第十一章 孤高の玉座と神

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・今のところBL要素は少ないです。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





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 一人の少年。安溟倍浄響。

 安倍晴明の血を引き、その魂は蘆屋と似た素質を持つ。精神が純白で誰にでも優しく、慈愛と慈悲に溢れた優しくて、それ故に歪な子。

 四人の式神に愛され、自分の世界を愛した一人の少年。神になる少年。


 その少年が長い眠りから目覚める。






 響はゆっくり瞼を開けて、目の前にいたシキを見つめて目を細める。ゆっくりと体を起こしながら、眠りにつく前よりだいぶ冷たくなった外気を感じながら、言葉を紡ぐ。


「僕は、僕の大切な人たちが笑っているなら神にだってなるよ」


 思っていたよりも流暢に喋りながら、自分が決めたことを響は告げる。その瞳は神子の眼が完成しており、片方は神子としての紋様、もう片方は安倍と蘆屋の家紋を重ねた様な模様が薄らと刻まれていた。


 血筋は安倍晴明の末裔、魂は蘆屋道満の魂が混じっている存在。歪な彼だからこそ器になれたのか、だからこそ歪だったのか。どちらが先で後かは分からないが、少なくても歴史上初の存在で、これから先一万年は現れないだろう。


「僕たちも行く。僕たち式神なら響の中に混ざれるし、響ならきっと使役して使いこなせるよ」


 シキは以前から決めていた事を響に言う。

 それにダイラとミョウとチョウも頷く。

 でも、響は首を横に振った。


「それは出来ない。そしたらシキ達は実態をなくしてしまう。もう話せないし視認も出来なくなる」


 予想外の返事にシキは驚きを隠せず、目を見開いて慌てて捲し立てる。


「そんなのいいよ! どうせ行っちゃったら戻れないかもしれないんだよ!?」


 でもここは響だって譲れないのだ。


「それでも! ……それでも、嫌なんだ」


 シキの言葉に響も珍しく声を荒げた。

 でもすぐにいつもの静かな声に戻って困った様に眉を下げる。


「響、それはちと聞けないお願いじゃ。元よりワシらはこの時のために、お前さんの中に混じるために作られた式神ぞ?」


 ダイラもシキ同様、この話は譲れない。

 ミョウとチョウは黙ってその様子を見ている。


「……響はさ、最初から僕たちを置いていく気だった…?」


 シキは核心をついた。

 聞いていたダイラの表情が珍しく険しくなる。


「嘘を、言ったのか?」


 ダイラのその声色には、静かな怒りと、深い悲しみが滲んでいた。


「…うん。ごめん。僕嘘吐いたね」


 シキ達は響の嘘を吐かないところが好きだと言ってくれた。他の人間とは違い、自分を守るための醜い嘘を吐かないところが好きだと。

 シキ達は考える。ダイラは考える。

 でも、こんなの怒りようがない。

 初めて吐いた嘘が、こんなに、自分達を思ってくれた嘘だなんて、まるで残酷だ。


「ごめん。最後のお願いだから、聞いてくれないかな?」


 相変わらず眉を下げて申し訳なさそうに、シキ達の顔を伺いながら響はお願いした。

 それに対してシキもダイラも何も言えなくなって黙ってしまう。四人は響の困り顔に弱いし、響にお願いされると首を横には振れない。

 しばらくの沈黙の後、シキは唇を噛み締める。


「っ………、わかった…」


 シキが苦しそうに小さくそう言うと、響は顔をあげて笑った。


「ありがとう」


 お礼を言いながらシキの手を握りしめる。

 またもや長い沈黙が5人に訪れる。響はその様子に小さく笑いながら口を開いた。


「あはは、ここに人は居ないね。シキ達は式神で、僕は…神様か……」


 僕は、バケモノか、そう思ったけれど言えなかった。

 でも響は自分という存在が恐ろしい。人間を滅ぼせるほどの力を持っている自分が。


「……響は、どんな世界が創りたいの?」


 シキはやっとの思いで言葉を紡いだ。

 自分達の愛し子はどんな世界を望むのだろう、と。


「そうだなぁ、平穏と平和が永遠に続く世界がいいな。悲しむ人が少ない世界がいい」


 その響の言葉に4人は目を見開いた。

 どうしてこの子はこんなにも優しいのだろう。

 自分を弾いて人間失格の烙印を押した世界を、響は本気で守ろうとし、大事にしている。

 この子に与えられた数多くの理不尽も、痛みも、苦しみも、この子がこうして神になるために与えられたのかと思うほどだった。

 でも納得もしてしまった。

 それが響の歪さ故の底知れぬ慈愛の優しさだから。

 そしてシキは思ってしまった。



___『神になんて、ならないでほしい。自分達のそばにずっと居てほしい。』___



 こんな事を思ってしまっては式神失格である事を理解していながらも、柄にもなくどうしようもない情というものがシキの中には芽生えたのだ。

 “ナニカ”では絶対に芽生えなかったもの。

 響という一人の人だった少年を愛したから芽生えたもの。式神が主人に思うものとはまた別の、もっと貪欲で黒いもの。


「…響は本当に優しい子じゃな」


 そう言って優しく微笑んだダイラの顔には諦めが滲んでいた。ミョウとチョウは俯いて目に涙を溜めている。それを見て響はしゃがみ込んで2人の頭を撫でた。


「心配してくれてありがとう。ごめんね」


 この『ごめんね』には何が含まれているのか。でも確かにお別れが含まれているような気がして2人はとうとう涙を零した。そんな二人を見て響は更に困った顔をした。


「私は離れていても心は繋がっているなんて言葉信じないわ。離れているのは悲しい。言葉を交わせないのはとても悲しい事よ」


 止まらない涙を何度も拭いながらミョウは声を震わせていた。その様子に響は心を痛め、シキとダイラは嫌な予感が絶えず頭の中で警報を鳴らす。


「大丈夫。また会えるから」


 響はまた一つ、嘘を吐く。

 感じる痛みを麻痺させるように笑いながら。何度も何度も、心の中で謝罪を述べながら。


「…絶対だよ?」


 チョウも沢山の涙を流しながら響に懇願するように言った。


「うん。約束するよ」


 響はそう言って約束をした。ただの口約束でも、4人は響が無闇矢鱈に嘘を吐かないと知っている。だからこそ、今は信じることしかできないのだ。きっとまた会えると。


「もうそろそろ、行くの?」


 誰よりも感の鋭いシキは悟ってしまう。

 もう響はいってしまうのだと。

 3人はその言葉に響の顔を見る。


「ごめん、そろそろ行かなきゃ」


 また困ったような笑みを浮かべながら響は立ち上がってシキを見据える。

 そしてどちらともなく、2人は抱きしめ合う。強く強く。

 シキはいかないでほしいという思いを込めながら。

 響は、愛してくれてありがとうと、嘘を吐いてごめんをこめながら。強く強く、抱きしめ合う。そんな2人をダイラは悲しみを包むように抱きしめ、ミョウとチョウも腕を大きく開き抱きしめた。

 その姿は、本物の家族だった。


 長く抱きしめあった後、ゆっくりと体を離し、響は4人を見つめる。

 きっともう、肉眼で見るのはこれで見納め。共に生きてきた家族のようなシキ達。人に愛されない僕を唯一愛してくれたシキ達。その思い出だけで響は永遠の孤独を耐えられるから。きっと地獄の業火に焼かれようと耐えられるから。

