第2話

 僕は少なくとも並の人間よりは、強靭なメンタルを持っていると自負しているが、それでも二年弱を費やした渾身の小説たちが、次々に落とされもすれば、創作活動や思想、思考、果ては僕の存在そのものを全否定されている気にすらなってくる。

 そこで、僕は次なる手を打った。

 それは、小説掲載サイトだ。

 集めた情報によると最近は小説サイトから製本化、プロになる作家も少なくないと聞く。

 僕はさっそくいくつかある小説サイトの一つ、『作家になれる!』に登録してみた。

 そこで僕は衝撃を受けることになる。

 そのサイトには、閲覧数というものがあって、それが一定以上を越えると、『人気がある』と判断され、製本化への道が開けるらしい。

 サイト内でのコンテストも基本的にその『閲覧数』で判断され、閲覧数の上位から、選出された作品を、管理編集者が判断して受賞させるシステムのようだ。

 別に、僕が衝撃を受けたのは、そのシステムにではない。

 確かにそのシステムでプロになれる安易と薄汚さには衝撃を受けたが、それよりも、投稿されている作品のレベルの低さに吐きそうになった。

 もともと、趣味の小説を無償で掲載して、読んでもらうサイトなのだから、誰がどんなレベルのものを書いていようと、自由だし勝手だ。

 だが、怖いと思ったのは、評価されている作品も実にお粗末なものが多いということだった。

 最近では殆どが似たり寄ったりの異世界転生モノで、どれも生まれ変わった先でチート能力で無双する、という同じパッケージのものをキャラと微妙な設定を変えて繰り返してるだけの退屈で幼稚な小説ばかり。

 それでも、そんな作品が軒並み評価されて、次々に製本化されている。

 僕は不思議に思って、調べてみた。

 そして、わかったのだ。

 このサイトには、プロになる為の仕組みがある、と。

 この『作家になれる!』サイトは閲覧数を獲得することで、製本化や受賞の対象になる。

 誰がどの小説を読むか、読んで貰えるかは、普通の人達がどの本を買うのかと同じようにわからない……訳ではない。

 このサイトには、フォロー機能とメッセージ機能がある。

 サイト内で作品の感想を共有したり、おススメをシェアしたりするためのコミュニケーションツールなわけだが、これを駆使すれば、閲覧数は稼げる。

 そう。

 これは選挙活動に近い。

 常日頃から、サイト内の多くの著者、閲覧者とコミュニケーションをとって、知り合いになって、つながることが出来れば、相互的にフォローすることで、閲覧数は伸びるのだ。

 百人の知り合いがいれば、百閲覧、二百人いれば、二百閲覧。もっと言えば、何かしらさらに仲良くなったり、別の分野でも知り合うことが出来れば、何かをした報酬として閲覧数を伸ばしてもらうことも可能なのだ。

 人気と支配力。

 このサイトで、支持される人間になれれば、どんな作品を書いても閲覧数は伸びて、プロになれる。賞が取れるのだ。

「なるほどね……」

 これに気付いた時、僕は思わず、誰もいない自室で、そう呟いてしまったほどだ。

「サイト内、下手すればサイト外でも人脈さえあれば、このサイトに登録してもらって、閲覧作業(実際に小説掲載ページで、最後までスクロールして閉じる)を複数回繰り返すか、もしくは別アカウントで繰り返せば、簡単に数を稼げるってことか」

 僕は思わず、笑いだしそうになった。

 なんて、くだらないシステムで、プロになる人間がいるのだろうか。

 道理で、こんなつまらない作品が次々と本になったり、賞を取ったりしてるはずだ。

 だが、この方法を使わない手はない。僕はこのサイトでの人気取を始めた。

 地道なフォローと挨拶、別小説サイトにも、何個か登録して、同じように知り合いを作り、もっと言えば、小説すら関係ないコミュニティに登録して、趣味の話から小説閲覧しに来てもらう。

