第十章 一人ぼっちの少年

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・今のところBL要素は少ないです。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





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 2年前。


 当時13歳の響にはかつて、一人の友人が居た。

 何にも染まらず、自分の意見と芯をしっかりと持った眩しいほどに真っ直ぐな少年だった。

 自分も強いのにそれを決して見せびらかしたりせず、響とよく仕事の作戦会議をまるで子供が間違い探しでもしているかのような楽しさで話していた。

 彼と居る時だけ、響はただの年相応の子供だった。

 シキ達もかなでを大層気に入っていた。

 だからこそやっぱりシキ達は人間が嫌いなのだ。

 自分達の大事なものを響に守らせる癖に、響の大事なものを簡単に切り捨てていくから。






 ⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎年  11月 9日

 緊急で対応しないといけない案件が入り、

 その時時間の空いていた13歳の少年に対

 応要請を出した。

 少年が駆け付けた25分後、ほぼ相打ちと

 いう形で除霊完了の通達が陰陽道本部に行

 き、一件は幕を閉じた。


            追伸

           現場にはもう一人の

           陰陽師が派遣された。






 その報告書を読んだ響はそれをぐしゃぐしゃにして破り捨てたい衝動に駆られた。

 そして、涙を流し続けていた。

 父に殺されかけても、自分を見てもらえなくても、罵倒されても、蔑まされても、どんな理不尽を与えられようと弱音一つ吐いたことのない響が、友人一人の死に涙を流した。

 その様子はシキ達をも驚かせた。


「ははっ、僕さ人でなしなのに……今、奏が死んで、たった一人の人間の死に、笑っちゃうくらい…悲しいんだ……」


 嗚咽を耐えながら苦しそうに独白した響は今にも消えてしまいそうなほどに儚く感じさせた。

 自分だって沢山殺したのに。死にゆく人間を見て何かを思ったことなど、なかったのに。

 簡単な相討ちなんかじゃない。かなり手こずった程度でしっかり除霊はしたはずだったのだ。だけどそこに響をよく思わない上の連中の息がかかった奴がいた。

 きっとソイツが“ナニカ”を強力にする禁術を使ったのだ。

 そう思わせるのには十分なほどに穴の多い報告書だった。そして何より、響はその現場を見ている。

 駆けつけるのが、間に合わなかった。

 人一人の死をこんなにも簡単に短い文でまとめられてしまう世界に、自分達は立っているというやるせなさを響は濃く感じてしまった。


「うっ…うぅ、」


 響は唇を噛み締め、その唇からは血が流れていた。

 彼は強き陰陽師。

 負の感情を吐き出すことすら許されない。

 いつその言葉が“ナニカ”を生み出してしまうかわからないから。


「響、アイツら、殺そっか?」


 シキが崩れ落ちた響を見下ろしながら声をかける。

 響からの返事はない。

 部屋には響の嗚咽だけがずっと響いている。

 どれくらいそうしてただろうか。ダイラとミョウとチョウはダイニングテーブルを囲んでいる椅子に腰をかけて、顔を俯かせている。

 きっとシキ達の考えは一緒だったのだろう。

 やっと、やっとこの子が普通の子供らしく友達と笑い合う時間を得たと言うのに、少しずつでも響の心は癒え始めていた。だからこそ、失った時の傷は想像を超えるのだ。

 狂っていても、普通とは価値観が違くても、歪でも人でなしでも、響を愛する。でも、やっぱり、普通の人間の子としての幸せも感じて欲しかったのだ。自分達の愛し子に。

 誰も一言も話さないうちに外からは雨の音がし始めた。どうやら大雨らしい。

 響は気づいていない。フラッと力なく立ち上がって玄関に足を進める。その手をシキが掴んだ。

 2人の様子をダイラ達は見守るしかできない。


「響、どこいくの? 外、大雨だよ?」


 そのシキの言葉に響は振り向きもせずに答えた。


「ごめんね、シキ。今は一人になりたいんだ。ちゃんと帰ってくるから、ごめんね」


 そう言われてシキはゆっくりと手を離し、響は出て行った。扉の閉まる音がやけに大きく聞こえた。

 響の声は酷く落ち着いていた。怖いくらいに。



 

 結局その日は帰ってこなかった。

 次の日の深夜の1時を回った頃に、響は帰ってきた。

 顔にも服にも大量に返り血をつけて。


「響ちゃんっ、どうしたの? 怪我はっ」


 怪我はないの?そう聞こうとしたミョウを弱く押し退けて響は風呂場へ歩き出した。


「ごめん、ミョウ、心配してくれてありがとう。怪我はないよ、大丈夫。シャワー浴びてくるから」


 そう言って響は力なく笑った。

 ミョウも声をかけようとしていたチョウも、見守っていたダイラも、言葉を失ったシキも響がお風呂から上がるのを待った。

 上がってきた響はいつも通りだった。いつも通りなのに、どこか憔悴していて、気も乱れている。最初に口を開いたのはやっぱりシキだった。


「響、何かあったんだよね…?」


 ソファーに座った響の隣にシキも座って、響はタオルを頭にかけて俯いてしまっている。

 響は深呼吸をしてから口を開いた。


「……特に、大したことはなかったんだけどね。緊急の案件で僕と同い年の男の子の護衛が入ったんだ。その子ね、お父さん達の独立組織に将来、正式に入る子、いわばお父さん達がバックの子、なんだけどね。両親が亡くなっているんだけどさ、同年代の子より少し大人びてて、しっかりしてて、すっごく良い子でね、将来有望で期待されてるんだ。お父さん達も自分達の子供ように可愛がってるんだって。お父さん達に期待されるくらい強いなら僕なんかの護衛なんて要らなかっただろうにね」


 不思議に思った。

 いくらなんでも、13の子供に護衛を頼むだろうか?それも、自分の実の子に。

 シキは嫌な予感がした。

 だって、たった1日護衛しただけでどうしてそんなに詳しいの?

