平穏なひととき / 少年と少女の手繋ぎ


     ***


「ねえねえ。雪兎?」

「ん。なんだい? 有栖」

「今日も――。平和で。楽しいねぇ」

「ふふっ。まあ。そうだねえ」


 街の雑踏の中を、二人、少年と少女――雪兎と有栖――は共に手を取って歩いている。

 〝恋人〟。

 否、そういうよりも、長年の堆積によって培われた〝絆〟と言うべきか。

 陳腐な言葉で表現するのは、難しい、そういう間柄なのだ。

 今は、あえて言うなら、〝幼なじみ〟だろう。

 そういう間柄、他に、名前はまだない。


「(いずれ。ボクとキミは。違う名前になるのかな――……?)」


 ただ、確信は、持っている。

 そのために、雪兎は、自らの身分を偽ってまで、この世界にもう一度戻って来た。

 有栖ありすとは違う、アリスを棄てるのではなく、ユキトとしてのまま、雪兎ユキトとしての人生を送っている。

 転生は、、していないのだ。


 結論から言えば、有栖は、もう、アリスとは別人の、女の子である。


 すべてが、過去にあった、殺戮の日々も、神々との話も、地獄も、彼女はすべてを忘れている。

 輪廻。

 転生の渦に入る、その際に、定められた〝ことわり〟なのである。


『〝……――貴方が、私を、もう一度掴まえてくれたなら。〟』


 渦に入る、その覚悟を決めた時、彼女はそう言って笑っていた。

 ソレで良い、と、決めたのは彼女自身。

 〝……――私は、人として生きたい、叶うなら。〟

 そんな願いを叶える、そのために、ユキトは自分の運命をねじ曲げたのだ。

 元より、アリスという存在こそが、ユキトの生きる意味だった。

 変わらない。

 彼は、なに一つとして、今も昔も変わっていない。


『〝キミが笑っていられるなら。それで良い。――ボクは必ず掴まえに行くから。〟』


 そうやって、彼女は、人間としての生を受けて地上へ戻った。

 ユキトは雪兎として、偽りの身分と家族を自らで造り上げ、人間の世界に溶け込んでいる。

 転生は、しない、〝狂暴〟の名を冠したまま。

 統べる者、そう、〝魔王〟として。

 ただ、有栖のために、在る者。

 それだけだ。


「雪兎はさ。私がこの容姿――金髪碧眼――で困ってるって。よく言うけどね?」

「ん……?」

「私。今までに。イジメられたコト。ないよ?」

「当たり前じゃないか。ボクがこうして付いている。そんな上でイジメなんて許すとでも?」

「過保護だねぇ~……」

「そのくらいでもしないと。すぐ。キミは無茶をするからね」

「えっへっへ~。嬉しいなぁ。いつも守ってくれてありがとね?」

「当然。ソレがボクの役目だから。さ」


 こんな風に、優しい穏やかな言葉も、以前のアリスであれば考えられないコトだった。

 性格そのものも、もはや、別人と言って良い。

 否、違う、雪兎ユキトは確信しているのだ。


 この、穏やかな彼女こそが、本来あるべき彼女ありすの姿なのだ。


 本当は、誰よりも臆病で、弱くて、甘やかな優しさを持つ女の子。

 ソレが、有栖、神々に支配されない本来の少女。

 だからこそ、雪兎は、今の現実を守りたい。


 ……――大きな、澄み渡る、晴れやかな空を彼は眺める。


 平穏だ。

 それこそ、前には、殺し殺されの日々を送り、神々を相手に戦争を仕掛けていたとは、到底思えない。

 平和。

 その日常は、彼らが歩いてきた、血なまぐさい歴史の上に成り立つ現実ものだ。

 否。

 すべての者が、そのすべてに関わった者が、作り出した、災厄の果てに成り立つ、不幸の果ての現実ものだというコトを。

 忘れてはならない。


 ……――そう。絶対に。忘れてはならないのだ。


「雪兎。どうしたの~?」

「いや。なに。有栖と過ごす時間は楽しいなあと思ってね」

「変なの~。急に。真面目になっちゃってぇ」

「ふふっ……。まあ。真面目な話だよ。ボクにとっては。さ」


 ふと、目の前にクレープ屋を見かけた、思えば、そう、彼女は昔から色々な物を食べていたように思う。

 殺戮少女時代から、ずっと、今も変わらない。

 なんとなく、心が動く、自然と身体は吸い寄せられるのだ。


「雪兎~?」

「クレープ。食べないかい?」

「あらら。雪兎からの提案なの~?」

「まあね。気が乗った。それとも――。アイスクリームの方が良かったかい?」

「んーん。どっちでも良いよ。雪兎のおごりなら」

「良い根性してるよね。キミって。本当に」

「えへへ~」

「褒めてないぞ?」

「えへへ?」

「まったく……」


 屋台で、それぞれ、雪兎と有栖はクレープを注文する。

 雪兎はシンプルにバナナクレープ、否、正直に言えば、味など、別になんでも良かったのだ。

 有栖と一緒に、食べる――時間を楽しむ――、そんな平凡を、ただ、噛みしめていたかっただけ。

 ちなみに、有栖は、雪兎のおごりというコトで、一番高いイチゴスペシャルを頼んでいた。

 お転婆な娘っ子である。


「ちょっとは遠慮とか知らないのかね。キミは」

「知らな~い」

「やれやれ……」


 気の置けない仲、そういう、二人の間柄である。

