4. 初めての戦闘

 ダンジョンの内部は、ごつごつとした岩肌がむき出しの薄暗い洞窟だった。しかし、胸甲と棍棒がずっしりと重くなって、異空間に来たことを実感する。胸甲は光沢と厚みを取り戻し、棍棒も艶が出て、カチカチになった。俺以外の冒険者も驚いた様子で、武器や防具を観察している。


 しかし、それも束の間のことだった。


「敵だ! 行くぞ、おらぁぁ!」


 ヤンチャな集団が、洞窟の奥に向かって駆け出す。彼らの先にいたのは、ゴブリンだった。ゴブリンたちも奇声を上げて、ヤンチャな集団へ襲い掛かる。両者はぶつかり、瞬く間にダンジョンは戦場となった。


 俺も加勢しようとしたが、足が動かなかった。恥ずかしいことに、ゴブリンを前にして、ビビってしまった。小汚い緑色の小鬼が、武器を振り回し、怪鳥めいた奇声を上げる様は、現実離れしていて、受け入れるのに時間が必要だった。


 とりあえず、棍棒を構えて、戦う意思を見せる。そのとき、一体のゴブリンと目が合った。黒目のない淀んだ白濁色の目で俺を観察し、ハッと笑う。人を小馬鹿にしたような醜い顔。その顔に、嫌いだった上司の面影が重なった。


 その瞬間、俺の中から恐怖みたいなものは消える。


 上司に対して殺意が湧き、棍棒でぶん殴りたくなった。


 俺は両手で棍棒を握りなおした。棍棒の振り方なんて知らない。でも、バットの振り方なら知っている。上司が飛び掛かってきた。上司の顔を野球の球だと思って、フルスイングした。骨の砕ける音と重々しい感触が棍棒から伝わる。上司は吹き飛んで、地面を転がる。止まったかと思うと、彼はゴブリンとなって、霧散した。ダンジョンでは、モンスターを倒すと霧になって消えるらしいが、それは本当のようだ。


 俺は宙に消える霧を眺めた。初めてのモンスター討伐。しかし、モンスターを倒した感覚は無く、むしろ、上司を殴った感覚の方が強かった。そして、上司を殴ったことに、罪悪感や後悔の念があるかと言えば、そんなことはない。むしろ、痺れるような快感があった。


「キキィ!」


 金切り声がしたので振り返る。


 激怒した様子のゴブリンが、棍棒を振り上げて、迫ってきた。俺にはその様が、書類を叩きつけようとする上司に見えた。だから、彼が書類を振り下ろす前に、その右腕を棍棒で殴った。「ギィァ」と悶絶する上司。右腕を抑え、のたうち回る。駄々をこねる子供に見えたので、その顔面に棍棒を振り下ろした。上司の醜い顔が潰れ、ゴブリンの醜い顔だけが残る。そしてその顔も、黒い霧となって消えた。


(……なるほどな)


 このダンジョンに入ってまだ数分しか経っていないが、ダンジョンがどういう場所かわかった。


 ダンジョンとは、死ぬ場所ではない。


 殴る場所だ。


 辺りを見回すと、まだまだ多くの上司がいた。いや、よく見えると、彼だけではない。人事部の連中もいたし、先輩もいたし、学校の担任もいる。


 俺は思わず笑ってしまった。


 そして、ダンジョン攻略に参加したことを心から喜んだ。


 この場所なら、嫌いな奴を何度も殴れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る