第8話
小説サイトに掲載、連載している僕の作品の閲覧数が、規定の数字を越えて安定し始めたのは、六月の終わりから、七月の頭にかけてだった。
すでに目安となる『二週間』は過ぎ、閲覧数をキープしている為、こちらから運営に申請すれば、出版審査が行われ、それを通過すれば、僕は一銭も払うことなく本を出せるのだ。
小説サイトのシステムを通して、運営の担当者である『吉村 清二』という人とやり取りをすることになった。
おそらく担当編集、みたいなものだろう。
まだ審査段階ということもあり、直接ではなくメールフォームでのやりのみだが、作品を作った経緯や、今後の大まかな展開、つまりはプロット的なものなどを自分でプレゼンするような形でアピールした。
この辺は、かつて僕がうっかり受賞した『優秀賞』と、その後日提案された『自費出版』に関する打ち合わせと殆ど同じだった。
言い忘れていたが、中学の時に賞金三万円の小さな小さな賞をもらった後、実は本を出版しないか、と賞を開催していた出版社に持ち掛けられたことがあった。
もちろん、ただ純粋に製本化してくれるというのなら、断る理由などあるはずもなく、そうであればとっくに僕はプロの小説家になっている訳だが、至極当然ながらそんなうまい話ではなかった。
『共同出版』
それが、当時の僕に提案された方法だった。
ほぼ自費出版のようなもので、製本にかかる金額さえこちらが負担すれば、マーケティングや書店への打診、宣伝広告とその費用は、出版社が受け持ってくれるというものだ。
右も左も分からない上に、殆ど初めての応募で受賞した上に出版まで持ち掛けられた僕は、その魅力的過ぎる言葉に一瞬舞い上がりもしたが、その負担金額に愕然とした。
最低発行部数が五百部で九十万とか、そういう感じのものだった。
売れるかどうかも分からない作品を売り出す為に、中学生である僕が、九十万も用意できるはずもなく、それを断ったのだ。
もしかしたら、親に真面目に相談すれば、払ってもらえたかもしれないが、受賞したばかりで有頂天になっていた僕は、『世の中には一銭出さずに本にして貰えてる作家は沢山いる』と思い上がり、案外すんなりと製本化を断念した。
まぁ、その結果こうしてもがき苦しむことになった訳だけど、それは置いておいて。
閲覧数はもちろん、サイト内での読者評価も悪くない。
ジャンルも、もう長らく流行り続けている異世界転生モノだし、一定以上のファンが付きやすく、利益になりやすい。
となれば、僕だけ製本化されないなんて事の方が珍しい。
案の定、審査は順調に進み数日後には製本化の方向で進む旨が吉村さんから返ってきた。
この小説サイトは大手だし、製本化するのも、誰もが知っているような有名な出版社から発売されるので、よほどコケない限りはそこそこ売れることが望める。
つまり僕は、晴れて小説家を名乗れるのだ。
一生食べていけるほどのベストセラーは無理でも、一時的に印税が入ったなら、それは、ゆるぎないもの、確固たる結果と言えるのではないだろうか。
僕が欲しくて欲しくてたまらないものが、やっと手に入るのだ。
そうすれば、きっと僕の人生は少しだけ、変わるだろう。
例えば……、
僕は具体的に何が変わるかを考えて、ゾッとした。
それはあまりに自然に、唐突に、殆ど無意識に思い浮かべた結果であったからで、同時にそれが、通常ならありえないようなことであったからだ。
『栗花落 鳴華とも、もう少しまともに向き合うことが出来るかもしれない』
僕が真っ先に思い浮かべたのは、それだった。
いやいや、ありえないだろう。
これではまるで、僕が人間的に少しでも彼女と釣り合う存在になりたい、と思っているような、思い上がりや勘違いも甚だしい痛い奴みたいではないか。
そんなこと、万に一つもありはしないのに。
栗花落が圧倒的な美少女であることは主観的にも客観的にもゆるぎない事実であるし、とりわけ『僕の好みの容姿』をしていることも認める。多分、中学の頃の僕ならば、一目惚れしていた可能性もゼロではない。
だけど、今の……『今現在』の僕は、そんなことで栗花落を好きになったり、そこまで行かなくても、『気になっている異性』になんかになり得ない。それくらいには、僕はあらゆる感情をオフにして、極力当事者にならないように生きている。
では、なぜ一番に浮かんだのが、栗花落のことだったのか。
答えは、簡単だ。
リア充につながるあらゆる主観を断ち切っている現状で、僕の人生の生活範囲内においてのイレギュラーは間違いなく栗花落であり、『何者でもない』自分に劣等感を抱く瞬間が最も多いのは、彼女と関わっている時間だからである。
