第六章 善と悪

注意書き


・この作品はBL作品になります。


・今のところBL要素は少ないです。


・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。


・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。


・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。


・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。


・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





___________________________________________


















 那珂の運転で連れてこられたのは1つの建物。

 九導らの独立組織が所有しているうちの1つだった。

 響はこの後に自分に待ち構えている状況を何となく悟り、何の関係もなく多分何も聞かされていないだろうな、と思いながら那珂を見る。


「那珂さんは先に帰っててもらえる? この後緊急の集会があるんだ」


 本当は集会がなんてないが、最高幹部達が集まる集会は集められる当人達以外に開催場所を知らされることはなく、毎回場所もランダムで秘密性の高いものだと言うことをこの業界に身を置く者なら承知の沙汰なので、うまくそこを利用する。


 那珂は突然の申し出に少々不審に思うも、こればっかりは自分が口出せる事じゃないので、大人しく従うことにする。


「分かった。無事を祈ってる」


 これから戦場に行く人に言うようにそう言って那珂は車に乗り去って行った。

 響はそれを見送りながら考える。


 おそらくこれは結構緊急事態である。

 自分の案件に何かミスがあったか、もしくは九導達と一悶着あったから、どちらにしても上の人達の相当な怒りを買ったらしい。

 この建物の先に九導らがいる。

 あと、上の人達も。普段は一触即発の様な仲の悪さなのに、こう言う時ばかり仲が良いのはいかがなものかと響は溜め息を吐く。

 五体満足で帰れるかな。回復の札結構持ってて良かったな。と思いながら重い足取りを進めた。






「待ったぞ」


 扉を開けて先に聞こえてきたのは九導の低い声だった。これはご立腹だ。

 九導を真ん中に、横に雅と干灯、少し離れて壁にもたれる様に豹夏ひょうが。そして何より違和感なのがその後ろの“上”の方々。

 響は自分の予想が的中してしまったことに内心ため息を吐く。


「何用ですか?」


 那珂さんを使ってまで、とは言わなかった。今はあまり挑発しない方がいいだろうと判断したからだ。


「お前がスパイであるという証拠が出た」


 冷酷に九導は告げる。

 雅と干灯は気まずそうな顔をしていた。その後ろで密かに微笑んでいるように見える上の権力者たち。


 響はすぐに理解する。


 嵌められた、と。


「どうしてなんだ。どうしてお前はこうも…」


 九導の声が遠くに聞こえる。

 響を責める九導の声。気まずそうな顔をしながらも響を疑っている目で見ている雅と干灯。分かりやすく敵意を向けてくる豹夏。ほくそ笑んでいる上の連中。


 永遠に感じられる苦痛な時間で、響の頭に浮かんだ救いはシキ達だった。

 シキ達と目の前にいる人間、どちらが汚いだろう?

 この状況を作り出した元凶は誰?自分だ。だって、自分の力不足だから。


 だが、


 頭の中のシキが言う。『本当に?』と。


『響はたくさん頑張ったじゃん。身を削ってまでソイツらを守ったし、どんな理不尽にでも耐えた』


 頭の中のシキの姿が鮮明になればなるほど目の前の九導達が歪んで見えてくる。


『響のどこが悪かったの? お母さんに似なかったところ? お母さんを死なせてしまった事? お父さんと上手くいかなかった事? 奏が死んじゃった事? 違うよね。それって本当に響のせいだった? 本当の元凶がいるよね?』


 耳元で聞いているかのようにクリアにその声は聞こえた。

 目の前の九導らが、上の連中が、響には同じ生き物に見えなくなっていた。




 その瞬間、響の中で何かが音を立てて崩れた。




「信じたの、ソイツらの言う事」


 いつもは仲が悪いのに、自分という存在に立ち向かう時は協力するんだね。

 まるであちら側がヒーローで、こちら側が敵みたいに。



 ———ねぇ、お父さん、僕って本当に悪なの———?



