過ぎたるは猶及ばざるが如し
平乃ひら
過ぎたるは猶及ばざるが如し
理解不能な力は隠しておくべきである。
だってその不思議な力が使えるのは【自分だけである】などと、大概は勘違いも甚だしいからだ。
――数十億の人、万を越える歴史において、一度も無かったことなどまず存在しないことを、しかし現代を生きる我々はとかく忘れがちとなってしまう。
だから――危険だと思ったなら、それは宝箱のように、または大切な思い出のように、そっと心の奥深くに閉まって鍵を掛け、封をしておくべきなのだ。
クラスメイトには自身を魔法使いと名乗る変な奴がいる。
宗近みそぎが自身の用事を済ませて空き教室前を通ろうとした時だった。部活動にもそこそこ力を入れている高校だが敷地内の問題で空いている教室が部室に利用されていることなど良くあることではあるが、みそぎの記憶をひっくり返してみてもその教室が授業で――ましてや部活動で使用されているという覚えはない。それなのに同じ学生服姿の少女が教室の中央で何かを呟いている。
(まぁ、同じ学校なんですし同じ制服なのは当たり前として、何をしてるのかが問題かな)
気になったのでドアのガラス越しにこっそりと少女の動向に目を向けている。彼女はゆっくりと動かしている口元に細長い木の棒を近づけた。タクトにも見えるそれは、しかしそれにしては手作り感がある。みそぎには疑問しか浮かばない不可思議な一連の動作を終えたのか、彼女は右手をまっすぐ前に出し、手のひらを上に向ける。
そしてはっきりと――
「燃えよ」
と、口にした時だった。
ボン、という少し大きめな音と共に、ドッジボール程度の火の玉が生み出され、数秒間後には消え去っていく。
「――は?」
間抜けな声を上げたみそぎはすかさず自分を取り戻し、勢い余ってその教室に飛び込んでいく。
「な、なんですか今のは!」
「はえっ!」
まさか目撃されていると思っていなかっただろう彼女と目が合ったみそぎは、そこで「やってしまった……!」と後悔したのだった。
――と、宗近みそぎが頭の中でプロローグを述べていると、そこへ魔法が使えると豪語して止まない非常に困った問題のクラスメイトが近寄ってくるのを視界の端で捉えて思わず嘆息する。魔法なんて使えるはずがないと彼女を説得することは諦めている。そんなお伽噺の話題を振ってくる彼女の言葉にみそぎはいつも疲労感を覚えて仕方なかった。
「さぁて、今日も魔法研究会を盛り上げていくわよ」
「いかないですよ」
なぜ自分に絡むのかという意味も言外に含めつつそう返事をすると、まるで話を聞いていない彼女はみそぎの二の腕を掴んできた。
「ふぅ、分かってないわね」
「分からないですよ」
ここに実在しないものをあたかもあるかのように言いふらす少女の何を理解しろというのか、そんなことより袈裟セットしてきた髪がはねてないかのほうが気になる。前髪を触りながら自分の前から動こうとしない彼女の視線を避けるように黒板に目を向けた。
「次の授業は現国ですね」
「どうせ知ってるくせに、わざとらしい」
もちろんわざとなのだから、らしく見えてしまうだろう。ひとまず掴んで離そうとしない手をどかしたい。
「……で、私は何をすればいいんです?」
「よし、交渉成立ね」
何が交渉かと心の中でぼやく。自分の最小限に崩れないようまとめている長い髪の毛とは別に、目の前の少女はボブカットでまとめている。つり上がった瞳に背丈は年齢に沿って平均的で、みそぎとほぼ変わりない。全身から発せられる空気はまさに元気の塊ともいえるもので、どちらかといえば物静かに過ごしたいみそぎとは全く性格からして合わないのだが、こうやって強引に引っ張っていく行為には抗えないでいる。
「今日は新しい魔法を考えてきたのよ」
「『新しい』『魔法』? 何ですそれ?」
「聞いて驚きなさい!」
