想いの形 / 無人の小屋


     ◇


「ただいま。アリス。帰ったよ」

「…………」


 二人が身を寄せた場所、そこは、ローナの街からほんの僅かに離れた森の奥地、ボロボロと言って差し支えないほどの、無人の小屋である。

 無論、無人であるかはここに滞在してからの話であるからして、本当は持ち主がいるのかも知れない。

 が。


「(その時は――。容赦なく殺してやれば良い。ソレだけの話だろう)」


 もはや、周りの人間の善悪など判断材料に入れてやれる余地がない、ユキトは「アリスを守る」という以外のコトを考えていない。

 本当に、小屋の持ち主が現れたのなら、相手が誰であろうと殺すだろう。

 彼の本質は、人間、そのものと言えるのだろうか?

 ともかく――。


「……――アリス。そんなところで膝を抱えていても。なにも始まらないよ」

「……ぐすっ」


 慈しむ心。

 今のユキトにはその感情だけがすべてであった。

 泣いている少女を支える。

 それだけであった。


「……――神様が。ねぇ。ユキト?」

「ん?」

「神様がね。私の声に応えてくれないの。あの日からずっと」

「…………」


 そう告げる少女は、まるで、拠り所を失ったかのように。

 泣く。


「私。神様に迷惑をかけちゃったから。嫌われちゃった」

「……――そうかも知れない。でも。そうじゃないかも知れない」

「でも。あの日から〝神託〟は来ないの。一回も」


 そう。

 一切、彼女の元に、その言葉は降りてこない。

 その事実が、きっと、彼女を不安にさせているのだろう。

 嘆き、悲しみ、塞ぎ込む毎日を送っている。

 ユキトとアリスが対峙をした、目撃者を逃し、世間に〝殺戮少女〟の存在が決定的な情報として広まったあの日から。

 彼女は、壊れてしまったかのように、ずっと、塞ぎ込んでいる。

 不遜な態度は何処へやら、若干ではあるが、幼児退行のような――コレ以上の幼児退行は何歳を指すのか――そんな現象に陥っている。

 当事者であるからして当然であるのだが、ただ、その動揺っぷりはユキトのソレを遥かに凌駕していた。


 死ぬ、という現実は、ユキトとて同様であるのだが。


 今の彼女に、ソレを告げようという気分には、ユキトもなってはいなかった。

 どうやって彼女アリスを元気にしてあげようか。

 ソレだけである。


「私。捨てられちゃったかな。神様に」

「もしも。神様がキミを捨てたのだとしたら。相当な薄情者だけれどね」

「でも。神様だって。きっと必死なのよ」


 世界をするために、ありとあらゆる犠牲を払いながら、ここまで神々は足を進めてきた。

 アリスというを使って、自らは世界に姿すらも見せず、どこまでもである。

 ユキトには「必死だから」という免罪符など通用しない。


「私。この世界に。独りぼっちかな」


 アリスにそう思わせる。

 やはり。

 神々は忌むべき存在だ。


「……――ボクが側にいる。最後の最後まで。ボクがキミを支え続ける」

「え……?」


 ふわり、と、アリスの手を優しく包み込む。

 小さい。

 人を殺すための手とはとても思えない、否、本来であればアリスには別の幸せが在って良かったのではないか。

 そう。

 初めから知らないからこそ、彼女は、幸せという概念を理解できなかった。

 すべて、神々が成した、神々の業である。

 〝哀しみ〟。

 そう言わずとしてなんと言うか。


「……――ぅ。ぅぅ~……」

「…………」


 ユキトの胸の中にうずくまるアリス。

 弱々しい。

 高々に笑みを携えていたあの頃のアリスはもう見えない。

 〝悲しい〟。

 ソレはユキトとて同じコト。


「大丈夫。大丈夫だから――。安心して?」

「っ、ぅぅ~……」

「ふむ。泣き虫なキミも新鮮で良いけど。やっぱり笑っていて欲しいよね」

「ぐすっ……」


 どうしようか、と、ユキトは考え込む。

 アリスの肩を抱きながら、ぽんぽん、と、背中を撫でる。

 ふと――。


「ん……?」

「(ジーッ……)」


 不意に、アリスがユキトの瞳を見つめる、その紅い深い瞳で。

 吸い込まれそうなほど。

 深い色である。


「ユキトは。私を。捨てない……?」

「捨てる訳がないだろう。なにを言っているんだか。キミは」

「ほんとうに?」

「本当に」

「じゃあ。一つだけ。お願いを聞いてくれる?」

「ああ。ボクにできるコトなら。なんだって良いよ」


 つぶらな瞳が、ゆらり、僅かに揺れた。

 不安定な様相で。

