深紅のダンスホール (後編)


 狂っている。

 紛れもなく、目の前にいる少女は、常識外れに狂っている存在だ。

 殺すコトに快感を覚えている。

 そんな存在は、昨今の話題に上る、〝正体不明アンノウン〟以外に存在しない。

 世界中を股にかける、正体不明の、大量殺人鬼である。


「私の名はアリス。正真正銘。私は〝神の子〟なの」

「神……?」

「まぁ。貴方のような人間風情に。理解はできないでしょうけれど。ね」


 どうせ、貴方は、ここで死ぬのだから。

 と、少女は、ふわりと微笑んだ。

 確信に近いモノがある。

 間違いない。

 ユキトは、この少女に、勝つコトはできないだろう。


 それでも、今、ユキトの心は大きく高鳴っている。


「やられっぱなしで。引く訳にもいかないんでね。ボクも」

「まぁ。随分と元気だコト。なかなかに楽しめそうね?」

「楽しい。か」


 言葉を小さく呟きつつ、ユキトは、心の中に在る感情に従った。

 名前はなんだろうか。

 怒り、とは、随分違う方向へ振った、よく分からない、感情の名前。

 肉親を殺され、すべてを屠られ、自らを殺されようとしている。

 そんな人間が抱く感情とは、到底、思えないモノだった。


 〝自分の剣で、命を、掴み取りたい。〟


 手に取っていた、その装飾豊かな宝刀を鞘から抜き出し、切っ先を少女の方へと向けた。

 まぁ、と、嬉々とした表情を浮かべる少女。

 否、アリス、殺人鬼である。


「すぐに壊れないように。せいぜい。足掻いて見せなさいなっ♪」


 父の亡骸から、銃剣の切っ先を抜き出し、ジャキンッ、と、その剣を、ユキトの方へ向けるのだ。

 銃は撃ってこない。

 ただ、嬉しそうに、笑っている。

 宣戦布告。

 あるいは、強者故の余裕、そんなところだろう。


「……――ッ!!」


 同時に、ユキトは、真っ先に前方へと向かって奔り出していた。

 ソレが、少し、意外だったのか。

 僅かに、アリスは、反応を少し遅らせていた。


 薙ぐように、銃剣を横に振るが、ユキトはそれよりもさらに低い姿勢を取る。


 完全に懐を取っていた。


「――あら?」

「せっ……!!」


 素っ頓狂な声を上げるアリスに構わず、ユキトは、アリスの胴へめがけて剣閃を向ける。

 横薙ぎの構え。

 一撃で、ぶった切る、そういう意志を込めて全力で裂いたのだ。

 しかし――。

 〝ィンッ!!〟

 と、そんな、形容しがたい音が、辺りに響くだけであった。

 分かりやすく言えば、剣閃が、

 ユキトの放った全力の一閃が、謎の現象によって、透明ななにかに阻まれたのである。


「ふぅん。なるほど。なるほど――。貴方。見かけによらず。結構すごいのねぇ?」

「なぜ――……?」


 解せない、と、そんな面持ちでアリスの方を見るユキト。

 対して。

 感心した様子で、ユキトを見下す、アリスの姿だった。


「私に一撃を入れた人間は。この数十年で。貴方が初めてなの。本当にすごいコトだわ」


 感嘆、そんな様子で、アリスという名の少女は嬉々として語る。

 言葉の意味は分からない。

 だが、ユキトは、確かに、アリスに一撃を加えたハズ。

 なぜ、剣が、届かない。

 ユキトには、皆目、見当が付かない状態であった。


「私には〝神様の加護〟が付いている。だから――。人間風情の攻撃では。私の身体は傷つかない。そういうようにできているから」


 今までに、一度だって、傷つけられたコトがない。

 アリスは小さく呟いた。

 つまり――。

 ユキトの攻撃は、一切、通じないというコトなのか。

 勝てない。

 自明の理、いや、自然の摂理か。


「それは――。なんとも。ズルい話じゃないか?」

「可能性がない訳でもないのよ。貴方の攻撃がもう少し強ければ。あるいは」

「なるほど……。ね」


 絶対無敵、というよりは、単純に攻撃力が足りないという問題である。

 人間の尺度で、非人間的な――化物的――存在を相手にしていては、分が悪い。

 であれば、攻撃力を足してやれば、良い。

 が。


「(コレ以上の攻撃力だなんて。ボクは。そんなに持っていないんだけどな)」


 手に持っているのは、今在る、この煌びやかな宝刀のみである。

 銃器の類は扱えない。

 ユキトにあるのは剣才のみである。

 他に選択肢はない。

 剣でできるコトを、すべて、やるしか道はないのだ。


「ほら……。油断をしていると。弾に当たっちゃうわよ?」

「っ、ッ……!!」


 ところで、忘れていたが、アレは剣ではなく、銃剣付きの突撃銃なのだ。

 当然のコトながら、銃を発砲するコトができる、遠距離からの制圧が本来の正しい戦い方だろう。

 銃口を向けられれば、即、死に繋がりかねない。

 故に。

 動きを止めた、その瞬間こそが、死を意味する。


「チッ……!!」


 脱兎の如く、走り回るコトを、ユキトは選択した。

