第五章 不穏な足音
注意書き
・この作品はBL作品になります。
・今のところBL要素は少ないです。
・書いてる人がかなりのオタクなので何かに似てるなんて箇所が多々あるかもしれませんが温かい目で見ていただけたらと思います。
・この先暴力表現が入ってくる場合もございます。
・主人公がかなり不憫ですので苦手な方は読むのをお控え下さい。
・実在する建物、歴史とはなんの関係もございません。
・少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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魔の2ヶ月間。
あれから案件は2倍以上になった。
1日平均3、4件だったものが今じゃ7件ほど。多い時は10件なんて時もある。
上の人達は響のスケジュールに睡眠という時間を与えない。休まずに動き続ける。
効率良く動かす為か、響には専属の運転手が派遣された。特に自己紹介も無く愛想も無いので、響は自分と関わりたく無い側の人間か、と無駄に喋ることもなく業務連絡のみの会話なので、お陰様で車の中では寝ていられた。
そもそも自分と喋りたがる様な人間がまだ残ってるとは思えないけれど。
「次の現場までは3時間半ほどかかります」
「わかった」
短い会話を終わらせて目を閉じる。3時間半も寝れることに響は安堵した。
正直、もう疲れが溜まりすぎて身体と脳が限界を訴えていた。怪我を治せる術があっても疲ればっかりは取れない。
目を閉じてシキ達のことを思い出す。
離れてから1ヶ月は経っている。その都度取ったホテルだって結局の所お風呂に入るために1時間弱帰るだけの場所になっている。
そろそろ刀の手入れもしないとな。いつもはシキ達が刀や他の武器の手入れをしてくれていた。どこで覚えたのか、シキ達は手入れが上手だった。
手入れする時間も取れないせいか、刀は刃こぼれしてきて斬る際に無駄な力を消費してしまう。これじゃあ効率が悪くなる。
効率を上げなければならない。
後1ヶ月で帰らないといけないのだから。
シキ達は何をしているだろうか。4人で仲良くしていてくれたら良いな、と思いながらシキの意識は落ちていった。
「おはよう御座います。現場に到着致しました」
車が停車した感覚と運転手の声に目を開ける。
刀を持って車から降りると底は森の中に佇む廃墟だった。
いかにもって感じな場所だな、と思い、資料を簡単に読む。どうやら中々に手こずりそうな内容だ。長めの睡眠が取れててよかったと響は思った。
運転手に会釈をしてから森の中に歩き出す。
不気味な筈なのに響は夜の山道が好きだ。誰もいないし、静かで、空気が汚れている感じがしないから。それと、シキと出会ったのも森だった。
自分の足音だけが響く中、草の擦れる音がして勢いよく後ろを振り返りながら後方に飛ぶ。
木々の間から出てきたのは、人だ。“ナニカ”じゃない。その事実に驚きもしない響は何も発さない。
「よぉ。安溟倍浄の坊ちゃん」
その男は飄々として響に喋りかけた。見る限り武器を持っている様には見えない。
そしてこの名前を知っているということは陰陽道の関係者ということになるが、どうも同業者には見えない。
「どちら様ですか」
響はいつでも抜刀出来るように体制を取り、警戒を怠らない。その様子に男はわざとらしく手を上げて降参の意を見せた。
「なんや血気盛んなガキやなぁ。ちっとくらい仲良くしようや」
わざとらしいエセ関西弁にも怪しさは増すばかりだ。細めな狐目と三日月の形に歪む口元。それから、隠しきれていない殺気。全てが響を警戒させる。
「何処から来た。この山は今僕が通っていた道しかないはず。でもあなたは僕の後ろから来た。僕がここで仕事をしている間はここは立入禁止区域になる筈です。どこから来たんですか? いや、どうやってここまで来たんですか」
