愛、故に、手が―― / ローナの邸宅


     ◇


 金色の髪が揺れ動き、紅眼の少女は、黒いゴシックドレスを靡かせている。

 手には、黒鉄の突撃銃、その先端には銃剣が付いている。

 紅く染まる、否、その黒い姿は紅を目立たせない、そんな、殺しに適した色である。

 片や。

 黒い髪を靡かせて、漆黒の瞳を強く抱く、黒いコートの青年。

 手に握るは、銀色の光を放つ、一振りの剣である。

 血で染まる空間を、平然とした面持ちで、ゆっくりと歩くのだ。


「アリス。――終わったかい?」

「ええ。終わったわよ。ユキト」


 ふわり、と、優しく微笑むアリス。

 一安心。

 普段通りの彼女を前にして、ユキトはそっと静かに、胸をなで下ろす。


 時刻は、深夜、場所は、ローナの地にある邸宅である。


 二人は豪勢な作りのその邸宅にお邪魔をしていた。

 ローナの地に存在する、否、存在していたハズの、子爵一族の邸宅である。

 過去形であるのは、つまり、たった今の話、アリスとユキトが粛正という名の下で夫妻を亡き者にしたからである。

 〝神託〟に従い〝裁き〟を下す。

 ローナの地においては初めての執行であった。

 罪状は――特に重要ではないが――『〝縁を成し、輪を作りて、死をもたらす〟』だったか。

 神々の言葉を意訳するに、つまり、「将来的に悪意を結託するので今のうちに殺しておけ」というコトだろう。

 相変わらずに、甚だ腹立たしいと言うべきか、傲慢な存在の言葉である。

 もっとも。

 それでも従うしかないのがアリスであり、同時に、それに伴うのがユキトの意思であるのだから。

 やむを得まい。


 ボクの心は、いつの頃から、こんな風に腐っていたのか――。


 現行の罪なき者を葬るコトに、一つとして、躊躇いを覚えない。

 ユキトはそんな身体になっていた。

 人間失格。


「後一人。この家の嫡子がいるハズなんだが――。まだ殺していないよね?」

「ええ。私の記憶にはないわ」

「と、すれば。逃げられたかな――。いや、この短時間じゃあ、逃げる間もないだろう」

「隠れているのでしょうね。きっと」

「そういうコトになるかな」


 意外と冷静に、アリスは淡々と殺しの作業を進めていく、その姿はとても頼もしいものであった。

 最近のアリスは、何処となく、様子がおかしかった。


『〝終わりが近い――。そう思うの。なんとなく〟』


 などという、世迷い言を、一人で空の中へ放ってみたり。

 あるいは。

 妙に考え込む姿を見せたり。


 らしくもない。

 アリスとは、真正面から完全に狂っている、故に、アリスなのである。

 悩む姿は似合わない。


 と。


「ん……?」


 部屋の入り口、戸の奥に小さな影が動いたコトを、ユキトはしっかりと見逃さない。

 同様に。

 アリスもその動きには気付いている。

 サッ、と、銃を構えて。

 だが――。


「……――っ、!?」


 直後、アリスはなぜだろうか、銃口を構えた先を見つめたまま、逡巡、そんな様子のまま動かないでいる。

 硬直しているのだ。


「(……?)」


 ユキトは小さく首を傾げる、躊躇う必要が何処にある、そう思ったのだ。

 ただ。


「(ああ――……。なるほど。ね)」


 アリスの視線の先、その先にいる青少年を前にして、あのユキトでさえも既視感を覚えるのであった。

 曰く。

 それは、ある日の、いわば交錯に近いモノだろう。


「……――このッ、逆賊めッ!!」


 アリスとユキトの目の前に雄々しく現れた、一人の、彼は二人を前にして一振りの剣を構えている。

 装飾豊かな、剣、ソレは宝剣だろうか。

 そんなところまで、正に、あの日の再現と言うべきか。


 違うところがあるとすれば、それはひとえに、青少年が携える表情だろう。


 彼の表情は、雄弁に〝憎悪〟を、強く主張している。