 面と向かっての対人コミュニケーションは苦手だが、サイト内への交流ならば、自分を、自分が作った小説のキャラだと思い込めば、難しくはない。

 僕はそうやって、あらゆるところで、ネット上の知り合いを作り、じわじわと自分の掲載してる小説の閲覧数を伸ばすことに成功したのだ。

 もちろん、これにはデメリットもつき纏う。

 まずは純粋に、八方美人なやり取りを数百人単位でやるのは骨が折れるし、会話や相槌のパターンも尽きてくる。

 常に好感度を意識するやり取りは、かなり消耗するものだ。

 そして、なによりも時間を取られる。

 これまで、作品の為だけに費やしていた時間を大幅に削って、コミュニケーションに充てているのだ。

 どうしたって、自分の作品をあげるペースは落ちる。

 だが――

 小説大賞で評価されない僕は、手当たり次第に送り続けるよりも、この方法で上り詰める方が現実的な気がしたのだ。

 僕はそうやって、小説を書くとは別の分野に労力を割くようになっていた。

 ゴールデンウィーク明けの中間テストも、ぎりぎり赤点を免れた僕は、満を持して、『プロの作家』になる為の活動に勤しんでいた。

 そんなある日だった。

 彼女から、二回目の邂逅があったのは。

 それは六月頭の、放課後のことだった。

 大抵の日と同じように、頼親はバスケ部の練習、その他のクラスメイトとも、とりわけ一緒に帰ったりはしない僕は、一人で教室を出て、図書室へと向かう。

 放課後の一時間あまりを、図書室で小説を書きながら、小説サイトのコミュ内のあいさつ回りをする、というのが最近の日課になりつつあった。

 しかし、この日は図書室に入る手前で呼び止められた。

「白峰 宗介君」

 振り返るとそこには、栗花落鳴華がいた。

 長い黒髪を、今日は一つに結わいている。いわゆるポニーテールというやつだ。

 アップにしてる分、細い顔の輪郭が露わになって、前に教室で会った時よりも、さらに顔が小さく見える。

 今は冬服と夏服の移行期間ではあるが、彼女はすでに夏服を着用している。

 学校指定の半袖のシャツに、ベージュのニットベストを着て、腰に手を当てたポーズで佇んでいた。

「久しぶりね」

「あ、うん。ひと月ぶりくらい?」

「ええ、そうね。クラスが隣とは言っても、意図して会おうとしなければ、案外顔を合わせないものね」

 言われてみればその通りだが、それはきっと、僕が殆ど教室から出ないからだと思う。

「それで、今から図書室?」

「うん」

「中間テストが終わったばかりで勉強……ではないわよね?」

「小説をね。静かで集中できるから」

「そっか」

 彼女は言って、少しだけ視線を落とした。

 同時に、長いまつ毛が影を作って、妙に雰囲気がある。

「あの、さ。白峰君って、小説書いてるってことは、読むほうも詳しい?」

「それは……」

 僕は一瞬悩んだ。

 本格的に小説を書くにあたって、僕は二十冊ほど、新たに小説を読んだ。それからも話題のものや、流行った小説やライトノベルはチェックして、最近ではサイト内の小説を斜め読みしている。

 そう言ってしまえば、さも本を読んでいるように思われがちだが、おそらく僕が人生で読んだトータルは、七十冊を越えてはいないが、まぁ、読んでなくはないか。

「そうだね。そこまで沢山読んでいる訳じゃないけど、まぁ、それなりには詳しい、かな」

「あ、やっぱり。だったらさ、今度読んでおいた方がいい本とか、教えてくれないかな?」

「いいけど、なんで僕?」

「う~ん、実は、私の友達とか、知り合いに本に詳しい人、いなくてさ。でも、最近になって小説を本格的に読み始めて、私の中で、今空前の本ブームが来てるの」

「本ブーム?」

「そう。本を読みたい! っていうブームね」

 ならば、手当たり次第に読んでみればいいじゃないか、と思ったが口には出さない。

「でもね、私、そんなに読むの、早くないの。早くないし、得意じゃない。だからね、本を読みたいんだけど、読むためにはかなりカロリーを使うの」

 そこまで言われて、僕は悟った。

「一冊を読むのにエネルギーを使うから、外れな本に当たりたくないってことか」

「そう、それ。そういうことよ。本読む人からすればさ、そういう『本を選ぶ』っていうのも、醍醐味だし、当たり外れも、読書の楽しみなのかもしれないけど、私は、そこに前向きになれないの。駄作に出会うと、どうしても時間が勿体ないって思っちゃうし、すごく、残念な気持ちになって、後悔しちゃう。だから、本の選択をできる限り、間違いたくなくて……それで、白峰君に、おススメの本を教えてもらいたいなって思ったの」

 真剣な顔で頷いたり、突然、ニコって笑ってみたり、ワザとらしく残念そうな顔をしてみたり、コロコロと変わる表情に、僕は見入っていた。

 確かに、彼女は可愛くて美人だ。

 そんな女子を近くで、なんの後ろめたさもなく、見ていられるのはそれだけで価値があるのかもしれない。栗花落 鳴華の親しい友人や、彼氏になる人間というのは、彼女を常にこれくらいの距離で見ることが出来て話すことができるのだ。そう思うと、それは中々に悪くないことだと思った。