「はっ、今更何を言ってる? 証拠だって上がってるんだぞ」


 怒りを含めて、それでいて嘲笑う様にそう言った自分の父だった生き物を響は見つめながら、自分の中で何かが冷めていった。


 守りたいと思った者、守りたかった人。

 守って何になるんだ。

 もう、本当に生きていて欲しかった人を失っているのに。

 それは奏であったかもしれないし、母親であったかもしれない。

 母親さえ生きていれば、こうはならなかったのかもしれない。

 考えた事がなかったわけではない。

 考えないようにしていた。


 全ては、一人で立っていられる為に。


 でも、もし、母親が生きていて、上手くいったとしても、もう今の自分じゃ喜べない。

 だってそんなの、結局今と何も変わらず、自分を見てもらえてないという事で。


「九導さん達にとって、僕ってそんなに悪者?」


 その言葉に雅と干灯は息を呑んだ。

 九導さん、と呼ぶのに、いつもの様な敬語では無く、その声には間違いなく、子が親に縋る様な声色がほんの少し、ほんの少しだけれど含まれていたから。

 2人も響を疑っている。

 でももし仮に本当に敵のスパイだったとして、自分達に全く非がないと言い切れないから。

 蔑ろにしていた自分達にも必ず罪があると思うから。


「あぁ___、」


 九導の肯定の言葉に、雅と干灯は口を開こうとする。頼むから、その先は言わないでくれ、と。


「___そうだな」


 2人の願いも虚しく九導は言い捨てた。

 2人は響の顔を見る。その目には、諦観、失望、そしてほんの少しの悲哀。

 その瞳の色に2人は言葉を失った。


「僕をどうしたいんですか?」

「違反者は正しく罰する。二度とこの敷地には足を踏み入れない事。お前の匿っている“ナニカ”は見つけ次第除霊対象とする。お前にもそれ相応の罰が与えられる」


 その言葉に響は考える。

 自分が何をしたんだろう?


 守りたい者達が居て、でもその人達は自分が好きではなくて、その人達の愛した母さんを死なせた自分を、好きではなくて、それでも、少しでも母さんに近づけたらと思って、その人たちを守って、命すら懸けて、守って、シキ達が奪われそうで、今日も、昨日も、一昨日も、その前も、ずっと、ずっとずっと、働いて、働いて、殺して、働いて、殺して———、





———なんのために、何がしたかったんだっけ。



「死罪ですか?」

「は、?」


 響の質問に九導が狼狽えた。

 雅と干灯と豹夏も目を見開いて響を見ている。

 でも響の顔には戸惑いも、悲しみも、怒りも、もう何も写していない。


「僕は死罪になりますか? 裏切ってたくさん人を殺しました。“ナニカ”だって匿っている。そういう事になってるんでしょう? これって死罪に値しますよね」


 淡々と事実を述べるその顔は14歳の子供には見えなくて、皆、息を呑んだ。

 いつからこの子はこんなに歪んでしまったのかと、誰かが思った。


「いや、そんな急には決められん」


 九導は狼狽えながらも声を振り絞った。


「急なんですか? 僕が全国を駆け巡っていたここ最近でずっと話し合われてたんじゃないですか?」


 図星を指されてやはり狼狽えた。

 後ろの上の連中達だけが響への偽りの裁きの鉄槌を、今か今かと待ち望んでいた。

 彼らにとっては響は駒だ。

 確かに才能もあり従順で、無くすには惜しい駒だが、つまらん今を楽しませるための余興に死のうが生きようが、苦しもうが、彼らにはどうでもいい。

 興味があるのは、安瞑倍浄九導が息子に情けをかけるのか、息子が死んだ後に何か感じるのか、そう言った興味しか持っていないのだ。


「は、? 全国? 何のことだ」


 九導は本当に知らなかったように口にした。

 次に口を開いたのは先程までほくそ笑んでいた連中の一人だ。まるで、何を今更白々しいとでも言いたいような表情を作り、口を開く。


「えぇ。アイツはスパイとしての疑いが浮上した時点で、この話の場を設けるのに当たって調査を開始しました。そして見つかったのが隠していた“ナニカ”と、奏様の死と、憐様をご自分から遠ざけた事実です。それに元々九導様達とも距離をとっていたのでしょう? まるで隠したい事があるように」