 ねぇ、その子ってさ__。


「……どうして、そんなに詳しいの」


 抑揚のない声でシキは響に聞いた。


「…シキは分かってるんでしょ…? 前話したことあったもんね。……大きく、なってたなぁ…」


 同い年の僕が言うのも何だけどね、と響は懐かしむような目をして呟いた。

 だって、その子は、昔、響がたった3ヶ月だけ一緒に住んでた子だったから。






_____________________






 更に3年前。響、10歳。


「俺はれん。よろしくな」


 すごく愛想が良いとかでは無いけれど、気の良さそうな少年がそう言って挨拶をしてきた。

 今日は合同での案件要請が入り、響にも劣らないほどの実力を持っている同じ年の少年が派遣されてきた。

 まさか同じ年の子がこんな上級案件に来るとは思っておらず、響は最初驚きを隠せなかった。


「僕は響。よろしくね、憐」

「おう。聞いてるぜ、九導さんの息子だろ?」


 悪気は全くないと言ったように憐は聞いてきた。

 響は返答に少し迷ってしまう。

 本当の事を話せば嫌な気持ちになるだろうから。


「うん、まぁ。でも父さんは忙しい身だから、あんまり会わないんだ」


 その言葉でなんとなく察したらしい憐はそれ以上追求してくることはなかった。

 なにぶん、この界隈に居れば安溟倍浄家の噂は耳にする。親子関係がよろしくないだとか、そう言う類の。


「よしっ、じゃあパパッと終わらせようぜ」

「うん、そうだね」

「あ! 終わったら飯食いに行こう!」




 無駄なことは聞いてこず、気さくに接してくれる憐に響も警戒を解き始めていた。

 どうやら彼は両親不在で同じマンションに来ることになっているらしい。

 それから遊びに行ったり、ご飯を食べたり、一緒に作ったりと過ごしているうちに1ヶ月と経たないうちに二人は仲良くなった。


「これからお互いの部屋行き来しねぇ? その方が家事も楽だし」


 最近の恒例になりつつある、二人でご飯を作っている時だった。何気ない憐の提案に響は共感して、二人の共同生活は始まった。

 お互い案件で、1週間会わない事もあったが、生活は順調だった。別に恋人でも家族でもない。学生のルームシェアの様に気楽に楽しんで日々の疲れを癒した。




『俺、強くなりたい』


そう言った憐に響は『どうして?』と聞いた。


『理不尽に奪われないためにだよ。俺は何も失いたくない。何も奪われたくない。だったら、力で示すしかない。だから強くなりたい』


自分より真っ直ぐな憐が響には眩しかった。





「あのさ、ちょっと話があんだけど」


 いつもより真剣な様子で帰ってきたばかりの憐は響に言った。

 気づけば2人の共同生活は3ヶ月経っていた。


「ん? まってね。お茶入れるね」


 長くなりそうだなと感じた響は帰ってきたばかりの憐が手を洗ったりしている間にお茶を入れて待つことにした。

 だけどその話の内容を、響は知っている。


「んで、話って?」


 2人で向かい合う様に座り、響は憐の話を諭す。


「九導さんと雅さんにスカウトされた」


 それは、意識してたわけではないが2人が話題に避けてた名前だった。

 この頃にはもう九導らの独立した組織は安定しており、未来ある有望な若者を囲ってしまえるほどには功績も上げていた。

 響は動揺するでもなく、話の続きを待った。


「それで、」


 そこで憐の言葉は止まった。

 テーブルの下で膝の上に置かれた憐の手は握り締められていて震えている。当然といえば当然だ。まだ10歳の子供が、こんなに気まずくて場の空気が確実に悪くなる話題に緊張しないわけがないのだ。

 憐は年相応の人間性を持ち合わせている子。友達を傷つけてしまうかも知れない罪悪感に、10歳の少年は耐えられない。


「行きなよ。あそこに居た方が憐は安全だし、きっと実力だって伸ばしてもらえる」


 響は憐の震える拳を優しく包む様に握りながら言った。


「でもっ、」


 憐は勢いよく顔を上げて声を荒げた。

 だが響の顔を見て何も言えなくなった。

 響は状況が分からないんじゃない、何が最善か、メリットとデメリットを分かっているからこそ、優しく諭そうとしているのだ。

 憐が九導らの独立した陰陽道組織に入る。それは仲の悪い元よりある現代陰陽連の傘下である響との決別を意味しているのだから。

 水面下で敵対している二つの組織は、きっと会っているだけでも何かしら疑われるだろう。本来なら同業の仲間同士。何を疑うと言うのかは甚だ疑問ではあるが。


 2人の間に沈黙が流れる。

 憐の頭の中はグルグルしていた。

 これから決別しないといけないという事。

 響と交友があると知りながら九導が自分をスカウトしたという事。

 そして、それらを聞いて響がどう思ったのか。


 対して響は別に憎いだの妬みだのは全く感じていなかった。

 親が居ないかなりの素質をもった子なんて、何にいつ悪用されたり、敵に襲われたりするか分からない。それなら、実力があり組織としての独立も自立もしている九導らの元に行った方が良いだろう、とそう考えていた。


 何より、自分が仕向けたことだから。


「まぁ、今日は休みな。帰ってきて疲れたでしょ。また明日にでも時間作って話せば良いしさ」


 響はそう言って、ちょっと出てくるね。と付け足して部屋を出た。

 響はよく夜に買い物やらコンビニやら散歩に行くので、あまり疑問にも思わず憐はそれを見送ってシャワーを浴びることにした。


 響は暗くなったばかりの繁華街を抜けて、10歳である自分が悪目立ちしないように静かに気配を消しつつ足を進める。

 響が向かったのは、九導らの拠点の近くにある同業者御用達のお店だった。

 カランカランとドアが開くと共に音がして、先客が居る席へと向かう。


「やぁ、久しぶりだね」


 そう言った人物を目に捉えて認識した途端、成約の代償である症状が出始めているのを自覚した。


「お久しぶりです、雅さん。今日は急に呼び出してしまってすみません」


 そう言って響は九導の友人である雅に頭を下げた。


「いやいや、気軽に呼んでくれて構わないよ。それより、座って。話の検討は大体ついてる」


 これから二人で話すことの心当たりなんてタイミング的にもわざわざ会う理由からしても一つしかない。

 そう、憐の事だ。


「ありがとうございました。今回、お願いを引き受けてくれて」


 響の言うお願いとは、憐の事である。

 憐を九導らの元で囲ってくれないかと頼んだのは響だからだ。この事を知るのは雅だけだが。

 憐は親もいなくかなりの素質があるために最高幹部の奴らに目をつけられていた。それをいち早く察知した響は憐を九導らの元にお願いすることにしたのだ。あんな胸糞悪い所に友を招くなど出来ないから。