「君って、表情豊かなんだね」

「え?」

 僕が思わず言った言葉に、彼女はキョトンと目を見開く。

 そのリアクションすらも、見ていて面白い。

「大勢の前でいる時は、もっとクールっていうか、作り笑顔をしてるイメージがあったけど、一対一で話すと案外よく表情が変わるなって思って」

「そ、そんなに表情、変わってた?」

「うん。君がモテる理由がよくわかるよ。君の表情は楽しそうで、それを見ていると心地が良くなる。自分が楽しませてくれているような錯覚に陥るのか……」

「え、な、何を言ってるの? でも、それって、良い評価をしてくれてるんだよね?」

「まぁ、そうだね」

 僕が答えると、「ふふん」となんだか機嫌良さそうに笑って、「ありがとう」と言った。

「それで……本、だっけ?」

「うん。ああ、別に今日じゃなくてもいいよ。都合のいい日に、ここでも、図書館でも、書店でもいいから、見て回って、色々教えてもらえたらなぁって思って」

「いや、今日でいいよ。逆に僕の執筆は別に今日じゃなくてもいいし。折角だから、ね」

「ホント!? やった♪」

「別にここの図書室じゃなくても、いいんだよね?」

「もちろん。……でも、やっぱりここじゃない方がいいの?」

「あ、いや……」

 この高校の図書室の蔵書ラインナップがどうか、など実際殆ど知りはしない。でも、学校の図書室というものは、どうしても偏りが出てしまうのも事実だ。

 そして、図書室の蔵書以前の問題もある。

「いくら人が少ないって言っても、高校の図書室で君と二人でいるほど僕は勇者じゃない」

「どういうこと?」

 クリクリとした目で、僕を見ながら、彼女は小首を傾げる。

 その仕草は、見ようによっては、あざといはずなのに、厭味がないのが怖い。

「……いや、なんでもない。とりあえず、そうだな。やっぱり本と言えば、あそこかな」

 彼女は尚も首を傾げてこっちを見てる。

「市立図書館という手もあるけど、せっかくだからね。電車で二駅、そこから地下鉄で三駅かかるけど、いい?」

「別に平気だけど、どこに行くの?」

「なんでも、形から入るのは、重要ってことだよ」

 僕は言って、彼女を促す。

 なるべく一緒に帰るところを見られないように学校を出るべきだろうな、なんてことを考えながら、昇降口へと向かった。

 

 

 そこはおそらく都心では一番有名な本屋街だろう。

 ここにくる本来の目的は、『古本』や『古書』、アンティーク品がメインとなる訳で、普通の小説を見たり買ったりするのには、わざわざ来る必要のない場所ではある。 

 それでも、僕があえてこの町に彼女を誘ったのは、古本街の独特な空気と、本が優先される世界を体感してほしかったからだ。

「話には聞いたことあるけど、来たのは初めて」

「見ての通りの古本がメインの町だけど、この町の空気というか、雰囲気ってどういう訳か創作意欲が湧くんだよね。全然、ただの個人的な見解なんだけど、それでもまずこういう『形』みたいなものから入るのも重要かなと思ってね」

「白峰君は、よく来るの?」

「よくってほどでもないけど、なんか制作に行き詰ったりするとね」

「そうなんだ」

 彼女は頷いて、

「うん、確かにこの町ってなんか不思議かも。文章を書きたくなるっていうの、少しわかるような気がする」

「本当?」

「気がするだけよ。完全なフィーリング」

「それでも、十分だよ。その感覚って、分かる人、分からない人にきっぱり別れるから」

「そうなの? なら、私はどっちかっていうと、白峰君寄りなのね」

 そう言った彼女の顔が、なんだか嬉しそうに見えて、僕は思わず目を背けてしまう。

「それで、外さない本……だよね?」

 僕は言って、彼女を促しながら歩き始める。

 目指すのは、大手の書店だ。僕たちが求めるのは、結局新しい本ばかりで、古本屋にも古書にも所縁(ゆかり)はない。つまりは、本を手にいれるのにわざわざこの町に来る必要すら、本来ならないのだ。