そう。この男は響の後ろから来ていた。でもそれは不可能なのだ。響が案件を終わらせるまでこの森には立入禁止区域になるのだ。そしてこの山の道は響が辿った一本のみ。響の後に入ろうとしたのなら運転手さんに止められる筈だ。
考えられるのは2つ。
1つは単純、元よりこの現場にいた。でもこの場合同業者の可能性は限りなくゼロに近くなり、敵であるなら殺さなければならない。
2つ目は、運転手を殺したか。どうしても入りたい理由があるなら考えられる可能性だ。例えば、安溟倍浄の人間を殺したい、とか。
響は警戒しながら頭を回す。何より怖いのはこの男が自分に気配を察知されないでここまで来て、わざと見つかる様にしたということだった。
戦う意志があってそうしたのなら、この場所に何かしら罠や仕掛けが施されていてもなんら不思議はない。
「んん? 俺は普通にこの道から来たで」
手を上げたまま近寄りもせず、笑みも崩さずに男は答えた。
「何しに?」
「ははっ、そこまで言う筋合いはお前にはねぇな」
男はそう言った途端表情が抜け落ち、響の元まで走った。目で追えるか微妙なラインの速度と急な事で響は反応が遅れる。男は腰から短刀のナイフを2本出し、両手で構え響に斬りかかる。
「はっ! 流石にガキでも手強いな」
そう言いながら間合いを詰めて、男は口を開け舌に仕込んでいたナイフも投げた。饒舌に喋っていたのだから、舌にまで仕込んでいるとは思っておらず、それは響の方にざっくり刺さる。
そして響の優れた五感はそれを拒絶した。どうやらナイフに何かしらの毒が塗られていたらしい。
うめき声ひとつこぼさずに響はナイフをまっすぐ抜いて遠くに投げ捨てる。
「噂には聞いていたが本当に気味の悪りぃガキだな。人でなしサンよぉ」
「そりゃどうも」
そう言い合いながらも響は刀を構える。
回復の術を使いたいが今は暇がない。早めに終わらせないと持って3分だ。
「お前ら安溟倍浄の人間は血も涙もない連中の集まりや。いや、陰陽連自体が人の命をなんとも思っちゃおらん」
響はその言葉でやっと自分を狙う理由を理解した。
安溟倍浄の人間であり、陰陽道組織の最高幹部の1人である自分だから。
それならば逆恨みも良いところだ。
「恨み、か」
「そうだ。俺の家族はみんな殺されたからな」
そう言われても響には知ったこっちゃない。
自分を殺したって死んだ人間は帰ってこないのに、と響は思った。
そんなんで死人が蘇るなら自分はきっとここに生きていないだろうから。
九導に首を絞められたあの時、その首をへし折られていただろう。
そんなもので、死んだ人間が生き返るなら。
「死んだのは誰のせいでもない。自分のせいじゃないのか」
「なんだと」
響の言葉にあきらかに男の言葉は怒気を強めた。
「弱いから死ぬ。死ぬ覚悟も、失う覚悟もないのならこの世界に入らなければよかったんだ」
その言葉に男は分かりやすくキレて、感情のままに攻撃を仕掛けてくる。
響は短期決戦を決め一気に間合いを詰めて刀を振りかざす。しばらくの攻防の後、響の刀は男の心臓近くを貫いていた。
「お前も、可哀想な、ガキやな」
男は刺されてもなお、態度を変えない。
「なんで?」
響は本当に分からない子供の様に男に問う。
「お前、はッ、欠落者や。可哀想になぁ」
男は馬鹿にする様にでは無く、仲間意識的な感情で伝えている。
男は本気で思った。
目の前の少年が可哀想だと。出会って数十分。会話も少ないがそれでも分かってしまう。少年の言葉には感情が見受けられない。
「ここの廃病院の件とお前は関係あるか」
この言葉も。ワーカーホリックにしては度がすぎている。自分の命の危機よりも、自分という尊厳の価値よりも、響は円滑に案件を終わらせる事を優先させた。
「さ、あなっ、さっきも、ッ言ったが、教える筋合いっは、ねぇよッ」
