故郷へ / END


     ◇


 爽やかな風が吹き抜ける中を、一人、静かに歩いていた。

 空。

 もう日は落ちていて、既に、深く暗い闇が広がっている。


「闇の中で心が落ち着く。やっぱり。ボクは根っからの悪人なのだろうね」


 など、独り言つ、夜の道。

 星の降る世界を見上げながら、黒いコートを靡かせて、ユキトはゆっくりと歩く。

 目的の宿はもう目の前だ。


「さてさて。アリスはちゃんと大人しくしているかな。いや。怒っているかな」


 いくら一日を貰ったとはいえ、日が落ちるまでかかるとは、アリスにも言っていないのだから。

 怒られたとしても文句は言えない。

 罵詈雑言を浴びせられるか。

 ぷりぷり怒っているか。

 大体は二択だろう。


「どっちでも良いけど。ね」


 ユキトは小さく微笑んだ。

 どうせ、ひとしきりに怒った後にはユキトのコトを許すのだから、別に構わない。

 彼女はユキトを手放さない。


 ……――アリスが、ユキトを反故にする、そういう未来が訪れない限りは。


 ユキトの心は平穏で在り続けるだろう。



     ◇



「アリス。ただいま」

「……――あら。お帰りなさい。ユキト」


 ふわり、と、椅子に座った少女アリスは小さく笑う。

 あれ、と、ユキトは大きく首を傾げた。

 おかしいのだ。


「ねえ。アリス。どうかしたの?」

「ん……」


 問いかけるユキトに対して、アリスは特に感慨もなく、ただ、小さく首を傾けた。

 心、ここに、在らず。

 そんな状態のままである。


「アリス……?」

「ふふっ――……。そうね。あまり無茶も言っていられないわ」

「?」


 直後、少女は小さく笑みを零す、それはまるで嘲笑のようであった。


「なんでもないと。そう思うのだけれどね。どうしてかしら――……?」

「(……?)」


 瞬時にアリスの言葉が理解できず、かみ砕いてもなお、アリスの言葉は理解出来ないままである。

 奇妙。

 アリスが滅茶苦茶であるコトは言わずもがな、しかし――……、意味不明な言葉を繰り広げるような少女ではない。

 つまり――。


「……――悩みがあるのなら。言わなきゃ駄目だよ。アリス」

「――――」


 その沈黙はつまり、ほぼ肯定と同義であり、首肯である。

 悩みがある。

 言外にアリスはそう言ったようなものである。


「ボクはどんなコトがあったって。アリスの味方で在り続けるし。なにを言われても別に構わないのさ」

「そうかも知れないわね。貴方は。そういう人だもの」


 ふぅ、と、彼女は小さく息を吐く。

 観念。


「次の神託の街の名前。貴方にはまだ言っていなかったわね。キチンと教えないと。駄目だもの」


 溜めてから、ぽつり、それは短い一言であった。


「〝ローナ〟」

「…………」


 たった三つの言葉である、が、それは非常に重い言葉であった。

 

 ユキトが生まれ育ち、そして、すべてを失った街の名前。


「そう。私とユキトの始まりの地。貴方と私が出会った場所でもある」

「……――そうだね。ボクとしては。まあ。意外でもないんだけどさ」


 西方の地を旅していれば、いつかは足を踏み入れるコトになる、そう思っていたのだ。

 当然のコトである。

 〝ローナ〟は西方の地で最大の王国、その中央都市の名称であり、通称を〝帝都〟と呼ぶ。

 〝皇帝〟が座する希有な街。

 その権力は他国の内部事情にすら通ずるとさえ言われている。

 なればこそ。

 〝粛正〟の対象は山のように存在する。

 いつかは踏まねばならぬ地。

 そう思っていた。


 ユキト=フローレスが生まれ育ち、そして、半生を過ごしてきた土地。


 ローナの地にフローレス有り。

 今となっては。

 名残程度であるのだが。


「で。アリスが情緒不安定になっていたのは。ソレが原因かい?」

「…………」

「別に。ボクは昔のコトなんて引きずっちゃいないし。今さら自分の身内がどうこうと言うつもりもないよ。早い話。どうでも良いんだよね。そんなコトは」


 今やボクの顔を覚えている者がいるかどうか。

 そう呟くユキト。

 なにせ八年も昔の話だ、十五歳の青少年は、今や立派な青年になったのである。

 そうでなくても、血を浴びすぎて、色々と変わってしまったように思う。

 純朴な貴族の次期当主は、今や、ただの人殺しに堕ちている。

 没落貴族である。


「(いやいや。笑い話だよねえ……)」


 ウケる。

 ユキトは一人で小さく笑っていた。

 そう、つまり、その程度のコトなのだ。

 アリスと共にいる。

 その方が、よっぽど、愉しいじゃないか。

 と。


「ぷっ。ふふっ――……」

「ふむ?」


 なぜだろう。

 笑うユキトを見て、今度は、アリスが小さく吹き出すのだった。

 なぜ?


「ユキト。一緒にご飯を食べましょう?」

「ん……」


 そう問いかける前に、アリスは、部屋に備え付けてある椅子から腰を上げ、立ち上がった。

 すすっ、と、ユキトの側まで歩いてきて。

 きゅっ、と、手を握るのだ。


「ね?」

「(ふぅむ……)」


 少女に手を引かれ、そのまま、ユキトは部屋の外へ連れて行かれた。

 うやむやにされた。

 そう思わなくもないのだが。


「そうだねえ――……。じゃあ。なにを食べようか?」

「今日は特に美味しいものが食べたいわ。ユキト。ご馳走して頂戴」

「ああ。エスコートはボク持ちなのね」

「当然でしょう。貴方はジェントルメンで私はレディなのだから。エスコートはされて然るべきだわ」

「ふふっ。はいはい……。分かりましたよ」


 笑う青年、彼は少女に手を引っ張られながら、歩みを進めていく。

 その思惑、その内側、深くまでは聞くまい。

 彼なりの気遣いだった。



 ただ――。

 と言えば聞こえは良いものの、ソレは、言ってしまえばただのである。



 追求すれば、あるいは、未来は変わったかも知れない。

 だが。

 変えられない。


 すぐに。彼は後悔をするコトになるのだ。ソレは定められた運命さだめである。


 手に握った少女の温もり。

 それは。

 刹那の中にあるただの夢。


 いや。初めから。すべてが夢で在ったのか――。


 そう思う、いつの日か、そんな彼の姿があった。

 遠い未来。

 面影、薄れる、そんな世界の中で。


 彼は。

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