運命の悪戯 / END


     ◇


 再び意識を取り戻した時、そこは、とても柔らかな感触の上であった。

 ふと。

 身体に走る痛みは、なぜだろうか、何処にも存在しない。

 ユキトが負っていたハズの大怪我は、まるで夢の中の出来事であったかのように、綺麗さっぱりと消え去っていた。

 有り得ない――。

 と。


「あら。ようやく。お目覚めかしら?」

「……――キミがお出迎えとは。つまり。ボクはもう死んだのかい?」

「あらあら。冗談にしては面白くないわねぇ。ふふっ」


 その表情は、もう、先ほどまでの狂気を漂わせていない。

 ただ、少女、普通の少女である。

 大人びた、少女、ソレだけだ。


「どうして。ボクはまだ。生きているんだ?」


 至極当然の疑問であろう。

 本来であれば、あの場にいた全員と同じ運命を辿り、ユキトはキチンと殺されていたハズなのだ。

 だが、ユキトは、どうしてか今も生きている。

 分からない。

 そうするだけのメリットが、彼女に、あったのだろうか?


「私は貴方に大きな利用価値を見出した。――そういうコトじゃ。納得はできない?」

「利用価値……?」

「そう。利用価値。貴方には今日から私のために生きていて貰うわ。朝から晩まで。私だけのために」

「男娼か……?」

「馬鹿じゃないの。貴方。どうしてそういう結論に至るのかしら?」


 やれやれ、と、小さく息を吐くアリス。

 ただ、目を伏せる彼女は、どこか少し嬉しそうに見えていた。

 そう言えば、ユキトから見れば、なぜか彼女が顔面の上に見えているのだ。

 そして、頭の後ろには、暖かく柔らかな感触が広がっている。

 つまり――。

 今の状況は、アリスの、膝の上で寝転んでいる形だろう。

 膝枕。

 つくづく、本当に、よく分からない。

 嘆息。


「キミは――。ボクのコトを。殺さないのかい?」

「ふふっ。言ったでしょう。私の仕事は貴方の両親を殺すコト。貴方を殺すコト自体は仕事の内容に含まれていないの」

「どうして――。ボクの両親は。殺されなきゃならなかったんだ?」

「神様が言うにはね。『〝将来。あの夫妻は欲に目を奪われ。他の存在を踏みにじり自らの利権を優先するようになる〟』――とのコトらしいわ。私はよく分からないけど。ね」


 そんな曖昧な理由で良いのか、と、ユキトはそれ以上の言葉を失っていた。

 彼女が言う神様が本当に実在するのだとしたら、是非、一度問い質してみたい。

 神様が、そんなコトで、良いのだろうか。

 ともかく――。


「キミは。あの場にいる目撃者は全員殺す。と。そう言っていたハズだが?」

「目撃者が〝敵〟である場合は。もちろん。そうなるわね?」

「……――なにが言いたい?」


 ならば、と、アリスは小さく笑みを零すのだ。

 高々に。


「貴方を〝味方〟にしてしまえば。私としては。殺す理由がなくなる。そうは思わない?」


 いや。

 この少女は、いったい、なにを言っているのだろう。


「いや。全っ然。意味が分からないんだが?」

「そのままの意味よ。貴方は私と一緒に旅をするの。その資格は十二分にある。あの戦いで実力に関しては確信を得たし。折り紙付きよ」

「そういう問題じゃないと。ボクは。思うんだが」


 ふと、アリスがに言っていた言葉を、ユキトは静かに思い出す。


『〝だからね――。私は。貴方を少し試そうと思うわ。少しだけ。ね〟』


 確かに、そう、言っていたが。


「つまり、キミは、ボクに〝殺し屋〟の片棒を担げと。そう言いたいのか?」

「違うわ。私の仕事は〝殺し屋〟じゃない。〝神様の願いを叶えるコト〟だもの」

「はい……?」


 頭のネジが、何処かへ、吹っ飛んでいるのだろうか。

 彼女アリスは。

 とは、言え――。


「ボクは。結局。キミに負けたんだし。どうのこうの言う権利はないんだけど。さ」


 従うなら、なんだって、従わなければならない。

 果たし合いの、規律、ルールである。


「あら。それじゃ駄目よ。貴方」

「ん……」

「貴方の意志で選んで貰わなきゃ。駄目。コレから先の道は酷く険しい物になるのだから。ね?」

「……――それは。まあ」


 殺しを生業とする仕事など、当然、楽なハズがない。

 ただ――。

 ユキトに選択の余地はあるのだろうか?