 だからもっとずっと、いつまでも笑って楽しく自由に生きていてほしいと、響は心の底から願う。

 きっと自分が、そんな世界を創ると。


「またね」


 響は最後まで嘘を重ねる。


「うん、またね」


 シキはまだ不満なような顔で、それでもしっかり、しばしの別れを告げる。


「元気で待ってるんじゃよ、響」

「きっといつか、会いに行くから」


 ダイラとミョウも言葉を紡ぐ。

 もう会えない所に言ってしまう事など響はやはり最後まで言わない。

 その「また」が、もう永遠に来ない事を、響だけが知っている。

 涙をこれでもかと堪えて、笑顔を作る。


「行ってくる」


 そう言った響の身体は薄く光だし、透けていく。そして次の瞬間、跡形もなく、その場から 姿を消した。

 抱きしめあっていた温もりだけを残して。

 シキ達4人はしばらくその場にとどまり、自分達の住処へと歩き出す。

 きっとまた会えると信じて。











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 響が神になってしばらく経つ。

 表向きにはなんの変化もない世界。でも確実に世界は優しく形を変えた。

 “ナニカ”は居なくなり、そのおかげで人々の気持ちは安らぎ、争いは減り、犯罪率も三分の一ほど減っていった。

 人々が助け合う時代がまた訪れたのだと、シキ達は思った。響の心を鏡写にしたかのようにこの世界は優しくなったのだと。

 でもどのような環境でも恨み辛みを募らせるのが人間の性。

 “ナニカ”の居ない世界で力を持て余した陰陽師達は殺し合いを始め、それに一般人も巻き込まれ、その争いは日に日に大きくなりながら、世界大戦へと発展した。

 シキ達は昔と同じ歴史を繰り返しているような気がして仕方なかった。

 響はきっとこんな事を望んでいない。やはり世界は響の優しさを無碍にするだけだった。

 今日も国同士の冷戦と争いは絶えない。毎日若者が次々に駆り出されていく日々だった。


「…こんな世界、響が望んだ世界じゃない」


 シキは窓から外を眺めながらそう言った。陰陽師達も戦争に参加し、窓の外から見える空には結界が貼られていた。

 外を見ているとある異変に気がついた。


「ダイラ、…今何時?」


 たまたま横を通ったダイラにそう聞くと、ダイラは時計を見て目を見開いた。


「…朝の、11時じゃ…」


 シキの頭の中は嫌な予感と不安で埋め尽くされる。胸がざわついて落ち着いていられなかった。

 外は真っ暗である。そう、太陽が昇っていないのだ。

 元々太陽なんて見るような習慣はないため気づくのが遅くなったが、いつから太陽が上がってないのかと、シキはここ最近の記憶を辿る。


「違うな…時間が短くなってるのか」


 太陽が昇ってる時間が短くなっている。この調子で行けばあと一週間と経たないうちに太陽は昇らなくなるのだろう。


「これは…、響の仕業なのか」


 ダイラは信じられないという風に声を震わせた。

 シキはそれを聞いて、少し考えるもすぐに首を横に振る。


「でも、太陽が昇らなくなれば本来地球の気温はもっと下がっているはず。でもそうじゃないってことは、響には何か考えがあるのかも。もしくは、異例の事態とか」


 考えたくはない。何か嫌な事が響の身に起きているなんて。でも考えなければならない。

 まずは、あの子に話を聞かなければ、とシキは立ち上がる。ダイラはまだ何か考えているようで俯いてこめかみを抑えていた。


 外に出る。

 外は真っ暗、でもやはり寒くはない。異常気象。

 シキがまず最初に向かったのは九導らの陰陽道組織の本部。なんの遠慮もなく中に入れば、シキは信じられない光景を見た。

 そこには笑い合いながら話す九導らと、その横で笑っている安溟倍浄実千流、故人である響の母親が居たからだ。

 ズカズカとその輪に近づきながら響は実千流に詰め寄った。


「なぜだ、なぜお前がいる? お前は死んだはずだろう」


 その言葉に九導らは顔を顰める。


「おい、お前何を言っている?」

「は、」


 九導の言葉にシキは声を失った。

 これはきっとそういう事。響がしたのだ。蘇生も、記憶の改ざんも。いくら神でも、いや、神だからこそ秩序を乱すなど、そんな事をすれば何が待っているかなんて想像がつく。

 昇らない太陽。いないはずの存在。記憶の改ざん。

 嫌な予感が頭をどんどん埋め尽くして、シキは走り出した。あの子に聞かなければならないから。






 誰よりも世界の平穏と平和を願った少年は神になり、訪れたのは混沌の時代だった。

 こんなの、あんまりじゃないか。少年は何もかもを失って明け渡したのに、少年の望んだものは何一つ彼には与えられなかった。

 少年を愛している式神達は愛する少年のために立ち上がる。


「…響を、連れ戻しに行こう」


 シキが神妙な面持ちでダイラ達に言った。

 それにダイラ達は勢いよくシキを見て困惑の表情をする。


「急にどうした?」

「そうよ、それに連れ戻すって言っても…」


 ダイラはシキに大丈夫かと心配し、ミョウは未だ困惑を抑えられていない。チョウはその様子を心配そうな顔で眺めていた。


「聞いたんだ。神という存在について」


 シキは聞いたのだ。

 紅蓮亜から、神とはどういうものなのか。


「というと?」


 ダイラがそう聞くと、シキは慌てずにゆっくり話し出した。


「このままだと、響には未来永劫、二度と会えない」


 ダイラ達が目を見開いた。





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数刻前。


「こんにちは、シキさん。まだ此方にいらしてくれていてよかったです」


 シキにそう挨拶をしたまだ響とそこまで変わらない女の子は紅蓮亜、奏の妹で、響が来るまでの神代理である。

 響とは違い、死んで神になった彼女は本来生きてはいないのだが、響が神になり最初にやったことが、彼女と奏を生き返らせることだった。そして次に行ったのは生みの母である実千流を生き返らせたこと。

 九導達は最初こそ、死者を冒涜するなと怒っていたものの、実千流を目の前にすると記憶の改ざんが始まり、何も言わなくなった。何より、実千流をまた失いたくないと言う気持ちが、それに拍車をかけた。

 シキはその様子を見て改めて人間は嫌いだと思った。

 願ったり叶ったり、シキは紅蓮亜を探していた。


「こんにちは、紅蓮亜ちゃん。聞きたいことが山ほどあるんだけど」


 そう、紅蓮亜自身も、シキに話さなければならないと思っていた。


「単刀直入に言いますね。響さんには二度と会えません」


 その言葉を聞いてシキは目の前が真っ暗になった。

 響のために生まれ、響のために生きてきて、一緒に過ごすうちに本当にかけがえのない存在になり、もう少しで自分達もあちら側へ行き、響の元に行けると楽しみにしていたシキにとってその言葉は死刑宣告と変わらなかった。


「は…? ちょ、ちょっとまってよ。どういう事?」


 シキはあまりの動揺にいつもの飄々とした態度が崩れた。


「響さんは、“真の神”、本物の神様になってしまったんです。だからもう、安溟倍浄響という魂はこの世のどこにもありません。新しい世界は響さんを心臓にしたんです。ですから、シキさん達も、私達も、もう響さんには会えません」


 彼女は目に涙を溜めながら話した。

 彼女は気づいていた。全ての真相も。響がなにを思って神になったのかも。彼女は葛藤した。響の思いを無碍にしても良いのかと、でもそうしてでもシキ達には知る権利があり、自分には伝える義務があると思ったのだ。

 本当に、響が心の底からこれを望むなら、自分の記憶も消しているはずだと、彼女は思ったから。


「まってまって、意味わかんないよ…」


 シキは話についていけず、いや、納得したくなくて、でも、彼女の悲痛そうな表情と涙が、真実を物語ってしまっている事にも気づいていた。


「私は“箱庭”にいたんです。でも響さんは箱庭にはいません。実態がないですから、この世のどこにもいないんです。いるとするならば、世と世の狭間。それこそ生きてる人間には到底行くことの叶わない彼岸よりも死に近く、そして最も遠い場所です。神にも適性というのがあって、響さんは神子で魂には蘆屋道満、肉体には安倍晴明の血が流れています。私の適性を8にするなら響さんの適性は100です」


 あまりの数値に絶句する。

 要するに、少しでも適性があればなれるらしい神の適性が響は100らしい。だから馴染んだ、悪く言えば透過した。でも消えたわけじゃない。概念は意志となり残り続ける。彼岸よりも死に近い場所で、死という概念が存在しないから最も遠い場所で、孤独に一人で。

 彼は最期の時も永遠に訪れぬまま、永遠に世界の平和と安寧のために。


「……響は、永遠に、ひとりぼっち…?」


 シキは地面を見つめながら呟く。

 その姿が紅蓮亜には迷子の子供のように見えてしまって、目を逸らしたくなる。


「っ、そうです。この世界をモニターの様に管理しながら、この世界が…、終わるまで」


 それでも紅蓮亜は残酷でも事実を伝える。


「神になれば堕ちることは許されない。堕ちれば悪魔になると言われています。“箱庭”にいた影響か、私の記憶は改ざんされていません。シキさんも気付いてますよね、太陽が昇らないことに」


