奇跡《まほう》

 「やあ、初めまして。神条境夜。【完成なる者】よ」

 「ああ、初めまして。森羅継國。死に損ない」

 校長室に設置された巨大なモニターに映る白髪の老人と、神条境夜は言葉を交わしている。

 「早速だが、何でテメエは俺にその陰険なツラを見せる気になった?」

 「フフ。たしかに、契約ではキミが我々の作ってしまった失敗作を破壊してくれることを条件に言葉を交わすこととしていた。だが、契約というのは時に柔軟にカタチを変えるモノなのだよ」

 「ふん。つまるところ、血相変えて呼び出してきたババアから聞ていたオモチャの転送の件で不備が出たか」

 「ああ。恥ずかしい話だが、そういうことだ。本来なら、一体のTCS……タブー・カスタム・ソルジャーの試作品を、テストと素材集めの目的で送ったのだがね。どういうわけなのか。気付いたら100体のTCSが流出していたというわけだよ」

 「それはまた、痛々しいほど愚かな話もあったもんだ。権力をいくら握ったところで、優秀な部下と人望には恵まれなかったと見える」

 「ハッハッハ!これは嬉しい想定外もあったものだ。てっきり肉体だけの男かと思っていたが、よもや言も立つか」

 「フン。【完成なる者】俺をそう呼んだのは、お前のはずだ」

 「なるほど。『そこ』まで掴んでいたか神条境夜。まあ良い。今はどうでも良いことだ。

 ワシがわざわざ顔を見せてコンタクトを取った理由は察しがついておるじゃろう。それを依頼したい」

 「100体のソルジャーの駆除か」

 「ああ。簡単じゃろう?その神の拳なら」

 「造作も無いが、神に頼る愚かな劣等種。お前は代償に俺に何を貢ぐ? 」

 「そうじゃな……好きなものを言って見よ。と、言いたいところじゃが、貢物とは誠意じゃ。何を貢ぐのか頭を悩ませるのもまた、誠意。

良し。ならば、一往復分の異世界旅行券をプレゼントしよう。これはそちら側は持ってはいないはず」

 「…………いいだろう。用は済んだ。失せろ」

 「ふっふっふ……このワシに失せろと来たか……新鮮な時間だったよ。神条境夜くん」

 そう言い残すと、モニターの映像は真っ黒になった。

 「やれやれ。異世界旅行と来たか……森羅継國、あの妖怪はつくづく嫌な手を打ってくるものだよ」

 薫は、心底うんざりした表情で頭を抱える。

 「まさか【第一の奇跡】を交渉材料にしてくるとはね」

 「今はどうでもいいことだ。それより状況を教えてくれ。物量が100。フィールドが島一つ。これでは探し出すまでが重労働だ。巣の外に散乱しているアリを一匹ずつ潰していくのは面倒が過ぎる」

 「ああ。それならTCS用のレーダーがあるから、これを持っていきな」

 「そんな原始的な捜索方法なのか……ん? しかもこれ、反応が三くらいしかないんだが?」

 「なんだって? すでに100体の転送が完了しているはずだよ。それが三体しかいないなんて……おい、急に数が増えたじゃないか。故障か……? いや、待て。これは」

 言葉を紡ぎながら思考を巡らせていた薫は、ふと一つの可能性に行きついた。それは、神条も同じだったようで。

 「フン。なるほどなあ。

同じモノに惹かれて湧いて来たか……」

 ガシリッ。神条は拳を握って、何もない空間に視線を向ける。

 「ちょ、アンタここから行くんかい⁉」

 「気にするな。どこから行こうが、同じ場所には辿り着ける。スタート地点なんざ、拘るほどの意味はない」

 そう言うと、握りしめた拳を何もない空間に突き出して、何もない何かを殴り砕いた。

 そして、神条境夜はこの部屋から姿を消したのだった。




 場面は戻り、銀河うちゅうが交戦中の保健室前。

 自分の大切な杖を投げ捨ててまで身軽になった彼女は、現在殺意が存在と同居しているような白い怪物TCSの攻撃をひたすらに回避している。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 「きゃあっ⁉」

 「オオオオオオオオオオオオー!」

 「ふんす!」

 両者の動作は三十分間ほとんど変化が無い。

 ソルジャーが爪を振るい、銀河うちゅうがそれを全力で回避する。掛け声がいまいち必死さを感じないが、離れたら人質が喰われること。そして自分の杖を保健室に投げ込んだことと、中にまだ食べ過ぎで動けない哀れな後輩がいることで必要以上に現場を離れられない彼女は、必然的に近接戦から中距離戦以上の距離を開けられない。

 (たまに隙あらばこいつを食うぞって感じで脅してくるのが、本当に性格悪い!)

 要所要所でけん制のように入れてくる脅迫に、銀河うちゅうは指に嵌めたリングを通して学生ポイントを魔力に返還・射撃で対応する。

 「ああああーもう‼ せっかく溜めたポイントなのに‼ ぜええええーったいに後で学校に必要経費として請求してやるうううううううううー‼」

 魔力は生命力を変換したエネルギー。生命力はあらゆる人間の行動すべてに必要とされるもの。寿命であり、思考力であり、判断力であり、体力なのだ。故にこの命がけの戦いでは、代用できるものは代用しなければ、動き続けることを強制されている銀河うちゅうの体力はすぐに尽きてしまう。

 「グアアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 そうでなくても、自らの命を害するものを死と隣り合わせで回避し続けることは彼女からあらゆるエネルギーを削っていく。気力も、精神力も、そして、倫理観も。

 想わないはずも無い。人質も後輩も見捨てて逃げれば助かると。

 「やばっ、ちょっと掠った……」

 考えることが罪になるだろうか?自分が生きるための全身全霊を。

 「手も足も。どっちかやられると終わるんだよね……うちゅー」

 なら逃げるべきだ。それを誰が責める?誰に責める権利がある?