「その大声がすでに驚きですよ。ここ、教室ですよ。ほら周りがこっち見てるから声抑えてください。黙らないとガムテを口元にめっちゃ貼って引っぺがすときに痛い目をみせますよ」
「地味すぎる上に想像できる可能な範囲で超嫌なことしようとしてるわね、あんた……なんで鞄からガムテ出てくるのよ! ちょ、まって、落ち着けー!」
みそぎの右手に掴んだガムテープを止めようと、その右手首を必死に掴んでくるクラスメイト。
「この私、倉(くら)持(もち)智(さと)美(み)に仕掛けてくる罠としては上々ね……! ガムテぐるぐるの刑は魔法でもちょっと抗い辛いわ!」
「それは良かったです。これ私の武器として今後ストックしておきますね」
「脅迫ね……! 恐るべき脅迫ね……!」
もちろんみそぎはそのつもりでガムテープをストックしておくので、彼女が正しく理解していることは余計な説明を省くという意味で助かった。
「はいはい、それじゃあ放課後いつもの場所に行けばいいのでしょう。どーせくだらないモノを見せつけられるだけでしょうけど、見届けてあげますよ」
「ふん、以前手のひらからボンっと炎を出した時は驚いたくせに」
「ええ、まぁ、トリックを見抜けなかったので」
「トリックじゃないと説明したでしょ!」
以前――数日前のことだが、放課後ふとした用事で偶々空き教室前を通っていた時、その教室内にいた倉持智美を見かけた時だった。彼女が手のひらから火の玉を出していたことに驚いて思わず教室内に踏み入ってしまったのが災いし、彼女の『魔法』とやらを知っている人間としてその日以降毎日彼女の実験に付き合わされている。
正直時間の無駄だと感じずにはいられないが、あのような火の玉を見せつけられてしまっては気になるというものだ。みそぎは嫌々な態度を取りながらも倉持智美に付き合っている。
「よーし、今日は授業中に新しい魔法を考えるわよ」
「授業中は授業を受けなさいよホント」
忠告したつもりで呟いた直後、教室の扉を開いて教師が入ってくるのを見て、智美は慌てて自分の席へと戻っていったのだった。
――授業自体はつつがなく終了し、放課後となる。鞄を持ってすぐに教室を離れようとしたみそぎの肩を強く掴む手があったので、みそぎは舌打ちをしつつ振り返るとそこには空いた右手の人差し指へ鍵についたステンレスの二重リングを通し、くるくると回して遊びながらニヤリと笑っていた。
(いや嗤っているという表現のほうが正しいですね)
なぜか無言で引き摺られるように、彼女――倉持智美が自称する魔法研究会の勝手に借りている教室へと連れられてきた。確かに行くと言った気もするが数時間経てば忘れるだろうと淡い期待を抱いていたのも事実なので、智美が覚えていた時点で諦めるしかなかったのだろう。
「さぁ! 実験実験実験よ!」
「三回も言わなくていいですよ。いや二回もいらないし、むしろ一回も要らないです」
まだ夕焼けというには早い空模様ではあるが、教室は灯りを付けなければ相手の顔を見るだけで陰鬱になる程度の暗さになっており、智美がスイッチを入れたことでどことなく気持ちを落ち着かせる。――ああ、顔が見える。
「それじゃあ今日は新しい魔法を生み出すところから始めるけど、いい?」
「いやなんでそんな今日はサラダに新しいドレッシング使います的な感覚で生み出そうとしてるんですか」
「必要なのは完璧なイメージよ」
「人の話を聞いてませんね」
「まずはマヨネーズを用意するわ!」
「え、本当にドレッシング? まさかサラダまで用意してないですよね? ね?」
「大丈夫、こんなこともあろうかと警備員さんの宿直室にあった冷蔵庫をお借りして冷やしておいたキュウリがあるわ! しかも二本! 一本ずつ食べるわよ!」
「一体何を言っているんですか、いやマジで」
智美は鞄から取り出したキュウリを右手で握って真っ直ぐに、まるでホームラン宣言よろしくビシっと構えた。