 響は憐を気に入っていた。

 だって彼は実千流を知らない。響を響として見て話して関係を築いてくれていたから。


「何の為にかは分からないけれど、あんな所に取られるくらいなら喜んでこちらが囲うよ。礼はいらない」


 それは遠回しに、“あんな所”に所属している響への軽蔑を込めた言葉にも取れる様な気がした。


「でもどうしてだい? 友人ぐらいは近くにいた方が良かったんじゃないか?」


 マスターが運んできたコーヒーを飲みながら雅は聞いた。

 単純な疑問だった。このくらいの歳の子は友達が欲しいと思って当然だと、彼は思っているから。

 知らない、無知とはなんて幸せで、なんて羨ましいのだろう。と響は思った。

 雅という人間は少年のようにまるで何も知らない。

 それに対して響は少しだけ微笑んだ。


「いや、あんな所へ一緒に連れては行けないですよ。僕は物心がハッキリする前からだから慣れてるけど、憐は違うから」


 何が慣れているのか、そんなの雅は考えたくもなかった。目の前にいるのはまだ10歳の子供なのだ。それと同時にやっぱり実千流とは違うんだなと、微笑んだ顔を見た時に思った。

 実千流は屈託なく笑う人だった。

 でも彼の笑顔はどこか諦観を滲ませている様に見えるから。

 雅がそう考えていることに響も気づいていた。みんなこの表情と瞳を向けるから。だから少し気まずそうな顔をした。


「そう、か」


 雅の短い返事を聞き届けて響は立ち上がる。これ以上は成約を破りつつある事に体が持ちそうにない。

 明日も明後日もその先も、案件で多忙の身なのだから。


「では、僕はそろそろ失礼しますね」


 そう言って立ち上がって、何も口にしていないのにも関わらず響はテーブルに千円札を置いた。

 その手を雅は掴んで引き止める。


「九導の、事なんだけど、アイツも心の整理が出来ていないんだ。どうか見限らないで、待っててくれないか」


 それは傲慢で強欲としか言いようのない願いだった。

 実千流が死んで10年、それはつまり響が生まれて10年経っているのだ。何もかもが遅すぎるし、何より九導だって無理して関わりはたくはないだろうと、響は思う。

 無理に擦り合わせようとしたものは、擦れて千切れる。縁とはそういう風にできている。


「それは、僕がお父さんとお母さんの息子だからですか?」


————血は水よりも薄い。


 そう言ったのは誰だったか、そんな言葉を思い出していた。

 雅は急な質問に黙りこくってしまっている。


「僕は別に血が繋がってる親子だから仲良くした方が良いとは思いません。血の繋がってない家族でも愛が芽生えることはあります。それこそ夫婦なんて、元は他人でしょう?」


 その言葉には、逆もまた然りという意味も込められていた。

 淡々と言ったのを聞いて雅は掴んでいた手をゆっくり離した。それでもまだ縋る様な気持ちで響を見つめた。その瞳は酷く海の底の様に冷たい色をしていた。

 嗚呼、きっとこの目は自分達への罪状なのだと、でもやはり、罪悪感からは解放されたいと、思ってしまったのだ。

 他でもない、彼の前で。


「———僕に貴方は救えません。」


 そう言い捨てて、今度こそ響はお店から出て行った。忌々しそうな千円札を残して。


「…あれで10歳かぁ」


 雅の呟きは誰にも聞かれなかった。

 達観していて、大人びていて、しっかりしていて、独特な雰囲気を纏う子供。


“救えない”


 そりゃそうだ。

 自分達はあの子に何を求めて何を重ねた?

 そして、自分達はあの子に何かを与えただろうか。生きていく為に必要だった何かをあの子に与えただろうか。

 罪悪感から逃れようと思ってしまった自分の浅はかさを理解してしまった。

 雅は同志だった今は亡き友人に思う。

 どうしたら良いのかね。あの親子の溝は大きくて深くて埋まりそうにもないよ、———実千流。






 気づいていた。

 憐が自分とは違う純粋さを持っている事に。何の縛りもなく、自由奔放な彼とはきっと長くは一緒に居られない事にも気づいていた。

 だって自分は、すごく雁字搦めだから。

 自分がどこに立っているのかも分からないけれど、そんなのに憂ている暇などない事は分かっていて、だからこそ止まらないし、立ち止まるなんて許されないのだ。




 雅と密会をした帰り道だった。

 成約を無視したのも相待ってその日は疲弊していたのだ。

 その日彼は帰り道に攫われた。あろう事にも、憐をダシに使われて。

 目が覚めた時に居たのは分かりやすい尋問部屋だった。敵に情報を吐かせる為の器具が沢山並んでいる。それに、日常的に使っているのか鉄臭い。


「おはよう」


 頭がひどく痛む中、場にそぐわない穏やかやな声に顔を上げた。目の前には、見知らぬ男が立っていた。


「君だろう? 憐君を九導一派の庇護下に入る様に誘導したのは。上は怒ってるよ? これは立派な裏切り行為だからね」


 そんな男の手にはメスが握られていた。

 やっと頭が回る様になってきて手を動かすも、もちろん縛られていて動かないし、どうやら無効化の結界が貼られていて本当にお手上げだった。


「それ相応の罰を受けてもらう。ちょっと実験体になってもらうだけさ」


 そう言って男はメスを響の腕に深く滑らせた。


「〜〜っい゛っ!」


 そこからは地獄だった。

 安倍晴明の血を引く家柄である響の身体は何処をとっても惜しみなく研究に使えるのだ。爪を剥いで、治して、皮を裂いて、中身を弄り、治して、指を切断して、治して、眼球を抉り出し、治して、途中からはもう意識がなかったのが不幸中の幸いとしか言いようがない。