 「ガアアアアアアアアアアアアアアー‼」

 一人生き残ることの罪を、誰が責められるというのか。

 「ほんと、幻聴がうるさいな」

 ほら、また頬を掠った。女の子が顔に一生残る疵を付けられて良いのか? 今なら逃げられる。幻聴のような自問自答が、延々続く。この声が自分が由来であることは、銀河うちゅうも否定はするまい。

 ドンドン削られて、ドンドン鈍って、ジワジワ追い詰められて、いずれ墜ちる。

 その未来を望まないなら、逃げるしかない。分かっている筈だ。

 「アアアアアー」

 「分かってるけど……それでも逃げたらうちゅーは明日笑って生きられないじゃん!」

 再び人質を口に入れようと大口を開けるソルジャーに、既に準備していた魔力弾を撃つ。そして防がれる。もう何度繰り返したのか?いい加減うんざりだ。 さあ、今こそ、変化を求める時だ。

 「あっ……」

 ガクン――。不意に銀河うちゅうの膝が崩れて地に落ちた。

 「……ついに、体力が切れたかぁ」

 まるで他人事のように呟いて、諦めたように肩を落とす。約束されていた未来が、当たり前に訪れただけの話だ。ただでさえ最初の大技の反動で身体はガタガタだった。そこに三十分常に動き続けた。とっくに限界は超えている。緩急をつけて騙し騙しで瞬間的に身体を休めながら戦っていた彼女には、最初から人質を助けて自分も助かるような力なんて無かったのだ。だから、当たり前のことを、当たり前に。星川銀河うちゅうは、もうダメだ。

 「グギギギギ」

 人質を盾に立ち回り続けたソルジャーは、実に陰湿な笑い声を上げて、銀河うちゅうに近寄る。逃げたくても、もうそんな力が無い。

 「あーあ。頭から食べられるタイプの魔法少女になっちゃったかぁ」

 すっと瞼を閉じて、すぐにでも来るだろう捕食の瞬間を待つ。

 6年前に起こった【大神災】ではなんとか生き残れた。それでも、死神の鎌は特別扱いなどしない。通りかかった道の途中に命があれば、容赦なく刈り取っていくだけだ。

 それが、今回は自分の番になっただけ。そう考えた銀河うちゅうだが、いつまで経っても生きている。あの冗談みたいな殺戮の爪も、クラスメイトを丸のみにしようと開けた大口の牙も届かないままだ。不思議に思って瞼を開けた。すると。

 「ふぅー……ふぅー……!」

 彼女の目の前には、引き締まった肉体と肩甲骨を晒した上半身のアップ。そして少し先には、腹部を押さえて両膝を地につけたソルジャー。そして、盾にされていた男はズルズルと引きずられながら、小さい猿のような生徒に回収されていく。

 「ふぅー……ようやく胃袋の痙攣が収まったぞ……全く、美味いカレーと言えど食べ過ぎは身体に悪いものだな。サスケよ」

 腹を支えるようにさすりながら、緑の縁メガネの男児は言った。

 「左様でござるな、有間殿。しかし、半分以上を洗面器と白い布団にぶちまけてしまったとは言え、食事は食事でござる。食べた分しっかり働くのは日本男児として当然の行いと言えましょうや」

 回収した人質を保健室の中に運び終えた猿は応える。

 「うむ。それは全くもって同感だ。なにせ我らが日ノ本には、このような至言がある」


 「「――働かざる者、食うべからず」」


 「グ……オオオオオー……!」

 「これはこれは。小生の黄金の右を受けても戦意を失わぬとは、敵ながら見事。

 だが、導真学園一年、有間成堅。貴様に一筋の敬意すら感じぬ」

 身体の調子を確かめるように、二・三発シャドーを撃って準備運動をする成堅。その姿は紛れも無く、リングに上がる前のボクサーのものだ。

 「まさか、あの怪物をボクシングで沈めたわけ……?」

 魔力弾で多少ダメージを与えるのが精一杯なタフネスの怪物からダウンを取るほどの拳なのかと、銀河うちゅうは驚きの表情で現状を分析した。とても信じられたモノではないが、他に要因が見当たらない。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアー‼」

 やられたままでいられるかとばかりに爪を振り上げ、ジリジリと間合いを詰め始めるソルジャー。

 「逃げて‼ それ喰らったら死ぬよ!」

 「大丈夫でござるよ。星川先輩。有間殿はああ見えて強者でござるよ。カレーには負けもうしたが」

 銀河うちゅうの傍にやってきたサスケが、ひょいと彼女を担ぎ上げて保健室へ運んでいく。

 「大丈夫って……でも貴方たち一年生でしょ? 魔力弾だってまだ習ってる途中の時期じゃないの?」

 「心配ご無用! 魔力弾が習いたてであろうと、一年間みっちり修行していようと、関係の無い話でござる」

 「その通―り‼ なにせ我々、魔力変換効率が死ぬほど悪い落ちこぼれ!」

 「来年までに見切りを付けられると、もっぱらの評判!」

 「ゆえに習ってる途中だろうが免許皆伝だろうが知ったこっちゃ無し!」

 「例え我らが二年であっても魔術の実力に変化など無し!」

 「「我ら、二人合わせて落第コンビ‼」」

 「合わせてる場合かー‼」

 ブゥン‼ 

 保健室にいる銀河うちゅうにまではっきり届くほどの風圧を起こすほどの爪が、ついに成堅の頭に振り下ろされる!

 「ガアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 「巨大デカい。重い。速い」

 それを軽々と交わした成堅が、敵のボディに左のストレートの拳を入れる。

 「グウウウウウウウオオオオオオオオ………⁉」

 「それだけの力がありながら赤子のように振り回すだけの攻撃か。口惜しゅうて仕方ないわ‼」

 腹を殴られて前かがみの姿勢になったソルジャーの、今度は顔面に右ストレートを入れた。拳の接地面は人中と呼ばれる急所部分。マジで痛い。しかし、それだけに留まらず。

 「魔力衝撃!」

 ドォン‼

 魔力をただ吐き散らして衝撃を加えるだけの、魔力弾の前の、魔力丸のそのまた前の現象だ。

 『魔力弾』の『放出』『硬化』『留める』『射出』の四つの工程の一番最初の『放出』だけを行った状態。ゼロ距離でなければ何のダメージにもならないそれを、攻撃に転用して見せたのだ。