 それでも、この町で本屋をブラブラと回りながら買う本は、実に心地がいいものであることを彼女にも教えたくなった。ただそれだけの理由で、ここに来たのだ。

 僕はおそらく最大手であろう巨大書店の小説コーナーに行き、彼女に本を勧めることにする。ピックアップした小説を数行ほど読んで貰って、読めそうなものを見極める。

「あ、これ読みたいかも」

 彼女は思いのほか真面目に、文章に目を通しては、読める、読めないの判断をしていた。

「こっちのは、結構古い奴だから、もう売っちゃったかな。でも、これこそ古本屋で安く手に入ると思う。……あ、こっちのシリーズなら僕が持っているから、よければ貸すよ」

「貸してくれるの? やったぁ。本って案外高いから、シリーズモノ読み始めると結構かかるのよね」

「同感。面白くても、二度読むかどうか分からないしね。それにお金を払うリスクってのは、よくわかるよ」

 僕たちは、自然にそれなりに普通に会話をして本の話で盛り上がった。

 二時間ほどで、数件の書店を回り、数冊の本を買って帰途に着く。

「ふふっ……」

 帰りの電車の中で、栗花落 鳴華は僕を見ながら、不意に笑った。

「なに?」

「いいえ、あなたってもっと話しにくい印象だったけど、案外普通に話せるものだなぁ、って思って」

「ああ、そう?」

「……今の、どっち?」

「え?」

「だから、今の『そう?』ってどっちのそう?」

 栗花落は小首を傾げながら、半歩僕に近づいてそう言った。

 長い髪が小さく揺れて彼女の輪郭の一部を隠した。

「『話しにくい印象』に対してなのか、それとも『普通に話せる』って言ったことに対してか……どっち?」

「あ、いや、うん。多分、後の方」

 僕が応えると、何か満足そうに口角を上げて、栗花落は「うん」と言った。

「それなりに、僕は自分の他人からの見られ方っていうのは、理解してるつもりだから」

 だから、『話しにくい』と言われたことには、意外とも不思議とも、不本意とも思うはずがない。

「ふぅん。わかってて、そうしてるんだ」

「それは、どうだろう。わかっててワザとそうしているのか、わかっててもやめられないからそうしているか」

「どっちなの?」

「どっちも、なんだと思う。人と関わるのも、上手くできないし、最低限の努力はするけど、それ以上に人と関わりたいという願望もないからね」

「根暗だね」

「根暗で陰キャなのは、自覚があるし、事実だよ」

 僕が言うと、栗花落は流すような視線でこちらを見て、すっと逸らした。

「へぇ。本格的に小説を書くような人って、こういう人なのね」

「どういうこと?」

「あ、ほら、白峰君は本気で小説、書いてるんでしょ?」

「本気で……そうだね。大賞に応募して、一応、入賞を目指しているから、本気ってことになるかな?」

 それに彼女は、『ほらね』と言わんばかりの表情で、

「そういう、本格的に小説を書いている人って、周りにいないから。小説家を目指してる人って、どういう人なんだろうって、興味があっただけ」

 なるほど、そういうことか、と僕は思った。

 どうやら、栗花落鳴華は、単なる物好きな好奇心から、わざわざ僕に声をかけたようだ。

 おそらくいきさつとしては、僕が小説を書いていることを、誰か越しに聞いて知り、それをわざわざ他のクラスから観察しにきた、というものだろう。

 僕は別に、率先して口外せずとも、休み時間の作業中に何をしているのかと問われれば、特に隠さずに答えているから、それを知る生徒だって少なくはないはずだ。

「それで、君の興味は満たされた?」

「え? う~ん、まだね。まだまだよ。だってまだ今日で二回しか話してないでしょう

? そんなんじゃなにもわからないわ」

「よく知り合うことが目的って訳でもないだろう?」

「なんで? 興味がある人のことを良く知りたいと思うのは自然なことでしょう?」

「あ……いや……」

 そこで、言葉に詰まった。

 なにか僕が言わんとしていることと、彼女が返そうとしている内容に、微妙な誤差というか、擦れ違いのようなものがある気がしたからだ。

「あの、気分を悪くしないでほしいんだけど、栗花落さんは、小説を書いている僕に興味を持ったから、この前も、今日も話しかけたんだよね? その延長で今日は一緒に神保町まで来た。でも、それは純粋に『小説を書いている人間』への興味であって、僕への興味ではないよね? だから……つまり、そういうこと」

