第7話

「白峰君」

 やはりいつものように、放課後の図書室の作業テーブルの上で小説を書いていると、タブレットモニターと僕の視線との空間に、突然ひらひらと細い手が差し出される。

「お~い、白峰君ってば」

 反応せずに書き続けていると、もう一度目の前で、今度は手を握って開いてを繰り返しながら、その声が僕の名前を呼んだ。

 そこまでされて、ようやく僕は彼女の方に顔を向けた。

 声で分かっていたが案の定、栗花落 鳴華だ。

「あ、やっと反応した。すごい集中力ね」

「いや、見えてもいたし、聞こえてもいたよ」

「え? じゃあなんで答えてくれなかったの?」

 その理由は言うまでもない。

 執筆活動は何にも優先すべきことであることと、これ以上栗花落鳴華と関わらないようにする為だ。

 だが、流石に面と向かってそうは言えない。

 関わりたくない、と言えば理由を尋ねられるだろうし、そうなると説明

面倒くさい。嫌いでもなんでもないのだが、僕は僕なり信条というか、処世術の一環として、彼女に深入りしたくない訳で、それを誤解なく伝えるだけで、一苦労するのは目に見えている。

「それで、今日は何の用なの、栗花落さん」

 強引に話題を変えて、テーブルの右隣に立っている彼女を見上げるように問いかけた。

「白峰君って、小説以外にも色々見たり、読んだりしてるのよね? ……ほら、この前出かけた時に、そんな話してたでしょ?」

「ああ、まぁね。それが、なにか?」

「映画と、漫画とあと……アニメとか、あなたのおススメなものを教えて欲しいの」

「え?」

「薦めて貰った小説、全部面白かったし、感性っていうの? 価値観は合っていると思うのよね。だから、あなたが好むものは、ハズレないんじゃないかと思って」

「やっぱり、アレかい? ハズレを引いて、時間を無駄にしたくないってやつ?」

 僕が聞くと、彼女は少しだけ顔を傾けて、「当たりっ」とほほ笑んだ。

 傾けた拍子に、髪が少しだけ流れて、ふわりといい匂いが鼻をかすめる。

「映画も漫画もアニメも、元々結構好きなんだけどね。駄作にあたりたくない気持ちが強すぎて、最近はあんまり見てないの。でも、それって良くないって思ってね。信頼できるレビュワーがいたら、効率よく触れていけるでしょう?」

「わかったよ。まとめたモノをメールで送る、とかでもいい?」

「え? この前みたいに一緒に行ってくれないの?」

「小説みたいに、中身をパラパラと見られる訳でもないし、キャッチコピーやパッケージ裏に書かれているあらすじなんかは、あくまで興味を煽る為のモノだからあてにならない。一緒に現場に赴いて選ぶ意味が薄いよ」

 僕は言った。

 そもそも、前回だって一緒に出掛ける必要がなかったのだ。

栗花落さんは、僕の言葉に対して、顎に軽く曲げた人差指をあてながら「う~ん」と悩んで、うんうんと頷く。

 その間の表情に『ちょっと納得できないけど』『でもまぁ、無理強いしても仕方ないし』『まぁ、イイか』という内心の移り変わりがあからさまに出ていた。

 ある意味表情豊かというか、素直というか、そういうところも多分、彼女の魅力なのだろう。

「じゃ、じゃあ、見どころとか、ポイントとかも書いてくれる?」

「思いっきり主観が入っていてよければ」

「ありがとう。お願いね。お礼は……いずれちゃんとするから」

「別にいいよ。大した手間でもないし」

 僕は言って、またタブレットのキーボードを叩き始めようと思ったが、栗花落さんはまだその場に留まり続ける。

「ん?」

 何をしてるのだろうと思い、もう一度見ると、彼女はそのまま僕の隣の椅子を引いて座った。

「白峰君って、不思議な人ね」

「前も言ったけど、絡みにくい人間なのは、認識しているよ」

「そうじゃなくて、その……見た目も、雰囲気も、どちらかと言えば、なんていうのかな? 運動部とか、文化部でも積極的に活動してる人達っているでしょ? クラスでも、輪の中心近くにいるような、そういう感じに見えるのに実際のあなたは、それとは真逆ななんだもの」

