最終節 シェルパ
最終節 シェルパ
冬を控えたアガナの雪は時に激しく、時に穏やかに降った。
晴天とは言い難いが、ときどき雪がやむ日もある。
寒くはないが、風が激しい日に比べたら幾分もマシだった。
エレオノールとロリは兵舎の一室を与えられ「長旅で疲れただろうでやんすから」というウルリーカの含みある甘言に促されて、三日ほどの休息を得た。
本国から連れてこられた腕自慢たちは、すでにアガナ開拓へ出発している。
あの凍える様な冷気が吹き荒れた一昨日の朝から、彼らは開拓という名の地獄へ旅立ったのだ。
「何人が帰ってこれるのだろうか」
そんな事を思いながら、ぐずぐずと曇っている空を見上げる。
今日は雪のない日で、昨日と比べれば過ごしやすい。
帝国騎士の制服を身に着けたエレオノールとロリは、練兵場の片隅に置かれていた木製の机に座って待機していた。
ウルリーカからここで待っているよう指示を受けたからだ。
予定の時間となってウルリーカと侍従の騎士、それからアガナ人らしき軍服を着た若い男がこちらにやってきた。
「今日はいい天気でやんすね」
「曇ってるけど?」
「アガナでは、この天気が『いい天気』でやんす」
ウルリーカはそう答えてから、エレオノールに向き直る。
「ふたりに紹介するでやんす。彼はナスマ族の戦長――ユジノイワテでやんす」
紹介された若い男は浅黒い肌に黒々とした一対の瞳を持っていた。
彼は「よろしく」と頭を浅く下げて手を差し出してきた。
薄手の白い手袋をはめた手をエレオノールは「よろしく」と握り返した。
ロリも握手をかわしたところで、ウルリーカは言った。
「ユジノイワテは軍務改革に多大な貢献をしてくれているでやんす。聞いての通り、彼はリドニス語が喋れるでやんす。前時代的なナスマ族に、近代的な戦い方を教えてあげてほしいでやんす」
おい、とウルリーカが言うと侍従の兵士がうっすらと雪の積もった机に二挺の魔導銃を置いた。
「……イデアル・コルク式?」
「――を基にした、アガナ製の銃でやんす。少し大型にはなっているでやんすが、射程と照準は本家のイデアル・コルク式魔導銃に引けをとらないでやんす」
こんな物騒なものまでアガナで製造しているのか。
エレオノールは魔導銃に手を伸ばすのをためらった。
銃身の大きな銃で装弾数は六発……であろう。大型化している事から、七発は入るのかもしれない。
薬莢の自動排出機構を備えているところを見ると……本国からそうした技師もアガナに呼び寄せているのだろう。
ウルリーカはホンキでアスコット帝国に反旗を翻す気なのか。
その序章……手始めに、アガナ大地を征服し、複数の現地部族を支配下に置く。それが彼女の当面の目標であろう。
机の上に置かれた魔導銃をサッと手にしたロリは、無言で、無表情で、各部品を解体し始めた。
その流麗でよどみのない動作は、熟練の騎士のようであった。
かちゃかちゃと音を立てながら銃身をばらし、機構を外し、弾丸を机に並べる。
手際の良さに「ほぅ……」とウルリーカが息を漏らしたのがわかる。
すべてが解体されると、それらを瞬時に組み上げる。
ガチャカチャと音を立てながら一分もしないうちにすべての部品が魔導銃の形に組み上がる。
そうして魔導石の弾倉を装着し、手早く遊底を引いた。
ガチャン、と小気味よい音がして弾丸が薬室へと送り込まれた気配が漂った。
「具合はどうでやんすか?」
ウルリーカの問いかけにロリはちらと一瞥するように視線を向けてから、また魔導銃に戻した。
「順調です、閣下」
「それはよかったでやんす」
ロリが魔導銃を机の上に戻した。
ごとり、と重量感のある音が雪の世界に響いて、飲みこまれていった。
「いいでやんすか、ユジノイワテ。このロリは見ての通り、凄腕の騎士でやんす。エレオノールも聖騎士として『おおいに』活躍した女性でやんす。彼女たちの指示に従って、ナスマ族を訓練するでやんす。そうすれば、長年の部族間紛争に終止符を打つことが出来るでやんす」
「了解でございます、閣下」
少し発音がおかしいが、ユジノイワテのリドニス語はおおむね正確だった。
そうしてからウルリーカは「なにか質問はあるでやんすか?」と全体に向けて発した。
ロリが小さく手を挙げた。
「少し腑に落ちないので、聞いていいですか?」
「いいでやんすよ」
「わたしとエレオノールは『腕利き』として、アガナに来た。なのに、いつの間にかアガナ人の先生みたいなことをやれと言われている。こんなに厚遇される理由はなんですか? エレオノールとの旧友の絆は、それだけ厚いってコト?」
ロリの質問には棘があった。
エレオノールは「やめなさい、ロリ」と指摘をしたが、真剣なまなざしをウルリーカに向ける少女の表情に、胸がギュッと締め付けられた。
彼女はわかっているのだ。
エレオノールが毎夜のように悪夢にうなされ、飛び起きて、酒に助けを求めて、苦しんでいる事を……。そして、その中心的な原因がウルリーカであり、ふたりの過去にあることも。
親友の絆で厚遇してくれるのなら、どうしてエレオノールはこんなに苦しんでるの?
