ロマンス / 神の宣告


     ◇


 静寂。

 暗闇が広がる夜の世界。

 森の中の木々がこすれる音だけが、遠く、小屋の外から聞こえてくる。


「やれやれ……」


 小屋の中、ベッドの上には、小さく胸を小刻みに動かしながら、すぅすぅと、寝息を立てる少女がいる。

 アリス。

 黒いゴシックドレス――は、ベッドの下に落ちている――であるハズの少女は、一糸まとわぬ姿で、すやすやといった具合で眠りこけている。


「はあ……。まったく。風邪を引くだろうに」


 否、神の子は風邪など引かないのかも知れないが、ユキト自身の精神衛生上よろしくない、そんな理由から、ベッドの下に無造作に置いてあるドレスを手に取った。

 裸で眠る女の子を放っておけるか。

 だが。


「コレ。どうすれば良いのかな?」


 ゴシックドレスを手に取ったは良いものの、さて、どうやって着せるのか。

 分からないので、手探りで色々と、ごそごそと。

 ふと思った。


「(寝込みを襲っているみたいだな――。コレって)」


 公認とは言え、しかし、ユキト自身としては気まずくて仕方がない。

 早くしなければ、と、そう思えば思うほど手が慌てていく。

 ごっそごそ。


 ……――違う。違うぞ。ボクは別に不埒な目的はない。


 言い聞かせる、否、見えない誰かに弁明でもするかのように。

 ただ。

 件の少女、本人はまるで目を覚まさず、されるがままである。

 ソレがなおさらにユキトを困惑させる。

 とにかく。


「コレで――……。良いのかな?」


 少し不格好な気もするが、とりあえず、形は整ったように思う。

 十分だろう。

 肌はしっかり隠れたのだし、十分、ユキトの精神も安泰である。


「はあ……」


 思えば、ずっと、振り回されてばかりであった。

 アリスのを聞いて、ソレに応えて、アリスは想いの〝形〟を確認できたと言う。

 正直、ユキトはいまいち、ピンと来ていない。

 否。

 彼にとっては、生きるというすべての行為が、アリスに対する〝形〟なのだから。

 確認するまでもない。

 ただ。

 女の子とは、つまり、そういう存在なのだろうか。


「分からないなあ。やっぱり――。ボクは男だし」


 当然と言えば、当然のコト、性別が違うという概念は、つまり、違う星の下から生まれたと言えば良い。

 言葉一つを取っても捉え方が違う。

 まして、彼女アリスは神の子である、そもそもが人間とは違うのだろう。


「んむぅ……」

「ふふっ」


 むにゃむにゃ、と、寝返りを打つ少女を前に青年は小さく笑みを浮かべる。

 幸せ。

 窮地に立たされた今でなお、ソレを感じるのだから、きっと幸福なコトだろう。


 明日。ボクは――。死ぬかも知れない。


 あるいは、今日、死ぬという可能性だってある。

 現実はなに一つとして変わっていない。

 世界は彼らを殺しにかかる。

 少女を狙う。

 伴う。

 青年を殺す。


「手の届く限り。この子を死なせない。やるべきコトは変わらないよ」


 すべての存在が敵である。

 敵であるのなら、たとえ神々であろうとも、すべてを屠ってやれば良い。

 可否の話ではない。

 やるしかない。

 叶うのであれば、忌々しい神々の喉元まで、白刃の剣を突き付けてやる。

 ソレが希望だ。


「死なば諸共。ってね。ふっふっふ……」


 どの道を行っても変わらない。

 ユキトの人生はそう長くもないだろう。

 なればこそ。

 死んだ先でも足掻いてやる。

 死後の世界でも。

 なんでも。


『〝……――神の子。アリス。今すぐに応答するのだ〟』


 瞬間。

 暗闇の世界に、白い聖光のような灯火が、二人の拠点である小屋の中に広がった。

 否、その光こそが、神々の形なのだろうか。

 アリスが言う、そう、神様。

 光の形象である。