男は最期の瞬間を悟る。
自分より可哀想な奴を見ながら逝くというのは気分が悪いと、男は最後に余興を残した。
「そう」
そう言って響は刀を勢いよく抜き取った。その時男は息絶える直前、石を投げた。
響はそれを確認してギョッとした。
投げたその石は“エサ”だ。本来なら“ナニカ”を一箇所に誘き寄せる為に使われる物。
これはやばい。
この森の下には集落がある。もしそこが影響を受けたらたまったもんじゃない。
響はその強力な効力を持つ石に手をかざし呪文を唱え、封印を施そうとする。
幸い、札はまだ残っている。これなら行ける、と響はそれのみに集中する。だが封印されるまで約7分はかかる。その間に誘き寄せられた“ナニカ”が襲って来ても響は太刀打ちできない。むしろ無防備な状態だ。
響は必死にそこのみに神経を注ぎ、集中する。
なんとか詠唱を終え、封印は成功した。
石を持ち上げ歩き出す。周りを警戒するも“ナニカ”の気配はない。ひとまず大丈夫だろうと、歩いて車のあるところまで降りた。
「お疲れ様です」
そこでは運転手さんが車から降りて待っていた。
「うん。敵がいた、人間の。1人じゃ捕縛は無理と判断したため絶命させた。片付けを頼みたい」
絶命という言葉を聞いた時運転手さんは一瞬息を飲んだ。
それもそうだ、たった14の子供が当たり前のように人を殺したと言ったのだから。
「っ、分かりました。管理の者に連絡しときます。片付けが終わり次第立入禁止を解除します。では、次の現場に向かうのでどうぞ乗ってください」
正直言って響は運転手さんの話をちゃんと聞いていなかった。だいぶ疲れていて、まるで水の膜が張ったように声が遠い。
「ん、分かった」
車に乗り込み、運転手さんはまた口を開く。
「次は結構時間がかかります。そちらの現場で一度宿を取りましょう」
「ごめんね、全部任せるね。僕は詳しくないからよくわかんない」
宿とかの話に響は疎い。
だから運転手さんに任せる事にしている。
「大丈夫です。それより、大丈夫ですか?」
気まずそうに運転手は聞いた。
その言葉に響は首を傾げる。
「ん? なにが? あぁ、この怪我? すぐ治せるから大丈夫だよ。ありがとう」
響は自分の体を確認して、痛覚を鈍らせていたから忘れていたが肩からかなりの血を出している事に気づいた。さっきの毒も回って来ていて体が鉛の様に重たい。響は急いで回復の呪符を使う。
身体はすぐに治った。残るのはやはり疲労感だ。
その様子に運転手は絶句した。
初めて殺したわけではないだろうなとは思っていたがまさかここまでの反応とは、と。
これは数人殺したってレベルじゃない。きっと本人だって数えきれないほどだろうな。
こんなまだ子供の少年が、と運転手はしばらく呆気に取られた。
運転手は良識人だったのだ。
まだ14の子供が人を殺しても何も感じないことに心を痛めるくらいには。
しばらくして響が眠りについたのを見て運転手は死体を片付けるための連絡を入れた。そして車を発進させる。自分が後ろに乗せている子供が、何か得体の知れないモノに思えてしまったが、ミラー越しに寝顔を見て、その寝顔が年相応すぎて、その歪さに気持ち悪さを感じた。この業界への。
この子は本当に、まだ子供なのだ。
運転手は禁煙していたタバコを取り出して、子供が寝ている後ろ座席に煙が行かない様に運転席の窓を開けて吸い始めた。
「やになるねぇ」
響が寝てるのを確認して独り言をこぼした。
夜はまだ深い。新月の真っ暗な空には万天の星空。
緩やかなエンジン音と、森の木々の音だけが運転手の耳には届いていた。
_____________________
今日片付ける案件を全て終え、一旦シャワーを浴びにホテルの一室に入る。どうせシャワーだけ浴びたらまた出ないといけないのだからと、暖房もつけていない。