 気絶して、起きてを繰り返して自分の悲鳴や肉の音を聞きながら、なんだ——救われないのは僕か。と思った。

 こんな時助けてくれる誰かや、助けを求められる誰かが居たら、どんなに良いだろう。何に許しを乞うて、何に祈れば良いのだろう。

 その部屋から出られたのは2日後。全ての外傷を治したのだから何事もなかった様に帰った。

 内臓を取られて、血を抜かれたのに気持ち悪い程に綺麗な身体。傷跡だらけなのに、傷一つ残らない身体。何も刻めない身体。自分が人であるという確証が消えた様な気がした。

 でもだからと言って何も変わらない。

 案件は溜まる一方だし、立ち止まることなんて出来ない。長かった様な2日間が嘘の様に日常は正しく、日常だった。

 自分の体の中で正常な動きをしている臓器すら得体の知れないものに思えたりしたのだ。


 どうしようもない現実に泣き喚くほど子供にもなれなければ、そんな時間も、響にはないのだから。






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 話を戻して現在。もとい一年前。


 拷問云々はあえて伝えなかった。

 何をするか想像できるからだ。


「それは、どうして響に頼まれたの?」

「ん? あぁ、年が同じだから。少しは気安く喋れるだろうってことらしいよ」


 何でもないように響は言った。

 シキ達は思う。何故怒らないのかと。避けた癖に、遠ざけた癖に、いいように使われて、何故怒らないのかと。

 それを響は感じ取ったらしく、顔を上げて困ったように笑った。


「僕は別に怒ってないよ。ただ、奏の事もあったから同じ年の子に会うのが少し抵抗があっただけさ。憐は何も悪くないってのは分かってるから」


 申し訳なさそうに響は言った。

 でも、それだけではないはずだ。あまりにも気が乱れているし、とてもじゃないが戦闘が無かった後には見えない。返り血だって気になる。


「あの、返り血は?」


 さっきも怪我について聞いていたミョウが心配するような声色で聞いた。


「あぁ、ごめんね、心配かけたよね。あれは僕の血じゃないから大丈夫」


 響の血じゃない。それでも大丈夫なはずがないのだ。

 普段なら仕事で他人を殺そうが響は何も思わなかったかもしれない。でも、今はダメなのだ。人が死ぬという事を、その人に二度と会えないという事を身を持って理解してしまっている。

 そして、優しい響は、響の人でなしじゃない部分が絶対に考えてしまうのだ。



『自分が殺した人の中にも、その人が生きているだけで嬉しいと思える人が、その人が死ぬと悲しむ人が、居るのでは』と。



 響はきっと大事なもののために何かを捨てられる側の人間だ。まだ13歳の少年がそんな生きる術を身につけては欲しくなかったけれど、でもそうしなきゃ響は生きられなかった。

 普段無口なチョウが近づいて響の手を握りしめ響の足元にしゃがみ込む。


「…そうじゃない。違うよ、響。響が怪我したならもちろん俺たちは悲しいよ。でも、他に何かあって、悲しんでたり、疲れてたりしてても、同じように悲しいし、俺たちは響が心配だよ」


 そう言ったチョウを響は目をまん丸にして見つめる。しばらくして優しく笑った。


「………参ったなぁ…。敵わないや…。…今日ね、3人殺した。別に殺しは慣れてる最初に明確な殺意を持って殺したのはもうずっと前だし。でもなんだか…、今日はなぁ……、憐は何も悪くないってわかってるんだけど、なんで僕が人を殺してまでお父さん達に守られている憐を守らなきゃいけないんだろうって、………奏のことは、誰も、…守ってくれなかった、のに……」


 その言葉は懺悔であり、恨みだった。

 シキ達は響が何かを恨むのを初めてみた。

 でも本人ですら誰を恨んでいいのかわかっていない。

 理不尽な親達か?

 陰陽道の幹部達か?

 奏を助けられなかった自分?

 御加護を受けている憐?

 おそらく全部だ。この時の響は自分を取り巻く環境全てを恨んだ。初めて恨んで、そしてすぐにどうしようもないと踏ん切りをつけた。

 無理に大人への階段を登って、また、諦めた。

 諦めることが大人なのだと、それがここで生きていく術なのだと、十分に分かっていて、それ以外の道が響には無く、恨みを、怒りを抱えて生きていく事を許されないのだから、捨てて、諦めるしかないのだ。

 上手に生きられない。哀れな13歳の子供。


「響」


 凛とした透き通るシキの声。

 呼びながらシキは響の手を握る。


「僕はね、人間じゃないから理解してあげられないし、同調も出来ないよ。でもね、理不尽に奏が死んだのは僕たちだって怒りを感じた。だから、奏の友人の響が怒るのも、恨むのも、当たり前だと思うんだ。それに、友人が死んで悲しみ、涙するのは、人間にとって当たり前のことなんでしょう?」


 人間のことは詳しいシキはそう言いながら響の顔を覗き込んだ。一瞬だけ綻んだ響の顔はまた強張った。そこでシキは質問をした。


「まだ何か、話してないことあるよね?」


 攻めてるように聞こえないように、努めて穏やかに、優しく聞こえるように、響に聞いた。


「……お父さん達の、記憶から、奏を消した。もう、僕たちしか、奏を覚えていない」


 この言葉にダイラ達も目を見開いた。


「響、それは、どういう、」


 ダイラは動揺したように聞いた。

 人を蘇らせる事と記憶を操作する事は禁忌に触れる。大罪に等しい行いなのだ。


「耐えられなかった。みんなが、お父さんの友人達が気の毒だったって誰かに言うのが。だって、それならなんで僕に護衛頼んだんだよって、なんで奏を助けてくれなかったんだよって、どうしても思ってしまう。彼らが助けてくれなかった奏のことを語るのが、どうしても耐えられなかった」


 それは、あまりにも悲しい怒りで、そのぶつけ方を覚える前にこの子供は諦めを覚えてしまったのも悲しい事実だった。


「…ままならない、ね」


 そう言いながらソファーにもたれてため息を吐き、目を閉じた。

 ままならない。これは響の口癖だった。世の中ままならないことで溢れていると。でもこれはその言葉で片付けるには残酷すぎて、九導達に悪意がなく、それを響が理解しているのもまた、残酷だった。

 ただただ、恨ませてすらくれないのか、と。


 人の思い、感情、愛情、憎しみ、信頼、愛憎、人のあらゆる感情から出来る気を元に力を使う。札だったり、刀なんかに力を纏わせたりもする。

 人は普通、生きている限り感情を吐き出す。恨み言、罵詈雑言、愛の言葉、色々な形で吐き出さられるそれらを響は体の中に留める。そしてそれらは響の中で渦を巻きドロドロと濁ったものになる。