 あの頃のユキトには一切なかった、つまり、身内に対する温かな情愛である。


「……――よくもッ。よくも僕の大事な家族ひとたちを。大事な仲間たちをッ!!」


 ギリギリ、と歯を噛みしめて。

 アリスとユキトを見据えて睨め付ける青少年。

 恐らく、彼は――名前すらも興味はない――、よほど良い環境の中で育ったのだろう。

 家族を愛し、仲間を愛し、人を愛するコトができる。

 ユキトには心底眩しい存在だ。


「とは言え。キミはすぐに死ぬんだけど。ね」

「ば、馬鹿にするな……ッ!!」

「馬鹿にはしていないさ。けどね。キミはただので。ボクと彼女はいわば殺しのプロだから」

「うるさ――……ッ!?」


 言葉と同時に、飛びかかろう、そう思っていたであろう青少年の先手を取る。

 瞬時、ユキトは青少年との距離を一気に詰め、左手の剣を振るい、青少年の宝剣を一太刀で斬り折った。

 当然のコトだが、剣閃を少しズラせば、確実に彼の首は落とせていた。


 ソレが、現実、明確な実力差であった。


「キミは今、完全な丸腰と変わらない、さあ、どうする?」

「…………」

「大人しく首を差し出せば、苦しむコトなく、殺してあげよう」

「ふざけるな……ッ!!!」


 折れた剣を、なお、青少年はユキトの方へ向ける。

 ああ。

 その気持ちはとても強い物である。

 だが。

 相手が悪かった。


「残念だけど――。キミの人生は。ここで仕舞いだ」


 ユキトは、あえて、その言葉を口に出した。

 諦めるために。

 善良な人間であろう、そんな彼を殺すという、そんな自分自身を後押しするために。


 残酷な一閃、銀色の剣閃を、一振り、彼の首元へ滑らせた。


 が。

 そこで、思いもしない事態が、ユキトの前で起こったのだ。

 衝撃。


 ギンッ、と、ユキトの剣閃が、何者かの手によって、瞬く間に弾かれた。


 その場に立つ存在は、ユキトと、青少年と、後一人だけ。

 つまり。

 少女、否、アリスである。

 弾いた正体。

 それは、アリスの持つ黒鉄の銃、その先に付いている銃剣の刃だった。


「……――ねえ。アリス。キミはなにをしているの?」

「…………」


 アリスはなにも答えない。

 呆然と、ただ、うつろな表情のままで彼女はその場に立ち尽くしている。

 はあ、と、ユキトは小さく息を吐いた。


「ボケるのも大概にしてよね。らしくないじゃないか。アリス」


 ユキトの軽口、状況を打破すべく、アリスの説得を試みる。

 だが。

 自失の表情、その直後、アリスは一つの言葉を口にした。


「……――駄目よ。やっぱり。私にはもう撃てない」


 スッ、と、銃を下げるアリス。

 そして。

 アリスは歩みを進め、それから、青少年の

 守りの姿勢である。

 それは、〝神の遣い〟としての〝アリス〟として、絶対にあってはならない行動であった。


「え……?」


 青少年は、小さく、疑問の声を口にする。

 家族を殺した存在が、青少年じぶんのコトを守ろうとしている、そんな不可解な現状を理解できないのだろう。

 確かに、〝異常〟と、断ずる他にない。


「悪い人を撃つのは――。別に。私も構わない。ただ――。罪のない無垢な子を撃ち殺すのはできない」

「……――やれやれ」


 今さらなにを、と、ユキトは心の中で思った。

 ケースで言えば、ダース単位で重ねるほどに、ユキトとアリスは〝罪なき子〟を殺している。

 自らの保身のために。


「言うまでもないコトだけど。この子をここで逃がしたら。ボクらは確実にお終いだ。キミだって。そんなコトは理解しているだろう?」

「…………」


 当然の理屈である。

 〝殺戮少女アンノウン〟は、目撃情報が少ないからこそ、成り立つ存在である。

 目撃者はすべからず即殺すべし。

 そうやって、彼らは、今日までを生き延びてきたのだから。

 通さなければすべてが崩壊する。

