希望 / 絶望


     ◇


 〝神託〟ではなくただの〝報告〟だった。

 逃れるための術も策もない。


『〝――すまない〟』


 加えて。

 あの神は知っていた。襲撃が来るというコトを。知っていたその上でアリスを見捨てたのだ。

 いや、あるいは、見捨てただけでは済まないかも知れない。

 推測の域は出ないが。

 可能性としては十分であると、ユキトは、その瞬間に考えていた。


「(つまりは――。罪を被って。終わりにして。死ねというコトだろう?)」


 確かに。

 ユキト自身に関して言えば、仕方がないコトである、天罰であるとすら言えるだろう。

 今までにしてきた悪行の限りを考慮すれば、そう、死罪ですら生ぬるい。

 何人の人間を殺してきた?

 どれだけの罪なき人を殺してきた?

 分からない。

 ただ。

 ソレは、ユキトという人間が、自らの意思で行ってきた〝罪〟である。


 アリスは、違う、そうじゃない。


 指示を下したのは、神々ヤツらで、アリスの意思ではない。

 ヤツらは世界の上で佇んでいる。

 眺めている。

 人形アリスが苦しむ姿を。

 眺めている。


「(……――死んだとしても。ソレでも。絶対にその喉元へ刃を突き立ててやる)」


 憎悪。

 ソレ以外の感情はもはや存在しない。

 神々。

 その怒りは、今は、怨念の如き感情として目の前の対象へ当てつける。


 皇帝が遣わした、兵士、否、騎士団、その連中へ。


 剣を振り、血を巻き上げ、その上で。

 紅い死体を築き上げ。

 叫ぶ。


「ただじゃ――……。死ねないんだよ。ボクはなァ――ッ!!」


 心の底から湧き出る、激情、ソレであった。

 冷静な彼らしからぬ行動であった――が、相対した騎士たちは違う解釈を取る――故に、辺りは一瞬で恐怖の色に包まれる。

 狂人。

 真っ赤な返り血を浴びて、なお、叫びを放つ青年。

 正気の沙汰とは思えない。

 歴戦の帝都の騎士たちが、そう、たたらを踏む。

 数々の死体――肢体――と共に、駆け抜ける、ユキトがいる。

 そして――。


 一歩、前へ進める足に続いて、騎士たちは一歩足を後ろに下げていく。


 制圧は目前である。と。ユキトは確信を持った。

 ちらり、と、横目で別の戦況を見る。

 アリス、そう、彼女の方はどうだろうか。


「ふふっ――……♪」


 心配はない、いつも通り、高揚した表情を浮かべるアリスがいた。

 銃撃の嵐を振りまき、突っ込み、銃の剣で敵を引きちぎる。

 化物の姿であった。

 ただ――。

 普段を知るユキト、故に、気付く点もあったのだ。


「(避けの数が異様に多い。か?)」


 そう。

 普段のアリスであれば、〝神の加護〟が付いている、多少の攻撃であれば被弾をしても問題はさほどないのである。

 が、今回はやけに、被弾するコトを避けている節がある。


『〝そういう意味では――。今の私も。同じだけれどね〟』


 先ほどの違和感。

 アリスが述べた言葉の中に答えがありそうだ。

 曰く。


『〝お生憎様。ボクは普通の人間なんでね。銃で撃たれれば普通に死ぬさ〟』


 この言葉に対して、アリスは〝自分も同じ〟と、そう答えた。

 撃たれれば死ぬ、きっと、彼女はそのコトを理解しているのだろう。

 つまり――。


 アリスは、今、〝神の加護〟を持っていない。


 真に、神から見放された、そういう証明だろうか。

 冷笑。

 血を浴びながら、空を見上げ、独り言つ。


「つくづく。貴様らは救えないよ――。なあ?」


 返る言葉はない。

 ただ。

 ユキトは一人で空を見る。


「(まあ。別に良いさ。今は――)」


 この場を脱せば、とりあえず、窮地は抜けられる。