 確信はついていなくても分かる。

 響は悪魔になってしまうかもしれないのだ。シキは続きを諭すように紅蓮亜の目を見る。

 それでも紅蓮亜は言いづらそうに口をつぐんでいる。

 先に口を開いたのはシキだった。


「…堕ちたら、どうなるの」


 確信をついた質問に紅蓮亜は息を呑む。


「実の所は分かりませんが、地獄に落ちると、言われています」


 地獄。人間なら誰しもそんな事を言われても信じないだろう。でもシキ達は地獄が存在している事を知っている。永遠に苦しみを与えられる場所だという事を知っている。

 頭が追いついていないシキを置いて、紅蓮亜は話を続ける。


「響さんが神になったのは、私と兄と九導さん達のためです。私をあそこから解放して兄に会わせてくれた。九導さん達を実千流さんに会わせるため」


 そこで一度区切って、言おうかどうかを迷い、口を開く。


「そして何より、シキさん達のため」


 その言葉にシキは動揺する。


「何それ、どう言うこと? 僕たちは響といたいって望んだのに?」

「響さんが望んだのは“ナニカ”の存在しない世界で人とシキさん達が共存する事です。笑って、日々を尊く思いながら大事に生きていくこと」


 紅蓮亜は遠くを見つめるように明後日の方向を向いて目を切なげに細めた。

 本当に馬鹿なほどに、救い様もないほどに心優しくて、涙が出るほど慈悲深く、愚かなほどに慈愛に溢れている響だから、シキは納得してしまった。


「ははっ、何それ。結局最後まで、他人と僕たちのためか」


 例えそれで地獄に落ちてしまっても良いと、響は本気で思ったのか。

 アレは嘘だったのかと思ってシキは怒りが湧いた。でもそれはすぐに消えた。怒りの業火は悲しみの涙で消えてしまうのだから。だってそれはあまりにも優しい嘘で。自分達に吐いた数少ない嘘がこんなにも優しくて悲しい嘘なんて、響らしいと、思ってしまったから。

 乾いた笑い声を出すシキの姿は痛々しかった。


「それと、シキさん達が消滅しないため。禁忌に触れてしまっている式神は神の名に置いて消滅させられる。それを防ぐためです」


 シキは涙が出そうだった。でも、泣くわけにはいかないと、堪える。


「僕、たちの、ためかぁ。響は本当にどうしようとなく優しい子だ」


 そう言って、顔をあげる。

 紅蓮亜の言いたい事がシキには伝わった。


「人じゃないシキさん達にしか出来ません」


 懇願する様に紅蓮亜は言った。


「分かってる。任せといて。必ず響を連れて帰るよ」


 そう言ってシキは優しく笑った。

 その笑顔を見て紅蓮亜は安心した様な顔をして「はい…!」と泣きながらも笑って返事をした。


「ありがとう、紅蓮亜ちゃん」


 お礼だけを言い残して走り出す。

 早くダイラ達にもしらなせなくては、と。






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 少しだけ重い空気が流れて4人とも黙る。

 シキの話を聞いたダイラは思い詰めた顔で黙り、ミョウとチョウは涙を流していた。


「行くでしょ? 響を取り戻しに」


 例え、それでどんな代償があろうとも。シキはそう思いながら3人を見る。


「もちろんじゃ。今すぐにでも」

「響ちゃんに二度と会えないなんて冗談じゃない!」

「…俺も、それは絶対に嫌だ」


 3人とも同じ結論を出し、立ち上がる。

 シキはその様子を見て笑った。

 でも、ここで一つ問題がある。きっと響はこうなることも見越して行動している。

 響は完璧主義者ではないが、その聡明さと強さでいつでも最善の答えをとってきた。自ずと完璧な道ができてしまうのだ。

 実千流を生き返らせたのがおそらくそうだ。


「あいつらが絶対反対するだろうな」


 シキのその言葉に瞬時に3人は理解する。

 『あいつら』とは九導達の事だ。

 響を連れ戻すとなれば、神になってから響が行った奇跡も全て無効になってしまうかもしれない。


「でも、響ちゃんを連れ戻したからって戻るとは限らないんじゃない?」


 ミョウが言っているのは、実千流、奏、紅蓮亜の事だ。響が神になって生き返らせた3人。もしも響が人間に戻ったらまた死んでしまった事になるんじゃないかと思うのが普通で、そう思った九導らは100%響の奪還を反対するだろう。

 奪還するにあたって、脅威になる事が1つあるため、その前に力は使いたくない。


「説得して彼奴らが耳を貸すかのう…」


 ダイラは悩ましげにつぶやいた。

 まだ完成しきっていないこの世界は少しつつけば壊れてしまうヒビの入ったガラスと同じ。もし事実を告げれば気付いてしまうだろう。居ないはずの存在に。

 それでも良いと願ってしまうのが人間の弱さだという事を四人も理解していた。


「無理だろうなぁ」


 シキは溜息を吐きながら天井を見上げた。

 たった一人で世界をも背負ってしまった響。一人の少年にはあまりにも荷が重すぎて潰れてしまう。それでも少年は挫けないのだろう。上手な転び方も知らない少年は今もただただ蹲っているだけなのかもしれない。泣いて助けも呼べない中、重すぎるものを抱えて両の手に収まり切らない想いを拾い上げながら、心優しい少年はきっと全てを守ろうとする。

 シキにはそれが許容出来ない。

 どうしてそれが響なのかと、思ってしまうから。

 くだらない情だと言われようが、一時の気の迷いだと言われようが、今すぐに響に会いたいから。後先の事なんてどうでもいい。今この瞬間、会いたいのだから。


「響は泣けない。助けも呼べない、手の差し伸べ方も知らない。だから僕たちが、掬い上げに行こう」


 手も差し伸べられないのなら掬い上げてしまえばいい。響が最初に自分達にしたように。

 シキの言葉に3人は力強く頷いた。





 

 シキ達4人が向かったのは勿論九導ら一派の陰陽道独立組織本部。

 やはりというべきか、そこでは実千流が一人で待っていた。

 実千流はシキ達を見据えると深く深く頭を下げた。


「すみませんでした。本当にごめんなさい。そして、響を愛してくれてありがとう」


 ___私の息子を、私が遺して逝ってしまった息子を愛してくれてありがとう。そう思ったけれど言わなかった。

 きっと私の息子は響でも、響の親は私じゃないと、実千流は思っていたから。

 過ごした日々もなければ、交わした会話もなく、ただただ輪廻天性の輪の中で次の生命を待っているふわふわした何処かで響の事を見ていただけだから。どれだけ苦しく、孤独だったのか、想像もつかない。自分の息子として生まれ落ちてしまったが為に理不尽ばかりを強いられた息子に一目でいいから会いたくて、息子の話を一言でいいから聞いてみたかった。

 そう思いを巡らせながら深く頭を下げる実千流をシキ達は見据えていた。

 恨んだりなどしない。響の人生に関わってこなかった人物に興味など無いから。でも、ひとつだけ聞きたいことがあった。


「どうして、響を産んだの? 貴方は愛されていたんでしょう。九導に、周りの人間達に」


 シキは疑問を一つ投げかけた。

 愛されていたのに、産めば死んでしまうとわかっていたのに、どうして産んだのか。


「私が愛されていたからこそ、あの子にも、響にも愛されて欲しかった」


 その言葉を聞いてシキ達は顔色を変える。それはそれは嫌悪と軽蔑を滲ませて。

 だってそんなのは無理な話だ。愛とはどうしようもない人間の感情で、だからこそ、実千流が願った願いは、到底叶わぬ願いだ。


「理解できないのう。自分の代わりに生まれた子がどんな扱いを受けるか、想像出来なかったのか?」


 ダイラの言葉に実千流は顔を上げて4人を見つめた。


「私はあの人たちが大切です。仲間で同志で、命を預けあってきました。だからこそ、あの人たちになら響を任せられると過信してしまった」


 ___あの人達の、人間の、弱さを忘れていた。


 『信じていた。』人間は愚かだ。なんの約束も無しに簡単に他人を信じる。だから馬鹿を見るのだと、何度経験しても人は学ばない。

 実千流もまた、九導達と同様、シキ達とは相容れない存在なのだ。分かりあうことはやはり出来ない。


「いいわね、脳内お花畑って貴方みたいな人のことを言うのかしら」


 ミョウは嫌悪を隠しもせずに嫌味を並べた。どんなに謝罪の言葉を述べ、どんなに後悔しようと、響が受けた理不尽は消えることはないし、それが実千流が死んでしまった事から始まっているのも、仕方のない事実だから。