 白々しいのはどっちだ、なんてツッコんでくれる誰かは不在で、普段は様も敬語も使わず、九導一派を忌々しく思っているのが常であるのに彼らは飄々としていた。


「本当に見損なった」


 しばしの沈黙の後九導は溜息混じりに言い捨てた。

 “見損なった”。

 響は納得した。嗚呼、そうか、自分が父さん達に抱いた感情もこれだったのか、と。

 それは正しくは、失望。


「ねぇ、お父さん。お父さん達は僕達をどうしたい? 僕を、どうしたい?」


 響は先程と同じ問いを先程と違う形で聞いた。

 九導をお父さんと呼び、僕ではなく僕達と言った。


「先程も言ったが、お前の匿っている“ナニカ”は除霊対象、除霊される。そしてお前には制約を設ける」

「はっ!? ちょっと! 九導それはやりすぎ」

「俺もそう思う。それはやりすぎだ」


 九導の言葉に声を上げたのは干灯と雅だった。陰陽師同士での制約とは強制力が強く、抗えないものだ。

 本人の尊厳を脅かしかねないため、異例の事態を除いての使用は御法度とされている。


「今は異例の事態だ」


 九導の言葉に尚も2人は首を縦には振らない。


「いいや、違う、アンタは今感情に流されているだけ。感情任せに言っているようにしか私には聞こえない」

「今回ばっかりは干灯に同意だ」


 干灯の厳しい言葉に同意を示したのは意外にも豹夏だった。

 いつも脳筋の豹夏が言うくらいだから、九導はそれほどまでに余裕がない。

 その様子をジッと見ていた響は話の食い違いに気づく。


「まってください、なにか勘違いしてませんか?」

 響の言葉に一同の視線が響に集まる。

「勘違いとは?」

 九導は冷静を装いながらも問う。

「九導さん達はシキ達に酷いことするんだよね? 討伐しちゃうんでしょ?」


 九導達は目眩を起こしそうだった。“ナニカ”を彼は親しそうに名前で呼んだのだ。


「あぁ。そうだな」

「じゃあ、僕は九導さん達と戦わなくちゃいけなくなるよ」


 九導の言葉にさぞ当たり前のように響は言った。

 空気は殺伐とした中、雅と干灯と豹夏は絶句していた。

 だって彼は、人間である自分達より、本来仲間である自分達より、敵である、人間ですらない“ナニカ”を取ったのだから。


「なッ!? 何を言ってるんだお前は! お前、そんな事になったら追放だけでは済まない! それこそ本当に死罪だ!」


 九導は前のめりになってズカズカと響の近くに寄りながら怒鳴った。

 途中でそこ動きが物理的に阻まれる。結界だ。響の周りには結界が貼られている。


「…何の真似だ」


 落ち着きを取り戻した九導は響を睨みながら静かに聞いた。


「何か攻撃でもされたら、僕はやり返せないから…」

「は」


 その言葉に心底意味がわからないと言う顔をしながら眉を顰める。


 響は九導達に攻撃は出来ない。

 意味がないから。守りたい者達で、守ってきた者達だ。傲慢な考えではあるが、響の強さはある意味では響を助け、それ故に孤独の王座を実現してしまった。

 仲間同士で争ったって何も生まれない。

 どちらかが折れるのが最善だと、響は考える。

 でも自分が折れるわけにはいかない。シキ達が大事で大切だから。

 ならばその最善すらも、捨ててしまおう。

 その考えに及ぶ感情の名前を、響は知らない。

 常に最善を取ってきた響は今自分がしようとしている事が、本来なら愚行だと笑う行動である事を、知らない。


 九導は思う、何処で何を間違ったのか。

 そんな人としてありふれた悩みがこんな重く自分にのしかかろうとは思ってもいなかった、と。