 「嘘っ⁉ 効いてるじゃん……」

 「驚くことではござらんよ。

あれは拳を撃った瞬間に、もう一発分の衝撃を与えてるだけ。ごく当たり前の物理衝撃が二回分同じ位置に加えられたもの。ダメージを上乗せしているのでござる」

 「でも、そんなことしたら自分の拳も痛いんじゃ……」

 「痛ええええええええええええええーー⁉ 超痛いーー‼」

 「うわあ……有間殿、締らないでござるなあ……」

 「閉まるか開くかの問題ではないのだ! どんな時でも心と感情を剝き出しに生を抱く! これこそが大和魂! 漢のパッションだあああああああああああああー‼」

 「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーー‼」

 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーー‼」

 TCSが爪を振るう。振るう。振るう。今喰らった攻撃で、完全にこの男を敵と認識したらしい。怪腕の先にある殺すための爪を振るい続ける。

 だが、まるで当たらない。先ほどまでの銀河うちゅうに振るっていた時はまるで状況が違いすぎる。

 彼女はギリギリで回避し続けることに成功していただけに過ぎない。命辛々、度胸と意思で逃げ続けた。だが、この変態は違う。

 「シッ、シッ、フッ!」

 ワザとギリギリまで引き付けて、躱した爪にジャブを入れている。これがただの挑発なのか、はたまた意味があるのかは、オーディエンスには分からない。

 「グガアアアアアアアアアアアアアアーーーー‼」

 だが、TCSは明らかに頭に血を上らせている。その証拠に、ドンドン攻撃が雑になっていく。ブンブンブンと、怪腕を振り回すだけ。作戦などいらない。この爪が一発当たれば殺せるという驕りを全面に打ち出して、怪物はただの小僧を刈り取りに行く。

 「それだけの肉体があって、心が伴っていないのは痛々しい」

 タンと地面を一蹴りすると、成堅はTCSの懐に入り込む。

 「ワン、ツー!」

 体格差は歴然。だと言うのに、ついに怪物は変態の攻撃を一方的に貰い始めた。鳩尾に正確に二発腰の入った拳が二発。

 「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……‼」

 痛みに呻いてすぐさま後退する怪物。だが、間合いから逃げ切られる前に成堅はさらに前に出て拳の有効範囲から逃がさない。

 「サン、シー‼」

 「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーー‼」

 適格にダメージを通してくる成堅に、怪物はたまらず仰け反る。そこを逃さずラッシュで畳み掛ける。一発一発を正確に撃ち、同じ場所に。同じ場所に。

 「はあああああああああああああああーー‼」

 「凄い……あの子、魔術も使ってないのに、あの怪物に一方的じゃん……何でこんな状況になってるの? 」

 「それはずばり、リーチの問題ですな」

 銀河うちゅうの疑問に、サスケがさらっと答える。

 「リーチの問題?」

 「左様。もっともこの場合、腕の長さという意味ではなく、射程範囲の話ですが。

 星川先輩は魔術で遠くから攻撃出来るわけですが、あのように懐に入られて殴られ続ければ、魔術もクソもないでござろう?

 杖から魔術を撃っても、矛先が相手に向けられなければ、撃っても当たらない。そして導真リングで魔術弾を撃とうとしても、両腕をガッシリ抑えられれば当たらない。

 そうなれば、抑えた側は頭突きでも何でもすれば、魔術が使えなくても戦えるでござるよ」

 「それは、理屈はそうだけど。普通はそうなる前に魔術で遠距離攻撃されて負けるものじゃない?

 だからこそ、遠距離攻撃って強さの基準のひとつなわけだし」

 「おっしゃる通りでござる。だから近距離タイプの武士もののふが遠距離の敵に勝つには、隙を逃さずに距離を詰めることが必須。逆に遠距離攻撃をする者は、決して敵を近づけてはいけないのでござるよ。肉体的にも精神的にも。

 だというのに、あの白い怪物は攻撃手段が爪しかないことを晒しすぎた。

 一度近づいて攻撃した後、攻撃方法を近距離に切り替えるでも無く、警戒するでもなく振り回すだけ。そしてあの爪は、なまじ怪腕で長すぎるがゆえに、懐に対して自由が利かない。だから有間殿は最も有効な戦術である、『敵の攻撃の有効範囲外から攻撃し続ける』という、リーチの有利を徹底的に活かす手法で、今こうして猛攻撃をしているのでござるよ。」

 「な、なるほど……リーチってなにも遠くから攻撃出来ることを指すわけじゃないんだね」

 「ご理解いただけて何より」

 (しかし、観察している限りではあの白い怪物。痛みを感じている様子だが、まるで生物としてダメージを受けている感じがしないでござる。

 例えるなら痛覚とヒットポイントがそれぞれ独立しているような違和感。恐らく、実際に撃っている有間殿本人が一番感じている筈でござるが)

 成堅がラッシュを始めてそろそろ五分が経過する頃。

 「おかしい! こいつおかしい‼ 五分も殴ってるのに全然倒れない‼ 泣きたい‼」

 「グオオオオオオオ……‼」

 TCSも呻き声こそ力を失っているが、全く倒れる気配が無い。まるで、成堅が疲労でダウンするのを待っているかのようだ。

 「ぬおおおおおおおおおー‼ まだだ! まだ舞える‼ 唸れ我が大和魂‼ 弾けろリビドー‼ パッションンンンンンンンーーッ‼」

 残った力を全て注ぎ込むように腰を沈めて撃ち続ける。

 「叩け! 叩け! 叩け! 叩けえええええーー‼」

 サンドバックを無呼吸連打するように必死に殴る。

 「オオオオオオオオオオ……!」

 それでも、全く倒れない。苦しみで発しているはずのうめき声ですら、嘲笑のためのものなのではないかとすら感じられる。

 「まずい……流石に有間殿の体力が限界でござる」

 「ぬうううううううー! ぐうううううー……!」

 歯を食いしばり、目玉が飛び出すほど全身に力を込めて、パンチの精度だけは落とさないように。だが、それでもここらが頃合い。

 「ウガアアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 「ぐおおっ⁉」

 今まで上手く怪物の抵抗を封じながらラッシュを掛けていた成堅の力がついに緩んだ。そこを逃さず的確に払い退けるべく、怪物は自慢の右腕ではなく人間体に近しい左腕で、成堅の頭を掴んで持ち上げた。

 ようやく鬱陶しい相手を捕らえたTCSは、満足そうに口の端を歪ませると、地面に向けて叩き付けた!




