エンドマークを打つ前に
灰汁須玉響 健午
第1話
例えば絶望的に才能がなければ、あるいは早々に諦められたのかもしれない。
しかし、僕には少なくとも、他人が読んでそこそこ『面白い』と思ってもらえる作品を書ける程度には、文章も発想も、才能があったのだ、と思う。
あくまで『そこそこ』ではあるが。
多方面で無理をしていた中一の頃、現実逃避の為に書いた小説が名前も知らないような小さな出版社が主催する小説大賞の『優秀賞』に入ったことから僕の愚かで壮大な勘違いは始まった。
それまで勉強も運動も、人並み程度で何も特出するべき才能がなかった僕にとって、小説大賞での入賞は、それが例え賞金三万円だけの下の下の賞であっても、十分すぎるほど自尊心と自己肯定感を満たしてくれるものだった。
別に小説家になりたかった訳じゃない。
普通の小説よりもライトノベル、ライトノベルよりも漫画、漫画よりもアニメが好きだった僕にとって、小説家は決して将来就きたい仕事の上位に食い込むものではなかったはずだ。
そういえば、小学生の頃は、獣医になりたかったっけ。
しかし、動物アレルギーであることが発覚して、そもそも『××医』と付くようなハイレベルな職業に就くための高い偏差値など、どう考えても獲得できそうになかった僕は、高学歴を早々に諦めて、小説に没頭した――没頭するまでには色々とあったのだが――のだ。
というか、それ以外に頑張れそうなことが見当たらなかった。
小三から始めて、それなりに打ち込んだ剣道も、良くて地区大会優勝止まりで、全国大会予選ではまったく勝てなかったし、いくら道場で一番強くても、そんなものは何の自慢にもならないことを知った。
そして、中学二年の秋に、これから二段審査と、高校生になるにあたってのさらに厳しい稽古カリキュラムを道場の先生に言い渡されたところで、僕は完全に剣道を嫌いになった。やる気と根性の何かがぷっつりと切れてしまったのだ。
不思議なもので、あれほど寝ても覚めても打ち込んでいたものなのに、嫌いになる時は本当に一瞬で、特別な理由や動機、引き金なんてなくても、突然辞めたくなるのだ。
まぁ、うちに並んでいるメダルやトロフィーの数だけで言えば、二十個くらいになる程度には、『結果』は残していたし、僕自身がかなり真剣に取り組んでいたから、親は少しだけ、引き止めもしたが、高校受験が始まるタイミングということも功を奏して案外すんなりやめられた。
剣道を続けていても、それで食っていける訳じゃないから、そこを無理して引き留める理由もなかったのだろう。
そうして僕はあっけなく、唯一ともいえる特技である剣道さえもかなぐり捨てて、晴れて何もない人間となった。
何もないということはどこのコミュニティにも属していないということで、その唯一であった剣道をやめたことでいよいよ僕には、『仲間』とか『友人』と呼べるものはいなくなった。
そもそも大前提として、僕は友達が多い方じゃない。
誰とでも仲良くできる人間じゃないし、人見知りも選り好みも拒絶も強い人間だ。
だから、親友と呼べる人間はいないし、学校でも部活でも、道場でも、その場限りの薄い人間関係を構築してきたのだ。
そんな訳だから、剣道をやめて何もなくなってしまったからと言って、とりあえず友人たちとバカやって遊ぶ、なんていう青春的なことも全くなかった。
何もなく、何もすることがないからこそ、僕は小説を書くしかなかった。
高校の受験期間も、僕はたいして受験勉強をしなかった。それよりも目先の小説大賞へ作品を送ることが重要だったからだ。
僕は二年弱で五作品をかき上げて、手当たり次第に応募した。
『靴』を冠した大賞や、電撃的な大賞、直接編集者が判断してくれる某悪魔の名を模した賞。しかし、どれも評価はされなかった。
全てが一次審査かそれ以前で落とされた。唯一進んだ一作品も、三次選考落ち。
結局、ろくに勉強もしていなかった僕は、第一志望の高校には落ちて、第二志望の私立校に入った。
受験が終わってからも僕の生活は変わらなかった。様々な作品を読み漁り、売れる傾向と対策を取り入れつつ、小説を書く。僕は未だに、二年前に偶然とった優秀賞の栄光が忘れられなくて、勘違いをし続けていたのだ。
本来、特別な才能など何一つなくて、人に好かれる才能も、他人を認めたり、思いやる才能すらない、底辺から数えた方が早い人間であるということを、すっかりと忘れていたのだ。
真剣に向き合って書けば、評価されるものが作れる。
僕にはまだ、そんな自信と期待があったのだ。
だがそれは自信ではなく、ただの思い上がりであり驕りに他ならない。
心の奥底では、きっとそれに気づいているはずだが、僕はどうにもそれを純粋な真実にしたくはなかった。
そんな恐ろしい脇目はなかったことにして、僕はまた意識を眼前へと戻す。
目の前にはタブレットの画面と、書きかけの小説が連なっている。
四月の後半。