 でも響は歪で人でなしだからそれらを飼い慣らせてしまう。それが多分、響の強い理由でもある。

 幸か不幸か、響を独りにしたのも九導達の行いで、響を強くさせたのもそれから生まれた感情だった。

 因果な話だ。






 次の日、響は奏のお墓を作った。

 身寄りもない響が専門業者にお願いして。葬式もお通夜も出来なくて、空っぽの骨壺を抱えて遺影の前に立っている。


「響…」


 そう言いながらシキは響の肩に手を置こうとした。でもそれは響の言葉によって遮られた。


「この前からごめん。先に帰っててほしいな」


 そう言って愛想笑いを浮かべた。ぎこちなさも感じさせない、慣れた愛想笑い。シキは何か言おうと口を開くもダイラがそれに首降った。結局何も言葉は出ずに、ダイラは踵を返したが、シキは維持でも残る様子なので、シキを置いて3人は帰っていった。

 シキはただ黙ってパイプ椅子に座って、いつまでも遺影を見ている響を見つめる。


「…かなで……、大好きだった妹さんには…会えた…?」


 名前を、存在を確かめるように噛み締めるように呼んで、遺影に語りかける。

 もちろんその写真は笑い返してなどくれない。


「ずっと……友達として…、そばにいてくれるって…言ったのに…」


 咎めるようでもなく、ただ淡々とお別れの手順を踏んでいるように見えた。

 まだ13の少年はたった1人で唯一の友にお別れをするのだ。その光景が痛ましく思えて、シキは柄にもなく目を逸らしたくなった。


「奏はさ…僕より弱いから、無茶しちゃダメって、言ったじゃないか…………っ、なんでっ、」




 ___『美味しいご飯を食べてね』

 響に食事の楽しさと美味しさを教えた彼の、メールで送られた最期の言葉だった。




「奏がいなきゃ、美味しいご飯なんてっ、食べられないよ……っ」


 悲痛な叫びと共に響は遺影に手を伸ばした。

 遺影をとって、崩れ落ちるようにしゃがみ込みながら、遺影の中の彼の頬を触る。それに立体感なんかなくて、そこにあるのは、いつの日かの切り取られた薄っぺらな瞬間だけだった。

 崩れ落ちた響を見て業者の人が駆け寄り、声をかける。どうやらもう、お墓に入れるらしい。

 すぐ横のお寺にお墓を作り、そこの中に骨壺を入れた。

 響はぼーっとお墓を眺めながらシキに喋りかけた。


「…軽かった……」

「え…?」


 要領を得ない言葉にシキは困惑の言葉を発する。


「骨壺…、軽かったんだ。そりゃ、そうだよね…何も入ってないんだから」


 響が大事に抱えた骨壺には骨なんて入っていない。だって奏の遺体は残らなかった。全て丸呑みされて、骨すら残らなかったのだから。

 このお墓には、誰も眠っていない。


「…伽藍堂だ。神も仏も、不在の」


 響の感情のない言葉はまだ続く。

 シキはただ耳を傾けるだけだった。


「お墓ってね、生きている人のためにあるんだって。火葬して、骨だけになったなんて、思いたくないから、そこに眠っているって、思い込むために」


 いつか響を納得させた言葉は、骨も何も残らなかった友の死に様によって嫌味に変わる。

 それにシキはやっと口を開く。


「人間はバカだね。死んだらもうどこにもいないよ」

「…あはは、……本当に、全くその通りだよ」


 そう言った響の手をシキは握った。

 強く、離れないように。お互いがお互いで支え合って、立っていられるように。

 響も一瞬躊躇って、強く握り返した。

 そして2人は手を繋ぎながら、その場を後にする。

 途中、遠目からお墓を振り返ると、響の父である九導と、その友人、雅と豹夏と干灯が手を合わせにきていた。誰から聞いたのだろうと響は思いながらも、嘲笑うような声が溢れた。


「はははっ…、あのお墓には何も眠ってないのに、何に手を合わせて何に祈ってんだろうね」


 骨壷を大事に抱えていた時との歪さにシキは目を見開く。他から見たら響は壊れたように見えるのかもしれない。でも、これが響だ。そもそも最初から普通なんかじゃないのだから。


「お父さん達、もうほとんど覚えてすらない、ただの同業者だった子供の墓に手を合わせてるんだよ」


 だって、奏の記憶は響の術で消えかかっているのだから。まるで滑稽だとでも言うように、響はそう言った。

 死者となった亡き友を冒涜することも、奏の死を軽んじることも、響には許せなかったから。

 2人はまた歩き出した。

 響の顔はもう憂いを帯びていなかった。


 シキは響を見つめる。

 茨の道しかない悲しい哀れな行進。彼が世界に求められているのは逆光を跳ね返す力なんかじゃなく、理不尽を享受し、それに染まり、沈んで堕ちていく末路。きっとその嫌われ者の玉座に座った時、彼は世界の神となるのだろう。孤高の神に。

 彼が世界に求めるのは、平穏だというのに、こんなに報われない話があるだろうか。

 この世界の人間の言う存在しないカミサマとやらに彼は相当嫌われているらしい。

 響はきっと明日には友の死すらなかったことにするのだろう。

 それでもどこかで、その事実を重く背負っていくのだろう。

 シキはそれでも良いと思う。

 どんなに歪で人でなしでも愛すのだから。

 彼が茨の道で地獄を歩くのなら、もちろんそこには自分がいて、ダイラがいて、ミョウとチョウがいる。決して1人で歩かせたりなんてしない。抱えてでも、裸足でも、走り抜けてやるさ。