「どうしてシキ達が悪で、九導さん達が正義なの?」



 目の前の俺の子供は、まだ、子供なんだ。

 善悪がわからない子供。そんな風に俺には見えていた。


「そんなの、“ナニカ”は人間に害を与える。人を傷つける。俺たちか正義かは分からない。ただ、人を脅かし、傷つける、“ナニカ”は悪だ」


 そう言うと俺の息子、響は悲しそうな顔をした。

 その顔はどこか、亡き妻に似ていて思わず目を細める。

 その変化に、長年置かれてきた環境も相まって響は見逃さない。

 しばらくの沈黙の後、考え直せと言おうと思い開けた口を響の言葉によって音になることはなかった。


「九導さん達は、本当にお母さんが大事で、大切で、愛してるんだね」


 諦めと失望を宿した瞳で、実千流と同じ慈愛溢れた表情をする。歪な響に理解が追いつかず、身体の芯が冷えていく心地がした。

 隣を見て仲間達を視界に入れると、彼らも感じ取ったのか、臨戦大勢に入る。

 こちらから仕掛けないのは、ただ、彼とは、響とは、戦いたくない。

 どんなに拗れて、どんなに腐ったって、親子だ。

 みんなに愛された妻の、愛おしいはずの、守りたいはずの、忘れ形見なんだ。


「あぁ。そうだ。みんなお前のお母さんが好きだった。そして、お母さんが遺したお前のこともみんな大事にしたいと思っていたんだ」


 今ならまだ、まだ引き返せる。そう願って。

 でも俺の願いはアッサリと切り捨てられる。

 つい数瞬間前の己の失言によって。




「お母さんが遺したから大事にしたいの?」




 そう言われて、ハッとした。

 響はまだ、子供なんだ。そんなの、分かってたくせに、今目の前で泣き出す寸前の子供のような顔をしている響を、この表情をきっとこの中の誰も見たことがない。

 狼狽えた俺の表情を見て、何を汲み取ったのか響は慌てたように話を続ける。


「いや、責めてるわけじゃないんだよ。お父さん達は母さんが大事、それはそれで良いんだ」


 その言葉に何故か焦燥に駆られる。

 俺は、何か、見落としてないか?

 何か、取り返しのつかない過ちを犯そうとしているんじゃないのか?


「ちがっ、ちがう、そうじゃッ」


 止めなければと思った。続く言葉を止めなければと。

 人生で初めてだった、こんなに焦りを感じたのは。だから、言わせたらいけないと、息子と自分達の間の溝がもう埋まることはないことにも気づかずに。

 もう手遅れなのだとも、知らずに。

 でも、響の言葉によって遮られた。


「今は僕が話してるよ。お父さん」


 凛と澄み渡るような、透き通る声。

 でも確かに強さを含んだ声で、響に一瞥された。

 その迫力に先ほどまで高圧的だった自分含むこちら側の人間、誰もが息を飲んだ。


「いいんだよ。お母さんが大事なのは悪いことじゃない。人が人を大事に思い、愛する。尊い行いだ。何も悪くない。でもさ、僕はシキ達が大事で大切で愛おしい。僕の親で兄で弟で弟子で先生で、家族。そう言った全ての存在なんだよ」


 そこで一度区切った響の背後に四体の影が見えたような気がした。実際には侵入者用の警報もなっていないのだから響と自分達以外は誰もいないのだけれど。


「きょ、う」


 自分の息子であったはずの名前を呼ぶ。

 背後がゾワリと嫌な感覚に包まれる。


「僕の誕生日はお父さん達にとってはお母さんの命日で、僕が大事なのはお母さんの忘れ形見だからで、僕を見て最初に思い出すのはお母さん。お母さんをメインにするなら僕はオマケだ」