 実千流は息を飲んで、それでも思いを告げる。響を愛した4人に知っててほしいから。我儘でも、知っていてほしいから。


「共に時間を過ごしていない私に、あの子と言葉すら交わしたことのない私に、母親を名乗る資格なんてないけれど、それでも、子を宿した女性はその子を絶対に守りたいと思うものなのよ。自分の命なんて惜しくないほどに」


 そう語る実千流の瞳は響に似ていた。慈愛に溢れた瞳。本当に血の繋がった親子なのだとシキ達は思った。それでも、今更響を譲る気は甚だ無いが。


 響と出会う前のシキ達なら、そんなのは詭弁だと戯言だと吐き捨てていただろう。でも、人のどうしようもなく愚かな部分。そこには救いようのない優しさと、涙が出るほどの慈愛がある事を知ってしまった。

 他でもない響が、それを教えてくれた。


「九導達はまだ異変に気づいていない。これもあの子の不思議な力のせいなのね。……貴方達はあの子を連れ戻しに行くのでしょう?」


 実千流は強張らせていた顔を少し和らいで微笑んだ。


「うん。僕たちは響が幸せになれる世界を望むから。だから、響を連れ戻しに行くよ」


 自信満々にそう豪語するシキを見て実千流は羨ましく思った。自分も響の母親として、家族として、共に過ごし、愛してやりたかったから。


「そう」


 これ以上は何も言わない方がいいと思った。自分に言える事はきっと何も無いから。だからただ道を開けた。


「この奥の部屋に九導達がいるわ」

「わかった」


 短く返事をして奥に歩いていくシキ達の背中を見ながら静かに涙を流した。


 真実に気づいたら九導達は悲しむのだろう。愛する人たちの悲しむ姿を見ないといけなくて、また同じ悲しみを与えてしまう事に申し訳なく思って、それと同時に、あんなにも響を愛してくれる存在がいたことに少しだけ、救われたのだ。


「……ごめんなさいっ、」


 ___でもね、あなたがお腹に居た時、あなたを呼びかけない日はなかったの。あなたに会えないと分かった時、とても悲しかった。でもその絶望の淵であなたの産声が聞こえて、私は確かに幸せを感じたのよ___。


 実千流しかいない広間に小さな小さな懺悔が涙と共に溢れた。






「なんだ、またお前達か」


 九導はシキ達を見るや否や、顔を顰めた。

 何かで対立していたはずなのに、その何かが思い出せず気になっていた。でも、気づいてはいけないと頭の中で警報が鳴り響いている。


「安溟倍浄響」


 シキが凛とした声でそう言った。


「安溟倍浄? 俺と同じ姓、でもそんな者は居ないぞ、っ」


 九導は言いながらも知らない男の子の記憶が蘇る。

 激情に駆られ、自分が首を絞めてしまった幼い子供。自分達を避け、それでも自分達を守ろうとしていた少年。そんな心優しい少年に自分達は————何をした?


「うッ、きょ、う」


 こめかみを抑え、痛みに悶える九導にシキは話しかける。


「覚えてないか? お前らが苦しめて追い詰めて虐げてきたのに、それでもお前らを守ろうとした、誰よりも優しい少年のことを」


 シキは言いながら悲しくなった。


『幸せになれない命なんて無い。皆、幸福を願われて生まれてくるんだよ。君達も』


 自分達の親にも似たような存在である安倍晴明は生前、そう口にしていたと言われている。その時はシキ達も人が好きだったからそう信じて疑わなかったけれど、響は、少しでもいいから幸せを感じていたのだろうか、と考えてしまう。

 神子を守る存在である式神達は、その愛し子を幸せに出来なかったら奪われてしまうという教えがあった。その教えを思い出して、だから響は遠くに行ってしまったのかとシキは思った。



 ———嗚呼、そっか。自分は今、響に会えなくなってしまうのが怖くて、響の居ない世界が嫌なんだ。



 随分人間臭くなったなぁと思いながらも、それも全部響を想う心ならいいと思った。人を想うのはこんなにも切なく愛おしい。人が人を愛するのは尊い行いだと言っていた響の言葉が今なら分かる。

 そして目の前にいる九導らもそうだったのだろう。

 愛した人、同志で、仲間で、友人で、大切だった人を亡くした悲しみから立ち直れなかったのだろう。どうしても何処かに面影を探してしまって、皮肉にも面影を強く感じてしまうのが響だったのだろう。

 シキの中で硬く、ドロドロとした何かがストン、と落ちた気がした。


「……いや、どうにも出来なかったのは、僕たちも同じだ。なぁ、アンタらは響の居ない世界を望むか?」


 シキは寂しそうな顔をして穏やかな声音で聞いた。

 その問いかけを聞いて九導は喉が熱くなり、涙が溢れる。

 何かが間違ってたとか、何処から間違ってたとかじゃない。何もかもが間違っていて、どうやったって罪は消えないけれど、まだ、まだ生きているじゃないか。響に守られた命がこんなにも。それならまだ償えるだろうか。


「ッ、俺は、まだ、間に合うだろうか…っ」


 言いながら九導は膝から崩れ落ちて、額を抑えてボロボロと涙をこぼしていた。失って初めて気づくとは本当にそうで、でもまだ響に向き合えるかもしれないと、色々な感情で溢れた涙は止まらない。


「九導」


 響によく似た凛とした声で名前を呼ばれ顔を上げれば本来なら居ないはずの人生でたった一人愛した人の、今でも愛している人が立っていた。


「み、ちる…」

「ごめんなさい。私は最初から気づいていたの。おかしくなった現状に。でも、貴方と響を置いて逝ってしまったことが心残りで、またあなた達に会えた事が本当に嬉しくて、何より、また悲しませてしまうのが、その姿を見るのが怖くて、言い出せなかった」


 まだ僅かに涙を流しながら実千流は九導達を見渡した。

 雅も干灯も豹夏も、もう気づいてしまっている。みんなが皆、涙を流して、嗚咽を堪えている。


 人間は弱い。

 大切なものはいつか失うから大切に思えると分かっているのに、それでも大切なものを作っては失い、立ち直れなくなってしまう。地獄を歩いていようとも前に進めずに立ち止まる。でも、二度と立ち上がれないわけじゃない。一緒に立ち上がる誰かが居れば、きっかけがあれば、人はまた希望を見られる。


「九導…」


 雅は九導の背中に寄り添って、干灯と豹夏もそれに寄り添う。そして実千流もしゃがみ込んで九導の手を握った。

 その光景を見たシキは、響もいつか、奏と、憐という子と、こうなっている未来があったのかもしれないと思うと、やっぱりやるせない気持ちになった。


「九導さん…」


 その場にシキ達は聞いたことのない声が響いた。声のした方を全員が見る。そこには一人の少年が立っていて、その顔は困惑と悲しみに溢れていた。


「憐…」


 豹夏がその少年の名前を呼び、シキ達は驚いた。彼には記憶が操作される術が施された跡があったから。それは紛れもなく、響がかけたものであることも明白だったから。


「俺、今まで…、全然覚えてなくて、でも、さっき、急にっ、」


 喋りながら彼はボロボロと涙を溢して地面に膝をついた。そこに駆け寄ったのは意外にもシキとチョウだった。


「君は、何で泣いているの? 何が悲しい?」


 シキはしゃがみ込んで憐の顔を覗き込みながらそう聞いた。


「あの時のっ、俺はまだガキで、分からなかったけど、俺を守る為に響は俺をここに入れたんだって、今ならわかる」


 ___その優しさが嬉しくて悲しい。


 嗚咽を堪えながら一生懸命言葉を紡ぐ。


「うん」


 それにシキは優しく頷いて続きを諭した。


「それなのにっ、全部忘れてて……。…友達…だったのに……っ。響をひとりにっ……」


 その言葉を聞いてなんとも言えない気持ちになり、シキは奥歯を噛んだ。理不尽に奪われたのは響だけじゃない。きっとこの子も被害者なのだ。

 そこへ涙を拭い険しい表情をした雅が来て、土下座をした。急なことに憐は狼狽える。


「すまなかった。俺たち大人の責任だ。君たちから、大事なものを沢山奪ってしまった。本当にすまなかった」


 奪ったものはきっと青春と呼ばれるものであり、少年達の友と過ごす時間であり、共に成長出来たはずの時間だった。

 時間を奪うのは罪だ。


 そこに九導も続いて頭を下げた。


「それならここの最高責任者である俺の責任でもある。君から友人を取ってしまってすまなかった」


 干灯と豹夏も後ろで深く深く頭を下げていた。その光景に憐は目を見開いた。


「俺のせいでもあります。あの頃、あんなに近くにいたのに」


 憐の涙はまだ止まらなかった。

 シキは優しく微笑んで、憐の頭を撫でた。それを見たダイラ達3人は驚くも、なんとなく、シキの気持ちが分かったような気がして顔が綻んだ。


「ありがとう。響のために泣いてくれて」


 憐はその言葉を聞いてなんだか安心した。かつての友人だった孤独な彼にも愛してくれる者たちが出来たのかと。そしてシキたちを見て分かるのは、きっと響も彼らを愛していたのだと。


