第8話 悪性切除
このまま回避を続けているだけでは、どうあっても状況が好転することは万に一つもない。どうにかして、ほんの一瞬でも奴の動きを止めたいところであるが――
依然として狂ったような連撃を出し続ける獣には一分の隙すら見出せなかった。接敵してから数分程度経っているというのに、わずかに途切れることもなく暴れ続ける体力は異常というよりほかにない。それはまるで、どこかから常時この連撃を維持し続けられる体力を補給しているとしか思えないものであった。
藤夫がさらに攻撃を避けたところで、周囲にいくつかの桜の木が立ち並ぶ場所へと入り込んだ。
障害物を利用すれば、わずかな隙を作り出すことも可能だろう。うまく誘導し、動きを止められれば打開の可能性が見えてくる。
藤夫は獣の攻撃を回避しつつ移動し、桜の木を自身の背後とする位置で獣を待ち受けた。
こちらが桜の木を背後にしても、獣は構うことなく攻撃を仕掛けてくる。見るからに凶悪な、人の身体など簡単に刺し穿ち破壊する爪を用いた突き。その貫通力は大口径の拳銃のような威力を持っていることであろう。まともに受ければ、仮に急所を避けられたとしても戦闘続行が不可能になるレベルの傷を負うことになるのは間違いなかった。迫りくる死の匂い。だが、その匂いに恐怖するわけにもいかなかった。せっかく、大きな隙を作りうる状況に持っていけたのだから。
ギリギリまで引きつけて、死に誘う突きを回避。それはこちらの狙い通り、獣の腕は背後にあった桜の木に容赦なく突き刺さった。
やっとのことで作り出した隙。藤夫はそこで持ってきた神石を取り出し、それを砕いた。
その瞬間、大量の力が身体の中へと入り込んでくる。同時に、普段は眠っている力が目覚め、身体の内部から発火したかのような熱が発生。
藤夫は、神石を砕くことによって普段は不活性状態となっている力を目覚めさせることができる。持っている能力の一つであった。
とはいっても、この状態の持続には神石を砕き続ける必要がある。持ち合わせの少ないいまでは、ごく限られた時間しか許されない。使い勝手のいい能力ではないが――
それでもやりようはある。いままでそうやってなんとかやってきたのだ。目指すべき目的のために。それを達成するのであれば、ここでやられてしまうなどあってはならないことであった。
桜の木を自身の手で貫いた獣は当然のことながら動きを止めている。それはどうあっても否定のしようがない大きな隙であったが――
藤夫が獣を見据えた瞬間、奴の手が突き刺さっていた桜の木が、はじめからそんなものがなかったかのように消失。先ほど切断された芳村の腕と同じように。目を疑いたくなる光景であったが――
奴は恐らく、自身に接触した相手を取り込む力を持っている。であれば、無尽蔵にも等しい体力を持っていたとしても不思議ではない。
となると、こちらから触れるのも危険だという可能性は充分にある。できることなら遠隔攻撃での無力化が望ましいが――
突き刺してしまった桜の木を取り込んだことで自由になった獣は方向転換し、迷うことなくこちらへ向かってくる。その見た目通り荒々しく、力強い動きにはまったく翳りはない。桜の木を取り込んだことで消耗した体力を回復させたのだろう。
対してこちらは奴に対抗しうる状態を維持できる時間は限られている。奴の能力がこちらの予想通り、自身に接触した相手の力を取り込むというのであれば、仮にダメージを負わなかったとしても、その力はどんどん削がれていくことになるだろう。ただでさえ限定されているのに、それをさらに削られるというのはあまりにも厳しい。
他に誰かいればなんとかなったかもしれないが、いまここにいるのは片腕を失った芳村と、芳村を確保した一花だけだ。片腕を失った状態の芳村を放置したことで、再び逃走を始める可能性はあまり高くないだろう。だが、せっかく生きたまま捕らえることができたのだし、そのまま引き渡すほうが望ましいというのは言うまでもない。
という状況を考えれば、増援が期待できないのは言うまでもなかった。なにもかも限られた状態で、あの獣を無力化して捕えるしかないが――
そもそも何故、あのような状態になっているのか? いまの奴が悪神憑きになっていないことは間違いない。だが、このままこれを放置しておくのはあまりにも危険すぎる。この場所に足を踏み入れた連中の消失は、先ほどの桜の木と同じように奴に取り込まれてしまったことが原因であるのは疑いようもなかった。
