分断 / 交戦
◇
皇帝。
正しき名を、〝ヴィル=プロイ〟と呼び、代々続く血筋による王族の継承である。
西方における圧倒的な発言権を持つ、絶対の皇帝、正に誰もが認める至高の存在であった。
だが、それだけの権力を持つ者は、常に危険と隣り合わせが定石。
故に、彼の側には、常に〝不敗の象徴〟が付いて回る。
ソレが、そう、〝剣王〟である。
どんな状況にあったとしても、皇帝を守り切れる、それだけの実力を持った、世代最強の存在が立つ、騎士としての最高位。
〝フリード=ヴェンルク〟。
彼が、当代の、その人である。
加えて。
〝三騎士〟。
剣王の補佐に回る、そのためだけに動く、陰の活動者である。
表では成せない汚れ仕事を引き受ける。
実力は折り紙付きであり、当然、それぞれが名に恥じない力を持っている。
そんな連中が、
ユキトとて予想はできなかった。
有り得ない。
皇帝が身の危険を顧みず、なお、〝殺戮少女〟の始末に躍り出るとは。
「ああ。言うまでもなく。最悪だね」
銀の剣を手に携え、なお、安心感の欠片が一つもない。
アリスが万全の状態であれば、まだ、笑みの一つでも零せたかも知れないが。
無理だ。
「…………」
アリスは口を横に結んだまま、銃を構える先を悩んでいるのだろうか、ジッと〝剣王〟と〝三騎士〟を見つめたまま、ただ、固まっている。
余裕は一切ない。
信じがたいコトではあるが、恐らく、彼女の気持ちが初めて後ろ側に向いている。
〝撤退〟という可能性を、あるいは、考慮しているのか――。
不可能だ。
戦において、剣王の名は極めて高名である、つまり、この世でもっとも武勲を上げた者なのだ。
冷酷、且つ、非情なる士。
隙はない。
巨躯からは想像も付かない速度で敵を薙ぎ払う、その姿は、言うまでもなく、世界の中でも類い希なる武将の勇だ。
否、剣が無くとも、彼を相手に生き残るのは難しいかも知れない。
丸太のような、あの、腕である。
殴られれば一撃で死ぬ。
「(さて。どうする……?)」
どうすれば良い――。
ユキトの思考はフル回転を続けている。
剣王と三騎士を同時に相手にする、その状況を整理して、最適解を導き出そうとする。
だが――。
待ってはくれない。
「……ッ」
一歩、一歩、彼らは着実に足を前に進めてくる。
大剣を構え、剣を、槍を、弩を、それぞれの敵が構えながら、少しずつ、確実に間合いが詰められていく。
逃げられない。
「大丈夫。ユキト。……――私に任せて」
「アリス……?」
すっ、と、ユキトの前に出て銃を構えるアリス。
息を吐いて、一つ、呑む。
そして――。
「私を――。神の子を。甘くみないでッ!!」
アリスが銃剣を構えながら、前進、
雨あられと降り注ぐ銃弾。
近接時には剣で対応可能。
バランスが取れた戦い方であるコトは言うまでもない。
だが――。
「……――っ!? 止せっ。アリス!!」
〝殺戮少女〟が奇襲のエキスパートであると同様に、剣王とは、迎撃線のエキスパートである。
日頃から、対象を守るべく、後手からの攻撃にめっぽう慣れている。
神の加護というアドバンテージがない、そう考える今の状況において、突撃という行為は愚策中の愚策に成り下がる。
案の定であった。
「え……?」
自身へ向かうアリスの存在など気にもとめずに、フリードは、彼女とすれ違い、そのまま一直線にユキトの元へ奔る。
同時に。
三騎士が、アリスを取り囲むように、左右前方から襲いかかる。
「この……ッ!!」
アリスが銃を横になぞり、銃撃を加えながら、真横一閃で銃剣を薙ぐ。
ただ。
三人の騎士はそのすべてを避けきったのだ。