「さ~、バッター倉持選手! 今ホームラン!」
行動の意味するところは理解できないが――恐らく理解するほど深い理由などないだろう、彼女は思いっきり振ったキュウリをすかさず手から離した。
「……!」
瞬間、みそぎは声を失う。投げたと思ったキュウリはその場に止まり、幾重もの輪切りとなり、そして落ちるのかと思いきや斜めに滑り落ちていって机の上にあらかじめ置いてあった白い皿へと綺麗に並んでいく。
「これが新開発したホームラン魔法よ」
「ホームランかどうかはさておき……」
みそぎは更に近寄ってキュウリをじっと観察する。切断面は見事なもので、断面からみずみずしささえ感じられた。このまま元に戻そうとくっつけたら、本当に戻りそうな気さえしてくる。
(これは――)
「ねぇ、これって誰かに教えたんですか?」
「え、いんや? あんただけだよ」
「この力に気付いたのはいつなんです?」
「なんか警察の尋問みたいね」
「違いますよ。大体警察じゃないですし……さすがに気になったので」
「ん~、一年ぐらい前から。なんかやべーと思って誰にも教えなくて、一人で特訓したらここまでできたのよ。ふふ、自らの溢れ出る才能が怖いわ~」
「いや実際怖いですね。こんな力、人間ぐらい簡単に切断してしまうのでは?」
「んな怖いことしないわよ。身の危険を感じたら分からないけど、魔法を唱えるより走ったほうが速いし。あ、これは魔法よ魔法。ちゃんと覚えておいて」
「魔法なんてありませんよ」
「ええー、ここまできて疑うわけ……?」
みそぎは嘆息してから、机の上に置いた自分の鞄を持ち上げて、肩に掛ける。
「今日の実験はお終いってことで。じゃあ帰りますね」
「終わりなわけあるかい!」
捕まえてこようとする智美の手を、みそぎは横にずれてひょいっと躱す。
「くると分かっていればこのぐらい――」
「ふふん、そこから動かないでちょうだい!」
「えっ」
両手足に金属製の重しを装着させられた、と勘違いしそうな感触がして、背筋が凍る。
「あ、空気を固定してみただけなのよね。これで動けないでしょ」
「何のつもりですか……!」
「いやだって私達の活動はこれからだ?」
「その疑問形はなんですか?」
「じゃあそこで観ててね。あ、その方向だと見えないか。ちょっと角度を調整してっと。動け~」
目に映らない手足の重しが彼女の言葉に従って動くものの、みそぎは一切身じろぎしなかった。というよりも空中に固定している空気の固まりによってみそぎは両手足を持ち上げられているも同然となっており、重しが動けばみそぎも勝手に動く仕組みとなっている。
「……」
「うわ、めっちゃ冷たい目ぇしてる。まぁまぁ、次の魔法をご覧あれ」
智美はキュウリの切れ端を持ち上げて、宙へと軽く投げてみた。
「めっちゃ乾燥しろ!」
投げたキュウリの切れ端に向かって右手人差し指を突き出すと、その切れ端は「ジュッ」と音を立てて水蒸気を発して一気に乾燥して萎んでいく。さっと掴んた乾燥キュウリをみそぎの前で自慢げに広げた。
「はい、食べる?」
「要りません」
差し出されたキュウリを押し返したみそぎは、もういい、とばかりに自分の鞄を持つ。
「帰ります。その力、誰にも見せないでおいてくださいね。大変なことになりますから」
「分かってるよ。教えたのもみそぎが初めてだし、誰にも言わないわ。」
そう言って智美は元気な笑顔を見せてきた。
だが、その笑顔は数時間後に失われてしまうことになる。薄暗い――弱々しい街灯だけが辛うじて道を照らしているその道の隅で自分の手を見下ろし震えている少女がいる。彼女の足下には中年と覚しき男性が一人転がっていて、寝ているのとは違う、もっと無機物のように身体から何も感じない。