 連中の連絡網を縫っていけば、もしかしたら、帝都ローナからの脱出も可能かも知れない。

 今はソレで良いのだ。

 アリスの無事が最優先である。


「アンタらには。とりあえず。全員に死んで貰わないと――。困るんでね」

「ひぃ……!!」

「まあ。ボクがどうこうって言うよりも。アリスに殺されるだろうけれど」


 指を指す先、少女が銃口を構えて笑っている、狂気の笑みだった。


「貴方たちで――。お終いよ。全員ね」


 呼吸、直後、ライフルが火を噴いて花を散らす。

 血と硝煙の世界。

 舞い上がる煙がゆらゆらと、紅い、そんな色を携えていく。

 死の香り。

 嗅ぎ慣れた、あまりにも当たり前の、日常的な光景である。


「あら。ユキト。無事だったのね?」

「当たり前だろう。無事じゃない可能性を考えていたのかい。キミは」

「だって。貴方は。多勢に無勢が苦手じゃない?」

「時と場合による。士気の都合で今回は良いテンションだったさ。ボクは」

「ふぅん。気分屋なのねぇ」

「キミにだけは言われたくないなあ。本当に」


 焼け落ちる小屋の火種が、辺りに降りしきる中、あまりにも呑気な会話である。

 ともかく。

 戦の山場は乗り越えた、と、ユキトはそう考えた。


「ねぇ。ユキト。コレからどうするつもりなの?」

「さあね。まずはこの国から出るのが先決じゃないか? 急いで街を出ないとね」

「出られるかしら?」

「出られるとしたら、今が、その好機だと。ボクはそう考える」

「どうして?」


 首を傾げるアリスに、ユキトは指を一つ立てる、説明を加えるのだ。


「たった二人を相手にして。騎士団の一個分――圧倒的な戦力――を送ってきた訳だから。連中はボクらを始末できたと考える」

「ふんふん」

「当然。瞬間的に意識はこの小屋に集まる訳で。つまりは他への注意力が散漫にならざるを得ない」


 あれだけの人数と戦力――四、五十はいただろう――を送り込み、且つ、奇襲まで仕掛けたのだ。

 たった二人の人間に負けたとは、そう、夢にも思うまい。

 始末した、そう考えて、事後処理の段階すら見据えているかも知れない。


「と。……――まあ。あくまでも。理想的且つ希望的観測なんだが。ね」

「それでも。やるだけの価値はありそうじゃない。終わらない可能性は十分にあるわ」

「ふむ……」


 ただ、ユキトはそれでも、一つを考える。

 すべてが神々の手によるものだとすれば、ソレは、終わりの決定した物語であるのではないか。

 今、こうしてこの場に立っている、その現実でさえも予定調和なのではないか。


「(考えても仕方ない。ね)」


 頭を振って考えを払う。

 そうだ。

 なにが降り注ごうとも、たとえ、神が立ちはだかろうとも。

 絶対に守る、他に、なにかを考える必要はない。

 殺す。

 ソレだけがすべてだ。


 彼女アリスを守る、その代わりに、他のすべてが犠牲となる。


 構わない。

 散々と、運命に弄ばれた存在である少女なのだから、最後くらいは別に良いだろう。

 赦してくれ。

 そう思い、一歩、足を前に踏み出した。

 瞬間だった。


「……――ッ!?」


 ずわりっ、と、重い塊。

 鋭く、差し込むようなその殺気が、ユキトの身体を包み込む。

 洗練されていて、ソレでいて、獰猛な気配である。

 瞬時。

 ユキトの脳は警鐘の段階を最上位に弾き出す。

 死ぬ。

 対処の方法を余儀なくされる。


「アリス。すぐに銃を構えて。早く」

「ええ。大丈夫。分かっているわ」

「ああ。流石だね」

「確かに。普通の人間とは違うみたい。……――相当に手強いわ」


 手強い、と、そう口にしたアリスを、ユキトは初めて見た。

 余裕で、楽しそうな横顔はなく、その表情は余裕のない真剣そのものであった。