鋭敏に、速く、洗練された動きである。
陰を彷彿とさせる、刺客の者、ヘルム――甲冑――の奥に見えない表情、故に、余計にそう思わせるのだろうか。
いずれにせよ。
「……――くッ!!」
三方向からの攻勢に対応の苦慮を強いられる、アリス、殺戮少女もコレほどの連携は見たことがないだろう。
被弾こそしないものの、避けるという動作に重点を置く形となり。必然的に攻勢を緩めざるを得ない状況となる。
その状況は、当然、ユキトの心を大きく揺さぶった。
「アリス――……ッ!!」
思考も作戦もない、ただ、彼女を救うべく剣を片手に前へ出る。
助力。
ソレだけを考え、ただ、足を前へ進めようとする。
が。
一人の男がソレを阻むのだ。
「ッ!? ……――っ、ぐっ、あ!!」
「っ!! ユキトッ!!」
轟音を伴った剣戟であった。
大剣、ユキトの即応ですら容赦なく吹き飛ばす、へし折るかのような一撃である。
我ながら、あの細い剣でよく耐えたものだ、と、心の中で安堵する。
咄嗟の衝撃吸収が功を奏した。
幸いにして剣に損耗はなく、無事、ただ、ユキトは思いっきり後方へ弾き飛ばされた。
ただし――。
凄まじい衝撃の残骸、ソレが、今も身体の芯には残っている。
「ぐ……っ、ごほっ、はっ――……」
恨みの籠もった視線、その先、ユキトが目を向ける先には鋭い眼光の巨漢である。
軽装ながら丈夫そうな鎧に身を包み、黒い髪をパリッとまとめ、圧倒的な存在感を誇るその男。
つまりは、剣王、その人である。
「……――見事。よくぞ受け止めたものだ。素晴らしい」
ザッ、と、アリスを阻むように立つ、フリードの姿。
瞬間。
ユキトは状況を理解した。
「(初めから。連中は。コレが狙いだったのか――)」
戦力の分断である。
ユキトとフリードの一騎打ち、アリスと三騎士の戦闘、連携を取るコトは不可能。
相手の思う壺になってしまった。
「ユキト……っ!!」
「来るなッ!!」
三騎士を振り払って、強引にユキトの元へ向かおうとするアリスを、彼は強い口調で制した。
極めて珍しい光景だった。
激情に似た怒号、ソレを聞いた
「(そう。駄目だよ……。アリス)」
互いに気を残したまま、連中と一戦を交えようものなら、間違いなく死に至るだろう。
甘い相手ではない。
連中の思う壺に、連中が思うままに、ただ一方的な完封を受けるだけ。
「フリードは。ボクが殺る。アリスはその三人を頼む」
「でも――」
「今は。黙って言うコトを聞けッ!!」
叫ぶ。
状況が時間を許さない。
それでも、ユキトはアリスを守るために、自らを犠牲にする覚悟でいた。
死ぬつもりはない、が、身を危険にさらしてでも。
守る。
「ボクもね。キミと一緒に過ごしたおかげで。随分と強くなったんだよ?」
「…………」
「信じてよ。アリス。ね?」
「――――ッ、っ」
言葉はない、返す言葉を見つけられないのだろうか、アリスは悔しそうに唇をギュッと噛みしめている。
切れてしまうのではないか、と、そう思うほどに。
強く。
そんなアリスの返答を待たずして、ユキトは、彼の騎士へ向けて身体を構えた。
銀色の剣、ソレを剣王――フリードの方へと、傾ける。
切っ先は真っ直ぐに彼の方へ。
戦う意思の表明である。
フリード=ヴェンルク。
数多の騎士の憧れ、その噂は、ユキト=フローレスの元にも届いていた。
心技体すべてにおいて隙がない。
故、剣王、その名を冠する。
『君なら。あのフリードにも。勝てるかも知れないな――……』
ソレは、かつて、貴族として騎士を倒していた時代に言われた、お世辞だった。
否。
勝てる保証など見つからない。