高校生になって数週間が過ぎても、相も変わらず休み時間などには、大抵タブレットで小説を書いていた。本当ならノートPCの方が描きやすいのだが、僕の持っているノートPCはそれなりに大きさもあるので、毎日高校に持ってくるには不向きだった。軽くて薄いものは、高くて手が出ない。
つい最近まで新聞配達以外のアルバイトが認められない年齢だった僕にとっては、溜めていた小遣いとお年玉とを全部合わせても、中古のタブレットを買うのが限界だった。
「何をしているの?」
ふと、妙に心地のよい声をかけられて、僕は視線を上げた。
そこには、見慣れない女子生徒が立っていた。
僕は思わず、首を傾げて見つめてしまう。
恐ろしいほどの美人がそこにはいた。
ほんの少しだけ釣り目気味の大きな瞳と、通った鼻筋、小さな口に絵に描いたような細い輪郭。これほどまでに分かりやすい美少女が、現実世界にいると思わなかった。
アイドルや女優といった、芸能人的なものというより、なんというか二次元的な可憐さに近い顔立ちだ。
肩まである黒髪を片方だけ綺麗に耳にかけているところや、制服の着こなしや、それを経て見えるスタイルのバランスなども、ある種の現実離れした美しさを演出しているのかもしれない。
ともかく。少なくとも僕は、彼女の容姿に釘付けになりそうになった。
だが、もちろん、そんなにジロジロと見つめては、初対面にもかかわらず一発で『気持ち悪い男』のレッテルを張られてしまう。それだけは何とか避けようと、無理矢理に考えるふりをしながら視線を逸らす。
クラスメイトの女子ではない。いくらクラスの女子に興味のない僕でも、クラスメイトかどうかくらいは認識している。では、なぜクラスメイトではない女子が、わざわざ僕のクラスに来て、それも僕に話し掛けているのだろうか。
どこかで会った知り合いだろうか。
顔を覚えるのが著しく苦手な僕は、以前にどこかで知り合っていても、忘れている可能性が高いが……さすがにここまで印象の強い女子を忘れることはないだろう。
「君は、だれ?」
「私が先に質問してるんだけど、まぁ、いいわ。私、栗花落 鳴華。クラスは隣ね」
「つゆりさん?」
僕はそう繰り返して、やっぱりそんな名前の人間とは知り合いではないと確信する。何かうっすらと聞き覚えのようなものはあるのだが。
「僕は……」
「白峰 宗介君、でしょ?」
僕の言葉を遮って、彼女は言う。
「名前だけは知っているわ。それで、何をしているの?」
栗花落鳴華は、その整った顔をほんの少しだけ僕に近づけて、タブレットをのぞき込むようにしてそう言った。
記憶にある限り、全くもって接点のない他クラスの僕の名前をどうして彼女が知っているのか甚だ疑問で気持ちが悪い。
更に言えば、そんな無関係の男子に突然話しかけることも奇妙である。
と、解せないことも多々あるが、そんなことを全部無視して、質問に答えさせるような妙な圧力が彼女にはあった。
「……小説を、書いているんだ」
「ふぅん、やっぱりね」
何が『やっぱりね』なのだろうか。
いや、もしかしてもしかすると、アレだろうか。
彼女は黒髪だし、さほど化粧っ気もないが、容姿のつくりや雰囲気は、間違いなくスクールカーストの上位にいるはずの人間だ。というか、絵に描いたような美少女だ。
そんな女子が、僕のような陰キャ丸出しの人間に声をかける理由なんて、ネガティブ方面のものが殆どだ。
本当にただの気まぐれならば、御の字。
最悪、いじめや揶揄いのターゲットに見定められた可能性がある。
「小説を書いているってことは、あなた、文章、上手なのよね?」
「え?」
予想外の質問に思わず変な声を上げてしまう。
「上手じゃないの?」
彼女は真面目な顔でもう一度訪ねる。
「ええと、多分、それなりには、ね。上手かどうかは別として、少なくとも、誰かが読んで、物語の情景や意味が分かるくらいの文章力はあるはずだよ」
僕はそう答えた。
一応優秀賞は取っているんだ。基礎の文章力くらいはあるといっていいだろう。
「そう。それなら……もしかしたら、協力してもらうかも」
彼女は言って、ニッと笑った。
美人や可愛い女性の笑顔なんて、芸能人、モデルやアイドルでよく目にする訳だし、別にどうということはない。
そのはずなのに、僕はどういう訳かその笑顔に見入ってしまった。目を奪われるとは、まさにこのことだ。
「それじゃあ、またね」
栗花落 鳴華は、低く小さく手を振って、教室を出ていった。
僕は静かに息を吸って、ゆっくりと吐く。
「協力って、何にだよ」
思わず僕はそう呟いた。
「なぁ、今の隣のクラスの栗花落さんだろ? わざわざお前に話しかけにきたの?」
彼女が帰った早々にそう言ってきたのは、クラスメイトの東 誠一だった。高校からの付き合いだが、まぁ『友達』と言って差し支えない人間だ。多分。
「みたい、だな。有名なのか?」
