殺戮の終演
◇
屋敷の中、二階、ひときわ大きな部屋の前でユキトとアリスは佇んでいた。
カンテ伯爵。
彼の行方を捜す中、ソレらしい、目立つ扉を発見したのである。
「ねぇ。ユキト。本当に伯爵はここにいるのかしら?」
「ボクの勘が。ここにいるって言っているから。合ってるんじゃないか?」
「勘なの?」
「もちろん」
数多の経験、死線をくぐり抜けてきた――アリスとは違って理性的に――その経験に基づく、直感的な判断である。
疑う余地はない。
ここにいる。
「それ。当たるのかしらね?」
「さあね。ただ。実績は結構あるじゃないか?」
「そうねぇ。確かに。貴方の勘はよく当たるわ」
からから、と、アリスは小さく笑う。
美しく、人形のように、それでいて確実に生きている。
ただ――。
「ねえ……。アリス?」
「なにかしら?」
「キミは。いったい。なにをしようとしているんだ?」
「そりゃもちろん。こうやって――」
ジャキンッ、と、黒鉄の銃剣の先端を扉の前に突き立てて。
どすんっ。
瞬間、直後、目の前に在ったはずの扉は瞬く間に爆散して消え去った。
「…………」
「扉の前で押し問答するより。よっぽど。効率的でしょう?」
「そうだね――……。うん。間違っちゃいないよ」
目の前に在ったハズの扉は、鍵がかかっていて、且つ、極めて頑丈そうな作りであった。
少なくとも、銃剣を突き立てた程度の衝撃では、壊れるハズもない。
言うまでもない。
が。
正気の沙汰とは思えない。
「ほら。さっさと入りなさいな。お仕事の締めの作業よ」
「はいはい……」
強引な力で破壊された扉、ねじ曲がったような抜け方をした、その大穴から二人は歩みを進めていく。
土埃が舞い上がる部屋だった。
恐らくは相当に広いのだろうが、如何せん、煙が原因で、視界が上手く開かない。
と。
「……――むっ」
最初に気付いたのは、ユキト、彼の方であった。
土煙の中。
小さな揺らめきが、一つ、蠢いていたのだ。
「この、逆賊めが――ッ!!」
ぼわっ、と、煙の中から突き出してきたのは一人の男だった。
カンテ伯爵。
その人。
彼が手に握りしめているのは、一振り、長く伸びた剣であった。
握りしめるように。
剣を、脇に抱えるようにして、一目散に突撃をしてくる。
狙いは――。
少女。
咄嗟の反応であった。
「……――アリス。よそ見をしちゃ駄目じゃないか。危ないだろう?」
「あらら?」
狙い澄ました剣は、アリス、彼女の元にまで一直線に伸びていた。
ハズだった。
ソレを、打ち落としたのは、他でもないユキト自身である。
剣閃。
ユキトが反射的に伸ばした、白銀の刀身によって弾かれていたのだ。
「っ、ぅ……」
伯爵、彼はたたらを踏んで、弾かれた剣の衝撃によって後ろに向かってよろめいていく。
唯一、伯爵が手にしていた地の利、ソレを失った。
剣すらも失い、ただ、つんのめったように尻もちを付いて倒れ込む。
栄光。
伯爵が持つ、そういった側面は、今となってはもう影を潜めている。
愚かな。
「ふふっ。無様ね。伯爵様?」
「こらこら。アリス。そんなコトよりも」
「はい?」
首をコテンと傾げ、なぁに、と、問いかける。
反省の意思はなし。
ユキトは、小さく、苦言を呈する。
「ちゃんと攻撃は避けないと駄目じゃないか。怪我をしてからじゃ。遅いんだよ?」
「あんな攻撃じゃ。当たっても死なないわ。私は」
「いつか。本当に死ぬような攻撃が来るかも知れない。そうだろう?」
「大丈夫。その時はちゃんと避けるから。ね?」
「やれやれ……」
彼女が言うように、ユキトが手を加えなくとも、アリスは無傷で済んだだろう。
が。
ユキトはそれでも心配だった。