強力に隔離されていたとしても、未来永劫確実にというわけにはいかないのだ。滅びはあらゆるものに約束されている。それを絶対に来ないようにするにするのは不可能だ。それはこの世界に存在する真理としか言いようのないもの。
こちらを取り巻く状況など一切気にすることなく、獣は追いすがってくる。ただでさえ暴力的なのに、ちょっと触れるだけでも危険と伴うというのはとてつもなく厄介だ。こちらにある時間は限られている。一秒でも早くなんとかしたいところであるが――
そこであることに思い至る。
思い出したのは、ここにやってきた悪神憑きのこと。記録によれば呪い蜂という名称が与えられていた存在。
はっきりと記録に残っている悪神憑きがただ姿をくらますとは思えない。そいつが消えたのが先ほどの桜の木や芳村の腕のように取り込まれたのであれば――
奴が正気を失ってもおかしくはない。取り込むというのは自身の一部にする行為だ。取り込んだそれが悪神憑きであったのなら、なんらかの悪い影響を及ぼしても不思議ではないだろう。
であるならば、こちらに残されている時間が限られているのと同じように、奴に残されている時間も限られている。悪神憑きはその影響の差はあれど、そこにいるだけで周囲を汚染する存在だ。そんなものを取り込めば、その取り込んだ張本人すらもそれに毒されるのは必然である。
呪い蜂とやらがここで姿をくらませたのは七年前。その失踪があの獣に取り込まれたことが原因だったとすれば、奴は七年もの間、自身を侵食する猛毒に一切の対抗措置をせずに耐え続けたことに他ならない。
それは驚嘆という以外に他になく、偉業といってもいいレベルの行為だ。過去に何度か重篤な汚染を受けた者を見たことがある。それらは例外なく地獄のように苦しみながら、悲惨に死んでいった。懇意にされてもらっている小春先生の話によれば、半年耐えられたらそれだけで希少な例として論文を書けるという話だ。
その部分さえどうにかできれば、奴を無力化できるかもしれない。そうでなければ、七年も自身を蝕む呪いに耐えられるわけないのだ。
それを安全に成し遂げられるのは自分しかいない。少なくとも、いまこの場所においては。
これが悪神憑きを取り込んだ結果発生したとわかったせいか、恐ろしい姿をした獣はとてつもなく苦しんでいるように見えた。
……やってやるさ。正義などクソとしか思えないが、それでもこれだけのことをやった奴を苦しませるなど――
藤夫は向かってくる獣を改めて見据える。この獣を蝕む病巣の特定。それさえできれば、いい形でこれを終わらせられる可能性は非常に高い。
神石を割って活性化した力を以て獣を注視する。奴に悪影響を及ぼしているものは通常の目では見えない。だが、神石を割って力を得たいまならばそれを見ることは不可能ではない。奴に憑く、悪いものを切除するために。
眼球を直接あぶられているかのような熱がどんどんと広がっていく。目と繋がっている脳も発火したかのように熱を帯びる。
計り知れない力の坩堝の中に、悪性部分が見えた。そこさえ、切除できれば――
もう一つ持ってきていた神石を取り出した。
獣の暴力的な腕が突き出される。藤夫はそれを最低限の動作で回避し――
手に取った神石を獣の腹部に向かって叩きつけた。
その神石の中へ奴を蝕んでいた悪しき部分が吸い込まれていき――
獣の姿が変異する。そこから現れたのは、まだ高校生くらいと思われる少年であった。
こんな子供が、あの地獄に七年もの間、耐えていたというのか。その事実はなによりも痛ましい。
少年から悪い部分を吸い取った神石に目を向ける。悪しきものを取り込んだそれは毒々しい暗黒に染まっていた。これを使うのはもうできないだろう。
終わった。そう思った瞬間、身体が急に重くなって膝を突く。神石を割って力を活性化させたことによって発生した反動。少し休まないと、動けそうにない。
それでも、なんとか腕を動かして携帯端末を取り出して操作する。相手は芳村を確保した一花だ。
「そっちはどうだ? こっちはなんとか終わったんだが――動けそうになくてな。大丈夫なら来てくれないか?」
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