禁忌 / Side xx
***
「かつて――。アリスという少女たちが世界を大きく荒らし回っていた。この少女たちについては多くの謎が残るけど。実に。興味深いよね」
凛々しく、理知的な眼鏡の青年が、言葉を口にする。
「考古学専門の俺たちにすれば。まぁ。避けては通れない。そういう疑問だなぁ」
あっけらかんとした様子の、しかし、行動派であろう青年の友人が、彼の言葉に同調の意を示す。
「うん。かつては。神の名の下に殺戮を繰り広げていた。〝魔女〟とも形容されていたけど。実際の真実は〝分からない〟。伝承でもそう伝えられている」
「俺たちが知れるのはそこまで。ここから先は偉大な考古学者の先駆けでさえ。手がかりすらも掴めていない。正に。未知の領域だわな」
「歴史上は〝唐突に姿を消した〟らしいから。ね。彼女たちは――。本当に。どういう存在だったんだろう?」
「実は、今も、どっかで生きてたりな?」
「馬鹿な。有り得ないよ。その伝承が残されたのは今から大昔の話なんだ。そんなコトがあったりしたら――……」
とんっ、と、理知的な青年の方が、一人の少女とぶつかった。
こてっ。
小柄なその少女は、ぶつかった弾みで、地面に尻を着ける。
ふわふわの白いドレスに身を包んだ、人形のような、少女。
精巧に作られた、身体、そう見えた。
「っと……。すみません。お嬢さん」
「あらら。大丈夫かー?」
青年たちの問いかけ、ただ、少女はなぜか俯いている。
「ぅ、っ~……」
恥ずかしそうに。
俯く。
おずおず、と、少女はスカートの裾を掴んで下を向いてしまった。
長い、長い、その特徴的な色の髪を、地面に流すように。
ぺたり、と、少女は地面に座っている。
「「……――え??」」
青年二人は、思わず、その目を疑った。
鮮やかな、
そう、なぜなら、その少女の髪は、目を奪われるほどに鮮やかな金色の髪であったのだから。
瞳の色は紅色ではなく、碧眼、西洋人のソレに近いモノであるが。
ふわふわのドレスも相まって、一層に、際立たせるのだ。
伝承の中の、存在、殺戮少女のアリス。
その姿に、瓜二つ、瞬間的に二人の思考は重なっていた。
が、直後に、少女を追いかけてきた少年が現れる。
「こらこら。駄目じゃないか。
「っ、~っ!」
少女は少年を見つけると、嬉しそうに目を丸くして、ぱっと立ち上がる。
ちょこちょこっ、と、素早く歩いてすぐに少年の後ろに隠れた。
その姿は、小さな兎、その様であったと思う。
「(ぷるぷる~……)」
そんな音が聞こえてくるような、そんな、可愛らしい態度であった。
目線。
分かりやすく、恥じらい、そんな態度である。
「えっと……。すみません。ウチの子がなにかご迷惑をおかけしましたか?」
毅然とした態度で、少年は、首を傾げて青年二人に問いかける。
あまりに落ち着き払った、その様子に、思わず、青年たち二人の方が戸惑ってしまった。
それは、落ち度がない青年たちを、無意識のうちにたじろがせるほどに。
「い、いや。そんなことはないよ。お互い様だったから」
「うん……。ちょっとだけ。驚いただけと言うか」
「なるほどです。まあ。ご覧の通りの容姿ですから。目立つと言えば仕方がないです」
目を伏せ、小さく、朗らかに少年は笑った。
彼は、至って冷静であり、その様子は明らかに年相応とかけ離れている。
見た目の年齢は、十三、十四歳と言ったところだろう、が、振る舞いは、もう大人のやり取りのソレである。
黒い服に、黒い髪に、深く昏い――ように見える――瞳を持つ。
不気味、と、彼らの頭に一瞬の思考がよぎった。
が。
そうは思っても、口には出さない、ソレが人間である。
「すみませんね。この子。ボクの幼なじみなんですけど。お転婆でして。いっつも勝手に進んじゃうんです。困っちゃいますよ」
「ああ――。そういうことね。うん。大丈夫だよ」
「軽くぶつかっちゃったんだ。俺たちも前をよく見てなかったし。さ。――お嬢ちゃん。ごめんね?」
気さくな青年の方が、少女の目線に合わせて、小さく頭を下げる。
もじもじ、と、少女は一向に言葉を返さない。
軽く頭を抱えながら、小さくため息を吐く少年、彼が代わり言葉を返していた。
「ああ――。すみません。この子。内弁慶の引っ込み思案でして」
「あははっ。まぁ。可愛らしいじゃないか」
「そうだね。恥じらいが在って良い。お年頃だね」
青年二人は寛容であり、少女の失態を、咎めようとはしない。
安堵の笑みを浮かべる少年、そして、少年は少女に向かって肩を掴んで促した。
じいっ、と、少女の目を見つめる。
「ほらっ。有栖。ぶつかったらちゃんと謝らなきゃ。駄目だろう?」
「うぅ、う~……」
渋々。
そう言った様子で、くるり、少女――有栖――は青年二人の方へ向き直る。
「ぶつかっちゃって。ごめんなさい……」
ぺこり、下がる頭と同時に、金色の髪が大きく揺れ動いた。
思わず、青年たちは、その色合いに見とれてしまう。
嘆息。
「彼女は。イギリス人と日本人のハーフなんです。どういう訳か。優性遺伝の確率を飛び越えてしまって。〝お伽噺のアリスみたい〟って。よく言われて困っているんです」
「ああ――。そうか。なるほど。ね」