 家に着くと、ミョウとチョウは寝ていて、ダイラだけがリビングにいた。響は家に着いて早々にお風呂にむかった。

 シキがキッチンのカウンターのところに座って、ダイラは椅子から立ち上がった。


「お主は本当に響が大好きだからのう。今日のは結構応えたじゃろう。何か飲むか?」


 そう言いながらキッチンに立つダイラにシキはやっぱりバレてたからかと思う。


「うん。じゃあ、コーヒーでも飲もうかな」

「はは、こりゃまた珍しい」


 そう言って豆を取ってポットでお湯をゆっくり注ぐ。


「響はまだ揺れてるんじゃな」


 ダイラは純粋にまだ人間らしい部分が残ってて良かったとも思った。

 シキはダイラの言葉に頷くだけの返事を返した。


「人間、自分を許せない時が一番苦しむからのう」

「え? 響は自分が許せないの?」

「そうじゃよ。結局一番怒る時ってのは、“それを許容出来てしまう自分”か、“それを許容出来ない自分”この二つのどちらかなんじゃ」

「…流石、ダイラ。人間のことをよく分かってる」


 そう言えば、湯を注ぎ終えたダイラがポットを置き鋭くシキを睨む。


「それは、嫌味か?」


 冷たい声がそういうが、シキは弱々しく笑って首を振った。


「いいや、戒め、だよ」


 たった一人の少年を愛すと決め、その他大勢を切り落とすと決めたのだから。

 シキ達が帰ってきた時から付いていたテレビからふいに音楽が流れる。その音楽にシキは目を見開いてテレビを見た。


「…懐かしいのう」


 ダイラがそう呟く。

 そのテレビは昔の日本を舞台にしたドラマだった。薄汚れた着物に身を包んだ子供達が原っぱを駆け回る。その画面を目を細めて見ながらシキは“昔のこと”を思い出していた。






_____________________






●●●年前 式守兎神、大羅魏韻、明、懲


 シキがまだ式守兎神と呼ばれ、人々を守り、人々と共に共存していた頃。

 その頃の人は善性に溢れ、知恵を振り絞り助け合い、支え合って美しく誇り高く生きていた。その頃を“黄金時代”と呼ぶ。

 シキ達は人々を愛していた。




「式守兎神様、これあげるね」


 1人の幼い娘は綺麗な水色のお花を式守兎神に差し出した。その後ろには数人の子供達がいる。その様子を大羅魏韻は微笑ましく見ており、明と懲は別の子供達と遊んでいた。


「本当にもらっていいの?」


 小さな想いを受け取りながら式守兎神はそう聞いた。その様子に嬉しそうに女の子は破顔させた。


「うん! 私たちを守ってくれていつもありがとう」


 女の子がそう言えば他の子達もお礼を伝え、畑を耕していた大人たちもその様子を見て声を上げた。


「式守兎神様達にはいつも感謝してますよ! 本当に村のためにありがとう」

「大羅魏韻様の知恵には村の皆が助かっております。お陰様で流行病もなく皆健康でいられます。本当に心から感謝していますよ」

「明ちゃんと懲くんにはいつも助けてもらってるかねぇ、本当にありがとね」


村の皆が次々に感謝を口にする。この頃の人は感謝の気持ちを惜しまない。皆慈愛を持ち合わせていて、だからこそ少し貧しかろうが、心が澄み渡り、豊かに暮らせている。

村同士も助け合い、本当に平和で暖かい日常が長く続いていた。陰陽師全盛期の戦いの面影が残る土地もあるが、それでも皆懸命に生きていた。


「いやいや、僕達もみんなと一緒に暮らせて本当に楽しくて幸せだよ。こちらこそいつもありがとう」


 式守兎神がそう言えば、大羅魏韻も感謝を述べる。遠くで遊んでいる明達の声を聞きながら綺麗な空気を吸い込む。

 何時迄も、いつまでも、この平和と幸せが続きますようにと、式守兎神達は切に願う。






 それから3日後だった。村同士での戦が起こったのは。




 事の発端は、式守兎神達がいる村の隣の村の人に子供が1人殺されたのだ。

 それが始まりだった。

 子供はその村人の畑に足を踏み外し、転がり落ちてしまったらしく、それがたまたま貴重な作物で収穫間際のものだった。それが半分以上ダメになり、怒って持っていた鍬を振り上げてしまったらしく、当てるつもりはなかったが当たってしまい、子供は頭から血を流し死んだ。

 それに村の人たちは怒りを覚えた。まだ五つの子供の少しの失態にそこまでするか、と。子供の親は二日間泣き続け、目の色を憎悪に染め上げて武器を取った。

 最初は少数人数だったはずなのに、戦に行った者が死んだり重傷を負えば、それに怒り、敵討ちだと戦いに行く人の数は増えていった。巻き添いを食らった別の村の者がいればその村の者達も一緒になって助け合ってきたはずの人を殺すために武器を取った。


 30、50、100、死者はどんどん増えていった。

 争いも大きくなり、気づけば戦が起きてから半年が経っていた。とうとう西洋の武器を真似したものまで出てきて、それはもう戦争に近かった。

 そしてかつて村民だった者たちが指揮をとる軍は敗北を目前に式守兎神達に助けを求めた。


「式守兎神様、大羅魏韻様、お願いします。このままだと我が軍勢が敗北してしまいます。それでは死んでいった者達の無念が晴れません。どうか、術を貸しては下さらないでしょうか」


 術。それは怪我をした瀕死の者たちを術で治してまた戦場に行けるようにしてほしい、と、そう言っていたのだ。

 人を傷つける術を貸せと言われているわけではないのなら、と、式守兎神達は言われるままに傷を治した。


「ありがとうございます」


 その者たちは頭を下げた。

 まるでそれが地獄の始まりだとは知らずに。




 そして1年後、まだ終わらぬ戦に人々はまた式守兎神達に助けを求めた。


「どうかお願いです。敵軍勢を半分で構いませんから、減らしてはくれないでしょうか」


 それは暗に敵軍勢の人々を殺せと言っていた。かつて助け合い、支えあった者達を。

 式守兎神はあの女の子を思い出していた。自分にお花をくれた心優しい少女。殺されてしまったが、あの子はこんな事望んだだろうか。少女の両親も今や帰らぬ人だ。


「…どうしてこの戦が始まったか、覚えているか?」


 頭を下げたままの人間に式守兎神は問いた。

 その問いに人間は口を開く。


「勝つためです。勝って、死んでいった仲間の無念を晴らすためです」


 その言葉に式守兎神は絶望した。

 もう彼らは少女の事など覚えてはいなくて、ただただ死なせてしまった者達の敵討ちで今もなお戦を続けているのだ。

 もう時が経ってしまえば向こうも同じだと言うのに。どちらも沢山の犠牲を出し、家族を失った者達がいて、大切な何かを失った者達がいる。お互いに同じなのに、どうしてこの戦は終わらないのだろう。