「ねぇ、まだ君が響に会いたくて、また友達になりたいと望んでくれるなら、一緒に来てくれない?」


 チョウがお伺いを立てるように憐に聞いた。

 憐はそれに泣きながらもいい笑顔で言った。


「もちろんです。俺も連れて行ってください」


 そう言って頭を下げた憐を見て九導らも立ち上がり、シキたちに頭を下げる。


「こんな事頼める立場じゃないのは重々承知している。だが、俺たちも連れて行ってはくれないだろうか」

「何の役にも立てないかもしれないけれど、私も連れて行って欲しい」


 響の実の親である2人はシキたちに頼み込む。

 シキは考える。もう必要以上に恨んだりはしない。でも過去のことを許せたわけじゃない。そう、シキの中でぐるぐると考えが回る中、ダイラがシキの肩に優しく手を置いた。

 それにハッとして俯きかけていた顔を上げてダイラを見れば、呆れ笑いのような優しい顔をしたダイラがいた。


「もう、いいんじゃないか? 憎しみと怨みの果てに何があるのか、ワシらは一番見てきたじゃろう?」




___だから次は赦しと再生の未来を見よう。




 その顔はなんだか泣きそうにも見えて、シキは申し訳ない気持ちになった。もしかしたら自分がこんなに固執してしまったばっかりにダイラ達は無理に合わせていたのかもしれないと。

 その考えを汲み取ってか、ダイラはまた口を開く。


「お前さんは本当に馬鹿じゃのう。響に似てきたのう、シキは。優しいところが」


 その言葉に全てが込められていて、シキは涙が出そうになるのを堪えた。そして口を開く。


「顔を上げて。みんなで行こう、そのほうが響も安心して帰って来られる」


 そう言ったシキの顔は憑き物が取れたように晴れ渡っていた。その表情を見てダイラはゆっくり手を下ろし、安心する。

 例えこの先にあるのが永遠の別れだとしても。一人の少年の幸せのために式神達は動き出した。和解した人間達を連れて。






 その後、場所を移し談話室で状況確認をすることにした。


「今響はどうなってるんですか?」


 最初に質問したのは憐だった。

 自分と別れた数年間何があって、今何が起こっているのか、それをまずはわからないといけない。


「さぁ。ワシらも詳しくは分からんのじゃよ」


 ダイラの答えに全員が表情を曇らせた。


「…生きて、いるんだよね…」


 雅がそう呟いた。ダイラはそれに黙り込んでしまう。

 九導は更に顔を曇らせて俯いた。本当にほんとうに、取り返しのつかない事をしてしまったかもしれないと考えて、もうすでに手遅れだったと思い直す。だからこそ、行かなければならない。


「生きているともいえるし、死んでいるともいえる。狭間、って言えばわかりやすいかな」


 シキの答えに皆、複雑な気持ちになる。安心はできないが、まだ死んでいるわけでもない。どう受け止めて良いのか分からず困惑した。

 場の空気はやはり重い。


「だから、確かめに行こう。無理矢理にでも連れ戻すよ」


 シキがそう言えば皆顔を上げてシキの顔を見た。

 そうだ、世界のため、ではなくてもきっと自分達のためにと己の幸せも命すらも捨ててしまった子を助けに行くのだ。


「私たちも連れて行ってくれませんか?」


 その声に振り向いた先に居た人物にシキ達は目を見開いた。

 そこに居たのは紅蓮亜と、


「か、なで…」


 シキの言葉に顔を上げた少年は奏。

 最後に見た時より少し大きくなった姿だった。


「シキさん、お久しぶりです。こんな形の再会で本当に悲しい…ですね…」


 そう言った奏の表情は寂しそうで、シキ達の隣に本来居るはずの一人が居ないのを悔しく思いながらも実感した。

 たった一人の友人である響がこんな目に遭っている時自分は何もしてやれなかったのだから。

 自分の帰還を喜ぶ紅蓮亜と義兄である那珂の喜ぶ様を見て言い出せなかった。ただ、紅蓮亜も同じ立場であるから気づいていて、紅蓮亜から響の話を聞き、居ても立っても居られずに此処にいるのだ。


「響にも見せてやりたいよ、ほんと。響よりも背伸びたんだね」


 シキもまた奏の隣に響が居ないのを寂しく思い目を細めた。

 シキ達にとって響以外の人間とは憎い存在だ。皆平等に愚かしい。でも、奏もまた、別だった。響が少しでも心を開き、何があっても響のそばに居ようとした奏は。奏もまた心優しい少年だったから。


「きっと響も奏に会いたがってるよ」


 ダイラがそう言うと、2人も話し合いに加わった。

 最初に口を開いたのは真剣な顔をした紅蓮亜だった。


「まず、皆さんが懸念されているのは響さんを連れ戻したことによって、響さんが神になってから行使した力の影響力がなくなることですよね」


 その声に皆顔を俯かせてしまう。

 それにシキ達はもう何も言わない。失うことの恐怖を知ったから。永遠に失うと、一生失うは、似てるようで全然違う。神である響には今世が終わろうとも、もう誰も会えないのだから。


「簡単に言えば、響さんを連れ戻すと、私、兄である奏、九導さんの奥さんの実千流さんの3人がまた死んでしまうのではないか、って言うところですよね」


 そうだ。皆そこを懸念している。一度失い、また戻ってきた。それなのにまた失うというのはなんとも残酷な話だ。


「神がしたことは神が愛した世界に影響をもたらす。……響さんがそんな残酷なこと、すると思いますか…?」


 その言葉にシキ達は目を見開いて、九導達はハッとして顔を上げた。そして数秒、紅蓮亜を見つめて、九導は吹っ切れたように笑った。


「はっ、そうだな。響はこんな碌でもない俺たちですら守ろうとしてくれたんだ」


 そんな残酷な代償があるかもしれない一時の幸せなど、あの子が考えるはずがない、と誰もが思った。


「俺実はね、こうやって戻る前に響に会ったよ。会ったっていうか、声だけで会話みたいな感じで姿は見えなかったんだけどさ」


 奏はそう言って申し訳なさそうに笑った。

 皆黙り込んで、続きを諭そうとする。


「響を連れ戻しても、俺たちは生きてるよ。そもそも響は自分が連れ戻される場合を想定していないから。ただ問題なのが、響は呑まれ始めてる」


 最後の言葉に、何に?と聞き返したいが、良くないことなのは伝わってしまった。

 奏は紅蓮亜を見やる。


「紅蓮亜にはアレが何なのか、わかるんでしょ?」


 決して責めてるようでは無く、少しでも情報が欲しいから助けてほしいという意を込めて縋るような気持ちで紅蓮亜を見た。

 紅蓮亜は一瞬目を見開いて、少し悲しそうな寂しそうな、それでいてどこか懐かしむような、複雑な表情をしていた。


「…うん、知ってる。…そう……そっかぁ…」


 返事をした後紅蓮亜は懐かしむような表情で涙を流した。その涙に誰も話の続きを催促なんて出来ず、奏も優しく肩を抱き、心配そうな顔で見つめていた。


「ごめん、なさい。急に、泣いたりして、」

「いいよ。大丈夫。僕たちこそごめんね。君みたいな女の子を頼りにしてしまって」


 紅蓮亜の謝罪をシキは謝罪で返した。


「いいえ、役に立てるなら本望です。アレは、響さんを飲み込もうとしているのはこちらの世界で言う“悪魔”です」


 急な突拍子もない言葉に皆が動揺する。そこで雅が口を開いた。


「あ、でも神様がいるなら悪魔もいておかしくない感じはするね」


 その言葉に動揺を抑えきれずも皆少し納得した。


「でも神になるのが元人間なら、悪魔になるのも元人間なの?」


 干灯の的確な質問に感心しつつ皆、紅蓮亜の回答を待つ。

 紅蓮亜は少し目を逸らして俯きながらも返答する。


「はい、と言ってもどちらかと言えば、元神様ですけど」


 全員が驚きを隠せずに眉を寄せた。

 詳しく説明しますと一言おいて紅蓮亜は説明を続けた。


「神と悪魔は紙一重です。同じぐらいの力を持ち、世界に同じ影響力を持ちます。ただ、悪魔は神よりも概念に近く、その力は事実未知数。同じぐらいの力というのは理性がある場合の話に過ぎません。勿論、悪魔に理性なんてない。

