黒き神罰


     ◇


 光の差さないような、本当に、暗い世界であった。

 人の呼吸はあるのだろう。

 しかし、表立って、姿が見えてこない。

 転がる空き瓶、樽、ガラスの破片の数々。

 薄汚れた建物の壁、ボロボロの住処、壊れた扉が多く目立つ。

 微かに香る、腐臭、血の香り。

 なるほど、コレでは、勘を頼りに探し出すのは困難であろう。

 ただ――。


「この歓迎されていない雰囲気といい。そう遠くないうちに。ヤツの方から姿を見せるんじゃないか?」

「そうかも知れないわね。襲いかかってくる人間は皆殺しにするわ。気分が悪いもの」

「恐ろしい子だね。キミは」

「十分に。知っているでしょう?」

「もちろん」


 遠巻きな視線を感じる。

 ソレが、誰のものであるかどうかは、分からない。

 が、ジメつくような殺気が、一つ、ずっと付いて離れない。

 気分が悪い。

 そう。

 アリスの言う通りである。


「さて――。鬼が出るか蛇が出るか。どっちだろうね?」

「まぁ。どうせ。大したコトはないのだから。安心なさいな」

「キミってヤツは。本当に――……」


 楽観視しすぎだろう、と、その言葉を口に出そうとした瞬間であった。

 まとわりつく殺気が、瞬時に、ユキトたちの意識から離れる。

 離れる。

 つまり、殺気の意思が、監視の意味合いからに変わったのだ。

 抜刀。

 直後、ユキトは腰にしていた白銀の剣を、瞬く間に鞘の中から抜き去った。


「殺してやるっていう意志が。さ。ソレはもう溢れていたよ。次があるなら改善すると良い」

「――――」


 ユキトの背後に迫っていたのは、ナイフを持つ、男の手であった。

 ソレを。

 ユキトは反射的に剣で防いだ。

 ぎりぎりっ、と、刃物がこすれ合う音が辺りには響き渡る。

 膠着状態。


「なるほど。なるほど。貴方が件のノエルさんね?」


 のんびり。

 ユキトと敵襲の接触を前にして、アリスは構えるコトすらせず、ふわふわ、笑みを浮かべながら男の顔をジッと見据えていた。

 いや――。


「戦いの構えくらいはさ……。ね。見せようよ。アリス」

「あらあら。そうね。そうだったわ」


 失念していたわ、と、小さく言葉を呟いて。

 それから。

 するり、と、ゴシックドレスの背中へ手を伸ばすアリス。

 直後。

 にょきっ、と、銃剣付きの突撃銃が現れた。

 おなじみ、アリスの愛機、黒鉄の銃身である。


「いつも思うんだけど。さ」

「なぁに?」

「ソレ。キミの銃身。いったい何処から出てくるの?」

「私の服の背中からだけれど?」

「いや。容量的におかしくないか?」

「神様の造った武器ですもの。どうとでもなるものよ。大きさなんて」

「滅茶苦茶だなぁ~……」


 いやはや、と、ユキトが剣を片手にアリスと語らう。

 と――。


「おい。貴様ら――……」


 ユキトがアリスと会話を楽しむ最中、一人、憤慨の表情を浮かべている男がいる。

 ノエル=ベヒッド。

 件の、その人、本人である。

 いつの間にかユキトの剣からナイフを外しており、距離を取って、二人を睨め付けていた。


「ああ。いけない。忘れるところだった」

「ふざけているのか。貴様」


 ユキトは小さく目を細め、嘆息、目の前の男を見据える。

 細身の身体に、両手のナイフ、黒いフードを被っており、細かな容姿までは確認できない。

 ただ。

 比較的に強い、血の香りが、その身体の周りから漂っている。

 デクレを揺るがす大罪人。

 連続大量殺人鬼。


「あら。貴方。随分とお怒りのご様子ね?」

「当然だ。我の足跡を嗅ぎ回り、付け回し、あまつさえこんなところにまで足を運んだのだ。気分が良いはずもあるまい」

「ええ。そうね。その通りだわ」


 くすくす、とアリスは小さく笑みを零した。

 取るに足らない。

 態度はそうであるコトを示している。

 ユキトは、小さく、息を吐いた。

 代わりに、ユキトの方が、ノエルと言葉を交わしていく。


「驚いたのは――。そうだね。ボクたちがアンタのコトを嗅ぎ回っているコト。ソレがバレていたコト。かな?」

「それは。当たり前だろう。我はこの街の暗部だ。闇から這い出る情報の出所など分かりやすい。それがどう出入りするかどうかも。当然に」

「なるほど。ね」


 恐らくだが、ノエルについて情報を喋った情報屋は、今頃この世にはいないのだろう。

 つまり。

 目の前の男、ノエル=ベヒッドが、情報の回収ついでに殺して回ったというコト。

 無茶をする。


「また。随分と派手に暴れるものだね。アンタも」

「我は。これでも慎重派でね。疑わしきは殺す。今までもそうやって何度も危機を乗り越えてきた。我なりの処世術という訳だ」

「いやいや。慎重派と言うよりは小心者と言うべきじゃないか?」

「ほう?」


 にたり、と、嫌な笑みを携えるノエル。


「殺しの自由を与えられた我を。貴様らが。小心者であると論ずるか?」

「ふむ……?」

「……――〝殺しの自由〟?」


 ピクリ、と、ずっと余裕の笑みを携えていたアリスが、唐突に、その表情を曇らせた。

 もちろん。

 ノエルは、そのコトに気付かない、微塵も気にしていない。


「ふむ――……。アンタの言う〝殺しの自由〟とやら。ボクは興味があるね」


