第12話 父と子ら
国王からの勅使が各公爵家を訪れた翌日のこと。
王宮にある、アルスリーナの父ブレンダン・ロッテンバーグ公爵の執務室に、よく知る客人が訪れていた。
現騎士団長でありサイラスの父、ザックス・ノックノット公爵である。
「珍しいな、こっちに来るとは」
「なに、訓練の合間にたまたま時間が空いてな」
ブレンダンは仕事の手を止め、侍女に紅茶を持ってこさせた。
ザックスは断りもなく応接用のソファに腰掛ける。ブレンダンも何も言わず、向いのソファに移動した。用件は大体わかっている。子供たちのことだろう。
「ロレンス殿下の件、か」
ザックスは声に出さず鷹揚に頷いた。侍女が二人の前に紅茶と簡単なお茶請けを置いて部屋を出ると、どちらからともなく息を吐く。
「まさか子供らの師匠にとはな」
「ああ……正直驚いたよ。だがいい采配なんじゃないか? 正直……」
「ああ。皆、黙ってはいたが……、な」
言葉尻を濁すザックスに、ブレンダンも苦笑する。
王弟ロレンスの扱いについては、王宮内でも意見の割れるところだった。
トラヴィスが産まれたのだから王位継承権を返上すればいいとする派閥と、トラヴィスの成人までは、返上は不要という派閥……ブレンダンもザックスも中立を貫いてはいたが、ロレンスの話となると場の空気が凍るのが常だったため、ここ数年王宮内では暗黙の了解で誰も口にしないようにしていたのだ。
現王であるルシアス・オルブライトもそのことは重々承知していた。同時に、ロレンスが王位を欲することがないこともわかっていた。だからこそ補佐の地位にロレンスを置いていたのだ。
ブレンダンは宰相という立場上ロレンスとはよく仕事をするが、あれほど仕事のできる人間はなかなかいない。現王が手放したくない気持ちもわからなくはないが、それでもやはり、いつまでも中枢に置いておくのも余計な火種になるだろう。
かといっていきなり地方の領主を任命して王都から追い出すわけにもいかない。どうするべきかと誰もが頭を悩ませていたところへ、王子殿下への魔法指導の任が舞い込んできた。
すでに耳の早い人間たちはそれを聞きつけ、ついにロレンスがトラヴィスに知識を継承して退くつもりなのではと囁きあっている。
「どう転ぶかはまだわからないが、ひとまずロレンス殿下も居場所を得た。鬱屈な日々を送られるよりはずいぶんと良いだろう」
ブレンダンはひそかにロレンスを案じていた。
国王補佐の仕事が少しずつ減り、明らかに手持ち無沙汰になったロレンスは日に日に顔色を悪くしていった。
普通の人間からすればそれでも彼の仕事は多いはずなのだが、何せ優秀なせいであっという間に仕事を終えてしまうのだ。暇になった時間で色々と考え込んでしまうようで、寝食もおざなりになっているのは明らかだった。子供たちが絡むことで、規則正しい生活を送るようになってくれればいいのだが。
「確かにそうだ。そういえばブレンダン、この話、どこから上がってきたか知ってるか?」
お茶請けのクッキーを一つ摘み、ザックスがにやりと笑う。トラヴィスからだとばかり思っていたブレンダンだが、その悪童めいた笑みを見るに違うということは察しが付く。
「嫌な予感がするな」
「まさかまさか。この英断の発端は、お宅の小さな女傑だぜ」
「…………」
ブレンダンは頭を抱える代わりに目を閉じてぐっとこめかみを抑えた。
うちに女傑と言えば妻のメリンダか娘のアルスリーナしかいない。小さなと言われれば迷うことなくアルスリーナだ。
夕べの娘のはしゃぎようが脳裏に蘇る。
国王陛下の勅命ならお断りできませんものね! 喜んでお伺いいたします! ねぇお父さま、行ってもいいですよね、ね、ね?
どこで覚えてきたのか上目遣いで父の腕を取って首を傾げて見せる娘に、絶対にダメなどと言えるはずもなかった。くッ、回想でも可愛いぞアルスリーナ! 世界一の娘だ!