 積み上げてきたすべてが。

 無に帰す。


「……――逃げなさい。今すぐに。この場所から」

「え……?」

「この場は私がなんとかする。だから。貴方は早く逃げて――」

「そんなコトを。このボクが許すと。そう思うかい?」

「……――ッ!!」


 経緯までは不明だが、今のアリスは正気に非ず、そう判断したユキトは一気に青少年の元にまで斬りかかった。

 銀の一閃。

 銃を下ろしていたアリスには防げまい。

 が。

 アリスは、やはりアリスであり、人知を超えた化物なのだ。


「……――っ、ぅ!!」


 ユキトの渾身の一閃を、アリスは、

 〝神の加護〟があるとは言え、それでも、素手で掴み取るなど正気の沙汰ではない。

 案の定、アリスの手からは、血が噴き出していた。

 ユキトの一閃が、そう、障壁を突き破ったのだ。

 故に、アリスの手に、ユキトの刃は僅かながらに食い込んでいる。

 それでも――。


「……――逃げなさい。私に構わず。さぁ」

「……ぅ」

「早くしなさいっ!!」

「……~ッ!!」


 アリスは、掴んだ剣を弾き返し、時間を作る。

 そして――。


 ダッ、と、青少年はアリスに背を向けて走り出す。

 向かう先。

 そこは、邸宅の出口、最適な逃走ルートであった。


「……――はあ。まったく。キミは本当に困った子だ」


 沈黙。

 アリスは、ただ、ユキトの方を見つめている。

 その目は、戸惑い、恐らくは自分が取った行動の理由を、自分でも、理解はほとんどできていないのだろう。

 衝動的に。

 ただ、彼女は、自らの理性に身を委ねたのだ。

 らしくもない。


「様子がおかしいコトには。まあ。ボクも気付いていたのだけれど。もっと早くに問い質していれば。こんなコトにはならなかったのかね?」

「悩んでいたの。私も。ずっと――」

「だろうね。変だなとは思っていたよ。でもね――。ボクもそれを聞き出すコトができなかった。ソレについては謝るとしよう」


 ただ、と、ユキトは小さく言葉を告げる。

 明確に。


「今は一刻を争う事態だ。キミを止めてあの子を殺す。そうしないとボクらの旅路はから。ね」

「…………」


 終わりが近い、と、そう空に告げたアリスの言葉が現実になってしまう。

 嫌だ。

 そんなコトは、死んでも、ユキトには認めるコトができなかった。


「……――あの頃のボクとは。言わずもがな。全然違うから。さ」


 剣が折れて、負けた、それはもう昔の話だ。

 血で血を洗う戦い、八年の間に、ユキトは人間の領域を越えるレベルで強くなっている。

 たった一太刀が、アリスの身体を切り裂く、その程度には。

 今となっては、もう、対等の存在として渡り合えるのかも知れない。

 銀の剣を構え、そして、アリスを見据える。


「私は貴方を殺すつもりはない。でも。貴方を行かせる訳にはいかない」

「駒落ちの状態で。果たして。キミはボクを止められると?」

「やるしかないの。私が――」


 私が、自分自身を、否定しないために。

 アリスは呟いた。

 抱えたすべての感情が、アリスのその言葉に、詰まっていたように思う。


「だとしても――。ボクが取る手段は。変わらない」


 ユキトとてアリスを殺すつもりはなく。

 ただ。

 手加減をして勝てる相手ではない。


 ……――剣を向ける。ただ。彼女を止めるそのために。


 猶予はそれほどない。

 青少年が衛兵を呼んだ時点で、その時点で、二人の命運は尽きたと言って良い。

 死ににくい、そんな少女の存在を信じて、殺しに行くしかない。


「行くよ――。アリス」

「ええ。絶対に――。貴方を私は行かせないから」


 銃を構える、アリス、その瞳には確たる意思が宿っている。

 本気だ。

 殺すつもりはない、と、そう言いながら彼女は全力を尽くそうとしている。


(滅茶苦茶だな――。本当に)


