもりなんてなかった。響のためじゃない。僕たちは人間の醜さと愚かさと浅はかさを知っている。コイツらは大切な者でも裏切る、人間とはそう言う生き物だ」


————響が嘘をついたこと、許してないよ。だから僕も嘘をつくね————


 響は目を見開く。その目に映るのは絶望感。


「し、き……」


 嘘だと思いたい。だってシキは、


「なぁに。響」


 シキの綺麗な紅い目は今は黒く濁っている。それが全て事実だと叩きつけているような気がした。

 笑っているはずなのに、その目は響をいつだって愛おしく見つめていたはずなのに、今はただただ歪さが恐怖だった。


「どうしたいの……?」

「前も言っただろう? 僕たちは人間を痛ぶる事に知識を使うんだよ」

「でも、シキは“ナニカ”じゃない」

「“ナニカ”より質が悪いかもねぇ」


 ただ除霊すればいい“ナニカ”の方が、感情も自我もほとんどない“ナニカ”の方が、良かったかもしれない。相手は“ナニカ”とは比べものにならない程に強くて、善性も悪意も持ち合わせていて、響の、家族だ。

 シキの目はもう何も映していなかった。黒く、暗い、闇を投影しているかのように。

 ユラユラとその瞳に怒りの業火を燃やし、九導らに向き直る。


「ダメだっ!!! シキ!!!」


 駆け寄る響の言葉も、もう届いていない。それ所か、自分と九導を閉じ込める結界を張った。響と奏がその結界に攻撃をするも、びくともしない。


「シキっ!! シキ! 駄目だ!! シキ!!!」


 響が攻撃しながら何度も何度も名前を呼ぶも、シキは響に背中を向けたまま九導らに攻撃を始めた。


「俺はお前に殺されても仕方のない罪を重ねた」


 九導はシキからの攻撃をいなしながら喋り始める。


「でもっ! コイツらは仲間は違うんだ、俺がちゃんと向き合わなかったから! コイツらもどうしたらいいか分からなかっただけなんだ!」


 それは仲間を、友を、愛する人を、守る言葉だった。だがそれはシキにとって怒りのボルテージを上げるだけだった。


「それが何だ? なぜその慈愛を響には向けられなかった……少しでいい、少しでいいからその思いを、どうしてっ、響に向けられなかったんだ…っ!!」


 その叫びはやっぱり響を想う言葉で、その言葉でさっきのは嘘だったと響は信じられる。


「し…き……」


 響は連続で攻撃を出したせいで息切れをしながらその様子を見ている。


「……何回だと思う…」


 シキが俯いたまま九導らに問いかけた。

 九導らは質問の意味が分からず困惑する。


「何回、お前らに期待して、裏切られて……何回…諦めたと思う…?」


 九導らはその言葉にハッとして響を見た。響も目を見開いて、その目は心なしか潤んでいた。片手で口を覆い、何かを耐えているように見えた。


「あの子は、何回裏切られて…、何回、諦めたらいい……? ずっとそう思いながら見ていたよ」


 ただ理不尽に奪われ続けた心優しい少年は怒りを覚えるよりも先に諦めを覚えた。無理矢理大人になって、その先には同士との決別があり、友の死があり、その果てには世界を背負った。

 そしてまた、次に少年は家族を失う。


「響から何もかもを奪うのは神でも世界でもない。お前達人間だ」


 そう言って顔を上げたシキの目は先ほどよりも激しく怒りの業火を燃やしていた。


 そして、シキが攻撃を開始しようとした刹那、雅が反射で攻撃を出した。それは見事にシキに命中し、その瞬間、結界は解かれた。

 誰もが分かった。彼はわざと避けなかったと。


「シキっ!!!!!!」


 響の焦った叫び声が木霊した。駆け寄り、倒れそうなシキを支えた。


「どうしてっ! なんで!」


 雅が除霊の時に使うそれはシキの心臓を貫いていた。普通の矢ならなんの影響もないが、これは雅の力が込められている。シキでも心臓を貫かられれば致命傷だ。

 シキは口からごぷっと血を吐き出した。


「っ、は、はは…どうして、かぁ………」


 そう、あの攻撃は放っておけば響に当たっていた。


「僕なら自分で防げた!!」


 声を荒げてシキを抱え込む響とは裏腹にシキは静かに言葉を紡ぐ。


「それでも、っ、体がっ、勝手に動いちゃった、からっ、」


 苦しそうに言葉を紡ぐシキの口からは血が溢れ続けている。


「まってっ、今直すから! シキも治癒に集中してっ!」


 響がそう言って手印を結ぼうとした手をシキは掴んだ。そしてゆっくり首を振った。


「な…んで……?」

「もうっ、いいんだ、此処が…僕の終焉だよ」

「しゅ、う…えん、?」

「そう。幕引きだよ」


 その言葉が意味する先を響は分かってしまう。響は誰よりもシキの理解者で、シキは誰よりも響の理解者だから。


「雅っ!!」


 シキが倒れた直後、九導は雅に詰め寄った。

 雅も自分が何をしたのか理解できていない様子で狼狽えていた。


「ご、ごめん、すまない……俺は、なんて事を……」


 俺たちはまたあの子から大事なものを奪ったのか。

 九導も気づいていた。雅が気の力を使う事に。力の収束を感じたから。それなのに動けない自分がいた。もしかしたら“動かなかった”のかもしれない。あのままでは自分達が攻撃され致命傷を負わされていたかもしれないと思ったから。