 神の加護がない、そうであるコト以上に、相手が厄介である。

 その事実の証明だろう。


 その直感は間違いなく当たっている、そう、対峙するべき相手は紛れもなく〝最強〟であったのだ。


「……――やはり。貴様ほどの騎士では。歯が立たぬのも無理はないか」

「…………っ」


 ずっしりとした足取り、大剣ツヴァイヘンダーを肩に乗せながら、圧倒的な巨躯を誇る男は、一歩ずつ、その足を二人の側へ進めてくる。

 その背後には三人の人間――性別不明――が控えていた。

 全身を鎧で固めており、表情すらも見えないほどに、頑強な防御でその三人は身を固めている。

 逆に。

 三人の前方を歩く巨躯の男は、軽装、最低限の鎧で身を包む程度であった。

 その事実が、実力、圧倒的な存在感を証明する。


「ユキト。貴方のお知り合い?」

「いや。こちらの面識はないよ。それでも――。ボクは彼のコトをよく知っている」

「……?」

「ふっふっふ。そういう意味では。私も貴様のことはよく知っているぞ。ユキト=フローレスよ」


 にっ、と、豪快に歯を見せて笑う。

 快活と言う表現が似合うだろうか、気立ては良さそうな男であった、事実、彼に関する話で悪い噂は聞いたコトがない。

 〝剣王〟。


「フリード=ヴェンルク。またの名を〝剣王〟。そのお噂はかねがね」

「お互い様だ。貴様の噂は古くから聞いていた。――まさか生きていたとは。な」

「色々とありまして。ね」

「まあ。その辺りの事情は関係ない。貴様が逆賊として世界を恐怖に陥れる。そんな存在であるという事実だけが。今はすべてだからな」


 肩に乗せた大剣を、そのまま、切っ先を向けてユキトに告げる。


「殺戮少女とその従僕よ。貴様らをこの場で叩き斬る。それが主の命令なのでな」

「〝皇帝〟――。ですか」

「いかにも」


 視線、瞳に映る光は、強くまばゆい輝きであった。

 対照的であろうか。

 青年ユキト剣王フリードは。


「ボクは――。貴方とは違う。世界の犬には成り下がれなかった」

「そうだな。違うな。私は殺人狂になど成れはしなかった」

「剣の本質は人を殺すコト。そうであるコトなど。貴方が一番に知っているでしょう?」

「そうかも知れない。が。守るモノのために振るのが正しい剣の在り方だ」

「そういう意味では――。ボクも。間違っちゃいない」

「?」


 きゅっ、と、ユキトはアリスの肩を引いて寄せた。

 なぁに?

 そんな様子でアリスは小さく首を傾げる。


「彼女を守る。ボクはそのために――。そのためだけに剣を振るう。そう決めたんだ」


 目的もなにもなかった、あの頃、ただ、今はもう違うのだ。

 運命に苛まれし、そんな少女を、支えるために。

 それだけのために。


「狂気の沙汰だ。その思考は――。人として壊れた価値観であろう」

「その通り。ただ。ボクはその自分に誇りを持っている」

「……――よもや。ここまで貴様が狂っているとは。私も想像すらしていなかった」


 もっとも、そうでなければ、この惨状は作れないだろうが。

 小さく、そう、呟く。

 フリード=ヴェンルクは周囲の屍を見つめていた。


「言葉が通じないのであれば――。もう。剣で語る以外に道はないだろう」

「…………」


 フリードの言葉に続いて、後ろに控えていた三騎士が、一斉に武具を構える。

 剣を、槍を、おおゆみを。

 各々が手持ちの武器を構える。


 戦いは避けられない、が、考え得る最悪の状況だった。


 〝剣王〟と、直属の騎士である〝三騎士〟を、同時に相手にしなければならない。

 皇帝直属の近衛兵。

 〝ローナ〟の地で四人しか存在を許されていない。


 〝最強〟の称号である。

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