第二章
第一節 保守的なアガナ
第一節 保守的なアガナ
冬が到来する前に谷間の季節がやってくる。
ユジノイワテは曇り空を指さして朗らかに教えてくれた。
「強い風が吹くのです。わたし達の住む世界の、もっともっと上です。昔の人たちは、精霊たちの世界で大風が噴くと冬がやってくると言いました。わたし達には感じられない聖なる風なのです」
練兵所の端からナスマ族の男たちが「おうあーっ!」「てえあっ!」と銃剣を敵に見立てた藁に突き刺したりする様子を眺めているとき、彼は言ったのだ。
エレオノールが「先週と変わって今週はいい天気が続くな」と言ったせいだ。
「精霊たちの世界……?」
「この分厚い雲のうえ、雪を作って地上に降らせる……天上の世界という意味だと思います」
細身で精悍な若者はそう言ってニッと笑う。
「神様の存在を、ユジノイワテは信じるのか?」
「わかりません。神様はいるのでしょうけれども、どういう形で、どういう役割で、どういう影響を与えてくるのか、わたしのような者にはわかりません」
「聖バルトは信じているのか?」
「わかりません。たったひとりしか神様がいない、という考え方は、わたしにとっては難しすぎます」
「神様はひとりだけであろう?」
くるりと踵を返すようにユジノイワテに向き直った。
練兵所の向こう側――ナスマ族を指導するロリが「ていあっーッッ!!!」と気合声を発しながら、目標となっている藁人形に銃剣を突き刺した。
おおおーっ、という簡単とわずかな拍手が起こっていた。
それらを背に感じながら、エレオノールはユジノイワテの返答を待っていた。
青年は少しだけ当惑した表情を浮かべながら。
「言葉で話すのは難しいです。もしエレオノールさんがよろしければ、彼らの居住地を案内します。そこに行けば、なんとなくわかっていただけるような気がするのです」
「キミたちが聖バルトを信仰しているかどうか、という事を?」
「それに近い、神々とともに冬を愛する事を、です」
よくわからん、とエレオノールは肩を寄せて視線を練兵場へと戻した。
ユジノイワテが嘘をついているとは思えない。
しかしながら、彼は土着信仰から抜け切れていないような気がする。
どのような土着信仰で、どのような土着の神々が住んでいるのかは知らないが……それらはすべて偽りだ。聖バルトこそが、唯一神であり創造主なのだ。
「よし、銃剣の演習はこれまで。休憩をとってから魔導銃の射撃をやる。風が強くならないうちに、やるぞ」
エレオノールの指示にユジノイワテは「はっ!」と従い、大きなアガナ語で兵士たちに命令を伝達した。
ナスマ族は飛び道具を使わない。
大きな山犬に跨り、手斧かこん棒で相手を殴りつけるのが伝統的な戦闘方法だ。
主に山岳や山林などの入り組んだ狭い土地で遊撃戦を繰り返していたらしいが、それはあまりに前時代的かつ非効率な戦い方である。
「なぜ、飛び道具を使わない?」
休憩が終わり、ロリが通訳の士官を通して魔導銃の構造や扱い方を説明している。
それを遠くに認めながら、エレオノールはユジノイワテに質問した。
彼は答えた。
「我々が隣接部族と戦いを挑むのは春と夏です。平地には村があり、そこには戦士ではない者たちがいる。だから、戦場はおのずと山になりました。奇襲をするにはもってこいなので」
「村は襲わないんだな?」
「襲いません。ですが、族長を捕らえて決定的な勝利を得た暁には、村を支配します。そこにいる女や子どもや食べ物は、すべてナスマ族が支配するのです」
「殺すのか?」
「場合によっては」
ユジノイワテの返答にエレオノールはため息をついた。
彼はなにかを察したのか、慌てて両手を振って補足する。
「理由があります。戦いに至る直接的な原因が、ナスマ族の子どもを殺したとか、妊婦を拉致したとか、そういうものであれば同等の罰を要求するのです。戦士と戦士が喧嘩をして戦いが始まったのなら、食べ物や羊で終わらせます」
「あくまでも戦いは戦士たちだけのものだと?」
「暴力をふるっていいのは、暴力をふるわれていい者だけです。戦う意思のない者を捕まえるのは、よくない」
ユジノイワテにエレオノールは少しだけホッとした。
「それでいい。そうした考え方は平和を呼ぶ」
「ですが、隣接するヴェルクーツク族はそう考えていません。彼らは戦士たちを拷問の末に殺し、辱めるのです。我々は常に、その恐怖と戦い続けてきました」
拷問のうえ、辱めて殺す……。
エレオノールは顔を振り振り、答える。
「どこの世界にも、そうした奴はいるのだな」
そう言ってから精悍で純粋なアガナ人士官を見据えた。
「ユジノイワテ、おまえはそうならぬと誓ってくれ」
「は、はい」
「お互いに信奉する神が違うのなら、わたしに誓ってくれ。決して無駄な殺しは命じない、と」
ユジノイワテはアスコット人がするように、片膝をついて片手を胸に添えた。
そうしてエレオノールに頭を垂れて「閣下に、誓います」と訛りの強いリドニス語で答えてくれた。
彼の宣誓を前にしてエレオノールは当惑した。