「(声が……。聞こえる……?)」


 普段は届かない、そんなハズのユキトにでさえ、神々――と、思われる存在――の言葉が届いている。

 聞こえている。

 奇妙であり、また、不気味な現象であった。

 ただ。

 少女アリスはその声に反応を示した。


「ッ……!!」


 バッ、と、身体を勢いよくベッドから起こして、辺りを見回し、光を見つけると一目散に身体を寄せる。

 はっ、と、息を切らしながら、慌てた様子で。眠っていたハズの身体を無理矢理に起こして。

 ソレほどに、彼女の神々への信仰は、厚いものであった。


『〝我らが子。アリスよ。それに――。人の子であるユキト〟』


 深く、心の奥底に響くような、そんな声。

 不快。

 心を撫でられる、そんな気分が、心の底から


「神様……。ああ。私に声が聞こえる。本当に――。良かった」

「〝――――〟」

「神様?」


 ユキトには、その光の塊が、ただの光の塊に見えている。

 だが、アリスには、違うように見えているのか。

 まるで、身体の形でも、確かめるように、その光の方へ向かって、手を向ける。

 掴む。

 見えないなにかを、彼女は、掴んでいた。


「(神の手……。なのか?)」


 その立ち振る舞いは、まるで、立ちすくむ誰かの手を掴むようだった。

 言葉がない人。

 そういう人に差しのばす、手、彼女の振る舞いは正にそうであった。


「……――神様?」

『〝まず。先に汝らに伝えなければならないことがある。今の時間、この対話という瞬間は、の、としての行動であるということだ〟』

「え……?」


 嫌な予感。

 ソレは、見事に的中をするのであった、最悪の形で。

 終わりの宣告だった。


『〝たった今。汝らの元へ――。皇帝が遣わした一行が向かっている〟』


 西方最強の騎士団、その兵力を以て、たった二人の存在を滅するであろう。

 神々、否、が伝える言葉。

 加えて。


『〝せめて。それを知るだけの。権利が汝らにはあるだろう〟』


 〝――〟。

 と。

 その言葉を最期に、淡く輝く光は、一瞬にして霧散していく。

 後の句を届かせない。

 消えた。


《……――オオォオオオォ!!》


 轟く。

 士気を上げるための、最後の、掛け声である。

 つまり――。


 敵は、既に、もう攻撃の段階に入っている。


「ユキト――……。貴方だけでも。逃げて――……っ!!」


 ただ。

 その言葉が終わる直前に、小屋は一気に燃え上がり、辺りは炎に包まれていく。

 紅い、紅い、炎である。


「(……――来るべき時が。そう。来ただけさ)」


 元より覚悟は決めていた。

 故に。

 ユキトは一つとして迷いはない。

 剣を手に取る。

 そして――。


「ッ取れぇい――ッ!!」

「「「おぉおおおぉッ――ッ!!!」」」


 燃える小屋の中、名誉を求めて、自らの命を省みず突っ込んでくる兵士たち。

 その中で。

 ユキトは、酷く、冷静であった。


 


 目の前に迫り来る、兵士の一人を、思いきり横に引き斬ったのだ。


「……ぅ、ぁ……ぁ!?」


 口から血を吐き、そして、腹から真っ二つに切れて、ぼとりと折れる兵士。

 ソレを見て。

 他の兵士たちは、一瞬の躊躇、一歩後ろへたたらを踏む。


 ソレは、つまり、致命的――。


 感情すらなくし、ただ、無意識のうちにユキトは判断を下していた。

 斬る。

 目の前にはばかるすべての敵を叩き斬る。



 羅刹。

 猛進と共に嵐を巻いて血漿を散らす。

 人知を超えた人の身である。


 殺し続け、そして、殺すコトを全肯定した人間の、辿り着いた、末路の姿。


 さあ。

 災厄の幕開けだ。

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