「おまっ……お前なぁ、この高校に通ってて、栗花落鳴華知らないのかよ」
「いや、知らないって。だって、まだ高校になって一ヵ月も経ってないんだぞ?」
僕が言うと、東は大きなため息をつく。
「無駄だよ、東。宗介は、現実の女子には興味がないんだからさ」
僕たちのやり取りに、割って参加する男子がもう一人。
「頼親、その言い方は誤解を生むからやめてくれ」
僕はその男子に向かってそう言った。
すると、彼は腕を組んだまま、器用に片眉だけを上げて、「そうか?」と言った。
結城 頼親――僕の中学からの友人で、知り合いが殆どいないこの高校において、僕という人間を一番長く、一番近くで見てきた男だ。恥ずかしながら、僕は彼の経緯をよく知っているし、同じように彼も僕の経緯をよく知っているのだ。
「ああ、宗介は『現実の女子』ではなくて、『現実』そのものに興味がないんだったな」
頼親はそう言い直す。
それに反論しようと思ったが、あながち間違ってはいないので黙っていた。
「それで、今の栗花落鳴華が有名っていうのは? 頼親は知ってるのか?」
話を戻して、僕は言う。
「なんだか、入学式当日から、男どもが騒いでたからな。滅茶苦茶美人が一年生にいるって。ちなみに、二年も三年もそれなりに騒いでいるみたいだぞ? まぁ、確かに彼女、可愛いからね」
「そうだな。可愛いは可愛いな。実はちょっと可愛過ぎてびっくりはした」
「それ、驚いている奴のリアクションか? ドライでテンション低いんだよね、白峰は。もう少しはしゃげよ。あんなハイレベルな女子、なかなかいないんだから。黒髪ロングのクール系美人なのに、ちょっとあどけなさも残っている、実に丁度良く完璧な美少女!! 正直、下手なアイドルよりも美人だって噂だ」
冷静で淡々と語る頼親とは対極的に、東が熱弁する。
「彼女、すでに三人から告白されているのに、断っているんだよ。もう別に好きな人とかいるのかな」
東が付け加えるように言う。
「冷静に考えて、今告白されても、まともな女子ならオッケーしないだろう」
僕はタブレットに視線を戻しながら言った。
「なんで?」
「さっきも言ったけど、僕たちは高校に入ってまだ一ヵ月も経ってないんだ。土日だって、まだ三回しかないんだぞ? おそらく、一緒に遊びに出かけたりはできてないだろうし、アプローチだって十分じゃない。そんな状態で告白されて受けるのは、彼氏が欲しくて仕方のない恋愛脳か、ひどく頭と貞操観念が軽いか、もしくは高校に入る前からずっとよく知り合っていて、交流が始まっている男女しかありえない」
僕は小説を打ち込みながらそう言った。
「ははっ、相変わらず、冷静で皮肉屋だなぁ、宗介は。まぁ、宗介の言う通りだとは思うけどね。俺だって、知り合ってロクに話もしない女子から告白されても絶対にオッケーはしないからね」
頼親は言って、爽やかに笑う。
「おお、そうか。確かにそういわれれば、そうだな。お前ら、何気にそういうとこ冷静で凄いよな」
僕は感心する東と飄々としている頼親を交互に見て、小さく首を振る。
「まぁ、今のはあくまで人並みにモテる人間か、告白された相手が自分の基準の中でフラットな存在か、或いはスペックとして同じか下と判断している場合の話であって、端っからモテたことのない人間が、容姿が良い相手から告白されれば、まずは無条件に頷いてしまうだろうけどな」
僕は言ってタブレットの画面に目を戻す。
「ぬあっ!? た、確かにそうだな。例えば今オレが栗花落さんに告白されたら、何も考えずにオッケーするもんな」
東は間抜けな声をだしながら、そんな風に言った。
「くっそぉ……一瞬でも自分が選べる立場だと勘違いしてしまった」
うつむき、うなだれるフリをする東。
「いや、そんなに自分を卑下する必要もないだろうけど……少なくとも、さっきの栗花落鳴華や、この頼親みたいな人間には、モテない人間の気持ちは一生分からないから、最初から同じ目線で話せるなんて思っちゃだめだ」
僕はタブレットの画面から目をそらさず言う。
「おいおい、ひどいなぁ。まるで、俺が仲間外れみたいじゃないか」
「カテゴリ的には違うんだよ。身長百八十センチ、細身の筋肉質で顔はイケメン、人柄は穏やかなで、コミュ力は高く、好印象で友達も多い。中学ではバスケ部の部長で、今も現役のバスケット部員。成績だって、僕や東よりいいんだから、もうどうしようもないだろう」
「なぁあああ! 確かに……確かにそうだよな。結城は、男のオレから見ても、格好イイもんな」
「あ、そりゃあ、ありがとう。だが、お前が同性愛者じゃないなら、血迷うなよ?」
栗花落鳴華の話は、それにそれて、いつしかそんなバカ話へとシフトしていた。
結局、彼女がどうしてわざわざこのクラスに来て、僕に声をかけたのか、その理由はさっぱりわからなかった。
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