 あの銃口に、コンマ数秒の狙いを付けられたら、その時点でユキトの命運は尽きるだろう。

 予想通りに、直後にアリスは銃弾を、惜しみないほどにぶっ放した。

 走る青少年。

 撃つ少女。


「……ッ、くそっ、その銃器。いつになったら、銃の弾が、尽きるんだ……!!」

「ふふっ。弾切れなんて起こさないわよ。神様の武器なのだから」

「そんなの――……。あって良いハズが。ないだろうッ……!!」


 徐々に、弾丸が、ユキトの身体をかすめていく。

 黒いスーツ故に、あまり目立たないが、既に何カ所は軽く被弾をしている。

 服の布地に血が染み込み始める。


「でも。本当にすごいわ――。貴方って」

「な、んだよ――……。急にっ!!」


 銃を撃ちながら、ほのぼのとした様子で、少女は言葉を語り出す。


「今までの人間って。本当に脆い生き物ばかりだったのに。貴方はそんなに懸命に足掻くんだもの。私としてはね。本当に驚くばかりだし。興味が尽きない存在だわ」

「……――そうかい」

「私が。貴方の目の前で。貴方の両親を殺したコトが影響しているのかしら?」

「…………」


 ほどなくして、彼女は、銃撃を止める。

 くすくす、と、アリスは小さく笑い出す。

 罪悪感の欠片もない。

 正に、気が触れている、そういう言葉がぴったりに似合うのだとユキトは思った。

 ただ――。

 そういう意味では、ユキトも、同類なのかも知れない。


「別に――。キミがボクの両親を殺したコトは。関係ないよ」

「あら。そうなの?」

「ボクは別段に、あの両親に感情を抱いていた訳ではないし、なんなら、暴露してしまえば、自殺しても良いかってまで考えていたのだし。さ」

「……?」


 首を傾げる、アリス、当然のコトだった。

 彼女は、ユキトがどういう経緯でそういう思考に至ったのか、まったくもって知らないのだ。

 故に。

 ユキトは、今の自分が持つ心の丈を、精一杯に言葉で伝えていた。

 好奇心だ。


「柄にもなく――。目の前にすごく楽しいコトが転がってきた。だから。少しだけ足掻いてみたくなったっていう。そういうコトさ」

「楽しいコト?」

「キミだよ。キミ」

「私?」

「そうさ。ボクはずっと考えていてね。自分がどうしてこの世界に生まれ落ちたのかを」


 剣才を持ち、それでも、その剣を振るうコトが許されない。

 自分を主張して生きるコト、それすらも、一つでさえ叶わない。

 籠の中の鳥。

 そういう生き方の選択しかできなかった。


 それを――……目の前の少女は、狂気の所業ながら、解放へと導いてくれた。


 感謝している。

 そんな感情でさえ、ユキトは、抱いているのだ。

 そして――。


「キミを討ち。自らの価値を証明するコトができれば。あるいは。自分の意味を問い質すコトができるかも知れない」

「全然。意味が分からないわね。私には」

「そうかい。キミは思考実験とか。そういうのは嫌いなの?」

「考えるコトが苦手なの。私は。そういう生き方しかできないから」

「そうか――。よく分からないが。キミもボクと同じなのかな」


 残念だ、と、ユキトは心の中で考える。

 目の前の少女とは、波長がそれなりに合うのではないか、と。

 ユキトは密かに考えていた。

 ただし。

 分かり合えるかと言えば、ソレは、不可能な話だろう。


「よく分からないけれど。貴方は――。私を殺したいの?」

「現時点の意見としては。そうなるだろうね。ボクはキミを殺して新しい人生を始めるつもりさ」

「新しい人生。ね」

「そういう訳で。キミはボクが殺すコトになるけれど。構わないね?」

「貴方――。忘れた訳ではないでしょう?」

「ふむ?」


 くすくす、と、余裕を持った笑みを蓄える、アリス。


「貴方の攻撃は。そもそも。私の元にまで届かない。先ほどの攻撃でソレを証明してたでしょうに」


 勝てる保証は僅かもない。

 と。

 少女は絶対的な強者、故に、油断に近い隙を見せていた。


「勝負は終わってみるまで分からない。キミは随分と傲慢と言うか。慢心が過ぎるようにボクは思うんだが。ね」

「あら。言ってくれるのね?」


 ジャキンッ、と、アリスは銃剣の銃口を、ユキトの方へ向けた。


「お喋りはここまで。後は。貴方を殺して。このはお終いだもの」

「お仕事……?」

「ええ。『〝この場にいるの人間を殺しなさい〟』。ソレが私の預かった神託だもの。そして。もうそのお役目は既に果たされているから」

「それは。どういうコトだ……?」


 ユキトは首を傾げる。

 狙い。

 ソレは、つまり、ユキトではなかったのか。


「まさか――!!」

「そう。最初から私の狙いは貴方のお父様とお母様。そして、その近くにはユキト=フローレスという、子息が必ず側にいる。だから、私は、まず最初に貴方を見つけて、目を付けた。故に。必ずしも貴方を殺す必要はないのよね」