 普通に聞いていたら、彼女が何を言ってるのかわかりかねるところだが、僕にはすぐに分かった。

 そして、分かってしまったからこそ、少し焦りもしたし、反射的に『嫌だ』と思ってしまった。

 それは、僕のとてもデリケートな部分を掠めるからである。

 僕にはまだ、陰キャではなく、クラスの人気者になれると信じていた頃の痛い名残が、雰囲気から見え隠れしてしまったいるようだ。それを彼女は敏感に感じ取ったのだろう。

「そうかな? 初めて言われたよ、そんなこと」

 それでも僕は、平静を装ってとぼけて見せた。

「それが、あなたの処世術ってことなのかな」

「……何を言っているのか分からないけど、多分全部見当違いな勘違いだよ」

 僕は結局、栗花落のことを見ずにそう言った。

 彼女はほんの数秒黙っていた。

 小さく溜息のような吐息が栗花落から漏れた。

「私、もしかして避けられてる?」

 言われて、手が止まった。

 しまった、と思った。どうやらさじ加減を間違えたようだ。

 実に曖昧な言葉と対応の中に、明らかなメッセージや意思を込めるのは、僕なりのもっとも円滑なコミュニケーション手段ではあるものの、その加減が難しいのも事実だ。

 相手の好奇心や沸点、感情が動く境界線を見極める必要があり、それが動かないギリギリのところで言動しなければいけないからだ。

 今回も、相手が完全に不快には思わない、それでも、なんとなく距離を置かれているというころを無意識下に近いレベルで感じる、というラインを狙って対応していたつもりだったが、僕はうっかり踏み入れ過ぎてしまった。

 境界線とか、許容とか、そういったものを少しでも越えてしまえば、人はそれを言動に起こす。

 そこを僅かに越えてしまった。あるいは、踏み込んでしまった。だから彼女は、面と向かって口にした。

 『自分が避けられているどうか』を。

 僕が考えるよりも、彼女はそういうことに敏感な人間であり、また同時にそれを即口にできるようなメンタルの持ち主である、というあたりの憶測を見誤ったのだ。

「避けている、という訳じゃないけど、限りなくそれに近いかもしれない。苦手なんだよ、多くの人から好意を持たれる人間と接するのがね。いわゆる人気者って言われる人だね。明るくて、社交的で、だからこそ好かれるんだろうけど、……そういう人間っていうのが、正直な話、僕からしてみれば、別の生物なんではないかと思うくらいには、よくわからないんだ」

「よくわからないから、苦手なの?」

「自分とは違うものって、みんな敬遠したり怖がったりするだろう?」

 集団の中で明らかに違うものは、少なからずハブられる。

 理由はそのままで、『違うから』だ。

 違うことを、それはそれとして捨て置ける人間は少ない。理解できない部分が多い生き物と率先して仲良くなろうとか、仲間にしようとする者は、圧倒的にマイノリティなのだ。

 それは、僕にだって言えることで、僕は僕が少数派であるにも関わらず、やはり自分とは違い過ぎる人間を拒絶し、嫌う。そんな部分だけはマジョリティな人間なのである。

「それじゃあ、私はあなたにとって、宇宙人とかと同じってこと?」

 チープ且つ突飛な例えに、僕は思わず視線を向けてしまった。

 栗花落はやっぱり、僕を見つめていた。

 絶妙に首を傾けて頬杖を付きながら、にっこりと微笑んでいた。

見惚れる、というのは、多分こういうことを言うのだろう。

思考が停止して、脳が体への支持を止めて純粋に見入る。

絶景や芸術を見た時のような感覚に似ている。

目を奪われた、とはよく言ったものだ。それは強引に、当人の意思など関係なく奪い去っては、釘付けにする。

そう言う意味では、芸術などよりも、質が悪いかもしれない。

「……どうしたの? そんなにマジマジと見つめて。あ、でも、初めてね。白峰君が、こんなにしっかりと私を見てくれるのなんて。いつも、目も合わせてくれないじゃない?」

「……栗花落さん。こういうことを聞いたり、言わない方がいいのは分かっているんだけど、ずっとそれを抱えたまま君と話しているのも、気持ちが悪いからあえて言わせてもらう」

 僕はタブレットを閉じて待機状態にしながら、そう言った。

「君の目的は何なんだ?」

「え?」

 栗花落の表情が、それまでの笑顔から一変して、キョトンとした顔になる。

「美人で人気者で、クラスでも中心にいる人間である栗花落さんが、クラスも違うし、なんの接点もない僕にいきなり声をかけてきて絡んでくる理由が分からない。百歩譲って、僕がもう少し有名人だったなら、そういう可能性もあると思うけど、僕は部活でも勉強でも、全く目立っていない。しかも僕はこのとおり、社交的じゃないから友達も殆どいないし、声をかけて欲しくないオーラを全開にしてるのに、それをおして声をかけてくるなんて、尋常じゃないよ。それが、もはや不思議を通り越して不気味なんだ」