 それでも、絞り出すように、彼女は自分の気持ちを告げた。


「……――想いの〝形〟を。頂戴。今だけで良いから」


 薄れるように、終わりの方は掠れるように、自信の欠片もない様子だった。

 くすり、と、ユキトは小さく微笑む。

 そのエモーションを、アリスは、別の意味に捉えたようだ。


「ど、どうして、笑うの……?」


 悲壮感を漂わせる少女の姿であった。

 ただ。

 ひとえに言えばソレは〝誤解〟である。


「キミが、容姿相応に素直なものだから、少しだけ面白くて。ね」

「え……?」

「キミが〝神の遣い〟という責務に就いていなかったら。きっと。そういう子に育ったのだろうね」

「……――それは、どういう意味??」

「なんでもないよ。忘れて良い。どうせ叶わない夢だから」


 アリスが〝神の遣い〟にならない未来。

 イフストーリー。

 考えるだけ無駄な思考だと、ユキトはそう考える、極めて合理主義且つ残酷で冷徹な彼だからこそ至る境地であろう。


 を考える、そんなヤツは、過去に逃げる愚か者だ。


「ああ。良いよ。アリス」

「ふぇ?」


 きゅっ、と、アリスの手を引いて。

 ふわり、と、小さな唇に口を付ける。

 想いの形と言えば――さて。なんだろうか――足りない経験の果てに彼は考えた。

 愛情表現の最上級。

 違いない。

 答えとして正しいかどうかは分からないとしても。

 それでも――。


「な、にゃ、なな――……っ!!」

「あら。ミスったかな。コレは」


 ぷるぷる、と、アリスは目に見えて紅潮している。

 恥ずかしい……!!

 言わなくても伝わってくるようだった。


「いや、ちがっ、わたしが言いたかったのは、そういう意味じゃなくて――」

「ふむ。ボクはそういうのに疎いんだ。悪いけどハッキリと言ってくれ」

「いえ、その、違うって訳じゃないの……」

「はい?」


 しどろもどろ、と、アリスはとにかく狼狽えている。

 そして――。


「でも、わたし、はじめてだから、わかんない――……」


 照れる。

 紅い頬を、そのまま携えて、顔を下に向けてしまう。


「ソレは。まあ。ボクも同じだよ」


 社交的な〝お付き合い〟はユキトとて多く重ねて来たのだが、その先、本当の交際という行為はさっぱり分からない。

 計略と打算による付き合い。

 ソレがユキトにとっての〝普通〟であった。

 故に――。


「だからこそ。キミがどうして欲しいのか。ソレが大事な〝形〟になる」

「…………」

「キミは。ボクに。どうして欲しいの?」


 教えて、と、ユキトは小さく首を傾げる。

 微笑む。


「……――私は、ずっと、ユキトと一緒にいたい」

「……ふむ」


 難問である。

 前提として、アリスとユキトは別の生き物であり、窮地に立たされる現実でもなおアリスの方が長生きするだろう。

 そういう摂理なのだ。

 〝神の子〟と〝人の子〟である。

 永遠に変わらない。

 ただ――。


「貴方と想いを交わしたい。私は――。そういう関係になりたい」

「そっか。――うん。分かったよ」


 そもそも、他にできるコトなど、今の状況ではほとんど残っていない。

 想い人で同士なのだ。

 ならば――。


「貴方を私は受け入れたいの。そうするコトで。きっと前へ進めるから」

「……――ソレで。キミが笑っていられるなら。いくらでも」


 迷いはない。

 泣いている女の子を慰めるだなんて、結局、そういう行為以外にないだろう。

 言葉は要らない。

 そう。

 お互いの想いを確認するだけで良い。


「アリス。おいで」

「うん」


 ふわり、と、彼女の方からユキトの身体に絡みつく。

 幸いにして。

 背後は――ボロボロであるが――ベッドである。


 束の間の、終わるまでの時間を噛みしめる、数少ない機会であろう。


 彼女は小さく笑う。

 雰囲気を――。

 壊す。


「ユキト。とりあえず。まずは着替えなさい?」

「ん……?」

「貴方はやっぱり黒スーツが似合うもの。だから。早く着替えてきて」


 ムードなど何処吹く風である。

 ああ。

 きっと、ソレが、正しいのだろう。


「……――ふふっ」

「あら。笑うのね?」

「ああ。キミはやっぱりそっちの方が似合ってるなって。そう思ったから」


 ……――不遜なキミが、やっぱり、一番に美しいから。


 想う。

 真っ直ぐに、抱える、そういう気持ちだ。

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