28. ネバーランド

「……もったいない?」


 その発想はなかった。初瀬さんの言葉を理解するために、数秒の時間を要した。しかし、理解できなかった。


「もったいないって、どういうことですか?」


「ん、まぁ、そうだな……」と初瀬さんはしばしの間があってから、答える。「宿須君は全力でダンジョンを楽しめていない。俺はさ、ダンジョンって『ファンタジー』であるべきだと思うんだよね。ダンジョンには、創作の世界にしかなかったはずの魔法があって、モンスターもいる。だから、そういった魔法を使い、モンスターと戦えることこそ、ダンジョンの醍醐味だと思うんだ」


 何となく言いたいことはわかったが、完全に理解できたとは言い難い。俺が初瀬さんの言葉をかみ砕いていると、初瀬さんは苦笑した。


「ごめんね、俺はあんまり人に説明するのがうまくないからさ」


「あ、いえ、そんなことはないです」


「だから、そうだな。宿須君はDランドって知ってる?」


「はい。夢の国と呼ばれるテーマパークですよね?」


「うん、そう。あそこはさ、施設を囲うように高い壁を建てているんだけど、その理由が、お客さんに自分たちの世界観に没入してもらうためなんだ。つまり、壁を高くすることで、『リアル』を排除しようとしているんだ。ダンジョンもそれと同じ。ダンジョンには、ダンジョンの世界観があるから、そこに『リアル』は持ち込むべきじゃないと俺は思っている」


「……なるほど」


「だから俺は、あの杭打とかいう男が嫌いなんだ。あいつは、ダンジョンに『リアル』を持ち込む」


 ダンジョンにはダンジョンの世界観があって、そこにリアルを持ち込むべきではない。それが、初瀬さんの考えか。確かにそれは一理ある。そして、杭打を嫌う理由にも納得がいったし、共感できた。


 ダンジョンは俺にとっての生きがいだった。あの男は、そこに『リアル』を持ちこみ、俺を苦しめようとしている。だから俺も、あの男は嫌いだ。


「……興味深いお話、ありがとうございます。杭打に関しては俺も同じ意見です」


「そうかい。それは良かった」


「ただ、もったいないかどうかについてはもう少し考えさせてください」


「ふっ」と初瀬さんは笑う。「君は真面目なんだな。まぁ、好きに考えてみるといいさ」


「はい」


「さぁ、今日はもう寝るか」


「そうですね」


 俺は立ち上がって、容器を片付けようとした。しかし初瀬さんは、座ったまま、じっと炎を眺めていた。


「初瀬さん?」


 話しかけると、初瀬さんはゆっくり口を開いた。


「……ダンジョンは、俺にとって『ネバーランド』なんだ。あそこには、この世界に無い夢や希望がある。だから、あの場所のためなら、俺は子供のままでも構わない」


 炎が照らす初瀬さんの横顔。彼は、その言葉を自分に言い聞かせているようにも見えた。


「あ、ごめん。行こう」


「はい」


 野営地では、シャワーも無料で浴びることができる。だから、シャワーを浴びた後、コンテナ型の部屋で雑魚寝した。他の冒険者の寝息を聞きながら、俺も眠ろうとしたが、眠れなかった。初瀬さんの言葉について考えてしまう。


(俺はもったいないことをしているのか?)


 確かに、モンスターに嫌いな連中を重ねる時点で、俺はダンジョンに『リアル』を持ち込んでいる。ただ、嫌いな連中を殴る行為自体は『ファンタジー』であるから、俺は『ファンタジー』を全力で楽しんでいるとも言える。


(その辺は、明日、ダンジョンに潜ってから考えよう)


 ダンジョンに行けば、何かしらの答えが見つかる。


 俺は仰向けになって、薄暗い天井を眺めた。


 初瀬さんのもう一つの言葉が頭をよぎる。


(ネバーランドか……)


 確かにその表現は、言い得て妙だと思った。実際俺も、社会人らしい生活を捨て、ダンジョンのために生きている。あの場所のためなら、大人になんてならなくていい。


(さっさと眠ろう)


 目をつむって、体の力を抜く。


 早く、ダンジョンに行きたかった。

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