「(紛うコトなき百戦錬磨。立ち振る舞い一つを取っても。隙が一つとして見えない)」
何処に勝てる要素があると言うのか。
青少年期、仮に彼と対峙をしていたら、間違いなく負け――死んでいた――のはユキトの方だろう。
まったくもって、ユキトを持ち上げるための方便である、今になってあきれ果てるユキトであった。
ただ。
……――ソレでも。アリスのような怪物と。時間を過ごしてきた意地が在る。
血の海を越え。
死を越え。
歩いてきただけの経験がある。
「だから――。アンタには負けないと思うよ。ボクは」
敬語を使う必要もあるまい。
命のやり取り。
余計な気遣いは不要だろう。
「私も。貴様――。いや。君のような騎士と、違う形で会えれば良かった、と。そう思っていたところだ」
「?」
ユキトが意識的に言葉を崩したコトに反し、フリードは、呼称を〝貴様〟から〝君〟へ改める。
なぜだろうか。
瞳からは憐れみの色が窺えた。
「我らの死合い。どちらかが生き残るコトは。もはやないだろう」
「ああ。そういうコト」
尊敬の念、ユキトは同じ騎士――剣士――として、世界の羨望を集める彼に少なからず好意を抱いていた。
故に、このような形での対峙は、本来、望むハズもない。
正式な決闘の場で、世界の注目を集めながら、堂々と戦いをしてみたかったのだ。
「噂は聞いていたのだよ。君の家柄と。その剣才を」
「光栄だね。ボクもアンタのコトは知っていたさ。それはもう嫌っていうほどに。ね」
「ふふっ。まぁ。光栄だと言わせてもらおうか」
ぐわりッ、と、フリードはその
剣を真っ直ぐに構え、そして、ユキトを見据えた。
斬るよりも引きちぎる、そんな、あまりにも大ぶりな業物である。
「戦いとなれば容赦はしない。当然に。徹底的に殺すまでだ」
「奇遇だね。ボクも同じ道を歩いてきた存在だから。気持ちはよく分かるさ」
「正義は我に在り。だが」
「それは――。違うね」
「?」
銀の剣をフリードの真正面に据える。
宣言をする。
明言を。
「戦いは常に正義と正義のぶつかり合い。人間の戦争なんて。結局はそんなものだから」
「ふっふっふ。若造が。言ってくれるな?」
「コレでも――。ボクは世界中を渡り歩いてきたものでね。目で見てきた現実だよ」
「……――そうか。ああ。そうだったな」
目を伏せ、しかし、それ以上の言葉は返してこない。
つまり。
言葉は要らない。
「正義の対立構造は。いつでも。そうだったな」
「剣で語れ」
「結果がすべて。勝者は生を。敗者には死を」
「その通り」
スッ、と、互いに剣を前へ伸ばす。
キンッ、と、軽く剣を交錯させる。
古来より伝わる決闘の作法。
その直後、静寂だった場は、一瞬で火花を散らすような、激しい剣戟が交錯する。
腕力ではやはりフリードに分があり、真っ直ぐの剣戟では圧倒され、ユキトは一歩後ろへ足を引いた。
だが、その表情は、冷静な笑みで満ちている。
楽しいのだ。
互いに剣の領域では、もはや、人間の領域を限界まで引き延ばした存在である。
類い希なる死闘は必至。
オーディエンスのいない、ただ、最高のエンターテイメント。
ユキトが剣を鞘に収め、そして、一歩前へ奔り出す。
抜刀術。
薄い笑みがより一層に深く色を増す。
「……――ッ!」
対峙したフリードでさえ、一瞬、気を震わせるほどの狂気的な色であった。
〝殺戮少女〟の片割れ。
数多の死を乗り越えてきた化物である。
ユキトの鞘から一直線に剣が抜かれ、そして、フリードの胴元へめがけて剣が駆け抜けたのである。
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