彼女に話しかけられる度に、僕は警戒し続けなくてはいけないし、いつも以上に間違ってもあらゆる希望や期待などを持たぬよう、心がけなくてはいけない。
そして何より、栗花落と一緒にいる間、僕は自分を守ることで必死なのだ。
取り繕うとか、良く見せようという意味合いではない。
気心も知れない、信頼にも信用にも値しない正体の分からない完璧に近い美少女など、毒でしかない。
自分に自信もない割には自尊心とプライドだけは一人前にある僕にとって、誰からも人気のある人間なんてものは、いるだけで自然と自分と比べてしまう。容姿……は千歩譲って主観や趣味趣向に左右されるとして、人と接する時の態度や、その好感度、会話の中で見え隠れする頭の良さや知識の多さ、流行へのアンテナの張り方、距離感とか、人見知り度とか、そういう一挙手一投足に、心が削られ、傷ついていってしまうのだ。
だからきっと、プロの作家になれることで、また栗花落に話しかけられた時、これまでよりも、傷つかなくて済むようになるな、とか、そんな風に考えただけなのだ。
本当に、それだけだ。
僕は改めて送られてきた『契約書』と出版に当たっての『規約内容』を確認しながら、小説サイトに掲載する次のエピソードの大まかなプロットから更に詳細なプロットを考えていた。
今後のプロットを担当の吉村さんに話すと、内容がちゃんとしていることと、随分先まで作っていることに驚かれた。
逆に、プロットがしっかりしてなければ、この手の小説は書けない。だって、今僕が掲載している小説には、書きたいという衝動や情熱や、もっと面白くしてやるという想い、自分が納得する為の探求心などは一つもないからだ。
そういう『熱量』とか、『意思』というものがない作品を書くには、しっかりとした詳細なプロットが必要だ。
自分で作っていても、誰かがつくった設計図通りに作るのと同じように、サイトの閲覧者にだけに人気がでるように、機械的に文章を書いていくだけ。
僕がサイトで連載している小説とは、そういう類のものなのだ。
でも、それで戦略的にプロになれるのだから、これは一つの正解なのだろう。
一週間後には、出版社にて担当編集者と引き合わせてもらうことになっている。
それを想像すると、少し緊張する。
出版社はかなりの大手だし、だからこそだけど、そこから出版されている小説の中には、僕が衝撃や影響を受けた作品が沢山ある。
その中でも、一番僕が尊敬しているのは、『壱岐(いき)芳(ほう)助(すけ)』だ。
三十代の男性作家で、デビュー作は彼が十七歳の時にホラー大賞の『大賞』を受賞した『﨟闌(うろた)けるネクロフィリア』。
現代ファンタジーだが、妙にリアルな描写と、全体的にもの悲しい文章、胸が熱くなる展開も、どんでん返しもあるのに、しっかりとホラーしている作品だ。
一貫したメッセージ性、読み進めてしまう圧倒的な文章力と物語の構成力は、掛け値なしに『天才』と呼ぶにふさわしい作家だと思っている。
壱岐芳助は一時期、この出版社の専属のような立場で書いていた。それ故に、有名な作品は殆どここから出版されている。
そういう意味でも、何か感慨深い出版社でもあった。
同じところから、本を出してもらえる。
こんな僕でも……いや、こんな僕だからこそ、それは何より、名誉なことに思えた。
「はぁ……」
色々な意味での溜息がこぼれた。
少し前までは、僕はがむしゃらに書きたい小説を書いて、それをブラッシュアップして小説大賞に応募することを繰り返していただけだったのに。
いつだって全力で書いて、それを募集大賞にぶつける。
その時に書ける最高傑作を書いて、それが楽しかったのは事実だ。
何度報われない結果を付きつけられても、ただ書き続けるしかないと。
だからこそ、小説家になれるのは、もっとずっと後だと思っていたし、十年後くらいになれれば御の字だとも思っていた。
それが、この『抜け道』のようなやり方でこんなに早くプロになれるなんて。
でも、結果が全てのこの世界で、何よりも『製本化される』というのは、圧倒的なアドバンテージだ。
未来は、少なからず開けたのだ。
とは言っても、これで僕の生活(主に学校生活)がどれほど変わるかと聞かれれば、きっと何も変わりはしないのだろう。
僕の中で、やり続けてきたことが実ったというだけであり、現段階では他人に言いふらせるような状態ではない。
ベストセラーや、メディアに取り上げられるくらい有名になれば話は別だが、そうでない限りは、そこまで自慢できることではない。
しばらくは、また小説を書き続ける日々であることに変わりはなさそうだ。
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