その胴体は腹部から綺麗に分かれており、そこを見ていた者にとっては運が良くはみ出ている臓物が闇に紛れて誤魔化されていた。だからこそ直視をしたところでさほど精神的に傷を負うこともなかったが、鼻を突く臭さはそう誤魔化そうとする自分を引っ叩いて現実に戻してくるようだ。事切れた男の素性こそ判明しないが、こんな夜中に女子高生へ『ちょっかい』をかけるような人間がまともであろう筈も無いと判断し、その死体の処分は『別部署』に任せることとする。
「はっ、はっ……!」
彼女の手は染まっている。恐らくは赤色だが、その程度は目の前の事実を受け止めたならすぐに分かる事実だ。問題は彼女が受けた被害と、起こした事である。
「ころ、殺して……私は……!」
「だから、言ったじゃないですか」
嘆息するように――実際はこの場の空気をできるだけ肺に入れたくない嫌悪感から息を吐き、彼女は死体と周辺に飛び散る血を避けて、殺人犯である倉(くら)持(もち)智(さと)美(み)へと語りかける。
「魔術の発動はしていませんね。賢明です。今貴女が魔術を使おうとしていたら私も躊躇していませんでした。殺人は苦手ですが、自分の命に替えられるものじゃありませんので」
「み、そぎ……?」
「あなた、学校の外で魔術を使いましたね。だから魔術師に狙われた。けど素人だと思っていた相手が想定以上の魔力を持っていたので不意を突かれて逆に殺されたといった具合でしょうか。ああ、そこらの妖怪からも目撃情報を聞いています。――言い繕う必要はありません。貴女は無駄に魔術を見せびらかした結果、殺人行為に至ったのです。過ぎたるは猶及ばざるが如し、この言葉結構好きなんです」
「ちが、殺してなんか、私は魔法なんかで……!」
「才能が有りすぎる野良の魔術師はコレだから困ります。以前も魔術師の世界を識らないで知識だけで魔術を行使した結果、爆破事件が起こりましたからね」
「……みそぎ? ねぇ、何を言ってるの、ねぇ!」
「ああ、そうですよね。私は貴女が魔術を使っているのを知ったのでずっと監視していたんです。黙っていたのは謝りましょう。ですが、散々忠告した結果がコレなのですから、貴女も当然悪いんですよ」
「私は! ただ魔法を使って――」
「――それともう一つ、これも何度言ったか知れませんが」
彼女は――宗近みそぎは会話の間に小さな独り言のような何かを呟くと、その右手が淡く輝きだした。
「例外は別として人に魔法は使えません。魔法は文字通り魔の法則、この世界を形作る法則(ルール)ですから。私達が何故魔術師と名乗るのかを、貴女は知るべきでしたね」
その手の指先を彼女の額にぴたりと当て、光が智美の頭を覆っていく。
「や、なにこれ……やめっ……!」
「忠告を無視し、それが何であるかときちんと知ろうとしなかった時点で、きっと貴女は愚か者だったんです」
パチンと。
泡が割れるような微かな音がしたと同時に光が消えて、そして智美は糸が切れた絡繰り人形の如く力が抜ける。
「愚か者は私も同じですね。他に手がありながら結局こうなったのですから。でも安心してください。貴女は魔術師ではありません。記憶の操作はあまり得意じゃないですが、今日の事は全て忘れれば二度と魔術に手を出さないでしょう」
だからこの世界には来ないでください、と一言だけ心の中に付け加える。
更ける空を見上げると、星がいくつか瞬いている。
「――また私達を覚えている人間がいなくなるのはちょっと嫌だから、散々忠告したんですけどね」
白い息と共に夜空へ消えていった言葉は誰にも届かず、また少女も言葉を胸にしまうこともせず、もう二度と会うことはないだろう彼女の顔を見下ろしてから表情を無に戻し。
「さようなら」
これ以上関わることがないよう、その場を去って行った。
過ぎたるは猶及ばざるが如し 平乃ひら @hiranohira
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