 そして悪魔は、神が己の世界に絶望し、堕ちてしまった成れの果て。響さんを飲み込もうとしているのは、私の先代、壱宮いちのみやさんという方の概念です」


 話の理解が追いつかず誰もが同じことを思った。この世界はなんて理不尽に飲まれているのか、と。


「…その、壱宮さんはどうして、堕ちたの?」


 シキの質問に紅蓮亜はまた悲しそうな顔をした。


「響さんに似て優しい方でした、先代は。自分が愛した世界、人々をモニターのように眺め、次第に争い合い、死者は絶えない。その変わり果てた世界の有様に先代は耐えられなかった」


 その言葉に九導らは考える。自分達がしていることもくだらない争いの一環に過ぎないのでは、と。陰陽道最高幹部達との睨み合い、現に死者も出ている。奏と、響。実千流も死んだ。憐だって死にそうになったことなんて数えきれない。それを阻止できていたのは、一重に響が無理をして守っていたからにすぎない。


「『こんな世界でも大切な人が居るから、俺には終わらせられないよ』先代の言葉です。響さんと話していて気付きました。似ています…響さんと先代は。どちらもっ、優しすぎるっ、」


 奏とシキ達は涙を流し、嗚咽を漏らす紅蓮亜を見て、彼女と先代が過ごした時間には誰も知らないけれど、きっとそこには何か暖かいものが存在していたのだと思った。


「だからっ、先代は世界を終わらせきれずに、堕ちてしまった。その代わりに代理に就いたのが私です。なってみて分かりました。キツイですよ、大切な人が苦しんでいるのに見ているしかできないのは。力を行使しすぎたら堕ちてしまう可能性が大きくなる。だから、こうやって力を使えるのは響さんだからです」


 純白の適性度純度百%の響だからこそ、こんなに力を行使できる、出来てしまう。全て背負えてしまう。あの小さな背中でも。


「私は短い間ですけど先代を見ていました。毎日涙も流せず、苦しそうで悲しそうでした。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて糞食らえだと、私は思います」


 ずっと口調が良かった紅蓮亜が糞と言ったことでみんなポカンとした、その後にダイラとミョウが盛大に笑った。


「あっはっはっは、お嬢ちゃん以外と言うねぇ」

「ほんとにね、私は気に入ったわ」


 ダイラとミョウの言葉にシキとチョウも笑い、式神のツボってわからないなぁと九導達はまだポカンとしていた。

 場の空気の重さが緩和されはじめて、やっと皆顔を上げて、その目には決心があった。


「じゃ、いこうか」


 シキ達ならあの場所への行き方を知っている。

 途中からは彼岸より死に近くなる為、九導らは置いていくつもりだが。

 シキが手印を結び、詠唱を唱えると空間に歪みが生じてゲートが開いた。ただの移動なら手印も詠唱も要らない。あんな場所に行くから、シキですらどちらも必要なのだ。


「九導達は酔わないように気おつけて」


 場所の移動では無く、空間、次元を移動するのだから本来なら人は耐えられない。それを結界を張りつつの歪みのゲートを作ることによって耐えられるようにしているのだ。

 九導達は自分の体の周りにも特殊な結界を張る。

 シキ達は何の躊躇も無く、まるで家の玄関でもくぐるかのような足取りでくぐった。

 その後を警戒しながら九導達は着いていく。最後になったのは奏と紅蓮亜だ。


「…紅蓮亜は残ってくれない?」


 奏が振り向きながら何を言うかと思えばそんな事を言った。


「え、どうして? 私は役に立たない?」


 妹で、この中で一番歳が下だからお荷物なんだろうか、そう思い、紅蓮亜は悲しそうな顔に困惑を滲ませた。


「そうじゃないよ! ただ、」


 言い淀んだ奏の握りしめた拳は震えていた。

 みんな怖い。それは奏だって例外じゃない。自分より先に逝ってしまった妹、また失うかもしれない危ない戦場には行って欲しくない。


「俺は響の友達だから、行かなきゃいけない。いつも響が辛い思いをしている肝心な時にそばにいてやれなかったけど、きっと響も待ってるって信じてるから」


 強い決心を奏は口にした。


「それなら、」


 紅蓮亜が言いかけた言葉も止めて、響は話を続ける。


「でも、紅蓮亜が俺の帰る場所であって欲しい。それに、那珂にも」


 紅蓮亜はまだあまり知らない義兄。自分が陰陽師これを生業にしている事を気にして自分も少しでも近くでサポートを事務員を目指してくれた。

 共に仕事をする事は叶わなかったけど、だからこそ、今の日常がどれだけ有難くて大切なのかが分かる。そして2人には家族として待っていて欲しい。

 横目で見るとゲートが閉じ始めていた。


「俺に任せとけ」


 声がして扉を見ればそこには義兄である那珂が立っていた。


「お前の留守中は俺が紅蓮亜を守る」


 そう言いながら近づき紅蓮亜の横に立つ。その言葉に奏は笑顔で返した。


「うん! ありがとう、兄貴」


 那珂は目を見開いた。

 奏が「兄貴」と呼んだのはこれが初めてだったから。


「あぁ、気おつけて行ってこいよ。それと、……必ず帰ってこい。あの子も連れて」


 力強い那珂の言葉に奏はもう一度強く頷いた。


「じゃあ、行ってくる」


 そう言って奏は紅蓮亜の頭を撫でた。紅蓮亜は少し泣きそうなのを堪えて笑顔で見送る。


「帰って来なかったら、許さないから」


 言葉は強くも密かに震えているのに気づいて、奏は困ったように笑った。

 必ず、必ず響を連れて帰ってくるから。

 そしたら、また、あの日々が。

 紅蓮亜が居て、那珂も居て、響も居る。前よりもずっと幸せな日々がきっとやってくる。奏はそう胸に信じて、ゲートをくぐった。



くぐった先は————————————






「なに、これ……」


 くぐった先は幻想的な世界だった。

 辺り一面夕方と夜の境で現実的には有り得ない光景が広がっている。

 オーロラが出ている所、星が空一面に散らばっていて、本当にこの世のものとは思えない光景。それに皆目を奪われていた。干灯の呟きから三十秒沈黙が続いた。


「とりあえず、行こう」


 シキの言葉にやっとみんな歩き出した。寒くも暑くも無く、逆にそれが何も感じないようで気持ち悪く感じた。

 五分ほど歩いて、響は何処にいるのか話出そうと思った瞬間、辺り一面が紫黒い渦に飲まれた。


「なっ! なんだこれ!?」

「急に何だ!? ハリケーンか!?」


 豹夏と干灯が驚きの声を上げて、他の皆も飛ばされて巻き込まれないようにと体に力を入れて、重力を重くする結界を張っている。


「これは、悪魔だ」


 奏がそう呟いた。奏は九導達と合流する前に紅蓮亜から聞いていたのだ。悪魔という存在を。

 それに一度死んでいるからか分からないが、直感で感じる。禍々しい力。

 全てを飲み込んでしまうブラックホールのような存在で、この彼岸と此岸の狭間にしか存在はしないのに、世界への影響力は凄まじいと聞いた。


「っ! この中に響がいる!!!」


 シキは響の存在を感じた。

 響の叫びを聞き、渦の中心部にみんな目を向けた。




あそこに、響が——————!