こんな自分に誓いを立てる人間がいるのだろうか。自分は誓いを立てられるほど崇高な神の使いとなれているのか。そもそもユジノイワテが行っている宣誓はアガナ人のものであり、聖バルトを心から信奉するリドニス人のそれとはまったく違う。
まるですべてが偽物のように思われた。
「頭をあげてくれ、ユジノイワテ……」
わずかな頭痛を感じつつ、エレオノールが言ったとき――。
「だああああっ!」
すさまじい気合声とともにぶうんと質量のあるものが空を切る音が響いた。
どすん、とそれは地面を打ち、舌打ちのような声が続いた。
「なにごとか!」
ユジノイワテが立ち上がり、駆け足で近づいていく。エレオノールもあとを追った。
見れば、ひげ面の大柄なアガナ人がこん棒を手にロリへ暴言を吐いている。
エレオノールは彼がなにを話しているのかわからなかったが、少なくとも綺麗で穏やかで平和的な言葉ではない。
こん棒を手に敵愾心を露わにするアガナ人が、なにやらアガナ語で主張を展開する。
それはユジノイワテに向けられたもので『こいつらに伝えろ!』と言ったらしいことはエレオノールにもわかった。
騒ぎを聞きつけて、ほかの兵士たちもぞろぞろとやってきた。
「彼らは環境の変化に戸惑っているのです」
ユジノイワテは意訳に意訳を重ねたリドニス語で言った。
いつしかロリと大男を中心に人垣が輪になっている。
大男が主張を続ける。それをユジノイワテが同時に翻訳してくれた。
「俺達は昔の族長に従っていた。彼は伝統に忠実で、外者の戯言を聞くような愚か者じゃなかった。彼は事故で死んだんじゃない。そこの外者たちに殺されたんだ。あのバカなシャリ・モンベツが跡を継いだのは、大きな間違えだ。そうだろう、みんな!」
ぼそぼそとユジノイワテは言い、エレオノールが「なるほど」と頷いた。
「王位継承は疑惑によるのね。わたし達があなた達の生活に足を踏み入ったせいで」
「わたしはそうは思いませんが……」
「ユジノイワテは賢いから、そう思わない。でも、彼らはどうかしら。リドニス語を理解しない彼らは、見るからに不満を溜めてる」
詰襟の軍服を堅苦しそうに着込み、首元のボタンをふたつ、みっつと外している。
高価な魔導銃はどこへやら、大男のアガナ人の手にはこん棒が握られている。
ウルリーカがどのようにしてナスマ族と協定を結んだのかは知らない。
「彼が言う通り、前の族長の死には……わたし達リドニス人が噛んでいるのかもしれない」
「エレオノールさん、それではまるでウルリーカ閣下が……!!!」
「政治とか謀略というのは、そんなもの。確たる証拠がない以上は、妄想の域をでないけど……」
彼女なら、やりかねない。
いまの、聖バルトを捨ててしまったウルリーカなら。
妙な沈黙がひりつく現場に漂っている。
大男の主張に感化されたのか「俺もだ!」「もう我慢ならねえ!」と言った具合の言葉を吐きながら、暴力の輪に足を踏み入れてきた男たちがいる。
人数は三人、六人……そして十人を超えた。
エレオノールは静かに足を踏み出した。
「エレオノールさんっ!」
青い顔をしたユジノイワテが前に回り込んできた。
「彼らはナスマ族のなかでも血の気が多い連中です」
「彼らを軍組織に組み込まなくちゃいけない。この練兵所で兵士の反乱なんてあっちゃいけない」
「でも、どうやって止めるんです!」
青白い顔をするユジノイワテの腰に目を向けて、エレオノールは自らの腰にも携えてある警棒を抜いた。
「その警棒を貸してくれる? こん棒とやり合うには心もとないけど……聖騎士は剣で戦う。馬上剣術でね。ま、この地には馬はいないけど……立会いには自信がある」
「自信って……!!! 無理です、相手は十人以上ですよ! 怪我をしますって!」
「伝えて、ユジノイワテ。わたし達は武人の矜持に基づいて勝負をする。命までは奪わないけれども、わたし達が勝ったときには……命令に従ってもらう、と」
するとユジノイワテはふるふると顔を振った。
「アガナ大地は強い者がすべてを支配するのです。そんな説明をせずとも、あなたの腕に屈すれば……彼らはあなたの部下になります」
「なら、どうしてユジノイワテはわたしと戦わずにわたしの部下になったの?」
「わたしは文明化に屈したのです。前時代的なナスマでは、いつまでもアガナに真の平和と発展は訪れないと信じたからです」
ユジノイワテのまじめでまっすぐな視線に頷いて、エレオノールは再び歩き出した。
ロリの傍らに歩み寄ると大男たちはぐるりとふたりを囲った。
「白馬の王子様が助けに来てくれたの? それにしても、交渉は大成功だったね」
「バカにしてる? わたしは王子様でもないし、交渉は大いに決裂したわよ」
「でも、わたしの聖騎士さまにはなってくれそうね」
「馬がこの雪で真っ白くならないうちに、ね!」
馬なんてどこにもいないのに。
ロリがそう答えたとき、エレオノールはユジノイワテから預かった警棒を彼女に手渡していた。
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