第3話

 そこはおそらく都心では一番有名な本屋街だろう。

 ここにくる本来の目的は、『古本』や『古書』、アンティーク品がメインとなる訳で、普通の小説を見たり買ったりするのには、わざわざ来る必要のない場所ではある。 

 それでも、僕があえてこの町に彼女を誘ったのは、古本街の独特な空気と、本が優先される世界を体感してほしかったからだ。

「話には聞いたことあるけど、来たのは初めて」

「見ての通りの古本がメインの町だけど、この町の空気というか、雰囲気ってどういう訳か創作意欲が湧くんだよね。全然、ただの個人的な見解なんだけど、それでもまずこういう『形』みたいなものから入るのも重要かなと思ってね」

「白峰君は、よく来るの?」

「よくってほどでもないけど、なんか制作に行き詰ったりするとね」

「そうなんだ」

 彼女は頷いて、

「うん、確かにこの町ってなんか不思議かも。文章を書きたくなるっていうの、少しわかるような気がする」

「本当?」

「気がするだけ、よ。完全なフィーリング」

「それでも、十分だよ。その感覚って、わかる人、分からない人にきっぱり別れるから」

「そうなの? なら、私はどっちかっていうと、白峰君よりなのね」

 そう言った彼女の顔が、なんだか嬉しそうに見えて、僕は思わず目を背けてしまう。

「それで、外さない本……だよね?」

 僕は言って、彼女を促しながら歩き始める。

 目指すのは、大手の書店だ。僕たちが求めるのは、結局新しい本ばかりで、古本屋にも古書にも所縁(ゆかり)はない。つまりは、本を手にいれるのにわざわざこの町に来る必要すら、本来ならないのだ。

 それでも、この町で本屋をブラブラと回りながら買う本は、実に心地がいいものであることを彼女にも教えたくなった。ただそれだけの理由で、ここに来たのだ。

 僕はおそらく最大手であろう巨大書店の小説コーナーに行き、彼女に本を勧めることにする。

 ピックアップした小説を数行ほど読んで貰って、読めそうなものを見極める。

「あ、これ読みたいかも」

 彼女は思いのほか真面目に、文章に目を通しては、読める、読めないの判断をしていた。

「こっちのは、結構古い奴だから、もう売っちゃったかな。でも、これこそ古本屋で安く手に入ると思う。……あ、こっちのシリーズなら僕が持っているから、よければ貸すよ」

「貸してくれるの? やったぁ。本って案外高いから、シリーズモノ読み始めると結構かかるのよね」

「同感。面白くても、二度読むかどうか分からないしね。それにお金を払うリスクってのは、よくわかるよ」

 僕たちは、自然にそれなりに普通に会話をして本の話で盛り上がった。

 二時間ほどで、数件の書店を回り、数冊の本を買って帰途に着く。

「ふふっ……」

 帰りの電車の中で、栗花落 鳴華は僕を見ながら、不意に笑った。

「なに?」

「いいえ、あなたってもっと話しにくい印象だったけど、案外普通に話せるものだなぁ、って思って」

「ああ、そう?」

「……今の、どっち?」

「え?」

「だから、今の『そう?』ってどっちのそう?」

 栗花落は小首を傾げながら、半歩僕に近づいてそう言った。

 長い髪が小さく揺れて彼女の輪郭の一部を隠した。

「『話しにくい印象』に対してなのか、それとも『普通に話せる』って言ったことに対してか……どっち?」

「あ、いや、うん。多分、後の方」

 僕が応えると、何か満足そうに口角を上げて、栗花落は「うん」と言った。

「それなりに、僕は自分の他人からの見られ方っていうのは、理解してるつもりだから」

 だから、『話しにくい』と言われたことには、意外とも、不思議とも、不本意とも思うはずがない。

「ふぅん。わかってて、そうしてるんだ」

「それは、どうだろう。わかっててワザとそうしているのか、わかっててもやめられないからそうしているか」

「どっちなの?」

「どっちも、なんだと思う。人と関わるのも、上手くできないし、最低限の努力はするけど、それ以上に人と関わりたいという願望もないからね」

「根暗だね」

「根暗で陰キャなのは、自覚があるし、事実だよ」

 僕が言うと、栗花落は流すような視線でこちらを見て、すっと逸らした。

「へぇ。本格的に小説を書くような人って、こういう人なのね」

「どういうこと?」

「あ、ほら、白峰君は本気で小説、書いてるんでしょ?」

「本気で……そうだね。大賞に応募して、一応、入賞を目指しているから、本気ってことになる……かな?」

 それに彼女は、『ほらね』と言わんばかりの表情で、

「そういう、本格的に小説を書いている人って、周りにいないから。小説家を目指してる人って、どういう人なんだろうって、興味があっただけ」

 なるほど、そういうことか、と僕は思った。

 どうやら、栗花落鳴華は、単なる物好きな好奇心から、わざわざ僕に声をかけたようだ。

 おそらくいきさつとしては、僕が小説を書いていることを、誰か越しに聞いて知り、それをわざわざ他のクラスから観察しにきた、というものだろう。

 僕は別に、率先して口外せずとも、休み時間の作業中に何をしているのかと問われれば、特に隠さずに答えているから、それを知る生徒だって少なくはないはずだ。

「それで、君の興味は満たされた?」

「え? う~ん……まだね。まだまだよ。だってまだ今日で二回しか話してないでしょう

? そんなんじゃなにもわからないわ」

「よく知り合うことが目的って訳でもないだろう?」

「なんで? 興味がある人のことを良く知りたいと思うのは自然なことでしょう?」

「あ……いや……」

 そこで、言葉に詰まった。

 なにか僕が言わんとしていることと、彼女が返そうとしている内容に、微妙な誤差というか、擦れ違いのようなものがある気がしたからだ。

「あの、気分を悪くしないでほしいんだけど、栗花落さんは、小説を書いている僕に興味を持ったから、この前も、今日も話しかけたんだよね? その延長で今日は一緒に神保町まで来た。でも、それは純粋に『ガチで小説を書いている人間』への興味であって、僕への興味ではないよね? だから……つまり、そういうこと」