 ただ。

 目印としての役目と、最も、このダンスホールの中で戦闘に長けている者だから。

 狙いを付けた。

 目撃者を、すべて殺すコトも、私の仕事なのよ。

 そう言ってから、小さく、アリスはふんわりと微笑んだ。


「だからね――。私は。貴方を少し試そうと思うわ。少しだけ。ね」

「試す……?」


 それは、どういう意味の――と、問い質すコトは、叶わず。

 ユキトの頬を、僅かに、銃弾の一発がかすめ通った。

 アリスの銃弾である。


「全力で。私を殺してみなさいな。貴方の真価を計ってあげるから」

「なるほど――。ふふっ。面白い。試される側に回ったのは久しぶりだよ」


 それから、静かに、ユキトは呼吸を落ち着かせた。

 そして――。

 宝刀を鞘に、キンッ、と納刀してから、腰に構え、真っ直ぐにアリスの姿を視線で射貫いた。


「(そうだ――)」


 一刀で良い。

 ユキトは心の中で覚悟を決めていた。

 かつて、西方の名騎士であった堅牢な鎧をも、一刀の下で斬り伏せた技。

 身体の底から吐き出すような、力のこもった、完全なる自己流の剣技である。

 通じなければ。

 その時点で、ユキトは、確実にアリスに殺される。

 すべては覚悟の上だった。


「行くぞ。アリスッ!!」

「ええ……。かかってきなさいッ!!」


 一直線。

 再び、真っ直ぐに、ユキトはアリスの元にまで駆け走った。

 アリスに動揺はない。


 ……――震えるような、笑み、感情だ。


 アリスが携える、絶対的強者の感は、極めて恐ろしいモノであった。

 が。

 それでも、ユキトは、止まらない。


「貴方は――。この銃弾に。耐えられるかしらっ♪?」


 前方をくまなく埋め尽くすように、横に薙ぐようにしながら、アリスはアサルトライフルを流して、銃弾の雨を降らしていく。

 その先で、ユキトは、こういう答えで対処をした。

 方向転換をしない、つまり、被弾である。


「なっ――……!?」


 血まみれになりながら、致命傷だけを回避して、ユキトはアリスの懐にまで一気に詰め寄った。

 当然、アリスは、銃剣の薙ぎで対応するが、何度も見せた攻撃である、ユキトにはもう通用しない。

 低く、踏み込んだ体勢、身体は構えを取っている。

 完全に、アリスは、無防備な状態でユキトの攻撃を受けるしかない。

 〝神様の加護〟。

 生半可な攻撃なら通じない。

 ただ――。


「コレは。生まれて初めて人を殺した。その時の技だッ!!」

「――っ!!」


 前進を回転させるように、捻りを加えながら、鞘から一気に剣を引き抜く。

 東のある国ではコレを〝抜刀術〟と呼ぶのだと言う。

 自然と身体が覚えていた技だった。


 繰り出した剣戟は、鋭い速さを保ち、真っ直ぐにアリスの胴元にまで走って行った。


『ィンンッ――……』


 形容不可な、謎の音色が響き渡る、のみではなく。


『ギイィンッ――!!』


 割れる、そんな形容ができるような、分かりやすい音がユキトの耳にまで届いた。

 砕くような手応え。

 恐らく、アリスの言う、〝神様の加護〟とやらを打ち破ったのだ。


「(取った……ッ!!)


 後は、この剣を、少女の胴元にまで再び突き付ければ。

 ユキトの勝利である。

 握る剣に、グイッと、彼は力を込めて――。

 だが。

 パキ……ンッ――……。

 そんな音と共に、全身に走った嫌な予感は、すぐさま現実の物となる。


 ユキトの持っていた、剣も同様に、粉々に崩れ去ったのだ。


 そうだ。

 この剣は元々が、戦うための武器などではなく、――――なのだから。

 実用品としての耐久度は、甚だ、疑問が残る代物であったハズ。


「むしろ――……。今まで。良く持った方、だった、か」


 物言わぬアリス。

 やがて。

 ユキトの全身から、力が抜けていく、既に身体は限界を超えていたのだ。

 銃弾を何発受けたのか分からない。

 このまま、ユキトは、死ぬ運命さだめにあるのだろう。


 ……――まあ。この子になら。殺されても良いかな。


 諦めと共に、納得をした心を抱いている、そんなユキトがいた。

 だが。


「ふふっ――。面白いわね。本当に」


 なぜだろうか、その表情は、とても嬉しそうにユキトには見えていた。

 分からない。

 分かりやすく言えば、彼女は、ユキトのコトを好意的に見ているようだった。

 気が触れている子とは、こうまでも、おかしい存在なのだろうか――と。

 限界だ。


 思考と共に、ユキトの意識は、遠い霞の先へと消えて行く――……。


 どうにでもなれ。

 そう。

 ユキトは、最後、自らの意識をそっと手放したのだった。

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