「とりあえずっ、この! 渦はどうする!? これ中心部に行けるのか!?」


 干灯がそう叫ぶ。


「俺たちが道を開ける!! お前達は先に行け!」


 九導の言葉にシキ達は一瞬目を見開く。


「いや、貴方達だけじゃ無理よ。私たちも残るわ。シキ、先に行って!」


 ミョウの言葉にチョウとダイラも頷く。

 ミョウは手印を結び、手をかざした。術が発動して少しだけ渦を止めることができた。止めたために実体を見られるようになったそれは龍のような蛇のような見た目をしていた。


「でも!」


 シキは少し躊躇った。


「すぐ追いつくから」


 ミョウがシキを振り返って額に汗を滲ませながら微笑んだ。


「……分かった。ありがとう!」


 そう言って踵を返そうとしたシキを呼び止めた人物がいた。


「シキさん!」


 奏の声にシキは振り返った。


「奏」


 名前を呼ばれた奏はフッと優しく微笑んだ。


「響に会わせてくださいよ」

「はっ、言われなくても、任せて」


 短い会話をした刹那、シキは歪みを作り渦の外に出た。この渦はこの世のものじゃないため、出れる歪みを作るのにかなり力を使ってしまった。

 でも、もう無理だなんて言ってられない。みんなに響を頼まれたのだ。必ず取り返して連れて帰るのだ。例えどんなに無理な手段を使うとしても。


 そしてシキは渦の上の上の中心部に飛び込んだ。


 渦の中心部は無重力のような空間だった。

 そして、その中心に会いたくて仕方のなかった人物、響が雁字搦めに囚われたまま眠っていた。


「響っ!」


 シキは目を見開いて響のそばに行こうとする。

 やっとの思いで響のそばに行き、響の頬を包んで、その冷たさにゾッとした。体温を分けるように両手で必死に包んで名前を呼び続ける。


「きょ、う、響ッ、響! 目を開けて……ねぇ、お願いだから…目を開けてよ………っ」


 どんなに包んでも響は目を開けない。嫌な予感が頭を掠めてシキは涙を必死に堪える。


「響、響、みんな、まってるよ…?」


 シキは顔を俯かせて、本当にダメかもしれないと。


「…………し、き、?」

「響っ!!」


 響の声に驚いて目を見開き、響の瞳を見つめる。


「シキ…ごめ、これ、外せなくて…、外してもらえる……?」


 響の身体には雁字搦めなほどに黒い蛇みたいなものが巻き付いていた。シキはすぐにそれを解いて、力の抜けた響の体を抱きとめた。

 すると響は呻き声を出して苦しみ出した。


「うっ、あぁ、!」

「響!? どうしたの? 苦しいの? 痛いの?」


 シキは慌てて響を伺うけど、響は苦し紛れに微笑んでシキから体を離そうとする。


「はっ、だい、じょうぶだよ、はぁ、はぁっ、もうすぐ、同化が終わるんだ……」


 苦しそうに息を吐きながら響は言った。


「同化…? 同化ってなに? 響はどうなるの!?」


 そう聞いて響の身体を抱きしめようとしても響はそれを拒否して未だに苦しそうだ。

 更に苦しそうにしている響にいても経っても居られず、無理矢理腕を掴み引っ張ろうとする。でもその瞬間黒い何かドロドロしたものが勢いよく流れ込んできた。


「なに、!?」

「だっ、めだ! シキ! 離して!」


 こんなものが響の中に今流れているのか!?


「ダメだ響! この力は良くない、こんなのを身体に流し込んで溜め込んでいたら響が壊れる!」


 シキはそこでさっきの響を雁字搦めにしていたものを思い出した。何故自分が最初にあれを外そうと思わなかったのか、そうだ、あれは響にこの力を流さないためのものだったのだ。

 それを、自分が解いてしまったのだ。

 多分あれは、紅蓮亜が言っていた先代とやらの、最後の加護だったのだろう。

 先代が呑まれたのは多分悪魔のほんの一部にすぎない。

 本当の悪魔はもっと強大な何かだ。


「違うよ、シキ。シキのせいじゃないよ」


 少しだけ余裕が出てきたように見えるが、呪詛のようなものが響の身体を埋め尽くしている。


「きょ、響、」

「シキ、聞いて。今世界の神は堕ちた。それは次世界まで影響されるんだ。だから、僕がそれを飲み込む」


 飲み込まれているのは響の方だと思っていた。だが、響は悪魔を飲み込もうとしていた。


「は、そんなの、どうやって…」

「普通なら出来ない。僕だから出来るんだ。適性純度百%の神子で蘆屋の魂が混じって肉体には安倍晴明の血が流れている。僕だから出来るんだよ」


 シキは忘れていたのだ。響の強いが故の無自覚の傲慢さを。自分の強さを客観的に響は理解している。だからあんな日々を送っていても冷静に分析し、生き残れてたのだから。


「シキ、ここまで会いに来てくれてありがとう。でももう帰って」


 それはシキを突き放す言葉だった。

 それでもシキは引き下がらない。


「響も一緒に帰るんだよ!」


 その言葉を聞いて響は一瞬目を見開いた。そして困ったように微笑んでシキの両頬を包み込んだ。


「これから僕はシキの知らない姿になってしまうんだ、それは醜い姿なんだ。だから…シキには見られたくないんだよ…」


 それは空気にそぐわないほどあまりに健気で、切実すぎる願いだった。


「も、う、保ってるのがっ、キツくて、」


 響の表情はなにかを耐えるように険しくて、息もまた乱れ始めていた。


「きょ、う…響……」

「ご、め、んね……会いにきて、くれ、て、ありがとう……、シキ…」


 その言葉を最後に響の身体は上へ上へと引っ張られていく。シキがどんなに叫ぼうともその声は届かず、響は変貌した。それは、悪魔というには神聖で、神というには悍ましい何かだった。






_____________________






〈響が目覚める前〉


———きょう………お………き…て、————


 誰かの声がする。ふわふわした意識の中で聞こえた声。

 なんで、こうなったんだっけ。


 響はシキ達と別れて神になった後、先先代は堕ちて悪魔になってしまった事を知った。それは世界に影響をもたらす事態だった。

 そして響は先先代の記憶に触れて、その悲しみと葛藤と苦しみに触れた。

 彼はいつもモニターのように世界を見ながら涙を流し、心を痛め、苦しんでいた。



『こんな世界でも大切な人が居るから、俺には終わらせられないよ』



 だから俺にはこの世界を終わらせられない。と先先代は堕ちた。

 日々争いの絶えない人々。殺し合って、憎しみあって、終わり無きその果てに一体何があるというのだろう。憎しみからは何も生まれない。永遠に繰り返すだけ。

 そして響は悪魔に成り果てた先先代と会った。


「もういいですよ。もう一人じゃないです。世界は僕が平和と平穏が訪れる世界にします」


 ___だから、安心して下さい。


 そう言いながら響は徐々に悪魔を飲み込んだ。





———きょ……おき………あ……て————


「(だ、れ? 誰かいるの?)」

 

———きょう……おきて…目を…あ…けて——


「(し、き?)」


———みんな、まってるよ…?—————


 懇願する今にも泣きそうなその声で響は目を覚ました。

 そして、覚悟を決めた。






_____________________






 変貌してしまった響を前に何も出来なかった。辺りは先ほどと違う土地が姿を見せている。

 響の強さを初めて知った。

 本人も自分で言っていた通り、響は適性純度百%の神子で蘆屋の魂が混じり、肉体には安倍晴明の血筋が流れている。そんな響だから出来てしまう。禁忌すら禁忌にならない。先先代も神降ろしでもして会ったのだろう。そして自分の強さを誰よりも正確に理解していて、だからこその傲慢さ。