「もしも。ボクが旅の同行を断ったとしたら。キミはどうするんだい?」

「あら。その場合はもちろん。決まっているわ」

「殺すのか?」

「違うわ。記憶を消すのよ。一時的にね」

「あれ……?」


 殺されないのか、と、ユキトは首を傾げた。


「つまり。ボクは自由の身になれるのだ。と?」

「そういうコト。貴方がどうしたいのか。貴方自身が自分で決めると良いわ」


 私は強制をしない。

 十分に楽しませて貰ったし、と、アリスが満足げに言葉にする。

 ふと。

 心の中に在る疑問を、一つ、ユキトは言葉にしてみた。


「なぜ。ボクなんかと一緒に旅がしたいと。そう思ったんだ?」

「ん?」

「今まで。ずっと一人で旅をしていたのだろう。なぜ。キミに負けたボクなんかを。仲間に引き入れようとするんだい?」


 そう。

 あまりにも、唐突なコトで、それが頭をついて離れないのだ。

 明確な答えを貰わなければ判断に困る。


「ソレに関しては。割と。単純なお話なのだけれど。ね」

「ふむ。言ってみて?」


 ぽつり、と、小さな声で。

 消え入りそうな音で。

 少女は呟いた。


「一人で旅をするのは。味気ないし。つまらないのよ――。もう」

「おいおい――……」


 いや、確かにそうかも知れないが、納得の域には届いていない。

 そんな雰囲気を察したのだろう、アリスは、付け加えるように言葉を連ねる。


「貴方は想像できるかしら。何十年も。独りぼっちで人を殺し続ける生活を」

「ん……?」


 切なさを残した、その音は、ユキトの心に妙な色を落とした。

 じわり、と、滲む。

 深い、その、味わいの色だった。


「私は〝神の遣い〟だから。年を取るコトもないし。時間を実感する瞬間がまったくない。それでもね――。独りぼっちが寂しいと思う気持ちが。ない訳じゃないのよ」


 広い世界、多くの人々を惨殺して歩く、殺し屋がいると噂になっている。

 〝正体不明アンノウン〟。

 十中八九、間違いなく、アリスのコトだろう。


 ……――誰が、この少女を、想像できる?


 超常的な話を、ユキトは信じた訳ではない、が、その辺の話はもうどうでも良いのだ。

 この少女は、一人、ずっと寂しがっている。

 それは、間違いようのない、事実だった。


「だから――。貴方が一緒に旅をしてくれたら。私は嬉しく思うのよ」


 独りぼっちは、ユキトも、同じなのだ。

 違う境遇、だが、彼女と自分は非常によく似ている。

 ユキトは、半ば、ソレを確信していた。

 心の中は、そう、孤独。

 誰も、側にはおらず、ずっと独りで生きている。

 縋りたい、と、彼女の純粋な弱さが言っているのだろうか。

 あんなに鮮烈で、狂烈で、破壊的な少女。

 その少女は、ただ、孤独を前に苦しんでいるだけ。

 少なくとも、ユキトには、そう見えていた。


「生まれながらに私は殺すための人形。でもね。少しだけ。自分の運命に変化が欲しいの。ふふっ。自分でもなにを言っているのか。よく分からないわね」


 今のは忘れて頂戴、と、アリスは寂しげに微笑んだ。

 その横顔が、もう、たまらなくユキトの心を切なくさせたのだ。

 殺すため、ただ、それだけの運命。

 許されて良いのか。

 目の前の少女は、ただ、普通の少女だ。

 ほら。

 今にも、キミは、泣きそうになっている。

 ずっと。

 独りで戦っていたのか。

 キミは。

 その運命と。

 独りで。


「(……――ボクは。抗わずに。受け入れ続けた側だった)」


 家柄の成すままに、人形であるコトを、受け入れて生きてきた。

 結果として、どうなったか、今のユキトは幸福か?

 自分の個性は失われ、孤独に苛まれ、心のネジが外れかけていた。

 そんな枷を、解いてくれたのは、少女だった。

 目の前の少女は、計らずとも、ユキトの檻を壊してくれたのだ。


 〝悪くはない。そう。思えるよ――。〟


 泥沼の底に溺れるとしても。

 まあ。

 拾った命だ。


「良いよ。普通の人間で恐縮だけれど。それでも。良ければ。ね?」


 返答を聞いて。

 直後。


「……――っ」


 ふわっ、と、暖かに咲く花のような笑顔を目の当たりにして。

 瞬間。

 悪くない、と、そう思ってしまった。


 今までに見てきた、他のすべてのなによりも、きっと、彼女アリスの笑顔は美しい。


 魅せられてしまったのだ。

 ユキトという青少年は、アリスという妖しき少女に、その美しさに取り込まれてしまった。

 誰よりも強く、それでいて、誰よりも弱い。

 守りたい。

 強く思わされる、そう、思わされる。

 逃れられない。


 目の前の少女が、殺人鬼だとか神の遣いだとか、そんなモノは、ユキトにとって些細な問題に過ぎなかった。


 美しいものを、ただ、守りたい。

 純粋な気持ち。

 あるいは、願い、そう言い換えるコトもできる。


 運命が、形を変えて、別の運命にすり替わった。


 そんな瞬間であろう。

 公爵の子息としての運命が、正体不明アンノウン――後の殺戮少女アンノウン――を守る付き人に、運命の形を変えたのだ。

 幸か不幸か。

 彼は、未だに、なにも気付いてはいない。


 籠の中の鳥が、独りぼっちから、二人ぼっちになっただけ。


 その変化の意味を、彼は、まだ理解をしていない。

 ただ。

 気付いていたとしても、結果、訪れるその未来を変えるコトはできない。


 運命。


 すべては、の掌の上の、お話だから。

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