 九導の生への執着と死への恐怖心が招いた事だった。それと同時に九導は少しだけ響を不気味に思った。自分ですらある感情が彼には無いのか、と。生への執着も、死への恐怖心も。これが響という歪な存在なのだと初めてしっかりと認識した瞬間だった。

 九導は響とシキを傍観者の様に見つめていた。


「………いや、お前は悪く無いよ。お前がやらなきゃ、きっと俺も同じ事をした」


 どんなに改心しようとも、どんなにやり直そうと思っていようとも、九導らは響から何もかもを奪う存在でしかない。それはもう世界がそう定められていて、一種の呪いの様に。


「俺たちは…あの子から奪うしか出来ないのか」


 いつの間にか近くにいた豹夏が神妙な顔で言った。

 何かの因果があるのか、もしくはそういう星の下に生まれたとでも言うのか。残酷な道しかないかもしれない現実を叩きつけられて項垂れている3人を見て、実千流は涙を流していた。そんな実千流の肩を干灯が支える。

 そんな実千流をみて顔を顰めたのは九導だ。


「すまないっ、すまない、実千流。お前がいなくなってから俺たちは、愚かな間違った道に走った。自分達の罪に見ないふりをした。……それに苦しめられている響のことを……考えない様にした………」


 愛した人。先に逝ってしまった人。同志だった人。命を預けあった人。大切な、大切な忘れ形見を、遺していってくれた人。

 そんな人に自分達の愚行を話すのは罪人の懺悔に等しいものだった。

 実千流はただただ涙を流し続けた。それは九導らの行いを嘆いてか、我が子が残酷な別れに嘆いているからなのかは、本人にも分からなかった。


 そんな九導らには気づかずに響はシキが薄れてきてるのを目の当たりにしていた。


「シキ…っ、身体がっ!」


 響のその声にシキは自分の手のひらを見た。手のひらは指先から徐々に薄れてきている。

 響はシキとの別れが来るのだと、そんなのは絶対に嫌だと、目から涙を流しながら頭を回して考える。何か方法はないのかと。

 神になれるなら、そんな力が自分にあるのなら、本当の神様がいるならきっと、神は人間の傲慢を許さない。でも響は世界に呪われ神に愛された。

 この次元には、シキ達の知らない全てを司る神がいる。世界のシナリオに響や先代でも干渉はできない。ただ唯一鑑賞できる存在、実際には実態はなく、それは神や悪魔よりも概念に最も近い。次元世界ことわりだから。そんな神に傲慢な響は愛された。

 響の綺麗な藤色の瞳が黒く濁った。

 シキは目を見開いて響の肩を必死に掴み訴えかける。


「響っ!! しっかりするんだ!! 響!!」


 シキの焦った叫び声を聞いて異変に気づいた九導達が駆け寄った。

 そして響の瞳とドス黒い漏れ出てる膨大な力を感じ取って、皆警戒心を高めた。


「なにがあった!?」


 豹夏がシキに叫んだ。


「分からない! これは僕たちの次元でも観測できない力だ!」


 シキの答えを聞いて実千流は目を見開いて狼狽えた。その変化を九導は察知して実千流に詰め寄る。


「何かわかるのか!?」


 九導の問いにも実千流は口元に手を当てて緩く首を振っている。

 そんな実千流の足をシキは這いつくばりながら掴んですごい剣幕で捲し立てた。


「アンタの子供だろ!! 響の親はアンタじゃない、でもアンタの子供は響だ! その責任を今果たせ!!」


 都合がいい事を言っている自覚はあった。でも響が救えるなら何だっていいとシキは思っている。


「こ、こんな、膨大な力をもって、貴方達の次元じゃないとするなら……これは…もっと上の、全てを司る神、意外、考えられない…でも、本当に実在したなんて……」


 その呟きにシキは顔を青ざめて絶句した。だってそれは、自分達が干渉できない次元ということは、観測すらもできないとするなら、響を元に戻せない。


「響っ! のまれたら駄目だ!! 響!! きこえる!?」




 ——————シキの声が、遠くに聞こえる。何か、水の中にいる様な、そんな聞こえ方。

 でも頭の中には嫌な考えがぐるぐると回る。


シキ達の居ない世界。

また一人の日常。

“ナニカ”を除霊して人を殺す。

疎まれて嫌われる。

なんで、なんで?