 心の内を噛みしめて、ユキトは、大きく一歩を深く地面に付く。

 覚悟。

 それから、剣を腰の鞘に収めて、正面を見据えた。

 ユキトが持つ、ユキトの中の最強の技、〝抜刀術〟である。

 あの頃、アリスの〝加護〟を破壊した、絶大な威力を誇る一撃必殺。

 ただ。

 死線をくぐり抜けたユキトの剣技は、もう、あの頃の比ではない。

 アリスとて、ソレは、例外ではない。

 加護があろうと、なかろうと、一撃の下に斬り伏せるだけの威力を持っている。


「本気なのね。ユキト」

「ああ。キミを止めるには――。当然の選択だよ」

「……――本当に。鬼のような迫力。私もあっさり殺されてしまうわ」

「だけど――。キミは人間じゃない。そう簡単に死なないさ」

「どうでしょうね。分からないわ。私は死んだコトがないもの」


 ふうっ、と、何処か遠くを見つめるように。

 哀しげに。

 彼女は小さく言葉を落とす。


 〝そうか、キミは、死にたいのか――……?〟


 そう。

 ユキトは思わず考えてしまうほどに。

 滅茶苦茶であった。

 ただ。

 それでもユキトの答えは変わらない。


「(剣を以て。キミを。ボクらの日常を守りぬくさ――……)」


 フッ、と、息を深く吐き出して。

 直後。

 真っ正面にアリスの懐まで目指して走り出した。

 奔る。

 風を巻いて嵐の如く。


「……ッ!?」


 その速度はアリスの想定を遥かに超えていたのか、一瞬の遅れと共に銃撃を放つも、ユキトはそのすべてを避け去る。

 残り、一刀まで、後剣二本分の距離まで迫る。

 瞬間、アリスは銃剣を薙ぎ削ぐ勢いで、空間すら歪むような力で横に横暴に振るう。

 だが。

 さらに深く地に伏したユキトは、その暴力的な風圧ですら、制するのである。


 腰の鞘から、一刀、銀の剣閃がきらりと輝く。


 手に取った剣は、ユキトの渾身の一撃、殺意の形象である。

 剣は容赦なく、アリスの胴元へ向かって、空を斬るかのような鋭さを保ったまま、一直線、少女アリスの身体を切り裂く――。


『〝好きだよ。アリス〟』


 刹那。

 ユキトの中に、アリスへの想いが溢れかえった、言葉が反芻してしまう。

 告げた、あの言葉が、頭の中で反芻するのだ。

 直後。

 ふっ、と、剣の勢いが手控えた。

 どころか、最悪である、ユキトは無意識のうちにではなく、をアリスの身体に叩き付けていたのだ。

 〝形〟。

 想いを答えにした、アリスに告げた〝形〟が、ユキトの行動を阻害したのだ。


 ああ、本当に、最悪だよ――。


 ソレを実感する頃には、もう、すべてが手遅れの状態であった。

 剣は、刃を立てるコトをなく、アリスの腹部に叩き付けられている。

 ただ、それだけで、アリスの行動を止められるハズもない。

 〝加護〟は、剣の持つ破壊力が、壊した。

 だが、肝心の最後の刃が、アリスの身体を斬っていない。

 殺す、殺さない、ソレ以前の問題であった。


「……っ」


 アリスは、そう、哀しそうなその紅眼でユキトの顔をのぞき込む。

 互いに手が届き合う距離。

 もう、抵抗のしようも、ない。



『ごめんなさい。ユキト』



 そんな、アリスの言葉が、意識の遠くから聞こえてきたような気がした。

 否、それはきっと、気のせいではない。

 首元に凄まじい衝撃が走る、と、同時にユキトの意識は掠れていく。


 勝てる、勝てない、ソレ以前の問題だった。


 愛する者に、刃を向けられる、そんなハズがなかった。

 変なところで人間らしさが邪魔をした。

 人間失格の狂人。

 ただ。

 誰よりも彼女を愛してしまった、そんな彼は、最後の最後で人間らしさを捨てられなかったのだ。


 夢。現実まこと。終わり行く世界へ。


 想像に難くはない。

 包囲網。

 進む先、二人が歩むであろう道は、そういう破滅への道のりである。

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