「そりゃ――。うん。大変だわ」
咎める言葉ではないが、しかし、状況の説明を淡々とする少年。
思わず。
青年二人も、苦笑し、同情の言葉と共に、認識の是正を取る。
アリスに似た、ハーフの少女、有栖。
ただ、ソレだけ、本当にソレだけのコトだろう。
と。
「いえ。お気になさらず。どうしたって。その印象とは付いて回る物ですから」
にこりと笑う、少年、彼はやはり達観しているように見えた。
まるで、そう、人生を――否、その先からすべてを――見通してきたかのように。
その得も言えぬアンバランスさが、恐らく、不気味さの正体なのだろう。
少なくとも、相対している青年二人には、そう思えたのだ。
ませた子どもとは、決定的に違う、言葉にできない。
恐ろしい、そんな、少年だった。
「さて――。ボクたちはそろそろ失礼します。有栖。もうはしゃいじゃ駄目だよ?」
「ぶぅ」
「〝ぶぅ〟じゃない。〝はい〟でしょ。良いかい?」
「はぁ~い……」
こうして見れば、幼い少年少女のソレは、なんの変哲もない光景である。
だが、なぜ、それを前にした青年たちは違和感を覚えるのか。
その正体は、如何に、解釈すべきか。
「ねえねえ。
「はあ。あのねえ……。さっき食べたばかりじゃないか」
「また。食べたいの~」
「やれやれ」
〝アリス〟と〝ユキト〟という名前が、その場で、点と点が繋がった。
繋がった直後に、もう、彼らは雑踏の中に消えていた。
青年二人は、小さく、息を吐く。
「これは。本当に。偶然なのかよ?」
「分からない。――ただ、名前が偶然に、伝承と一致した。そういう。二人が揃った」
「天文学的な確率。じゃんか?」
「僕もそう思う。でも。事実として目の前に彼らはいた」
片や、殺戮少女として君臨した、〝アリス〟の名を冠する少女。
片や、魔王として語り継がれる、〝ユキト〟の名を冠する少年。
想い、焦がれ、その果てに――。
今もなお、多くの人の記録に残る、狂気の愛の伝承である。
「真偽は別として。この状況は。面白いコトになりそうじゃん?」
「え……?」
くっくっく、と、気さくな方の青年が小さく笑みを零す。
悪戯心。
悪意があった訳でもなく、ただ、本当に好奇心だけのようだ。
「今の状況をさ。克明に描写して。SNSにでも上げたら。面白いとは思わないか?」
「それは――。止めておいた方が良いんじゃないかな。面白半分は良くないよ」
「ふむ。そうかぁ?」
「うん――。きっと。彼らもそういう偏見に苦しんでいるんじゃないかな?」
理知的な眼鏡の青年は、小さく、息を吐いて空を眺める。
そうだ。
あの物語の彼らも、長い時間を、苦しみの中で過ごしたという。
平穏。
ソレを手にしたのは、最後、そうであると記されている。
……――穢すのは、良くない、そうだろう?
などと、少し、センチメンタルな気分に浸る、眼鏡の青年。
一方。
ぽちぽち、と、携帯を弄って、笑いながら画面を見せる気さくな青年。
SNS。
その中には、言葉が記されてあり、〝投稿〟という画面の直前で止まっている。
「って。コラ。駄目だって言っただろ?」
「もう書いちった。後は。投稿するだけ~」
「君のそういうところは。本当に。良くないと思うよ――……」
「オイオイ。冗談だよ冗談。ホントに投稿する訳ないじゃん?」
あっはっはっ、と、笑う、陽気な青年。
呆れ、ため息を吐く、眼鏡の青年。
その直後に、異変は、起きる。
「「……――ッ!?」」
瞬間。
ぞわりッ、と、青年二人を包み込んだのは〝重い気配〟であった。
否。
ソレは、〝圧倒的に明確な殺意〟という、触れた者だけが分かる感触であった。
何処から、彼らに、向けられている?
視線を泳がせ、そして、探す。
視線の遠く先には、先ほどの
その姿は、もはや、別人と言って良い。
人の形をした、その上で、人の形を放棄した〝異形〟の者。
強く、悍ましく、それでいて暖かい。
『〝死にたくなければ。関わるな。ボクは殺しをしたくない〟』
明確な殺人予告であり、その言葉が脳内を駆け巡るまで、青年二人は動くコトさえできなかった。
〝一度きり。ボクにできる、最大限の譲歩だから。〟
そう、少年は
少女の手を取り、そして、歩き出す。
隣を歩く、少女は、とても嬉しそうに――なにも知らずに――笑っている。
そして――。
世界は、なんの変哲もなかったかのように、廻り出した。
「……――ッ、はッ、っ」
「――ッ、な、なんだ、アレは……っ!?」
心臓を掴まれたかのような、恐怖、その異常な感覚から解放された。
青年二人は、冷や汗を、止めるコトができない。
胸を抑えたまま、二の句を告げるコトもできず、その場にただ呆然と佇んでいる。
そんな青年たちの姿を、心の端で捉えて、少年――雪兎――は意に介するコトをしない。
刻を越え、なお、彼女の側に添い遂げる。
純真無垢、天真爛漫、年齢相応の少女。
彼らの正体を、世界の誰もが、知るコトを赦されていない。
そういう風に、彼が、創り上げたのだ。
触れるコトすらも。
赦されない。
絶対に――。
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