やはり考えてしまうのはシキ達の事で、上手く4人でやれているだろうか、と考えたところでいつも異物だったのは僕の方か。と落ち着いた。
———プルルルルルルッ
脱衣所に置いていた仕事用の携帯が鳴る。シャワーを止め携帯を脱衣所に行き、応答する。
「はい。安溟倍浄です」
響の連絡帳に乗る人物で、九導に電話する者はなかなか居ない。だから苗字を名乗るだけで事足りる。
〈すみません。管理の方の
電話の相手は現代陰陽連管理局の人だった。
毎日多忙の中に身を置くのがほとんどの陰陽師は最高幹部の中の最高責任者だったりと、その他諸々、しっかりとした役目が与えられる。その機関の一つが管理局。誰にどの案件を回すかの管理が主だ。
「分かりました。住所は[[rb:那珂 > なか]]さんに送っといてください。」
住所を運転手に送ることを伝えると、一言二言交わして電話を切る。次は那珂にかける。
数回のコールで電話に出た。
〈はい。もしもし、那珂です〉
「那珂さんすみません。今緊急の収集要請が入ってしまって、今から出る事って可能ですか?」
那珂はその言葉に絶句する。自分が疲れているからとかではない。運転手は基本付きっきりというわけではなく、管理局の方から何日か交代で回される様になっているが、彼はあまりにも休めていないのは事実。やっとホテルに入ったというのに、30分程しか経っていない。
〈分かりました。車を回しときます〉
「うん。ありがとう」
そう言って電話を切る。
那珂は安溟倍浄響と言う人間が更にわからなくなった。常識的で、しっかりと他人を気遣える。普通の、心優しい14の少年にしか見えない。
でもそこでつい数時間前のことを思い出す。人を殺しても何も思わない少年。
周りからも気味悪がられ、嫌われて、迫害されてきた少年。やはり那珂には彼がわからない。
一方で響は出る支度を済ませていた。返り血も全て落として、綺麗に体を洗った後だったので、バスタオルで簡単に拭き服を着る。
多分もうこのホテルには戻ってこないからと荷物を持ち部屋を出た。
ホテルの前に見慣れた車が停まっている。
「お疲れ様です」
そう言って那珂は響に頭を下げてから荷物を取り、トランクに乗せた。
「お疲れ様。ごめんね、那珂さんもあんまり休めてないのに。あ、荷物ありがとう」
そう言いながら響は車に乗り込もうとした。
「あの、良かったら助手席に乗りませんか?」
那珂は彼を知らない。なら知ればいい。噂の様な人物なのか、自分が考える様な人なのか。那珂はやはり正しく善人で良識人だった。
関わっていく中でどこか可哀想な憂いを帯びている少年に、情が芽生えてしまう程には。
ホテルに着くまでの時間寝ていたこともあり、眠くない響は言われた通り助手席に乗った。
「お願いします」
そう一言言ってシートベルトをしめる。
「眠たかったらシートを倒して寝ても構いませんよ。ただ、少し距離もありますし、お喋りでもしませんか?」
運転席に座ってシートベルトを閉めた那珂は響を伺う様に見た。その申し出に響は驚く。自分の喋りたいと思う人間がいたことに純粋に驚いたのだ。
「良いですけど、那珂さんの方が年上なので敬語じゃなくて良いですよ」
喋るならタメ口の方が話しやすいだろうと考えた響はそう言った。
「はい。じゃあ響くんと呼ぶな。響くんもタメ口でいいよ」
響は那珂の認識を改めた。敬語が外れるとこんなに物腰柔らかそうになるのか、と。
人好きの様な笑みを浮かべて、そう言った那珂は車を発進させる。
ぽつぽつと会話を始めた。
「響くんは好きな食べ物はある?」
あるなら今度案件が終わった後にでも食べに連れて行ってやりたいと思っていた。知り合った子供にそれくらいするのは普通だろうと。
「短時間で食べられて栄養が取れるものかな」
やはりそう言ったものになるのか、と那珂は思う。彼の性格、境遇上、普通の子供として接するには問題が多すぎるし大きすぎる。