アリスは人を低く見積もる、そんな、分かりやすい油断というクセがある。
いつの日にか、ソレが、大きな災いの元になるのでは。
分からない。
可能性として、ある、神に人が牙を刺す日が。
訪れるかも知れない。
と。
「さて。なにはともあれ。……――貴方がカンテ伯爵ですね?」
「……ッ」
ユキトが、一歩前へ足を進め、尻餅をついて歯を噛みしめている初老の男性に声をかける。
ギリッ、と、分かりやすい。
悔しそうに、彼は、歯を鳴らすのであった。
「貴様らッ。こんなことをして。ただで済むと思うなよッ!?」
「残念ですが――……。ボクは。ボクたちは。貴方とお話を交わすつもりはありません」
「なんだとッ……」
「人身売買。貴方が生業としている。裏稼業の正体です」
「……っ!!」
分かりやすく、顔を青ざめる、誰も知り得ない情報、であると思っていたのだろう。
カンテ伯爵。
その額に、焦りの色が、見え隠れしている。
「な、なぜ……!?」
「ボクらはすべてを知っている。文字通りに。神の視点から」
「神、だと……。笑わせるな。神などこの世には存在せぬわッ!!」
その点には、同意を示したいところである、と、ユキトは内心で首肯をする。
が。
言葉にはしない、それは、心の内に留めておくべき物なのだ。
「……――言っても理解はされないでしょうが。神は実在します。そして。付け加えるなら、アリス、彼女は神様の遣いとしてこの世に生を受けた女の子です。人間の解釈で言うなら〝天使〟とでも言いましょうか」
ボクは普通の人間ですけれど、と、ユキトは小さく付け足した。
「〝天使〟だと……ッ!?」
「ええ。にわかに信じがたいでしょうが。真実です」
「嘘を言うな……。あんな。血に塗れた天使が存在するかッ!!」
初老、しかし、若作りの男性、カンテ伯爵は激昂するかのように、叫ぶ。
そうだ。
確かにその通りだな、と、ユキトは内心で納得している。
〝血に塗れた天使〟という矛盾、ソレが、ユキトの中の連中に対する不信感へ繋がっているのだから。
意志のある生命は、道具ではない、生き物なのだ。
と。
「まあ。貴方が信じようが信じまいが。関係ないのですが。ね」
ぽつり、ユキトは小さく言葉を呟いてから、伯爵の胸ぐらを強引に掴んで立たせた。
「っ、ぁ。……な、にを――……!?」
「別に。貴方を殺すだけのコト。それだけです」
すっ、と、情も心も失ったかのように、冷めた、言葉であった。
殺す。
「貴様。本当に。正気か……?」
「と。言いますと?」
「この私を殺して。ただで済むと思っているのか。と。そういうことだ」
「なにを今さら。笑わせないで下さいよ。……――伯爵如きが」
ぶんっ、と、掴んでいた伯爵を投げ飛ばす。
どすん、と、背中から落ちて。
キッ、と、ユキトに向ける視線を、カンテ伯爵は強めていた。
「そもそも。貴様は。この私を知って――」
「貴方こそ。ボクのコトを。本当にご存じではない。と?」
「は……?」
くすり、と、ユキトは小さく微笑み、自分の中に包み隠している、一つの真実を言葉にする。
もっとも、その言葉を告げた以上、絶対に相手は死ななければならないが。
死人に、なにを語っても、もはや問題は一つもない。
「ユキト=フローレス。ええ。それがボクの本当の名前ですから」
「ユキト――……。フローレス――……。ユキト=フローレスだとッ!?」
驚愕の表情を浮かべるカンテ伯爵。
今日一番の面白い表情である。
くすくす、と、ユキトは楽しそうに笑っていた。
「と。言う訳で。最後の仕事はキミに任せるよ。アリス」
「ええ。任せなさいな」
すたすた、と、アリスは黒鉄の銃身を携えて、少しずつ、足を近づけてくる。