半年前に魔法で大惨事を起こす寸前だった手前、実技練習だけはなんとか止めたが、正直もう可愛いからなんでもいいか! という気持ちとの葛藤で大変だった。
表向きは怒ると恐い立派な父の顔をしているが、ブレンダン・ロッテンバーグは極度の親馬鹿である。
「……何故か魔法に関してだけは、あの子は勉強すると言い張ってきかなくてな……」
ザックスの息子のサイラスを巻き込んでの火球事件だったため、魔法の訓練参加を止められなかったとは言い出しにくい。
しかし当のザックスは、気にも留めていない風でのんきにお茶を啜った。
「いいじゃないか、向上心があって。あの年頃ならまだまだお人形遊びの方が好きだろうに、大したものだ」
アルスリーナの思惑は大人たちには知る由もない。
王子の婚約者に選ばれた令嬢として、幼いながら懸命に並び立とうとする健気な子と、どこからともなくそんな噂が流れている。火球事件も、被害がなかったおかげで美談のように語られてしまっていた。
「昔からどうもお転婆でね……。マナーを覚え始めてから随分おしとやかになったんだが、それ以前は気付いたら屋敷の中を走り回っている子だったよ」
今でこそある程度礼儀作法を身に着けたので廊下を駆け抜けることはしないが、アルスリーナはその美しい容姿から想像もつかないほど行動力のある少女だった。
最近だって急にカラドスの孤児院に寄付したいから行ってくるとか言い出してすぐに出発するし、王子とのお茶会に王城に行ったと思いきや騎士団の訓練の合間に遊ばせてもらったとか言って木剣を貰ってきたりと、なかなか破天荒なのだ。
「いいじゃないか。あのトラヴィス王子の婚約者だ、それくらい肝が据わってる方がいい」
ザックスは呵々と笑った。ノックノット家は男三人兄弟だから、一般的な女児のイメージが沸きにくいのかもしれない。ブレンダンは親バカではあったが、流石に我が子が規格外なことは理解している。
「……まあ、正直な。お嬢ちゃんには感謝してる」
不意にザックスが神妙な顔をした。ブレンダンはお茶請けに伸ばしかけていた手を止める。彼の立場上、誰のことを言っているのか察しはつく。王子の護衛、としてついている、サイラスのことだろう。
「……大事な役目だとわかっちゃいるが、好き好んで倅を犠牲にしたい親なんざいねぇさ。早く自衛の術を覚えてくれるなら、それに越したことはない」
王族の護衛は、騎士にとって最大の名誉だ。特に国王や王子の護衛ともなれば、一番信頼のおける騎士にしか勤まらない。ノックノット家は代々その王家の盾であり、これまでに何度か王女の降嫁もある、言うなれば王族に連なる血筋だ。
三男のサイラスは王子と近い生まれであったが故に、赤ん坊のころからほとんどの時間王子と一緒に育ってきた。
護衛といえば聞こえがいいが、小さな子供に何が出来ようか。もしも今有事があれば、サイラスは身を挺してトラヴィスを守る以外に出来ることはない。つまり、身代わりなのだ。それが栄誉ある役割とは言え、自衛の手段はあればあるだけいいと思うのが親心だろう。
「動きがあるのか」
「いいや。だが、奴がお二人の接触をよく思わないのは目に見えてる」
ぐっと声を潜める。
現王が健在で表面上王位継承争いはないものの、水面下ではロレンス派とトラヴィス派に分かれてお互いを牽制しあっている。貴族の大半はトラヴィス派ではあるが、ロレンス派には好戦的な貴族が多い。
トラヴィスが幼いうちに彼らが動かないという根拠はない。特に、毎回議会で周辺国への侵攻を進言しては却下されているカッツェンバッハ侯爵などは、御しやすいロレンスを祭り上げようと擦り寄っているようだ。
「警戒するに越したことはないな」
ブレンダンの言葉にザックスが静かに頷く。彼はそのまま出された紅茶を一気に呷った。
「いや、馳走になったな。いい紅茶だ」
「それは何より。茶葉を贈呈しようか」
「屋敷宛に頼もう。妻が喜ぶ」
他愛ない会話を装いながらザックスが立ち上がる。ブレンダンも立ち上がって、ザックスを見送った。軽く手を上げて、ザックスが執務室を出ていく。
ブレンダンは同じように手を挙げて応えると、ソファに戻って自分の分の残った紅茶を飲み干した。
子供たちの魔法の勉強は来週から。始まったら、娘に様子を聞いてみようか。
ブレンダンは息をついて、大きく伸びをした。残りの仕事を片付けて、夕飯までには屋敷に戻らなければ。
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