 言うと、彼女はキョトンとした顔をして、首を傾げる。

 そして皮肉っぽい笑いを浮かべると、

「……ふぅん。白峰君は、面倒くさい人だね。理屈っぽくて、悲観主義。でもいいと思う。それくらいじゃないと小説って書けないんだろうし」

「それも偏見な気がするけど……まぁ、一応誉め言葉っていうことだよね?」

「うん。多分。少なくとも、半分以上は誉める意味合いで言ってるわ」

「そうか」

 それきり、僕たちは殆ど会話をしないまま、栗花落の最寄りの駅に着いた。

「今日はありがとう。また、本に関して聞いてもいいかしら?」

 電車の降り際に、栗花落はそう言った。

「ああ。構わないよ。今日ぐらいのことで良ければ」

 僕がそう言うと、栗花落はニッコリと笑って頷いて、小さく手を振った。

 その笑顔と仕草は洗練され過ぎていて、無意識に見とれてしまう。

 僕もそれに手を軽くあげて返したところで、電車のドアが閉まった。

 学校にいる時とは違って、本屋巡りとをしている時の栗花落は、案外無表情だったり、悩んだ顔をしていたり、目を見開いたりとしていて、表情の変化が豊かだった気がする。

 学校で見る彼女は、なんというか、当たり障りのない、それでも好感度の高い笑顔を、張り付けているような感じがしていたので、今日の表情は少し新鮮な気がした。

「はぁ……」

 僕は帰りの電車の中で、一人溜息をついた。

 それはきっと、僕自身に対してのものだった。

 今日、途中から僕は浮かれていた。そんなつもりはなかったけど、こうして一人になってみると、よくわかる。

 女子と二人きりで放課後遊びに行くというシチュエーションそのものに、そしてその相手がかなりの美少女ということに無意識的に喜びにも似た何かを感じてしまうのは、僕が健全で凡小なただの男子高校生であるからだろう。

 この程度のことで何を浮かれているのだ。

 栗花落 鳴華が人気者であり、スクールカーストの上位にいる容姿とキャラクターをしていることが確定であるのなら、おそらく僕と彼女は、ただの知人、同級生から進展することはありえない。良くて普通の友人、くらいだろうか。

 決してそこから先には踏み入れられない。

 僕はその手の勘違いを過去に幾度となくしてきたし、見てきた。

 小学生でも中学生でも、自分も、周りも、冷静さを失って浮かれあがったやつの末路は、大抵が痛い目を見て、傷つき、消沈する。

 そしてそれらの痛みというのは、気を付けて居れば、本来味わう必要のないものなのである。

 何しろそもそもが勘違いから始まっているのだから、過剰になった自意識を窘めて制御していれば、関わることすらせずに済んだはずなのだ。

 だから。

 だから僕は、勘違いなどいない。

 栗花落が、積極的に関わってきて、一緒に出掛けたとしても、僕は全くもってなんの期待などもしないし、してはいけない。

 それになにより――、

「栗花落も今日だけで分かっただろう。僕と一緒にいても、さほど面白くはないということに」

僕は呟いた。誰に聞こえる訳でもない、小さな声で。

 今日僕は栗花落に頼まれた通りに、彼女の好みを聞いて、自分の判断できる範囲内で本を数冊勧めたのだが、それ以上のことはしていない。栗花落を楽しませようとか、距離を縮めようとか、そう言った気遣いは全くしておらず、おそらく事務的に対応したはずだ。

 最低限の好感度というか、感じが悪くない程度の対応を心がけて、可もなく不可もなくやり過ごした。

 そういう対応は、得意だった。

 決して、人に好かれる対応ではない。だが、だからと言って、嫌われる対応でもない。

 フラットで印象が薄く、どちらかというとほんの僅かにだけマイナスな好感度。それが、他人との関りを最低限に保つためのコツであり、自分が傷つかないためのコツでもある。

 栗花落にどんな打算があって、あるいはなんの気の迷いから僕などに声をかけたのか、真意はわからないが、それもこれで終わりだろう。

 僕はまた、小説を書いて、小説家になる為の活動に専念する毎日に戻ることができる。

 ふとスマホを見ると、メッセージアプリに通知が来ていた。

『図書室にいないじゃん! どこ行った?』

 頼親からだった。

 そう言えば、部活が終わったら一緒に帰ろうとか、そんな話をしていた気がする。別にちゃんとした約束ではなく、『タイミングが合えば一緒に帰る』程度の不確定なものだ。

 僕はさして感情がこもっていない謝罪の言葉と、先に帰った理由を簡潔に打つと、それを送信した。

 頼親と東の良いところは、距離感が絶妙なところだ。

 近づき過ぎず、また見限って遠ざかりもしない。適当に対応しても、それなりの距離を保って接し続けられる。常に連絡を取り合い、行動を共にしなくては、友人、知人関係を継続できない現代人には珍しい、いい意味での軽薄さがある。

 蔑ろにされても怒らず、蔑ろにしてもあまり気に病む必要がない。

 そういう間柄が、なにより心地がいい。

「そういう意味では、今の僕は恵まれているのだろうな」

 ――少なくとも、散々無理をした挙句傷ついた中学生の頃よりは――

 また一人呟いて、僕は帰宅した。

  


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