 ユキトは純粋な興味と、アリスへの配慮を兼ねて、ノエルに対しての疑問を投げかける。

 聞かせてみろ。

 〝神々〟に繋がるかも知れない――が、その可能性は極めて低い――という、興味、その気持ちを心に抱えている。


「この街に精通していない。貴様らのような外来人に。こんなことを話しても無駄だろうが――。まぁ。良い。聞かせてやろう」


 ノエル=ベヒッドは静かに笑みを携えながら、両腕をバッと広げ、声を高らかに上げたのだ。

 宣言。

 まるで、高尚な意志でも、称えるように。


「我は――。我はッ! によって〝死〟を与えることを赦された存在なのだッ!!」


 高揚。

 狂気的な笑みを浮かべながら、なお、言葉を強くする、リッパー・ジ・ノエル。

 己の過ちに――気付いてはいまい。

 幸福と言えよう。

 己の馬鹿さ加減に感謝をした方が良い、とさえ、ユキトは心の中で思っていた。

 手遅れである。


「神々に殺しを赦された。ね。それで?」

「?」

「アンタは自分が気に食わない存在を。自分が持っていないという理由で。一方的に殺し続けている訳だが。それは――。神々が赦したコトなのか?」

「ああ――。神々はこの地に蔓延る〝差別〟という概念を滅ぼす。そのために我という存在を生み出した。我には分かる。そうでなければ。我が生まれた意味が、意義が、何処にも存在しないということになってしまう」


 そう言葉を口にして、空、曇った星の見えない夜空を眺める。


「そうだ――。我は。そういう価値を自分の人生の中に見出したのだ」

「なるほど。ね」


 ただ、ユキトは、その言葉をあまり深く聞いている余裕はなかった。

 隣。

 ユキトの横にいる、少女、アリスの方から鋭い殺気――もとい、狂気――が感じられている。

 不届き者。

 と。

 アリスは、間違いなく、そう解釈をしている。

 殺されるだろう。

 この男は。


「馬鹿だねえ。アンタは。本当に」

「なんだと……?」

「神々ってのは。ね。アンタのような学のない矮小で愚かな存在を遣わすほど。意味のない時間を割く存在じゃないんだよ。ノエル」

「どういう――。意味だ?」


 ノエルはナイフを構えながら、ユキトの方を睨みつつ、殺意を明確に向けている。

 ああ。

 流石に、ここまでの馬鹿は、〝神の遣い〟にもいないだろう。

 そもそも――。

 〝神の遣い〟とは〝少女アリスたち〟以外に存在せず。

 故に。

 目の前のこの男はただの狂人である。


「……――嘘は良くないわ。嘘は駄目。ノエル=ベヒッドさん」


 ゆらり、と、アリスが揺らめくように、動きを見せる。

 限界。

 どうやら、『神の名を騙る不届き者』に対する、我慢の状態は続かなかったようだ。

 元より、神々云々の話は、この男の狂言だろう。

 ユキトの興味も失われた。

 大した意味もあるまい。


「なんだ――。小娘」

「嘘は。駄目。神様を穢す者には。死を。与えるべき」


 そう、うつろな目で言葉を口にした、直後、アリスはその細い足で、

 蹴り込んだのだ。

 直後。

 ノエルの身体は、弾丸の如き勢いを付けながら、二、三十メートル先の家屋に向かって突き刺さっていた。

 比喩的な表現ではない。

 文字通りの意味だ。


「――――」


 衝撃の痕。

 立ちこめる煙。

 その中で、アリスは、暗い表情を浮かべながら。家屋の方向へと足を進めていく。

 ユキトは、ただ、静かにソレを眺めているだけであった。

 否定も肯定もしない。

 地雷を踏み抜いたのは、むしろ、相手方ノエルの方であるのだから。


「貴方は一つ。大きな罪を犯した。ソレは謝って済むような問題ではないの」

「っ……、ぁ、が、はッ……!」


 吹き飛んだ先、ノエルは、がれきの中で激痛に苦しんでいた。

 あの衝撃である。

 骨が砕け散っていてもおかしくはない。

 だが――。

 アリスはなおも容赦はしない。


「〝神の子〟である私が。愚かな貴方へ――。真実を一つ教えてあげる」

「……――ッゥ!!」


 倒れ込んだまま、ノエルは、向かって歩いてくるアリスに向けて、ナイフを二振り投げつけた。

 反抗する、その精神力は、褒められる。

 だが。

 愚かな男は気付かない。

 抵抗は、逆に怒りを、より強くするだけのものであると。


「な、なぜだ……ッ!?」


 ノエルが投げたナイフは、アリスの身体、そこから

 否、止まっているという表現が、一番の妥当だろう。

 ナイフはアリスの身体にまで届かなかった。


「貴方のような人間に。私の身体は傷つけられない。残念なコトでしょうけれど。ね」


 コレが、本物の、神様の力なの。

 ふわり、と、恐ろしささえ感じさせるような、冷たい表情、それでもアリスは明確に笑みをたくわえたのだ。

 そう。


「神様の名を騙っては。駄目。――ソレは私が絶対に赦さない」

「ひ――……っ!!」


 ノエルが息を呑んで言葉を失った。

 無理もない。

 名前を付ける表情が見つからないのだ。

 黒い。

 ただ、ソレだけの、形容すらできないナニか。


 長年を連れ添った、ユキトですら、ソレを恐怖と感じさせる。


 アリスとは、元来、そういう存在なのかも知れない。

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