死の足音。
間違いなく、カンテ伯爵にとっては、そういう物であろう。
「まったく。貴方が話し込むものだから。入り込むタイミングが分からなかったわ」
「悪い。ちょっと昔の都合で。ね」
「まぁ。良いけれど。今回は許してあげるわ」
チャキン、と、突撃銃を片手でカンテ伯爵の方へ向ける。
その先。
背中から倒れ込み、地に尻を着けている、情けない男の姿だった。
「ふふっ。貴方はこの私に殺されるのだから。光栄に思いなさいね?」
「ま、待て……ッ!!」
「ん……?」
伯爵の目は、殺そうとしているアリスの方ではなく、なぜかユキトの方を向いていた。
間違いなく、これから、殺される。
その瞬間だと言うのに、随分と、呑気な話である。
アリスを相手に。
愚行だ。
「ふふっ。カンテ伯爵殿。どうかなさいましたか?」
「ユキト=フローレス殿。どうか。一つだけ私めにお教え頂きたい!」
急に丁寧な言葉遣いになったカンテ伯爵。
確かに。
当然と言えば当然か。
「フローレスの家は。既に。瓦解したと聞き及んでおります」
「ええ。主立った一家が殺されて。家の名を維持できなくなりましたので」
「なら――……。なぜ。なぜ貴方様が生きていらっしゃるのですかっ!?」
〝
そう。
カンテ伯爵は、ユキトに向けて、言葉を投げかけたのだ。
「
「――――。……――ッ。まさかッ!?」
「まあ。そこから先はご想像にお任せしますが。貴方は自分のご心配をなさった方がよろしい」
「は……?」
ユキトが言葉を口にする、その直後、アリスはカンテ伯爵の太ももを銃で撃ち抜いていた。
絶叫。
響き渡る銃声と、悲鳴と、舞い上がるのは紅い色の雫である。
「ぅ、ッ、が、ァ……」
「貴方――……。誰の許可を得て。私のコトを無視しているのかしら?」
ざくり。
と。
銃剣を突き刺す、肩口、その深くに思いきり肉ごと抉る勢いで先端を差し込んでいた。
身体が千切れる、ギリギリ、その境目を彼女は理解して、意図的にやっている。
伯爵を眺めるアリスの視線、それは、塵芥を見下ろす冷酷なものであった。
狂気。
その所業はまさに〝悪魔〟そのものであった。
嘆息。
「殺しても良いのだけれど。少し。痛め付けてからの方が良いかしらね?」
「駄目だよ。アリス。時間に余裕はないんだから。ね?」
「ええ。分かっているわ。ユキト」
〝だから――〟と、アリスは、小さく笑うのだ。
すっ、と、アリスが銃口を向けた。
その先は、脳天から少しだけ外れた、致命傷には違わない場所である。
「可能な限り。一撃で一番苦しいところへ。貴方を誘ってあげるから」
「ひっ……!?」
アリスは、つまり、こう言いたいのだ。
人間如きが図に乗るな。
殺されるコトを、光栄に思いながら、頭を垂れて死んで行け。
傲慢。
神々とは、つまるところ、そういう存在なのだろう。
つんざくように響く銃声、千切れるような悲鳴がなり、瞬間、屋敷の一室は瞬く間に紅く色が染まっていた。
「さて。ユキト。終わったわよ?」
「ん。お疲れ様」
「ええ。だから。私を褒めて頂戴な?」
「よしよし」
「ふふっ――……」
ぽんぽんっ、と、アリスの頭を撫でるユキト。
ふわり。
子どものような容姿、そして、容姿相応の振る舞いを見せる少女。
顔に付く鮮血。
漂う腐臭。
それだけが、ただ、異常な光景である。
なにが、どう、何処までが異常なのか――……。
もう、今となっては、誰にも分からない。
ただ。
最後に、青年が少女を甘やかす、それがこの事件の結末だった。
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