 「――ッッ‼」

 受け身も取れずに叩き付けられた成堅は、ピクリとも動かず、否、動けずにいる。衝撃で受けたダメージよりも、自分自身の酸素欠乏症チアノーゼに完全にやられている。汗と涙と血をボロボロ零しながらも、身体はただただ酸素を求めて呼吸を試みる。だが、息を吸おうにも肺がそれを受け入れず、手足は乳酸が溜まりに溜まって。正しく虫の息未満。

 (ダメだ……息が………出来ない……)

 「ゲヒャ……ゲヒャガガガガガガガガーー‼ 」

 下卑た笑い声だ。生者の尊厳を犯すことを史上の喜びと言わんばかりの、骸の嘲笑。これまで吠える獣でしかなかった意識が、初めて愉悦の感情を見せた。

 よ う や く 殺 せ る 。

 爪を振り上げ、お待ちかねの串刺しを――

 「待ちなさい!」

 実行するまえに声が響いた。

 愉悦の獣が顔を上げれば、そこにいたのは、先ほど殺しかけた二色の髪の女。生き残るために放った杖を、力の無い腕で構えている。もはや一人で持つことも出来ないのか、杖の先端は小さい猿顔の人間が支えて。


 ま だ や る 気 な の か ?


 怪物は瞬時に死にかけの獲物を拾い上げて盾にした。


 お 前 コ レ 殺 せ な い 。


 キヒヒと嗤い、勝ち誇った顔をする。

 だが、目の前の獲物は顔色を変えない。


 獲 物 怯 え な い 。ム カ つ く 。


 もう待てない。充分待った。三度お預けを食らった。


も う 殺 す 。


 走って殺す。爪で串刺しにして殺す。首を折って殺す。心臓を抉り出して殺す。両足を持って二つに引き千切って殺す。


 殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


 「コ ロ ス」


 「ひいいいいいいーー⁉ 星川先輩―‼ 怪物来た! バケモノ来たー! 殺されるぅーー‼」

 「待って、その言い方だとうーちゃんが怪物みたいに聞こえるから止めて欲しい‼」


「コロスウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウーーーー‼」

 

泣きわめく猿顔は後に回して、ムカつくあの女を殺す。


「コロスウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウーー‼」


 あと一歩で届く。さっきのガトリング砲ももう当たらない。スピードは見切った。殺せる‼


 意気揚々と、怪物は爪を振り抜いた。


 「どうどう? これがうちゅーの好きな魔術。『視覚変化』と『反響変化』だよ。光の屈折率とか、音波の反響とか。めちゃめちゃ勉強したの」

 「はい。勉強になるでござる!」

 「うわー絶対適当に言ってるの分かる~」


 「――⁉」


 一歩進んで爪を振った後、斬ったのは肉体ではなく空間だった。そこにいたはずの獲物は揺らいで消えて、そして本体は保健室を背に、同じポーズで立っていた。


 「さあさあお立合い! これは宇宙の本をたくさん読んでた時に偶然見つけたページを参考にして開発した、うちゅーの最強の必殺技。ぜんぜん魔法少女っぽくないけど、こういうバラバラにしても何でか復活するタイプの敵に対処出来る手段として作ったの。

一瞬だからよく見ててね」

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 何をするつもりか知らないが、関係ない。何故なら人質がいるのだから。あの獲物に出来ることなんて何も無――


 「リ・ノヴァ」


 スッと、痛みも何もない光が、肉体に当たって、背中に貫通していった。これはTCSが認識したことではなく、ただの事実だ。本当に、何も感覚は無かったし、視覚に捉えることも出来なかった。

 ただ心臓の部分を通過して、通り過ぎて、そして。


 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーー⁉」


 唐突に、何かに吸い寄せられた怪物が、憑依されていた男子生徒と有間成堅の肉体を残して消えて行っただけ。

 「外側だけが何かに吸い込まれて行った……星川先輩、アレは一体何でござるか……?」

 「リ・ノヴァ。ノヴァの意味は新星だから、リが付けばある意味では死の惑星ほしみたいなイメージかな

 簡単に説明すると、光線でマーキングした対象の背後に原子単位の大きさのブラックホールを疑似的に再現して、その重力で引き寄せて押しつぶすみたいな」

 「に、二年生になるとそんなものが創れるのでござるか⁉」

 「まさか~。何かひとつ科学的なものを魔術で再現するためにとんでない量の化学知識が必要になるんだよ。火を起こすだけでも、その化学式をしっかり理解したうえで魔術の方程式に当て嵌めなきゃいけないの。その上で魔力の量もバカにならないぐらい必要になるんだよ。

 うちゅーみたいに、子供のころから興味があって勉強してる人じゃないと無理だよ」

 「そ、そうでござるか……」

 「少なくても、うちゅーはこのジャベリンに莫大な計算式を入力して、魔力を増量して、時間を掛けなきゃ使えない。

 今回の場合、元々込めた魔力も少ないし、時間も30分くらいしか無かったから、かなり危ない橋を渡ってたんだよ……。

 アイツが一度バラバラになってから人に寄生するみたいにくっついてたから、外側だけならギリ剥がせるかもって、人生はギャンブルってやつだね」

 「お疲れ様でござる」

 「ありがとう……。

 さてと、チャージの時間を身体を張って稼いでくれたせーけん君も介抱して……あ」

 銀河うちゅうが覚束ない足取りで酸素欠乏症と地面に叩き付けられた衝撃でダウンしている功労者の元へ向かうと………。


 「クンクンクン‼ クンクンクン‼ スハーッ‼ クンカクンカ! クンカクンカ‼」


 そこには出所不明なレースの付いたブラジャーを酸素ボンベのように吸っていた変態がいた。


 「ハァー! ハァー‼ いかに肺が酸素を受け付けずとも、女体の香りなら地平線の彼方までお代わり自由‼ この大和魂の前に肉体の限界など無意味‼ パッションンンンンンンンンンンンンンンーー‼ クンクンクンクンクンクンクンクン……‼」

 たったひとつだけ、仕事をしたこの変態を擁護するのであれば、血走った目は酸欠が原因であり、この変態行為は特に関係はない。はず。


 「…………」

 不幸にもそんな悍ましい様子を目撃した銀河うちゅうは。 

 

 「もうすっからかんだけど、後一発分だけ鞭打って働きますか~。アハハー」


 無駄に学生ポイントを魔力に変換して、本日最後の魔術を敢行した。


 「うちゅーのチリにな~れっ☆」


 「え? 星川女史? 一体何を? え⁉ ちょ‼ うぎゃアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーー‼」


 「…………本当に締まらないでござるなあ」




 学園の森の中。バキバキと音が鳴り、決壊したダムのように閃光が一筋、二筋と。何もない場所から発光している。そしてその場所から、ドアを開けて出てきたかのように自然に、神条境夜が現れた。手元にあるレーダーに視線をやる。