僕は、何を守りたくて、こんな事、あ、父さん達を、憐を、奏を守りたかったのか、でも、手からこぼれ落ちた。

そもそも何で僕が守らなきゃいけないの?

母さんの代わりだから?

僕は誰かの代わりなの?


この世界は僕を僕として見てくれない。


「響!!」


 シキの声がクリアに聞こえた。


「こっちを見て、響。大丈夫、響は響だよ。僕の、弟で兄で親で、先生で生徒で師匠で弟子、全ての存在だよ」


 シキの言葉を聞いて、視界が鮮やかに開けた様な気がした。




『響は響だよ』


『弟で兄で親で先生で生徒で師匠で弟子、全ての存在だよ』




 そう言って笑うシキが簡単に想像できて、少しだけ笑みが溢れた。これはシキの口癖だった。


「シキ、」


 シキは自分の名を呼んだ響をずっと見つめている。やっと、響と目が合って安心した様に脱力した。


「よかったぁ。もう、あんまり心配かけないで」


 もう僕達はそばに居てあげられないんだから。そう思ったのをシキは口に出さなかった。

 困った様に心配そうにシキは微笑んで、響もまたそれに申し訳なさそうに微笑んだ。


「うん、ごめん」

「響、全てを赦そうとしなくていい。赦せなくてもいいんだよ。きっと響は優しいからそれに罪悪感を感じちゃうんだね。でも、赦せないのもまた、優しさだよ」


 響にはシキの言っている意味が分からなかった。『赦せないのも優しさ』とはどういう意味だろうか。

 響が不思議そうな顔で見つめているとシキは笑いながら後付けで話し出した。


「興味がないとか、関心がないわけじゃない。響が赦せないとしたら、それはきっと、昔の響が九導達に期待していたからだよ。周りを信じようとした響が居た。それはとっても優しい事なんだよ」


 誰かを信じようとした過去があった。例え裏切られていたとしても、信じようともがいた過去は消えない。

 シキは思う。響は優しい、本当に。これを愚か者だと、賢者は言うだろう。でもこの優しさが響を形作っている気がした。


「僕の…、優しさ…」


 響は目をまん丸にして呟いた。シキはそんな響に微笑みながら頷く。


「そう。とっても尊い事だ」


 響にとって、ろくでなしな自分をずっと情深く接してくれたのはシキ達だけだった。

 九導達はその話を聞いていて泣きたくなった。

 本当の罪とは償えないと言うが、全くその通りなのだから。人は失って初めて大切なものに気付いて、己の過ちに気づく。間違ってしまった後に気づいたって、遅いのに。


「シキ」

「ん、どうしたの?」


 いつものように響の目を見てシキは返事をする。


「本当はさ、殺す気なんて、なかったんでしょ?」


 そう言いながら響は、呆れたような、分かっていたとでも言うような顔で苦笑していた。

 シキは目を見開くも、すぐに細めて笑った。


「…参ったなぁ、響には気づかれちゃうか」


 響の目には徐々に涙が溜まって、涙を溢すまいと、唇を噛み締めているも肩を震わせていて、少し離れた所で見ていた奏は涙を流しながら目を逸らした。見ていられなくて。あまりにも悲しい現実が目の前にあるのが耐えられなくて。


「あたり、前じゃんっ、シキのことなら、なんでも、わかるんだから…っ、……なんで、あんな事したの…?」


 響の声は怒っているような静けさがあった。


「怒ってる?」

「怒ってるよ」

「ごめん」

「違うよっ!! …違うよ…そうじゃ、ないよ……、僕のために、傷つかないでよ」


 懇願するようなその声にシキまで泣きたくなった。

 自分が死地へ向かう響の事を心配していたように、響も自分に怒って心配してくれるのが嬉しい。ちゃんと声を荒げて、涙を流せるのが、嬉しいと思った。


 でもシキは自分の最期を悟る。


 きっと、もう長くない事を。










_____________________











 悪魔のいない世界と次元の狭間は小さな丘の上のように澄み渡っている。空は綺麗な星空を映し出し、そこで式神と少年は最期の時を過ごす。


 きっと伝えたい言葉があって、想いがあって。伝えないといけない言葉も想いもあって。お互いを大事に大切にかけがえのない唯一だから、別れは悲しく残酷で、でもきっとそれは大切な何かを育んでくれる。

















『シキには本当に、敵わないや』


沢山のありがとうと愛してるを込めて。


『響、愛してる。生まれてきてくれて、ありがとう。祝福を君に』


愛し子の生涯が永遠に愛と優しさで溢れるように。


















次話。2人の別れ。

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