 そう言った響の言葉は悲しみも怒りも何も宿していない。ただ事実だろう?と、言う様に淡々と喋べり続ける。怒りもしない。

 でもきっと、それらの機会を奪ったのは、俺たちだ。

 どうしようもない焦燥に駆られて、これ以上言わせてはいけないのに、止められない。そう思った。


「過ごした年月が違うからね、仕方のないことで当然のことだ。だけどね、シキ達を傷つけるなら黙って見てるわけにもいかないんだよ。僕はお父さんの子供だね。でも愛してくれたのも愛したのもシキ達なんだ、ごめんね、お父さん」




———「お父さん達が母さんを愛して大事に思う様に、僕もシキ達を愛しているし大事なんだよ」———




 響はそう言った。

 雅と干灯、豹夏は戦闘状態になった。慌てて九導も距離を取り、戦闘体制になる。

 どちらも大事な、大切な者を思って、守りたくて戦うのに、どうしてこんなにも分かり合えないのだろう。

 同じ言語を話して、同じ時代を生きているのに、何がこうも違くさせたのだろう。

 響はそんな事を思いながら、結界の強度を高くしていく。


「お前はこちら側にはつかないんだな?」


 九導が低い声で圧をかける。


「うん。僕はシキ達が大切だから」


 響のその言葉を聞いて、戦闘大勢のままその場の全員が固まった。

 上の連中は今か今かと興味津々に見つめている。


「そうか、残念だ」


 その声は慈悲にも似た静かさをほんの少しだけ含んでいるような気がした。

 九導のその声は戦いの火蓋を切った。

 雅と干灯が結界を壊すべく攻撃を続ける、札を使い、武器を使い。豹夏は肉体戦に持ち込もうとするも、やはり結界に阻まれるため力を込めて殴り続ける。九導も刀を取りその結界の壁めがけて振り下ろす。

 その瞬間結界の中の響と目があった。

 九導の顔を、目を、響は初めてしっかりと見た。口元のホクロ、自分と同じ形の口に、平行眉、目元は母さんに似ていると聞いたことがあった。

 彼は本当に自分の父で、自分は彼と同じ血が流れていて、彼から見た自分は息子なのだと、改めて理解した。

 きっと実千流が生きていれば、自分は皆が期待する最高傑作サラブレッドだった。

 でも、本当に僕が悪かったか?

 そんな考えが頭を掠める。

 確かに距離を置いたのは僕だ。でも、九導さんが、お父さんが諦めなければ、僕を諦めなければ、今僕はあそこに居たんじゃないのか、そう思ったら心の何かに音を立てて亀裂が入ったように感じた。

 その瞬間、共鳴するように結界の壁にヒビが入る。

 今だと言わんばかりに4人は攻撃を繰り返す。

 ヒビが広がり、また広がり、もう数分とて保たないだろう。それでも響は鞘すら掴まず、攻撃札すらださず、ただ静かにその様子を壁の中から眺めている。


「響くんっ! この人数に勝てると思っているのか!?」


 干灯さんが攻撃を出しながら苦しそうに叫んだ。


「勝てるか勝てないかじゃないよ。お互い守りたいものの為に戦う。仕方ないよ、弱者は自分の意見を通せないと言うなら力を示さないと」


 この教えは、今思えば昔お父さんが言っていたことだった気がする。奏とは別のかつての友人からも聞いたことがあった。『九導さんはよくそう言う』と。


「ダメだ! 今ならまだ間に合う。ちゃんと償おう?」


 雅さんは優しく諭すように言う。

 償うとは何をだろうか。

 僕は何か罪を犯したのだろうか。

 嗚呼、言うならば、

 生まれてきてしまったことだろうか、

 誰かの大切な愛する人の命と引き換えに。


「……僕の罪は、生まれたことですか?」


 悲痛な声だった。

 文才な干灯はある言葉を思い出した。

 実千流も好きだった作品だ。



『“ねぇねぇ、裏切ったのはどっちだった?”