 「…………地図の精度が低すぎて訳が分からない……」

 凶悪の風貌をしつつも、心中はしょぼんとかぴえんとかなっている境夜は、粗悪なレーダーに振り回されてあっちへ行って迷い、こっちへ行っては迷っていた。なんなら少し泣きたい。

 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアーー‼」

 そんな時、咆哮が響いた。音のした方を振り向けば、白い右腕がデカい包丁になっているTCSが臨戦態勢を取っていた。

 「…………よ、ようやく見つけた……!」

 無暗に感動してホロリと涙がこぼれた境夜に、TCSは容赦無く突撃し怪腕を振るってくる。だが、境夜はその腕を掴むと、事も無げにぶらんと持ち上げた。

 「ガアッ⁉」

 「ほーん。人為的に俺を創るって言ってる割に、随分小さいな」

 TCSは、神条境夜を創り出すというコンセプトの関係で、元の死体の体格に関わらず、その身長は二ートルを優に超える巨体に調整されている。だが、オリジナルの境夜からすれば、恐ろしいことに矮躯なのだそうだ。まるで人形で遊ぶかのように腕やら足を好きに弄り回している。

 「しかも何だこの包丁。俺はこんな怪物じゃないぞ……」

 不満げに顔をしかめると、包丁の右手を千切る。

 ブチリ。

 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアーー⁉」

 右腕をあっさりと千切られたTCSは悲鳴のような声を上げる。まるで大人とオモチャ。戦いになりはしない。

 「ふむ。意外と刀身は意外と良く出来てるな」

 そう言うと、境夜は左手をTCSの頭にポンと置く。そして。


 ボキボキグチュグチュプチプチ……ッ‼


 そのまま体重を掛けて文字通り圧し潰してしまった。プレス機に掛かった様に見事に圧迫され潰れたTCSの白い身体はミンチと化して、その実行者は千切った右腕の切れ味を見たくなってその辺の樹木に向けて右腕を振り抜いた。樹木はスパンとバターのように斬れて崩れ落ちてしまう。

 「いっそ剣を売り出した方が売れそうだ」

 倒れた樹木のドスンという鈍い音を、日陰で湿った土が吸収していった時。

 ガアァァァァーーーン‼

 「ん?」

 突如樹木が炸裂して、真ん中部分が弾け飛んだ。

 「……? 木が爆発した? 斬った物を爆発させる魔術でもあるのかこれ」

 などと呆けたことを言う境夜だが、敵意を持った野太い男の声がしたのを、聞き逃しはしなかった。

 「巨躯な身体、右手にはクソバカデカい包丁……」

 その男はとにかく目立つリーゼント頭に白い長ランを着た時代錯誤の大男。

 太い眉を吊り上げ、拳を握る。怒気を孕んだ声に反して、瞳は理性的。だが、確かに臨戦態勢だ。

 「お前が……ワシの仲間を」

 「……」

 身長は二メートルを超えている。境夜には足りていないが、それでも見劣りしない体格で、歩を進めて距離を詰める。

 「ぬうううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー」

 握りしめた拳を振りかぶり、大地を踏みしめて顔面に振り抜く。その拳は砲丸のように力強く、確かな敵意を持って放たれた。だが、神条境夜はその拳を防ぐでもなければ躱すでもなく受け入れた。

 その拳は会心の一撃となって着弾した。最良のタイミングに、最高の力の伝達。だが、境夜はそれをゴムボールでも跳んで来たかのように僅かに頭が動く程度の反応。そして真顔で左手の指をポキポキ鳴らす。

 「…………」

 「そうか。そうだろうな。やはり効かないか」

 身長二メートル超えの人間が全力で放った拳打が通用しないなど、そうそうあり得ることでもないだろうに、その現実をあっさり受け止めた男は、僅かに距離を取って両腕を腰に溜める。

 「ワシは成宮厳湖津。お前に倒された仲間の仇を取るつもりで来た。

 だが、見た瞬間にはっきり分かった。ワシは勝てない。怪物とはよく言うたものじゃ。その身体。人間のものと根本的な作りが違う。それでも、ワシは仲間の仇を取らねばならん!

 たとえこの命を引き替えてもだ‼」

 その名乗りは一体誰のためなのか。

 言葉と同時に。厳湖津は両手を開いて前に突き出した。

 「魔力砲――‼」

 「む――⁉」

 全身を砲台にして放たれた光は、周囲の木々と地面を抉り取って破壊し進んでいく。推進力と衝撃のみの純粋な大砲。ただし、密度が高すぎる魔力の突進は摩擦係数も魔力弾とは桁違いに高く。擦られていく酸素や大地、木々が熱煙を燻らせる。

 「ぬううううううううううううううううううううううーー‼」

 厳湖津の骨身が悲鳴を上げる。命を賭ける覚悟で、仲間と共に稼いだ学生ポイント全てをつぎ込んだ砲撃の代償は両腕の骨の粉砕と肉の破裂。放出中に照準が狂わぬように噛み締める歯は割れて。どれだけ無理をしているのかは、力を入れすぎて目から血潮を流した姿が物語っている。

 (腕の筋肉が…骨がひび割れて行く……だが!)

 「ワシの仲間を傷つけたキサマを、絶対に許しはせん……っ許しはせんぞおおおおおおおおおーー‼」

 「――!」





 「厳湖津!」

 そのすぐ後に、命をつぎ込んだ咆哮と共に魔力砲を撃ち切って膝を折っていた厳湖津の後ろ姿を発見した来軒が駆け寄った。

 「おい、厳湖津。大丈夫か――お、お前その腕……⁉」

 「ハァ……ハァ……来軒。

 か、仇は……取ったぞ」

 「っ!」

 その言葉を聞いて、初めて来軒は厳湖津の視線の先を認識した。

 黒く焦げた土に、巨大なショベルカーですくい上げたかのような抉れ方をしている大地。そして、極めつけは……巨大な隕石が地下を掘り進めたのかと言わんばかりに空いている、底の見えない奈落の穴。

 「お、おい。これどんだけ魔力込めたんだよ……」

 「は……ははっ。学生ポイント……全てつぎ込んでやったわ」

 「す、全て⁉ バカ野郎‼ そんなのどう考えてもオーバーキルじゃねえか!