 式守兎神達は何度も止めたのだ。

 争いなど新たな憎しみしか生まぬと。

 でも彼らは誇り高き戦士であるかのように戦場に赴いた。待っているのは仲間達の死体の山と永遠に終わらぬ恨みの連鎖だと言うのに。


「………もう…やめよう…。こんなの、意味がない」


 式守兎神の言葉に人間は目の色を変えた。その瞳に滲むのは軽蔑と憎しみ。


「どうしてですか? 式守兎神様は村の者達が死んでいって胸が苦しくはないのですか?」


 村と言うには大きくなりすぎたその軍勢に、争いと言うには犠牲がですぎてしまった戦。

 苦い、苦しいさ。愛していた人間達が見る影もなく変わり果て、毎日毎晩戦場に赴き、お互いで殺し合っているのを見るなんて。


「苦しいからこそ、もう終わりにしよう」

「いいえ。式守兎神様のそれは逃げです。諦めぬ者にだけ勝利は訪れるのです」


 式守兎神は最後の決断を前に、天秤を思い浮かべる。

 人の善の心と悪の心が計れる天秤がもしここにあったなら、その天秤は今、どちらに傾くのだろうか。



 「勝利のその先に何があるの」


 「名誉です」


 「それは何の役に立つの」


 「他の村々が我が村の為に貢献してくれます」


 「みんなで昔みたいにはやっていけないの」


 「死者が出過ぎています」



 そこまで話して、式守兎神の中の天秤は答えを出した。

 式守兎神は酷く悲しそうな顔をして、その表情に不思議に思う暇もなく、次の瞬間にはあたりは更地になっていた。

 その次に敵軍勢の拠点に向かい、人々が式守兎神に気づく前に更地にした。

 最後に戦場へ。今も戦っている者たちは急な来客に驚き、味方になってくれるのかと期待の目を向ける。それが最後、地面と肉が潰れるような音が一瞬だけ鳴り、前二つと同じように更地になった。

 膨大な力を三度も感じ取り焦ってかつて戦場があった場所に駆けつけた大羅魏韻が目にしたものは、更地の上に佇み顔や服、体中に真っ赤な返り血を浴びて、静かに涙を流し続ける式守兎神の姿だった。


「式守兎神…」


 何があったか、そんなのは聞かなくても一目瞭然だった。

 そしてずっと見続けていた大羅魏韻はその気持ちを察して納得もした。

 式守兎神は小さく口を開き呟く。


「……人間は…、皆平等に愚かだ……」


 どうして現状に満足できない。どうして平和で平穏を望まない。

 そして、何より、どうしてお互い同じだと、気づけないのだ。

 誰だって大切な者が殺されれば悲しい。でもだからって同じことをしてしまえばもう最悪の連鎖が始まってしまい抜け出せない。

 最後に残るのは、いや、最後には何も残らない。


「あぁ、そうじゃな」


 真っ黒な空を見つめて大羅魏韻はそう言った。

 明と懲は変わり果てた人間の姿に耐えきれず、早々に遠くの地に行ってしまった。

 残された2人は更地を見て思う。

 人間はどうせまた同じ事を繰り返すのだ。最初は何か些細な事がきっかけかもしれない。でもそれが大きな火種となり、大きな争い、戦争になるのだ。

 本当に全く馬鹿馬鹿しくてくだらない。

 人間なんて、嫌いだ。ならば、この涙は何なのだろうと、式守兎神は思う。


「…帰ろう、大羅魏韻。明達も連れて」

「そうだな」


 僕達の元いるべきだった場所へ帰ろう。

 そう思った瞬間、式守兎神達は感じた。大きな力を持った子が産まれ落ちた時代、平和な世界が訪れる、と。御告げだ。

 2人は目を見開き、次の瞬間、明と懲も目の前にいた。


「…ねぇ、これって、」


明がそう言って式守兎神達を見た。


「…とうとう生まれるんだね」


懲はそう呟いた。


「完璧な神子」


 確信したように式守兎神は言った。

 大羅魏韻もそれに頷き、四人の心には希望が差した。その神子が生まれ落ちた時代に平和が訪れると、そしてきっと自分達はその子を守る為に存在しているのだと、確信が持てたから。


「神子が生まれるその瞬間まで、力を蓄えて待っていよう」


 式守兎神がそう言えば三人は頷いた。


 そしてその●●●年後、安倍晴明の子孫の家系、安瞑倍浄家に響が生まれた。

 人間達はどんどん腐っていき、殺戮を繰り返した。もうその頃には式守兎神、名を改めて、シキ達は人間が心の底から嫌いだった。

 でも響だけは違った。その響の慈愛と慈悲はあの頃の心が澄み渡り豊かだった人たちと同じで、でも響の心は豊かではなかった。周りの人間が響から何もかもを奪ってしまうから。

 だからシキ達はますます響以外の人間が嫌いになる。心の底から軽蔑し、もうどうしたって分かりあうことは出来ないのだと再確認した。

 響に理不尽ばかりを強いて、腐り切ったこの世界に優しさなんて要らない。響が神になるのなら、神の裁きが必要だ。

 右も左も上も下も分からない暗闇の混沌の時代が。

 全てを再構築リセットするのだ。






_____________________






 シキとダイラは昔のことを思い出していた。


「人間は変わらないね」


 シキは人間に絶望し全てを終わらせ何もない更地で涙を流したあの日を思い出す。


「そうじゃな。人間は愚かじゃ」


 あの時からのダイラの口癖。でも最初に言ったのはシキだった。いつなれば武器を取らなくていい時代が来るのかと思っていたが、もうそんな時代を待ったりはしない。

 今世界の人間達には次世界のために礎になってもらうのだから。

 思い出に耽っている間に結構時間が経っていたのか、響が出てきた。


「響も飲む?」


 コーヒーを指差してシキはタオルを肩にかけたままの響に聞いた。


「うん。お願い」


 そう言って響はカウンターに座り、シキは立ち上がってコーヒーを淹れ始めた。

 シキが淹れたコーヒーを飲む響の瞳はもう悲しみも何もなかった。シキ達ですらある思い出に浸る暇が、響にはないから。今だって緊急の収集が入るかもしれないし、明日からはまた通常以上の案件が詰め込まれている。