「那珂さんは?」
その質問に那珂は驚く。彼は何にも興味を示さなさそうだったから。
実際、これまで会話らしい会話などしたこともなかった。
響は単純に自分と話したいと言った那珂に興味があった。
「俺はやっぱ肉かな」
その声を聞いて響は無意識に重ねてしまう。今は亡き友人と。かつて親友だった彼と。
そして思う。自分のそばにいちゃいけない人種だなと。明るすぎて、真っ直ぐすぎる者は自分の隣にいたら居なくなってしまうから。
「そっか。那珂さん、ごめんだけど僕寝るね」
そう言って早々に会話を切り上げてシートを倒す。仲良くなるなんてことになったらたまったもんじゃないから。お互いのために。
「そうか、眠たきゃ寝て良いよ」
那珂は気にしてない風にそう言った。
響はいつの間にか、移動中の車で寝る際に結界を張らなくなった。那珂限定で。
今まではどんな奴でも上の息がかかった奴らは響を分かりやすく敵視していたが、那珂は響に危害を加える様には感じられなかったから。
でも響は那珂に心は開かない。開く心すら持ち合わせていないのかも知れない。響は人と関わる上で、距離を取ることしか知らない。
何より、心開くというのは、この仕事をしている限り馬鹿のやる行為だ。
心を開いた相手が、明日も生きているとは限らないのだから。
そうやって馬鹿を見るのは己なのだから。
那珂は20代後半ぐらいの見た目をしている。
響に実年齢は分からないけれど、家族がいたりとかするのだろうか、奥さんや子供、両親だったり、彼が生きているだけで喜び、死んだら悲しむ者が彼には居るのだろう。なら自分とは関わるべきではない。自分のせいで死なれたら後味が悪い、と響は目を閉じながら思う。
「なぁ、起きてんなら聞いてほしいんだけど、響くんの噂って本当なの?」
那珂は運転中のため視線を前に向けたままで響に問う。
響は正直やっぱりな、と思った。
自分に興味を持つ人間なんてそう言う奴らばっかりだから。好奇心、興味本位、黄色い目、そう言った類のものに晒され続けてきたから今更なんとも思わない。
「噂って?」
那珂がどの噂のことを言っているのか響には分からないため、その噂がどんな内容なのかを聞く。
有る事無い事言われるのが噂というものだが、響はいかんせん、他人から自分がどう見られているのか興味がないため聞いたことがあったとしても覚えていなかったりするのだ。
「人でなしで穀潰し。人を殺すのになんとも思っていないとか、あの安瞑倍浄九導の息子だとか、“ナニカ”と生活を共にしているとか」
那珂とはストレートな男だ。知らないのなら知ればいいという発想の展開の仕方から見ても彼はストレートすぎる人間であった。
だからこそ、言葉をオブラートに包むという事を知らない。と言うよりは、遠回しに聞くのが嫌いだった。
「本当だよ」
響はシートは倒したまま、腕で目を覆いながら答えた。響は根も葉もない噂かと思っていたが、存外、全て当たっていた。
「そ、うか」
自分で質問をしておいて那珂は分かりやすく狼狽えた。
響は基本的には他人に無関心であるが、響は那珂みたいな人間があまり好きではない。だから嫌いかと言われればそうでもないのだが。とにかく馬が合わない。それに疲れが溜まっている上にシキ達に会えていないという最悪の悪循環が重なり、響のストレスは限界値を超えている。
「あのさ、那珂さんが僕になんの幻想を抱いているかは知らないけど、自分と大凡関わりのない人間を殺したって、一々何かを感じたりしないよ」
当たり前でしょ、とでも言いたげに響は言った。
無論、こんなの当たり前ではない。ただ、それは普通に生まれて普通に暮らして、生きてきた人だけの話である。
響は普通からも幸福からも遠い場所に生きる少年なので価値観がズレているのはどうしようもない。
那珂にとっての普通は響にとっての理解できないことで、その逆の響にとっての普通は那珂にとって理解できないことだ。