 “最初に裏切ったのはどちら様?”


 “そもそも裏切っていたのかな?”


 “最初に期待したのは”


 “どちらかしら?”』



 干灯はなぜ今こんなことを思い出すのか分からない。分からないけれど、実千流がそうさせているように感じてしまった。


響くんが私達に期待した?


私達が響くんに期待した?


最初に何かを望んだのは、誰かを重ねてしまったのは、


どちらだった———?



「み、ちる…」


 干灯の囁きは誰にも聞かれない。九導達にも、当の本人にも。

 結界の壁のヒビは広がり続ける。金属がぶつかり合ったような音が激しく鳴り続ける。

 外の大雨が聞こえないほどに。


「僕の罪は、なんですか? 何が罪だったんですか?」


 響にはもう分からない。

 何がいけなかったのか。

 どうすれば良かったのか。

 どれが最善だったのか。


「は?」


 響の言葉に雅は溢した。

 雅は無知とは罪だと思っている。己の過ちにも、罪にも気付けないのだから。

 今の目の前の、かつての仲間と今も大事な親友の子供が、そうだと言うように。


 ___己がその無知な罪人とは、気付きもしないで。


「てめぇッ! ふざけんじゃねぇよ、人が! 死んでんだぞ!? テメェが! 殺した!」


 次に声を荒げたのは壁を蹴るなり殴りなり続けていた豹夏だった。

 『殺した』その言葉が響に重くのしかかって、集中がブレる。

 実千流お母さんを殺したのは自分だ。

 じゃあ奏は?

 奏を殺したのも、自分だ。

 弱者だから、愚者だから。那珂さん、ごめんなさい。やっぱり奏を殺したのは僕だったよ。

 響の心の中の懺悔は結界にも影響を及ぼした。

 その瞬間、結界が崩壊した。そのままの勢いで豹夏は響の腹を蹴り飛ばした。飛ばされた響の身体は後ろの壁一面の本棚に衝突し、本が大量に落ちてくる。


「ゔッ、ぁぐッ、ぅ…」


 呻きながらも目を開ける。

 散らばった大量の本、その中の1つに響は目を奪われた。

 それは以前、奏が好きだと言っていた作者の本だった。


『この作者がね、本を書いている上で1番のメリットは何ですか、って聞かれた時に、「“そうですね。辛いことも悲しいことも本の中の出来事にして、登場人物子供たちが泣いてくれるところですかね”」って答えたんだ』