 死体ごと灰にして学園の土地にクレーター開けるほどつぎ込んでどうすんだよ‼

 あーあ、腕が直視できねえことになってるじゃねえか。敵討ちが終わったからって人生が終わるわけじゃねえだろうがよ! 明日からどうすんだよー‼」

 「は……ハハ。そう、だな。どうしようか……」

 「どうにもなんねえよ。学園ポイントも空。多分丑三も同じようなことして専用MAC造れるポイント貯めてるだろうし。

 あのチーム、ぜってえ増長すんぞ」

 「いや……そうじゃないんじゃ」

 「あん? じゃあ何よ?」

 「……アイツらが死んでしまったら……ワシは、寂しい」

 動かない腕と無事な肩をだらりと落として、目からはボロボロと血の混じった涙を溢す。

 その様子に、来軒も暗い表情になる。

 「なあ、来軒。人はどうして死ぬのだろうな」

 「……そんなの、分かるわけないだろ」

 「強いて言うなら、生きるためだと思うぞ」

 「……生きる……ため?」

 虫の息の厳湖津は全く気付いていないが、無傷の来軒は、自分とも友人とも違う者の声に反応して、声の方を向く。具体的には、底の見えない穴の開いた方を。するとそこには、全く見覚えの無い金髪の巨人、神条境夜立っていた。

 「ひっ⁉ な、なんだこの凶悪な顔面の巨人は⁉」

 来軒の率直な言葉傷つきつつも、境夜は厳湖津の疑問に答えるために言葉を紡いだ。

 「命が終わらないと、新しい命が生まれて来ても居場所が埋まって使えない。古い命は新しい命に時代と席を譲り渡して消えて行く。そうでなければ、世界は停滞して止まってしまうんだ。そうでなければ、命は魔力と同じ。ただのエネルギー。使われるだけのものになり果てる。

 不老不死ってのは、生きるんじゃなくて死なないことなんだ。死なないだけの世界は、変化しない。進化しない。退化しない。世界中がニートになるだけの世界の完成だ。

 移ろわざるは、死にゆくことだ」

 そこで初めて、厳湖津は顔を上げ、倒したはずの神条境夜が自分を見下ろしていたことに気が付いた。着ているスーツにもなんら損傷がない辺り、上手く回避したのだろう。

 だが、厳湖津に困惑はない。やはり生きていたか、くらいの表情だ。

 「…………変化の為にそんな理由で、人は死んでいくと言うのか」

 「…………変化の為にそんな理由で、人は争うだろ」

 そう言うと、右手に持っていた包丁の腕を地面に突き刺した。

 「やるよ。お前が求めていた、仲間の仇の残骸だ。仲間の墓に、華として供えてやるといい俺が先にやっちまった。悪いな」

 「……勘違いで、命を狙ってしまったと言うことか。すまない」

 「問題ない。戦場では味方の流れ弾が死因になる場合も珍しくはないからな。

 あやうくスーツがボロボロになるところだったから穴掘って逃げたしな」

 「は? え? 勘違い⁇ 何それ全然大丈夫って言わねえだろ」

 「それに、お前のその腕。ボロボロだ。そこまでして仇を取りたかったんだろう。

 そんな復讐の相手を、俺は殺してしまった。それで対象が俺に代わっても仕方のないことだ」

 「いや器のデカさが意味不明なんだけど⁉」

 「ぐ……ぐうぅっ‼ す、すまない‼ すまないいいいいいいいいいいいいいいいいいいーー‼ うわああああああああああああああああああああああああーー‼」

 「うわあ……泣き顔が死ぬほど汚え」

 「ぶわはあああああああああああーー‼ ぶふわあああああああああああーー‼ みんなあああああああああああああーー‼ すまないいいいいいいいいいいいいいいいーー‼」

 「あああああああああああああああああああああああーー‼ もううるせえ‼」

 顔面が縛ったチャーシューか不摂生の三段原腹のようにシワを刻んだ泣き顔で顔面を顔汁塗れにして泣く厳湖津と、その鳴き声がうるさすぎて天に吠えた。

 「ところで、この白いのは他にもいるはずなんだが、どこから湧いて来たか知らないか?」

 「こいつまだいるのかよ⁉ オレ達はダンジョンの出口から来たけど、待ってた仲間がやられたんだけど……ダンジョンの中にはいなかったよ」

 「何? それはおかしいな。ダンジョンに輸送されているはずなんだが……」

 「――そこの人たち~大丈夫かにゃー⁉」

 境夜が思考を巡らせていると、背後から特徴的な声が聞こえた。

 「ん……魅傀か」

 「にゃっ⁉ きょ、境夜にゃん! どうして森の中にいるの⁉ もしかしてやるべきことってサバイバルだったにゃ⁉」

 「……ん。狩りをするって意味ではサバイバルとも言えるんだろうか」

 「そ、そうなんだ。境夜にゃんのやるべきことがサバイバルなら、魅傀も一緒にサバイバルしたいにゃ」

 「そうか。でもサバイバルは大変だから、ピクニックにでもした方がいい。運が良ければ今日中に終わる見込みが見えたから、近いうちに実現するかもしれない」

 「ほんとう⁉ 凄い進展にゃ!」

 「ああ。そうだな。三か月も世界中駆けまわっておいて、目当ての奴がスタート地点に隠れてましたって辺りに憤りを感じなくも無いが……飲まず食わずで三か月だぞ。三か月」

 「大変だったんだにゃ。境夜にゃん。魅傀がよしよししてあげるにゃ」

 「……ありがとう」

 境夜は巨大な身体を膝を折って差し出す。それでも全然高さが抑えられていないので、魅傀はつま先立ちでうーんと背伸びしながら金髪の頭を撫でた。

 「ぷはぁ! 境夜にゃんはとっても大きくてびっくりにゃあ……」

 境夜の大きさに合わせてカラダに無理をさせた魅傀は、大きく息を吐いた。それでも満足そうな笑顔を見せている。

 「…………んで、イチャ付いてるとこ悪いんだけど。犬飼さんはそもそも何でここにいるの?」

 「にゃっ⁉ 木野くん、それに成宮くんも⁉ いつの間にいたのにゃ⁉」

 「いや、ずっといたよ? そこの人たち~って言ってたじゃんか。ってか、そこで泣きわめいているゴリラすら認識外なのはそのネコミミが飾りかって誹りを免れないんだよね。どんだけそこの巨人に意識が行ってたんだよ神条さんって言ったっけ?」

 「にゃあっ⁉ そ、それはそのー境夜にゃんがおっきいから見えてなかったのにゃ」

 「まあ確かにデカいよね……。基本的に背が高いやつは敵に見えるオレでも、これは全然嫉妬しないってくらいには。

 人類は光の巨人と身長比べはしないもんな」

 「にゃあ! 境夜にゃんは光の巨人みたいにかっこいいにゃ!」

 「…………うん。(空気読み)