 やっと会えた愛し子は神々しく悍ましい、本物の神に、いや、おそらく歴代最強の神になってしまった。


「きょ、う」


声はもう届かない。


「きょう」


それでもシキは呼び続ける。


「響」


 愛おしそうに、優しく、呼び続ける。

 その声は本人に届かなくても、同じ人の子を愛した者たちに届く。


「シキ!!!」


 その声に振り向けば少し傷の出来たダイラとミョウとチョウ、そして奏が立っていた。


「ねぇ…どうしよう、響が……」


 そう言って項垂れているシキの肩をチョウが正面から力強く掴んだ。


「しっかりするんだシキ!! 響はまだあそこにいるんだろう!?」


 その言葉にシキは一筋の希望を見る。そうだ、まだあそこに響はいる。と。


「でもどうする?!」


 ミョウは冷静にこの事態をどうするか思案していた。

 悪魔、初めて見た存在。いや、神かもしれない。もしくはどちらも本当に紙一重。どちらにしてもあんな強いの勝てるかどうか。


「響ちゃん、随分強くなっちゃったね」


 ___置いてかないでよ、寂しいじゃない。


 その言葉は飲み込んで、それでも声にその寂しさを滲ませていた。


「封印する?」

「いや、それじゃあ後回しにするだけで後々また同じことになって、その時の被害は計り知れないじゃろ」


 チョウの問いかけにダイラが答えて、やっぱりあの悪魔の部分だけを消滅させるしかないのか、と4人の考えが纏まったところだった。


「あの、俺がやりますか? 消滅させればいいんですよね」


 奏が4人に声をかけた。本来なら人間が相手できるような存在じゃないが、奏は一度死んでいるからか、おそらくここでは九導よりも強い。

 そして響の得意な術を封印して、シキ達のを結界にするなら、目標の消滅は奏の得意分野だった。


「いけるか? 奏」


 ダイラは奏に今一度問う。


「うん。皆さんがサポートしてくれたら」

「言われなくてもやるさ」

「任せてよ」


 奏の頼み事にシキとミョウが快く答え、他2人も勿論だと頷いた。


「やろう」


 奏がそう言って4人はそれぞれ手をかざして結界を張り始めた。最大限に対象の力を弱める結界だ。タイミングを見計らって奏は目を閉じて、全神経を注ぎ、集中力を上げる。手印をいくつも結びながら、長い詠唱を唱え始める。


「譁?ュ怜喧縺托シ?——————————————」


 誰にも解読不可能だが、解読できる人が少なければ少ないほどその力は強くなり、ゼロなら最大限にその力を発揮できる。

 長い長い詠唱を唱え終わり、目を見開き、シキの方を向いた。


「シキさん!! 行って!!」


 その言葉にシキは手をかざしながら他の3人に目をやると、皆頷いた。


「分かった! 次こそ連れて帰るね」


 そう言ってシキはまた響のいる方へと向かう。

 だんだんと近くなり、やっぱり黒くドロドロしたものの中で響は眠っている。魘されるように激しく苦しみ、うめき声をあげている。

 こんなになっても助けを呼べないなんて、なんて不器用な子なんだろう、とシキは思う。

自分達はそんなに頼りないだろうか。

 いや、響は優しすぎるからなんだろう。その上自分の強さもしっかり理解しているから、無理をする事が出来てしまう。これは、奏に見ててもらわなきゃな、なんて思う。

 やっと辿り着いて、次は先ほどのように離したりなんてしないように、優しく、それでも強く抱きしめた。

 そして、少し体を離して、その顔を見て、話しかける。




「響——。もういいよ、もういいんだよ」




 どうかこの思いが伝わってほしいと願いと祈りを込めながらシキは変わり果ててしまった響に語りかける。


「世界のために神になんてならなくていい。誰かのために頑張らなくていいし、誰かの代わりになろうとしなくてもいいよ」


___僕は世界よりも響を取りたい。


 例えそれが許されざる事だとしても。それが原因で世界の寿命を縮めてしまうとしても。


「僕は一秒でも長く、響と話して、響と過ごしていたいんだ」


 この一秒後に世界が終わろうとも、僕は最期の時まで響と共にありたい。そう思える存在に巡り会えた事を心の底からシキは幸福に思った。


 何もない空間の中で響を優しく抱きしめる。

 人に愛されず、泣くことも出来ず、助けを求めることも出来ずに、苦しみ続けた少年の苦しみが、今、終わろうとしている。




「心の底から、愛してる———。響、もう戻っておいで」




 その言葉が響に届いた瞬間、響は響に戻っていた。神子でも神様でもない、響。


「…し……き、?」

「うん。そうだよ。響に会いたくて仕方なくて、こんな所まで来ちゃったんだよ」


 そう言ってシキはおどけたように笑って見せた。

 響の瞳からは涙が溢れて、どんどん響の心を洗い流していった。


「響はどこまでいっても優しいね」


 響の心の汚れだって、響が優しいから世界の負の感情の器になってしまっただけだった。本当に世界で一番優しい子なんだ。

 息をするように人を傷つける人が居る。響はその逆で自分の優しさを殺すように息をする。まるで自分が生きているだけで誰かを傷つけてしまい、その罰を甘受するように、息をしていた。


「しき……ぅっ、うぅ、シキッ…、」


 泣きながら名前を呼ぶ響にシキは強く強く抱きしめながら、うん、うん、と頷いた。


「だめっ、だよ、だめなのにっ、どうしようっ、嬉しい……」


 自分が神にならなきゃいけない。こんな所にシキ達を入れてはいけない。分かってる。ダメだって分かってるのに、無情になりきれていないまだ人の部分の心が嬉しいと思ってしまった。


「僕もだよ。僕もまた会えて嬉しいし、会えないと思うと怖かった」


 シキのその言葉に響は少し体を離して目を見開く。


「こわかった、? シキが?」


 目を見開いたまま信じられないと言うようにそう言った響を見てシキは困ったように笑った。


「響が教えてくれたんだよ」


 愛おしいも、切ないも、悲しいも、怖いも、色々な感情を教えてくれたのは不思議な事に感情の振れ幅が少なく、人でなしと呼ばれた少年だった。


「ありがとう、僕達と出会ってくれてありがとう響。みんなの所に帰ろう」


 シキの言葉に涙を流しながら響は何度も頷く。


「うん、うんっ、帰ろう」


 その言葉を聞いてシキはやっと響が帰ってきたと、安心した。






 すぐにダイラ達と合流して、シキはやっと奏との真の再会を果たす。


「響、久しぶり」


 自分よりも背が伸びた奏を前にして、響はまた泣きそうだった。死んだままなら決して成長はせず、時を刻むこともない。でも今、目の前で生きている。自分がした事ではあるが、この目で確かめて、やっと生きていると、奏は生きていると実感した。


「奏…妹さんと、那珂さんには、会えた?」


 ずっと聞きたかった。ちゃんと会えたのか。


「うん。お陰様で。響のおかげだよ。本当にありがとう。そしてごめん、置いて逝ってごめんね」


 ___あの夏、太陽のような奏に出会って、2人で海を見る前に失った。


 奏は少しだけ頭を下げた。お互い必死に涙を堪える。響は手を伸ばして奏の手を握りしめる。それに反応した奏が顔を上げて、その響の顔を見て一瞬びっくりして困ったように笑った。

 お互い下手くそに笑った。


「いいよ、許すよ。だからもう死なないで」

「うん、響もだよ? 今回みたいなのはもうなしだからね?」


 そう言って今度こそ奏はしっかりと笑った。それに釣られて響も笑う。シキはその様子を本当に嬉しそうな表情で見守り、他3人も優しい顔つきで見守っていた。


「でも、残念なことに多分まだ終わりじゃない」

「そうだね。“門番”が酷く怒っている」


 響の言葉にシキは同意した。


「これは、世界を終わらせかねないのう」

「じゃあいくしかないってことね」


 ダイラの言葉にミョウはため息を吐きながら答えて、チョウもその横で頷いた。

 奏も響を見て頷き、全員は“門番”がいる門がある場所、彼岸と此岸の本当の狭間へ向かい始めた。











 シキ達4人の中に何か不穏なものが流れる。


 人間と自分達はやっぱり分かり合うなど不可能。

 共存など、もっと不可能。


 自分達を失望させたのは誰だ?


 先に裏切ったのは誰だ?


 愛し子を苦しめたのは誰だ?


 ゆるさない、許さない、赦さない。


 その呪詛はいくら振り払おうとしても四人の頭の中をぐるぐると回った。


 シキはそこで自分達のシナリオと役割を理解した。






 何にでもなるさ。




 響の幸せの為なら。







 誰かの幸せの為の献身を、人は愛と呼んだ。

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