だからこそ、この2人がどんなにいい人だとしても、分かりあうことはない。出来ない。
無理やり擦り合わせようとするならは綻ぶし、そこまでするメリットがお互いにない。
「人でなしで穀潰しなのもその通りだし、僕は安溟倍浄九導の息子だよ。“ナニカ”とも生活を共にしている」
これは最近バレちゃったんだけど、と付け加えて響は斜め後ろから那珂の顔を見る。
よく見えないけれどおそらく顰めっ面しているだろうなと予想がつく。
人でなしは自分と周りの温度差からしてその通りだと思うし、穀潰しは言うまでもない。九導から見ればどう考えたって自分は穀潰しであるし、“ナニカ”と生活を共にしているどころか家族であると響は思っている。
やっぱり那珂という人物が響は苦手らしい。
「ならなんで九導さん達の組織に引き抜かれないんだ?」
そこまで聞いて那珂は自分の失言に気づいて不味いという顔をするも、響には見えないので気づかない。
「穀潰しだからだと思うよ」
「そうか」
困るなら聞かなきゃいいのに、と響は思った。
車の走る音とラジオからの洋楽が小さく車内に響く。
那珂は決心した様にまた喋り出した。
「踏み込んでもいいか?」
「どうして?」
質問に質問で返すのは歳上の人に対して失礼ではあるが、響からしたら至極真っ当な疑問だ。
「いや、響くんばっかりに聞くのは悪いよな。俺の話も聞いてほしい」
響はそれに対して返事をしない。
那珂は沈黙を肯定と受け取ったのか話を続ける。
「俺には弟がいたんだ。丁度生きていたら響くんくらいかな」
響はその弟は陰陽師だったのかと、悟った。長生きできない仕事だ。子供でも女でも男でも大人でも。
「俺は弟のサポートがしたくてこの仕事に就いた。俺が就任された日に弟は死んじまった。だからかな、お前が俺には危うく見えるよ」
響はそれに同情しない。だって彼が求めてるのは心地のいい相槌でも、同情でもないだろうから。
それと同時に自分は誰かに重ねられることが多いなぁとも思っていた。
「大丈夫ですよ。僕結構強いから」
決して弟が弱いと言っているわけでなく、自分は強いという事実だけを述べる。彼の弟が強いか弱いかなんて響には分からないから。
「弟がさ、『友達がすっごく強くてかっこいい』って話をよくしてたんだけど、同い年ぐらいの子らしいんだよね」
その言葉の続きを想像できないほど響は鈍感じゃない。でも鈍感だったらどんなにいいかと、今ほど思ったことはなかった。
_____酷く暑かったあの日、煩く鳴り響く蝉の鳴き声と一緒に、嫌な警鐘が頭の中で木霊していた。
身体を起こしてゆっくり那珂の横顔を見る。そこに悪意は感じられない。
でも彼は確信している。
「それってさ響くんじゃない?」
あくまで疑問系。でも彼の中ではほぼ確信だろう。同年代で強い子なんて安溟倍浄響ぐらいしかいないのだから。では何故今になって響に接触してきたのかが甚だ疑問だ。
「
___夏の茹だるような暑さが嘘のように、空気が冷たくなり始めた日、その警鐘はもっと強く鳴っていた。
響は名前を口にする。
もう久しぶりにその名前を口にした気がした。
シスコンで今は亡き妹を大事に思っていたことを知っている。いい奴で、明るくて、面白くて、一緒にいると元気になれた気がした。
食事の楽しさと美味しさを、教えてくれた子だった。
「あぁ。それは俺の弟だよ」
お兄さんがいるって話は聞いたことがなかったな。と思いながら響は那珂の顔を見る。興味がなくて全然見ていなかったがよく見れば目元がそっくりだ。
喋り方だってこんなに似ている。
懐かしい気持ちと、胸がざわりとする感覚。
「恨んでるんですか」
響は聞いた。恨まれても仕方ないとも思うし、それ以外に接触してきた理由が思い浮かばない。
「どうして?」
那珂は一瞬だけ響の顔を見て、また前を向いた。