 で、質問に戻るけど、何してたの?どっか行こうとしてたんじゃないの?」

 「あ! そうだったにゃ。ダンジョンの出口の様子を見に行こうと思ってたんだった!」

 「出口に? あそこには行かない方がいい。怪物の犠牲者が倒れているだけだ。あとはここに来る途中に連絡しといた三坂先生が向かっているくらいで」

 「充分おおごとにゃ⁉

それじゃあやっぱり口にもあの白いのが出てきたんだ」

 「ああ。って言っても、オレ達はダンジョンから出てきた時には既にそいつがいなくて、追いかけてきたら……まあ、うん」

 「俺が潰した後だった」

 なお、文字通り潰した元白い怪物の赤い肉はすでに灰である。

 「なあ、魅傀。まだこの学校にはTCSが100体はいる筈なんだ。どこか思い当たる場所は無いか?」

 「「百体⁉」」

 「それほどの数が……⁉」

 「いるはず・・なんだが。見つからない。レーダーはこの辺にいるって言ってるんだが……ん? 」

 何かに気付いた境夜が、空を見上げる。

 「どうしたの?境夜にゃん」

 魅傀がそう聞くと、突然空にバチバチと稲妻を纏ったレーザーが上がった。

 「あれは、ひひろにゃんのリーサルガンにゃ!」

 「は? リーサル⁉ ってか、あれレールガンじゃねえか!

 冴葉のMACってそんなヤバいの撃てるのかよ⁉」

 「う、うん。冬頃に見た境夜にゃんの魔力砲に、負けず嫌いが発動しちゃって。校長先生に直談判して撃てるようにしてもらったにゃ」

 「え? そんな理由であんな殺人ガン作ったの? ってか、あの銃向けられるの基本オレ達だよね? なんなの? あいつオレらのこと殺す気なの?」

 「そ、そんなつもりじゃないと思うにゃ。ただ…………負けず嫌いが行き過ぎると知能が下がるって言うか。ちょっと幼児性が増すって言うか。にゃ」

 「目線を逸らすな犬飼」

 「にゃあ……でも、いざ境夜にゃんみたいに魔力砲をガンガン撃てるようになると『使い所がない』ことに気が付いてしばらく目の光を消して笑ってたにゃ。対人戦ならショックガンがベストにゃ。だから安心してひひろにゃんに撃たれるといいにゃ」

 『いいわけねえだろ殺すぞ、いや殺されるぞ。』と威嚇してるのかビビってるのか分からないセリフを来軒が口にしたところで、流れをぶった切って境夜が魅傀を両腕で大事そうに抱え上げた。

 「にゃ⁉ にゃあ⁉ きょ、境夜にゃんどうしたにゃ⁉」

 「おそらくアレは狼煙だ。救援を要請しているのかもしれん。最悪、あそこに100体の群れがいる可能性もある。

 負傷者は友人に任せて、俺達は急行しよう。キミの友人なら、尚更急いだほうがいい」

 そう口にすると、その場から助走も無しに跳び上がった。その高さは約300メートル。

 それを目の当たりにした来軒は、宇宙人を見る目でその光景を見つめている。

 「…………何だ。マジで光の巨人だったのかー。アハハハハハハハハ」

 そして、当の本人は

 「あ、やべっ。思ったより跳んだ」

 予定より跳び上がりすぎたらしく、素っ頓狂なことを口にしている。そして予想外に空の旅に強制連行された魅傀は……。

 「うにゃーーっっ‼ 凄いにゃーー‼」

 目を輝かせて地平線を観ていた。

 (怖がらせてしまうかと思ったが、予想外に楽しんでいるようだ。良かった)

 「ねえねえ境夜にゃん!」

 「ん? どうした?」

 「ピクニックは高い山の上がいいにゃ! 境夜にゃんにだっこして貰ってジャンプしたいにゃ!」

 「ふむ。そうなると空気圧の変化に耐えられる弁当がいるな」

 「そうだね! 今日はカレーをご馳走になったから、お弁当は魅傀がつくるにゃ!」

 「そうか。それは楽しみだな」

 「うん! 魅傀も楽しみ!

 境夜にゃんのやることが終わったら、絶対一緒に行こうね!」

 「――ああ。行こう」




 ダンジョン入り口前。

 「みんな何してるの! 早く校舎に逃げなさい‼」

 冴葉日緋色は自身の専用MAC『REX』を構えながら叫ぶ。射線の先にはダンジョンの入り口、そして今にも入り口が崩壊しそうな勢いで放出される白く、右腕が何らかの改造を施された人型の怪物――TCS。その数100体。

 そして、日緋色の背後には、最初に魅傀が脳を破壊して倒したはずの個体が生徒を狩り取るべくカニのツメのような怪腕を振り回している。その姿に知生体の名残は見られない。完全な暴力の擬人化。そして狩られる側の人類は、切り札の導真リングの攻撃がまるで有効打にならず、逃げ惑うことしか出来ないでいる。

 「くっ……! このっ‼」

 弾切れになったREXから排莢して、すぐに次の魔力を込めた弾丸を三発装填する。

対人間用の鎮圧弾――ショックガンなら、これで9発分のエネルギーが込められる。しかし。

 「装填完了リロード・オン非殺傷設定崩壊リミッターブレイク魔力充填レディ

リーサルガン、砲撃バスター―‼」

 今、彼女が撃っているのは神条境夜のかつて見せた魔力砲に対抗するべく設定された、破壊と貫通の弾丸。一発の射撃で射線上全てを貫く超電磁砲レールガン。弾丸一発につき一発分しか撃てない代わりにダメージが通らなかったショックガンと異なり、リーサルガンによって数体を一気に串刺しに出来る超攻撃力に変化した。

 ただ、敵が多すぎて、弾丸の持ち数が追い付かない。

 「次から次へと‼」

 すぐに三発撃ち終えて枯れた薬莢を排出。太もものホルスターに差し込んだ手のひらサイズの弾丸を三個引き抜いて装填する。本来は背後の個体も撃ち抜きたい。だが、クラスメイトが邪魔過ぎて全くそのチャンスが来ない。よって日緋色は現在、前方の敵を絶対に撃ち漏らせないプレッシャーに加えて、背後の敵がいつ自分に向かって来ても対処しなければならない。武器は装弾数三発の銃のみという、クソゲー感極まる状況での戦いを強いられていた。

