惨状 / ノエル


     ◇


 全身。穴だらけになり。その血をほとんど吐き出した――。


「ざくり。ざくり。ざくり――」


 くしゃ。くしゃ。くしゃ。

 少女は、両手にしているナイフで、かつては息をしていた者に刃を突き立てている。

 くしゃり。


「ざくり」


 くしゃ。


「ざくり」


 その綺麗な声で発する音と、実際の音は、乖離している。

 終わっている。

 既に、ノエルは、とうに事切れている。

 アリスは気付いていないのだろう。

 故に――。


「アリス。もう良い。そこまでだよ」

「あら――……?」


 ぽんぽんっ、と、ユキトがアリスの肩に手を乗せると、彼女は我に返ったように振り返った。

 ユキト。

 彼を目に映して、小さく、首を傾げている。


「ユキト――……?」

「そう。ボクだよ。ユキトだよ」

「って……。あら。これは?」


 目の前の惨状をようやく理解したらしい。

 血に濡れた手。

 突き立てたナイフを引き抜きながら首を傾げている。


「ちょっとね。やり過ぎなんだよ。キミは」

「私の記憶では。神様のために。ナイフを振るって……?」

「そこから先は。まあ。記憶にないかい?」

「ええ」

「目の前の惨状が現実さ。この通り。キミがぜんぶやったコトだよ」


 過剰攻撃。

 ただ、アリス自身に、その自覚がないだけである。

 本能だ。


「脆い。生き物ね。――本当に」

「彼はただの人間だよ。キミと一緒にしたら駄目だ」

「ええ。そうね」


 そんな人間だからこそ、アリスは、神々の名を騙ったコトが赦せなかった。

 分不相応。

 信仰する者を、貶める、そういう行為は誰にだって認められるものではない。


「人間が神様を代弁したつもりになっている。そんな光景を何度も私は見てきたけれど。やはり。慣れないものなのよ」

「……――そうかも知れないね」

「人の子は人の子として。人の子らしく生きれば良いのに。ね」


 小さく呟くアリス。

 その言葉には、複雑な色合いが含まれている、そんな気がしていた。

 ユキトも深くは追求しない。

 が、ユキトも同様に、どうしようもなく人の子なのである。

 アリスにとっての、対等とは、なり得ないのだから。

 余計な口は御法度だ。


「さて――。今日は疲れただろう。何処かで宿を取ろうじゃないか」

「ええ。今日は少しだけ。ゆっくりしたいわ」

「んむ。そうしよう」


 幸いにして、周囲の気配から察するに、まだ大事にはなっていないのだろう。

 元々、ユキトとアリスを殺すために、ノエル自身がこの場所を選んだのだから。

 人目に付かない、ソレも当然と言えば、当然なのだ。

 が。

 いずれにせよ、明日の早々に退散するべきなのは、決定事項と言えようか。

 表沙汰になって、行動が始まり、規制が入る。 

 その前に街を出る必要がある。

 とは言え。


「その血まみれな手は。どうにかしないと。流石にマズいよね?」

「それなら平気よ。ほら。こうやって」


 ふわっ、と、煌びやかな光がアリスの身体を全体的に優しく包み込む。

 数秒。

 直後。


「ね。綺麗になったでしょう?」

「…………」


 元在ったアリスの姿そのまま、綺麗さっぱり、リセットでもかけたかのような状態になっていた。

 純白透明な肌である。

 白磁を思わせるような、透き通った、きめの細かい肌だ。


「やっぱり――。キミは神の子なんだね。こういう時にソレを実感するよ」

「なにを今さら言っているの?」


 くすくす、と、可愛らしく微笑むアリスを見れば、先ほどまで殺人に興じていたとは到底思えない、それほどまでに魅力的な笑顔である。

 ゆっくりと、スラム街の外へと向かって歩き出す、アリス。

 その隣を、少し複雑そうな表情を浮かべつつ、一緒に歩みを進めていくユキト。


 ……――純情なアリス、そんな彼女を狂わせているのは、神々だ。


 ユキトは、そう、憎悪すら抱く時がある。

 〝傲慢〟で〝独善的〟な神々という存在へ、叶うコトがあるとすれば、いつかその喉元に剣閃を突き付けてやりたいとさえ思っている。

 内心、ユキトは、穏やかではないのだ。

 ただ――。

 アリスが、彼女自身が、神々を信仰するコトに誇りを持っているのだとすれば。

 邪魔はできない。

 従う。

 アリスがしたいと思う、そのコトを、その側で支え続ける。

 ソレだけのコトである。

 ユキトの意志は、そう、関係ないのだから。

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