 響はまた消耗品のように消費されながら、搾取されながら生きていくのだ。

 それを見るのは耐えられない。でももう少しの辛抱だ。

 もう少し、何かきっかけがあって、響がこの世界を捨ててもいいと思える何かがあるまでの。






_____________________






現在。


 九導らに追体験をさせながら、シキも響の記憶を見ながら、自分の過去も眺めながら、思い出していた。

 シキ達の過去は省いて、響のことのみを追体験させた九導達は疲れ切っていた。

 時間にして10分もあったかないか、ぐらいではあるが。体感的にはおそらく10時間ぐらいである。精神的に疲れてしまっても仕方ない。シキはそんなのを気にするわけもないが。


「どうだった? 響のドキュメンタリー。面白かった?」


 わざとふざけたようにシキはニコニコしながら聞いた。

 もし本当に響のドキュメンタリーが存在するなら九導らは最悪の悪役でしかない。世間からバッシングを受け、きっと身も心も疲弊していくだろう。その様子を思い浮かべるとシキは少しだけ響が救われたように思った。だって響は真の意味で身も心もズタボロだったのだから。

 精神的な疲労とあまりのショッキングな出来事の数々にもう頭も心も追いつかず、九導達は顔面蒼白で絶句していた。

 そこにシキはさらに追い詰める。


「お前達が遠ざけて、迫害して弾いた少年に守られていた生活はどうだった?」


 シキは未だに笑顔を崩さない。

 その様子に脳の処理が追いついていない4人は段々と息が上がってくる。


「自分達がしてきた行いを見てどうだった?」


 シキは笑顔を濃ゆくさせる。


「響から全てを奪っていた気分は?」


 4人は目を見開き、雅と干灯は酷く痛む頭を抱えながらも痛みに細めた目でシキを見る。


「お前達は本当にどうしようもない最低最悪のクズ共だね」


 そう言ってより一層笑ったシキは息が上がっている九導の目の前まで一瞬で辿り着く。その顔はもう笑顔なんかではなく、凍りそうな程に冷たい無の表情。


「…お前も同じ気持ち、味わってみる?」


 その声はゾッとして思わず気が漏れてしまうほどに低く明確な殺意を持った声色だった。

 その様子にシキはおどけたように笑った。


「うそうそ。冗談だよ、今はね。今やっちゃってもつまんないからね」


 やるならもっと絶望を色濃く滲ませる瞬間に、やり方で、そうじゃなきゃ意味がない。


「喋れもしないんじゃもう意味ないから帰りな」


 シキがそう言った瞬間謎の力で4人は敷地の敷地の外に出ていた。そこでやっと4人は息が吸えたような気がした。


「…俺たちが、やっていた事って、」


 雅のその呟きに3人は息を飲んだ。

 誰もが認めたくなかった。でも見せられた。何もかもが辻褄が合ってしまうあれを偽物とは言えない。14の子供、当時はもっとさらに幼い子供に重すぎるものを沢山背負わせてしまった。そしてその子から色々なものを奪い続け、守られ続け、果てには幹部に簡単に騙され、響を殺そうとした。


「愚の骨頂。……救いようがないね」


 干灯は自嘲気味にそうこぼした。

 その言葉を3人も重く受け止めた。それでも、響は殺さなければならないかもしれないのだ。危ない芽は摘まなければ。だが、勝てるのだろうか。あの式神達に。


「殺す以外の方法は、何か、ないのか」


 豹夏が珍しく弱気な声でぼやく。


「あるにはある。響くんとちゃんと向き合い、許してもらえなくても今までのことを謝罪し、話し合う事」


 それは絶望的な確率しかない手段だ。


「まぁ向こうが聞いてくれたらの話だけど…」


 雅はそう締めくくって、やっぱり重いままの空気をどうすることも出来なかった。

 自分達の罪があまりに深く重すぎるから。


「謝る? やめてよ。響は優しいから許してしまう。まだ分からないの? 謝って赦しを乞う資格も、お前らにはないんだよ」



 ___それだけの過ちを犯して、罪を重ね続けたのだから。それ相応の罰があるのは、当たり前だろう。



 シキは冷たく言い放った。

 ずっと黙ったままの九導の気持ちを皆察して何も言えず、どうやって拠点に帰ってきたかも覚えてないまま、その日は解散した。


 きっとその日は4人揃って悪夢を見たことだろう。






 九導らを部屋から出して、シキは響の頬に優しく触れる。


「早く起きて、響」


 早く起きて話したいと思う反面、このまま眠っていれば前のように死ぬかもしれないという心配はしなくていいな、と思ってしまうのだからしょうがない。

 でもきっと響はもうすぐ目を覚ます。

 そして世界を造るのだ。

 そして自分達は一生永遠に響のそばに居続ける。

 なんて幸福なことだろう、とシキは僅かにうっとりした。


「シキ、アイツらはもう帰ったの?」


 声がして顔を上げればミョウとチョウが立っていて、ミョウがあたりを見回していた。


「うん、帰ったよ」

「そっか、残念」


 ミョウの少し肩を落とした姿を見てシキは少しだけ笑った。


「ミョウがいたらあいつら死んでたかもね〜」

「かもねっていうか殺してたよ」


 ミョウの発言にチョウも同意見だというように頷いた。

 シキは困ったように笑う。


「ダメだよ。今じゃない。もっといいタイミングがあるよきっと」


 生半可な苦しみなんて与えない。与えるなら最上級を。ミョウとチョウにはシキが楽しそうに見えた。その様子にいつの間にかいたダイラは呆れ笑いだ。


「相変わらず性格悪いのう」


 ダイラが悪態をつくも、シキは笑う。

 とりあえず部屋を移し、結界も厳重の部屋で響を寝かせる。

 目を覚ませば、響はやっと自由を手に入れられる。シキはそう信じている。その隣に自分達がいることも。






 不幸な神子が目覚めた時、吉と出るか、凶と出るか。






 その日、九導らがシキ達の元を訪れた2ヶ月後のこと。1人の少年が長い眠りから目を覚ました。


 少年が目覚めてから話した内容に四人の式神達は絶句し、その瞳を見て得体の知れない違和感を覚えるも、誰もその正体に気づけなかった。


 気づいた時には手遅れ、なんて物語の定番だけれど、僅かにまだ手が届くか、失敗して全てを失うか、極端な選択を迫られた時、人は僅かな希望に賭けて藁にも縋る思いで手を伸ばすのだ。




だが賢者は愚者に言う_____、




_____溺れそうな時に藁など掴むから溺死するのだと。

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