 僕は言った。

 こうして、覚悟を決めてしまえば言いたいことを言えるというのは、まだ人気者になれる、と思っていた頃の辛うじての名残だ。

 内容が内容なだけに、僕は不快になり過ぎないように声のトーンや言い方をなるべく穏やかにして言ったつもりだが、彼女はどう受け取っただろうか。

 栗花落は、目を伏せていた。

 おそらく、僕が初めて見る、鬱々とした表情。気まずいような。そんな顔だ。

「迷惑だった?」

 おずおずと、探るような言葉だった。

「迷惑だったのなら、謝る……ごめんなさい。確かに、一方的、だったよね」

 その言葉と態度に、僕は戸惑ってしまった。

 まさか、ここでこんなに素直な謝罪があるなどとは、全く考えもしなったからだ。

「いや、迷惑ではないけど、僕はただ、理由が知りたいだけだ。君は確かにコミュニケーション能力が高い人間だとは思うけど、それでも、ただの気まぐれで全く知らない男子生徒に話しかけるなんて……、」

 そうだ。

 全く接点のない男子に、しかも高校に入って間もないという微妙な時期に、まるで狙ったように声をかけるなど、裏があるに違いないと、未だに僕は疑っているのだ。

「……ありえない」

 僕は一番初めから抱いていた疑問というか、気持ちの悪さを彼女にぶつけた。

「なるほどね。警戒、していたってことなのね。何か、質の悪い冗談か何かではないかと」

「今も、だよ。今も警戒している。だって……本当に、理由も意味も分からないから」

 そう言うと、栗花落は机の天板の上を見つめながら、小さく頷く。

「あなたのその才能が必要だからよ」

「え?」

「って、いえば、少しは安心する?」

 いや、全く持って安心などできない。

「はぁ……あなたって本当に疑り深くて、慎重で、ネガティブで、理屈っぽいのね」

 栗花落はいつもと変わらない口調でそう言った。

 呆れるでもなく、落胆しているわけでもなく、軽蔑やそれに近い感情のニュアンスも、乗っていないように聞こえる。

「あなたに対して、悪意や敵意はないわ。だましてやろうとか、揶揄ってやろうとか、貶めようなんて気持ちも全くない。でも、私がわざわざあなたに声をかけた本当の理由は、まだ言えないの」

「随分ともったいぶるんだな。それに、まだってことは、いずれは教えてくれるのか」

「そうね。いずれは、嫌でも知ることになるわ。だって、それを知らせないことには、話が進まないし、私の目的も達成できないから」

 その時、僕がどうして、そんなことを思ったのか、あとから考えてみても、さっぱり分からない。

 僕の警戒心は、多分全然弱まってなんていなくて、彼女に担がれているではないかと気持ちは依然としてあり続けたのだが、それでも、その言葉を聞いて僕が咄嗟に思ったのは、ネタ晴らしをされる時まで、待ってみようか、ということだった。

 この言葉自体も嘘で、いずれ教えるような本当の理由はなく、それどころか、僕を騙して貶めるような計画が現在進行形で続いている可能性だって十分にあったが、とにかくこの時の僕は、全てを飲み込んで頷くという選択をしたのだ。

「ちゃんと教えてくれるなら、今は聞かないことにする」

「ふふっ♪ ありがと」

 栗花落はあの誰をも魅了するような完璧な笑顔で、僕に笑いかける。

「あ、でもね、あなたに話しかけたり、本や映画の話をしたり、出かけたりするのは、目的の為に無理してやってる訳じゃないから。私が本当にそうしたいから、してるんだからね?」

 きっとそう言わないと、こうして話してること自体にも、本当は苦痛なのに話してるのではないか、と僕が勘ぐると思っての言葉だろう。

 小癪なフォローではあるが、やはり栗花落は、察して他人を気遣うスキルには長けているようだ。

「それじゃあ、またね」

 ようやく、彼女は席を立って図書室を後にする。

 この時から、僕は彼女との会話をいちいち意識しなくなった。

 もちろん、僕から声をかけて率先的に話す、なんてことはしなかったが、話しかけられれば、最低でも『日常会話』として不自然ではない程度には話すようになった。

 とは言っても、まぁ、本当にそれだけだった。

 何か悪い魂胆があるのではないか、という警戒心がなくなっただけの、それでもやっぱりただの友達以下の、『知人』の関係に違いはなかった。

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