 奏はまるで誇りのようにそう語っていた。

 『辛いことも、悲しいことも、全て本の中の出来事にしちゃえるって良いよね、少しだけ息がしやすくなりそう』と響に笑ったのだ。

 奏の隣は響にとって息がしやすかった。


「…かな、で、現実ここは…こんなにも、息が、しにくいよ……」


 やっぱりここは本の中なんかじゃないから。

 スーパーヒーローも、勇敢な少年も、誇り高い少女も、救ってくれる誰かは、ここにはいないから。


 体中が痛む中、自然と口に出ていた。


 もういない奏に。

 もう会う事も喋る事も出来ない。

 夢の中で会えたなら、頬を触って抱きしめたい。ゆっくり夢を見る暇もない僕は、どうやったら、奏に会えるかな。

 どうやったら奏に謝れるかな。謝りたいよ、謝りたい。会いたい。奏は優しいからきっと許しちゃうんだろうな。

 あの蝉が煩い夏に、かえりたい。


 奏との思い出の余韻に浸る暇もなく、時間は進む。


「おい、捕縛するぞ」


 豹夏のその一言で残りの3人は動き出す。上の連中はもう居なかった。飽きたのか、興醒めしたのか。捕縛札を持って近づいてくる4人を響はただ眺めていた。

 彼らから見たら僕って相当な悪党なのかな。あの天才な安溟倍浄九導の息子で、麒麟児と呼ばれていた。

 そんな僕が裏切り者だなんて、本の中の話なら面白いのに。現実だと、ほんと笑えないよ。


 疲れたな、僕結構頑張ったんじゃないかな。

 そんな考えが響の頭をよぎる。

 それと同時に思い出したのは、シキ達だ。



『響は優しい子じゃ』


ダイラが言った。


『響ちゃん、ありがとね』


ミョウが笑う。


『…響、無理しないで』


チョウが心配してくれる。


『響、大丈夫。僕たちがいるよ。僕がいる』


シキが触れる。


『響はやっぱり響だね』


シキの声は心地いい。


『響、大好きだよ』


シキ、


『響』



 シキが呼ぶ自分の名前が好きだった。

 優しく呼ぶ声が好きだった。

 嫌いな自分の名前の響きを好きになれたのはシキ達が心底大切そうに呼ぶからだった。

 いつも見守ってくれるダイラも、妹と弟のように可愛いミョウとチョウも。間違いなく、僕の家族は4人だった。

 そして4人とも、僕の帰りを待っている。僕がここで諦めたら4人は除霊対象だ。

 こんな僕のそばに居続けてくれた4人が、危険な目に遭うかもしれない。痛い思いをするかもしれない。

 永遠に、失われるかもしれない。


「…それは、嫌だな」


 響が呟く。

 その呟きが聞こえる距離まで4人は近くにいる。

 響の中で何かの蓋が開いた気がした。以前よりも多くの力が使える気がして、でも、急な事で体がそれに追いついていないような。


「あ?」


 豹夏が柄の悪い返事をしたのと同時に響は先ほどよりも強い結界を張る。

 武器は使わない。どんなになっても、どんな結果が待っていようと、彼らは自分が守ろうとした者達だから。

 何より、僕を愛してくれてたかは分からないけれど、その命落として産んだお母さんの、愛した人たちだから。お母さんを好きかは分からない。だってどんな人かわからないから。

 でも彼らには愛する人がいて愛してもらっている人がいる。彼らが生きているだけで喜んで、死んでしまったら悲しむ人達が居るから、だから、傷付けるような事はできない。諦めてもらうしかない。


「お父さん、諦めるの、得意でしょ?」


 立ち上がりながら、九導に言葉をかけた。

 お願いだから、諦めて。そんな風に響は心の中で祈る。

 響の言葉に九導は意味がわからないと言う顔をする。


「諦めてくれないかな。僕たちのこと」


 響は最後の説得だとでも言いたげに4人に問う。


「なに、言ってるの」

「ンなの無理に決まってんだろ」


 干灯と豹夏はそれをバッサリと切った。出来れば響は戦いたくないし、向こうも仲間とは戦いたくない、同じはずだと思っていたのだ。


「お前はもう俺らの敵なのにか」


 九導の言葉に響は自嘲的な笑みを浮かべた。

 あぁ、そうだった。僕はもう敵だったや。

 そしてそれを僕に問うあたりが、タチが悪いなぁ。

 その定義をしたのは僕じゃなくて、お父さん達なのに。


 それからタカが外れた様に九導らは攻撃を続けた。

 もちろん、黄金の世代と呼ばれた4人に対し、響は実力こそあれど、まだ子供で、大人4人に勝てる様には戦えない。しかも響は守備だけでその場を凌いでいる。向こうの力切れを狙って。消耗戦になれば不利なのは響だというに。