「安溟倍浄の権力があれば、あんな不正な案件阻止出来た。でも気づけなかった。事に気づいたのは全てが終わった後。だから、恨んでるんですか」
そう言った響は珍しく顔を歪めていた。他人の前ではあまり表情が変わらないのに。
「ううん。だって俺は家族ですらない。葬式にも出してもらえてない。血のつながりがないんだ」
そう言った那珂はハンドルを握りしめる手に力がこもっている。
血が繋がっていても愛されない響と、血の繋がりなんてなくてもちゃんと家族だった奏と那珂。
血なんて水より薄いと言うけれど、これじゃあ本当に意味が分からないよ、と響はそのギャップに眉を顰める。
「響くんにはお礼が言いたくて、弟の友達でいてくれてありがとう。奏は君のことを自慢の友達だといつも誇っていたよ」
___蝉の鳴き声が煩い夏。あの時確かに隣にはかけがえの無い親友がいた。
大事にしたくて、生きていて欲しくて、そう願った代償のように失った。
那珂は優しく微笑んだ。その顔を見て響は似ているなと思った。
そして同時に湧き上がってくるのは、会いたいな、と言う感情。
あの明るすぎて眩しい笑顔にまた会いたい。手を引いて走ってくれる明るさに触れたい。困った顔で心配する優しさに触れたい。会いたいのに、会えないのに、悲しいのに、涙はあの時に枯れてしまったかのように流れてこない。
本当に自分はどこまで行っても九導の言う通り、人でなしだ。
涙すら出ないのに、彼が、奏がもうどうやったって帰っては来なくて、死んだ人間には二度と会えないと言う現実が響を苦しめる。
響は歪だ。だからこそ、どんなに人でなしで、表情や言動にでないとしても、年相応に身近な死に苦しむのだ。
那珂の言葉は14歳の子供を救えたかもしれなかった。でも彼は誰であろうと救われてくれない。
幸福を知らない者は自分が不幸であることに気づきやしないのだから。
だから助けを求めることをしない。
「………そうですか」
_____『美味しいご飯を食べてね』
その言葉がまるで呪いのように、頭の中で渦を巻く。
響の短い呟きは、己の頭の中の声にかき消されるほど小さかった。
悲しんでるようでも、興味がないという風でも無く、なんの感情も伺えないような、でも確かに懐かしんでいるような、よく分からない曖昧な一言だった。
那珂はやっぱり分からない。
響くんは大丈夫?とか、無理しないで助けを求めてとか、響を労ってやれるような言葉をかけたかったはずで、大人に助けを求めて欲しかったはずなのに、響にその言葉をかけるのは間違いなような気がしてしまったから。
窓の外は天気が悪く、まだ16時だというのにあたりは仄暗い曇り空だった。いっそ雨でも降ってくれたらな、と響は思う。
雨は見ている世界を洗い流して綺麗にしてくれる感じがするから。雨のカーテンで覆われた場所なら少し息がしやすく感じるから。
那珂は知らない。この時自らこの少年を死地へ送り込んでいる最中であることを。
目的地に到着して、響は那珂に先に帰っているように言った。
「何が言いたかったんだろ」
那珂は帰りの車の中で一人呟いた。
あの子は強い。
それはもうちょっとやそっとの天才や秀才が足元に及ばないほどに。彼は天才も秀才もどちらも持ち合わせた少年だから。
それなのに自分は、あの子を守ってやれると本当に思ったのだろうか。
陰陽師としての才能が無いから管理の方に回ったのに。それとも、死んでしまった弟の友達を守りたかっただけなのだろうか。
だとしたら傲慢で自分勝手だ。
酷い自己嫌悪に陥ってる中、ぽつりぽつりと、雨が降り出した。
奇しくも雨は、必要じゃなくなった時に、降り出したのだ。
那珂が響の凶報を耳にしたのはそれからそれからしばらく経ってからだった。
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