 言うと、彼女はキョトンとした顔をして、首を傾げる。

 そして皮肉っぽい笑いを浮かべると、

「……ふぅん……白峰君は、面倒くさい人だね。理屈っぽくて、悲観主義。でもいいと思う。それくらいじゃないと小説って書けないんだろうし」

「それも偏見な気がするけど……まぁ、一応誉め言葉っていうことだよな?」

「うん。多分。少なくとも、半分以上は誉める意味合いで言ってるわ」

「そうか」

 それきり、僕たちは殆ど会話をしないまま、栗花落の最寄りの駅に着いた。

「今日はありがとう。また、本に関して聞いてもいいかしら?」

 電車の降り際に、栗花落はそう言った。

「ああ。構わないよ。今日ぐらいのことで良ければ」

 僕がそう言うと、栗花落はニッコリと笑って頷いて、小さく手を振った。

 その笑顔と仕草は洗練され過ぎていて、無意識に見とれてしまう。

 僕もそれに手を軽くあげて返したところで、電車のドアが閉まった。

 学校にいる時とは違って、本屋巡りとをしている時の栗花落は、案外無表情だったり、悩んだ顔をしていたり、目を見開いたりとしていて、表情の変化が豊かだった気がする。

 学校で見る彼女は、なんというか、当たり障りのない、それでも好感度の高い笑顔を、張り付けているような感じがしていたので、今日の表情は少し新鮮な気がした。

「はぁ……」

 僕は帰りの電車の中で、一人溜息をついた。

 それはきっと、僕自身に対してのものだった。

 今日、途中から僕は浮かれていた。そんなつもりはなかったけど、こうして一人になってみると、よくわかる。

 女子と二人きりで放課後遊びに行くというシチュエーションそのものに、そしてその相手がかなりの美少女ということに無意識的に喜びにも似た何かを感じてしまうのは、僕が健全で凡小なただの男子高校生であるからだろう。

 この程度のことで何を浮かれているのだ。

 栗花落 鳴華が人気者であり、スクールカーストの上位にいる容姿とキャラクターをしていることが確定であるのなら、おそらく僕と彼女は、ただの知人、同級生から進展することはありえない。良くて友人、くらいだろうか。

 決してそこから先には踏み入れられない。

 僕はその手の勘違いを過去に幾度となくしてきたし、見てきた。

 小学生でも中学生でも、自分も、周りも、冷静さを失って浮かれあがったやつの末路は、大抵が痛い目を見て、傷つき、消沈する。

 そしてそれらの痛みというのは、本来味わう必要のないものなのである。

 何しろ勘違いから始まっているのだから、過剰になった自意識を窘めて制御していれば、関わることすらせずに済んだはずなのだ。

 だから。

 だから僕は、勘違いなどいない。

 栗花落が、積極的に関わってきて、一緒に出掛けたとしても、僕は全く持ってなんの期待などもしないし、してはいけない。

 それになにより――、

「これで分かっただろう。僕と一緒にいても、何も面白くはないということに」

僕は呟いた。

 誰に聞こえる訳でもない、小さな声で。

 今日僕は確かに、栗花落に頼まれた通りに、彼女の好みを聞いて、自分の判断できる範囲内で本を数冊勧めたのだが、それ以上のことはしていない。栗花落を楽しませようとか、距離を縮めようとか、そう言った気遣いは全くしておらず、おそらく事務的に対応したはずだ。

 最低限の好感度……というかを感じが悪くない程度の対応を心がけて、可もなく不可もなくやり過ごした。

 そういう対応は、得意だった。

 決して、人に好かれる対応ではない。だが、だからと言って、嫌われる対応でもない。

 フラットで、印象が薄く、どちらかというと、ほんの僅かにだけマイナスな好感度。それが、他人との関りを最低限に保つためのコツであり、自分が一番傷つかないためのコツでもある。

 栗花落がどんな打算があって、あるいはなんの気の迷いからか、僕などに声をかけたのか、真意はわからないが、それもこれで終わりだろう。

 僕はまた、小説を書いて、小説家になる為の活動に専念する毎日に戻ることができる。

 ふとスマホを見ると、メッセージアプリに通知が来ていた。

『図書室にいないじゃん! どこ行った?』

 頼親からだった。

 そう言えば、部活が終わったら一緒に帰ろうとか、そんな話をしていた気がする。別に約束という訳ではないが、奴の部活が終わった時点で、僕もまだ図書室にいたらせっかくだから、一緒に下校するか、という『タイミングが合えば』というだけの不確定な話だ。

 それでも、大抵僕は図書室にいるし、先に帰ることもあまりないので、共に帰るのは暗黙の了解になっているのだが。

 僕はさして感情がこもっていない謝罪の言葉と、先に帰った理由を簡潔に打つと、それを送信した。

 頼親と東の良いところは、距離感が絶妙なところだ。

 近づき過ぎず、また見限って遠ざかりもしない。適当に対応しても、それなりの距離を保って接し続けられる。常に連絡を取り合い、行動を共にしなくては、友人、知人関係を継続できない現代人には珍しい、いい意味での軽薄さがある。

 蔑ろにされても怒らず、蔑ろにしてもあまり気に病む必要がない。

 そういう間柄が、なにより心地がいい。

「そういう意味では、今の僕は恵まれているのだろうな」

 また一人呟いて、僕は帰宅した。

  

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