そうウルリーカに訴えているように思われた。
質問を真正面から受け止めたらしいウルリーカは「やんす、やんす」と頷いてから、言った。
「ロリ。キミの出自は知っているでやんす。だから、選んだでやんす。エレオノールとの縁故は、さほど重要じゃないでやんす」
「わたしの出自を知っている?」
「騎士団養成所の首席騎士。それも天覧試合で現役の帝国騎士六名を圧倒的な技術で屈服させた稀代の天才……ロリ・ヴィクトリア・プリングル。わたし達は外地にいるでやんすが、その噂と『養成所を退学になった理由』ぐらいは知っているでやんす」
ウルリーカの発言にエレオノールが「えっ!」と驚いた。
ロリはただの小娘じゃない。
それはわかっていたが……。
「ロリ、あんた本当に……?」
エレオノールの問いかけにロリは答えず、ウルリーカに向かって聞き返した。
「退学したわたしは、アスコットに強制送還? それとも将軍様の権限で拘束される?」
「けひっ……けひひひっ!」
ウルリーカは独特な笑い声を堪えながら「やんす、やんす」と顔をふった。
「そんな事はしないでやんす。キミの力を見込んで、こうした特別任務をエレオノールと一緒にこなしてほしいだけでやんすから」
なにか含みのあるような口調のウルリーカに、エレオノールは鋭く視線を向けなくてはいけなかった。それ以上にロリの警戒した横顔は、印象的だった。
ウルリーカは白い息を「ふぅー」と空に長く吐き出して。
「キミは正々堂々と『神を否定した』でやんすね。聖バルトのアスコット派の中枢でもある帝国騎士が、堂々と神様を否定した。退学した半分の理由は、それでやんすよね?」
ウルリーカの指摘に、再びエレオノールは「えっ!」と驚いた。
「そうですね、閣下」
「キミがアガナに来たのは『腕利き』だからではないでやんす。キミは探しに来たでやんすね。アガナの『シェルパ』を」
……シェルパ?
エレオノールは眉を寄せてロリをジッと見据えた。
彼女は「さすがですわ、閣下。その通り、わたしはシェルパに会いたいのです」と続けた。
「この世のもとのは思えない、超常的な生き物『シェルパ』――。わたしは騎士団養成所の資料室で、そうした文献を目にしたのです。きわめて寒い、文明の光が届かない地上の果てに存在する『シェルパ』を確かめたい」
「聖バルトの預言書になかった生き物だからでやんすか?」
「そう言うつもりはありません。ただ、聖バルトなる神が本当に存在するのなら、シェルパという超常的な生き物は存在しないハズです」
「どうして、そう思うでやんすか?」
「『シェルパ』は神に匹敵するような、奇跡の生物であると考えるからです」
毅然と答えるロリに、再びウルリーカは「けひけひけひっ!」と笑い出した。
そうしてから、彼女は「じゃあ、紹介するでやんす」と腕を広げて練兵場の一角を示した。
「ナスマ族の守護者である『シェルパ・セシル』でやんす!」
その宣言にエレオノールは身構えた。
ロリも同様に警戒心を露わにして、ウルリーカが指示した方向へ視線を向けた。
ぎゅむしゅ、ぎゅむしゅ……。
奇妙な足音が積もった雪を圧雪していく。
「な、なに……あれ?」
エレオノールはうめきながら、あとずさった。
体長は二メートルを超えるだろうか。見たこともない巨躯の生物で、いちおう二足歩行で歩いている。全身が真っ白い色であるが、ごわごわ、ごつごつとした体毛が風でびちびちと揺れている。
四肢は判別できるが、顔も眼も胸もなく、全身が強靭な体毛に覆われた『怪物』がそこにいた。
聖バルトが作り出したものではない。
あんな化け物を創造主である聖バルトがお創りになるわけがない。
エレオノールは直感的にそう決めつけていた。
ぎゅむしゅ、ぎゅむしゅと近づいてくるシェルパをロリはジッと見つめていた。
「わたし達はすでにアガナのシェルパと交流を始めているでやんす。余計な腹を探られるぐらいなら、事実を共有しておきたいでやんす」
「あれはわたし達の味方なのですか?」
ロリの問いかけにウルリーカは頷き。
「ナスマ族に協力する限りは、味方になるでやんすよ」
「つまり、あなた達を裏切るような真似をしたら?」
「神の怒りが、あの『シェルパ・セシル』から発せられるでやんす」
けひけひけひ、とウルリーカは笑う。
それは冗談であるはずなのに、エレオノールとロリをひどく縛り付ける脅し文句でもあった。
「わかりました。わたしはあなたに協力します、閣下。協力して、彼らのアガナ人を鍛えましょう」
ロリはそう言って浅く顎を引いて、ウルリーカに頭を下げた。
彼女は「ナスマ族を鍛えることが目的ではないでやんす。この大地の全域を支配するのが、目的でやんす。間違えないでほしいでやんす」と指摘した。
にったりとした彼女の主張をエレオノールは好きになれなかった。
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