 血で繋ぐ、殺戮で繋ぐ、そういう関係ではもうないのだから。

 幸せを、純粋に噛みしめて、良いのだろう。


 今日も、何処かで、必ず争いは起こっている。


 平穏。

 ソレは、つまり、仮初めの中の夢物語だ。

 刹那的な、現実の、一つに過ぎない。

 いつ壊れるか。

 どうなるか。

 不明瞭だ。


 だからこそ、ユキトは、今もこうして生きている。


 神々を一手に滅ぼした、そういう、神々の黄昏ラグナロクの勝者として。

 もはや、自分という存在が〝何者〟なのか、それすらも曖昧となってしまった。

 長い時間の中を、戦い、殺し続けた果てに辿り着いた。


『〝……――アリス以外に。誰も。必要ない。〟』


 暴論とも言える、無責任とも言える、自分勝手な結論である。

 〝有栖ありすに人並みの幸せを。〟

 それだけだから。


「キミは。今。幸せかい?」


 問いかける、雪兎、その瞳は酷く真剣だったと思う。

 気持ちは、有栖にも、伝わっていたのだろう。

 ふんわり、笑って、答えたのだ。


「もちろんっ。これ以上にないってくらい。幸せだよ~?」


 その言葉だけで、もう、十二分に満足であった。

 だから。

 難しいコトは、今は、考えないで良い。


 死を越え、なお、ひたすらに殺し続けた。

 人も、天使アリスたちも、神々も。

 殺し続けた。


 〝願い〟。


 忌まわしき、憎むべき、神々をこの世界から抹殺するために。

 この手で、自らで、屠るために。

 黒に染まりきる、ソレを、選んだのである。

 故に。

 今になって思うコトはなにもない。


 ただ。


「彼らも。彼らで。苦しんでいたのかな――……」

「ふぇ?」


 今でも、脳裏に焼き付いて、離れない。

 神々は、最期、嬉々として自らの死を受け入れたのだ。


『〝感謝する――……。苦しみからの。解放を〟』


 その言葉の真意は、遺された、紙切れの中に記されていた。

 知ってしまえば、もう、糾弾するだけの立場を取るコトは難しい。

 ただ、一つだけの事実が、そこには残った。


 〝神々は死んだ〟。


 比喩的な表現でも、哲学的な言葉でも、なんでもない。

 事実。


 〝神は死んだ〟。


 囚われのアリスたちも、その際に、自らの役目を終えた。

 後に残ったのは、各々の判断、それだけだ。

 永遠に眠る者。

 人としての再生を選ぶ者。

 神々に忠誠を誓い続けようとする者。

 心の価値観に基づいて。それぞれを、正しいと思う判断を下していった。

 それを止める、そんな権利は、ユキトには存在しない。

 だが、どうしたって結末は変わらずに、あの神々はこの世界に存在しない。

 あるのは、人間が作る、人間自身の選択である。


 ……――この先の未来が、果たして、どのように流れていくのか?


 杞憂だろう。


「守るから。ボクがいつまでも。キミの側で」

「雪兎……?」


 いつになく真剣な表情を取る、重々しいその態度に、流石の有栖も心配になったのだろうか。

 じっ、と、雪兎の顔を眺めている。


「(……――いつものクセが出ちゃった。か)」


 駄目だ。

 そういう顔は、有栖には似合わない、キミにはいつまでも笑っていて欲しいから。

 大丈夫だよ。


「なんでもないさ――。ボクが変なコトを言うのは。まあ。いつものコトじゃないか」

「そうだけど……」

「?」

「雪兎。なんだか少し辛そうだったから。無理してるんじゃないかって」


 あなたは、いつも、一人で頑張り過ぎちゃうから。

 そう。

 有栖は控えめに言葉を口にする。


「無理だって? 馬鹿を言うんじゃない」


 ぴしっ、と、軽く人差し指でおでこを弾く。

 痛い。

 と、アリスの表情が、そう物語っている。


「有栖と一緒にいるコトで。無理なんてコトは一つもないんだよ。ボクは」

「本当に?」

「もちろん。キミはいつも通りで良いのさ。喜怒哀楽。すべてを自由に表現すれば良いんだ。自分らしく。ね」

「ん~……?」


 首を傾げる有栖。

 思わず、雪兎は小さく笑みを零したのだ、明確な理由がそこにはある。

 昔と変わらずに、有栖アリスは、物を考えるのが苦手なのだ。

 嬉しいじゃないか。

 そう思う。


「まだ。キミには難しいかな。ふふっ」

「雪兎だって。私と同い年でしょ~。なんでそんな大人っぽいのさ~?」

「人生経験の差」

「子どもじゃないかぁ~!」


 ぴーぴー喚くアリスの手を弾いて、街中へ進んでいく、特に目的はない。

 子どもの練り歩きなど、しょせん、そういうものだろう。

 意味もなく、ただ、一緒にいるだけで幸せだ。


 雪兎ユキトは、これから先も、彼女の成長と共にその歩みを隣で見守る。


 永遠に。

 この刻が終わるまで。

 いつか、訪れるであろう、〝終生〟の時まで。

 それでも――。

 今は、楽しく、過ごしていたい。


 仮初めでも良い、ただ、人間らしく。


 アリスを守る、騎士ナイトは、今も昔も変わらない。

 愛しい子を。

 守るだけ。

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