「ほんと、残念だね。ここまでのポテンシャルを持っていて、天才と秀才を持ち合わせてるなんて、味方だったら、良かったのに…」


 雅は本当に惜しそうに言った。


「そうだな。扱き甲斐ありそうなのによ。憐とも戦わせてみたかった」


 憐という名前に響は懐かしく聞こえた。かつて短い間だったけれど、友人だった彼は元気にやっているようでどこか安心した。もう彼は響の事を思い出せもしないだろうけれど。


 さっきまで強きだった豹夏も弱々しく答えた。殺さなければならないかもしれないのだ。もしくは永遠に隔離し、監禁しなければならないかもしれない。強すぎる力を持っているからこそ、敵に回る可能性がある以上、野放しにはしておけないのだから。


「私たちがやってる事ってさ、上の連中と何が違うんだろうね」


 1番理解しているのは干灯だった。現状を、状況を。干灯の言葉に雅は唇を噛み締めて、豹夏は握る拳が震えていた。

 干灯の言わんとしていることは4人とも百も承知だった。危険因子だからと14の子供を殺す。

 それは自分達が目指した世界だろうか、と。

 なんのために、独立した陰陽道組織を立ち上げたのか、今ここでは説いてほしくない話だった。

 自分達の思想や理想に背を向けて、平和のためという傲慢な大義名分を免罪符に少年の首に刃を立てているのだから。

 結界の壁が壊れるのが早くなってきている。その度に響の体には傷がつき、血が流れる。切れば同じ血が流れる。同じ人間、それでも分かり合えない。

 倒れている響に4人は近寄る。


「私たちが彼の芽を摘んだんじゃないの。彼がこうなった要因が全くないって言える? 彼だけが本当に悪いのかな」


 干灯は迷っている。

 これから完全にまだ14の子供の息の根を止めるのだから。本当に正しいのか、これが本当に最善の選択なのか。

 それは雅と豹夏も同じだった。九導だけがまっすぐ立っている。


「それでも響が人を殺したのは事実だ」


 九導は重々しく口を開いた。その言葉に3人は息を呑む。目の前の、14の少年が、本当に、人を殺したのだろうか、と。

 人など殺したことも無く、人に呪詛すら吐いた事のなさそうな、目の前のこの子が、本当に人の命を奪ったのかと。


「あーあ、どう転んでもここは地獄か。こんな結末、誰が予想したよ」


 軽い口調でも雅のその声には確実に怒気が含まれていた。

 その怒りの矛先は響なのか、まだ見ぬ神なのかは分からないが、雅は神様とやらがいるなら悪趣味だと思う。何が悲しくてかつての仲間の愛おしいはずのまだ少年である忘れ形見を自ら殺さなければならないのか、と。


「今更揺らぐな。揺らぐならここから出て行け。ここで後悔したら死ぬまで尾を引くぞ」


 これは九導なりの優しさだった。何も、みんなで地獄を見る必要はないのだから。

 でも九導の言葉に3人は決心を固めた。

 1人で地獄を歩かせたりはしないのだから。それは、善にも真の正義にも背を向けても、まだ残っている信念だった。


 響は頭の中で色々な考えがぐるぐるとして、もう近いであろう限界を悟る。

 でも響はそれでいいと思った。“人でなし”な自分が、例え人じゃないとしても、何かを守って死ねるのだ。呪われた様な自分の人生でこんなに幸福な事があっていいのかと思えるほどに。

 響は純粋に誇れる死だと思った。


「しっ、き、っ」


 ごめん、ごめんね。

 帰るって約束したのに、約束守れそうにないんだ。ごめんね。でも、許さなくていいよ。


 倒れた身体の周りに薄い結界を張る。もう体が言うことをきかない。血を流しすぎているのにも関わらずまだ周りに血の海を作り続ける。


「か、なでっ、」


 会いに行くよ。やっと会えるよ、奏。話したいことがたくさんあるんだ。


 攻撃が飛んでくる中、この結界はもたない。響は最期を思う。

 そして、走馬灯では暖かい思い出に溢れます様にと、ささやかな願いを込めて、目を閉じようとした。



 次の瞬間、響は暖かくて眩しい光に包まれていた。



「響っ!」



 今1番聞きたかった声が聞こえた。

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