 (腰のベルトに付けた弾丸が七個。両太ももの弾丸が残り三個。敵の総数不明。背後にはいつまでも逃げきれないクラスメイト。状況が最悪過ぎる。一人じゃ絶対に倒しきれないから咄嗟に上に撃ったけど、誰か気付いてくれたのかもわからない)

 「いっそ全部壊せれば楽だけど、出口にまだ人がいるかもしれないし……あーー‼ もうどうしたら良いのよ⁉」

 「えー⁉ なんて言ったのー‼」

 「だからどうしたらこの状況を――魅傀? え、声どこから……?」

 前方に注意を払いつつ周囲に視線を送る。右。いない。左。いない。後ろ。いない。下。いない。 …………上⁇

 「にゃあああああああああーー‼」

 魅傀の声が空の上から聞こえて来て……。

 ひゅーーーー…………


 ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォーーン‼


 「ふわっ⁉」


 何かが落ちて来て、土煙が上がる。

そんな土煙の中にいても色褪せない金色の糸がたなびいた。巨大な身体はまるで隠れていない。

 「ようやく見つけた。お前らが、俺の……」

 「ヒィッ⁉ 一層凶悪な顔面の敵が……って、神条くん……⁉」

 拳を握りしめる。前方には大量のTCS。殴るもよし、魔力で蹴散らすもよし。そして……

 「獲物だ……!」

 湿気のある森の地面を拳で殴って、地割れを起こして落とすも良しだ。

 「「「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーー‼」」」

 唐突に自分の身体を支えてくれた母なる大地を失ったTCS達は、迷子の子供のように悲鳴を上げて落ちて行く。その深さは、日緋色の視点から見てもはっきりと奈落の底だ。

 「⁉ はぁ⁉ え⁉ は⁉ 」

 地割れは丁度ダンジョンの手前までで止まっていて、まだダンジョンの入り口から身体を出し切っていない個体以外は殲滅された。

 それを確認した境夜は、両手を天に向けて差し出して。

 「ん」

 「にゃあんっ!」

 落ちてきた魅傀を受け止めた。

 「魅傀⁉」

 「にゃあー流石にびっくりしたよ~! 空中で更に上に投げ飛ばすなんて、境夜にゃん凄いにゃ~」

 「怖くなかったか?」

 「楽しかった!」

 「そうか。それは良かった」

 境夜は穏やかな気持ち(顔面凶器の境夜の表情は殆ど喜怒哀楽を正しく表現していないが)で魅傀を優しく地面に下ろすと、背後にいるTCSの元にワープ同然の速さで近寄ると、頭を握りつぶした。握った頭は肉が崩壊するでも出血するでもなく、クソコラで縮小処理でもされたかのように首から上が小さくなっている。

 「どういうことなの……?」

 「『握迫撃あくはくげき』。二度と元に戻れない代わりに、握りつぶした物を破壊も欠落もさせずに縮小するものだ。

 原理とかは、俺にもなんかよく分からない。常識を握りつぶす握力で圧を掛けたら自然とこうなった」

 「アンタは一体何を言ってるの⁉ 魔術って『魔力をエネルギー源にして魔術の方程式を使って物理現象を引き起こすもの』なんじゃないの⁉」

 「魔術じゃない。握力だ」

 ニギニギと肩、腕、胴体、脚と。キュッキュと潰して粘土のように丸めると、ポイっと自分が割った奈落の底にポイ捨てする。

 「あ……ありえない……何コイツ。なんなの……⁇」

 日緋色がわなわなと震えている間も、ダンジョンから出てきたTCSが次々落ちて行く。

 そんな気の抜けたギャグのような状況を見ながら、境夜はレーダーを確認する。

 「殆どのTCSがここに集まっている……だが一向にアレが現れる気配が無い……何故だ」

 「アレって境夜にゃんの探し物?」

 「ああ。俺が学園との契約で探してたTCSの特別個体」

 「ねえ、ちょっといい? そもそもその、TCSって何なの? あの白い怪物のこと?」

 「正式名称タブー・カスタム・ソルジャー。詳細は省くが、ダンジョンでターゲットとして配置されていたものを実践的に調整したシリーズだ。

 本来学生が相手をするものじゃないんだが、雑な管理のせいで漏洩したのが暴走して今に至る」

 「……そんなことのせいで、斎藤先生は殺されたんだ……」

 人が喰われて死ぬようなショッキングな映像がフラッシュバックしてしまい、苦い顔になる日緋色。それでも、普通なら発狂モノの状況でこの程度で済んでいる辺り、強い方か。

 「…………言い辛いんだが、俺が探している個体は今から更に三か月前に逃亡した個体なんだ」

 「何よそれ⁉ それじゃあ斎藤先生は、失敗から反省しなかった怠慢に殺されたってことじゃない!」

 「そうなるな。人間は基本、失敗から学ばない。だから戦争は終わらないし、欲望の犠牲になって殺される人が後を絶たない」

 無感動に口にしたその言葉は、日緋色の心をざわつかせる。だが、レーダーに注目している境夜にその人間らしい感情の変化は伝わらない。

 「アンタ何でそんな平然としてられるのよ? 人が死んでるのに……」

 「俺は生きている相手の命なら護ることが出来る。だが、死んだ人間はどうにもならない。

 誰とも知らない人間の死に動揺するには、戦場で死に関わりすぎた。それだけだ……」

 自分の罪を独白するように零れ出た言葉に、日緋色は目の前の巨人が戦争で兵士だったと言っていたことを思い出した。

 彼に人の命の儚さを語るのは、釈迦に説法と言うものだ。

 「そっか、アンタ少年兵……ううん、ごめん。取り乱しすぎたわ」

 「問題ない。人の死を悼む気持ちは正常な人間の証だ。

 正常な人間なら、戦争の無い世界で、銃弾や爆撃に身を晒さずに生きて行く権利がある。

 俺みたいな異常な存在に、その権利を害されることに対する恐怖心を、誰が咎められるものか」

 瞬間――。天空からバチバチとショートした回路のような音が聞こえる。

 「雷の音……?」

 「でもおかしいにゃ。空は雲も無い青空にゃ」

 境夜は手に持ったレーダーを握りつぶして天空を睨む。自分が害することの出来ないソラを。

 「来たか。実験体の中でも特に好奇心の狂気に凌辱された被害者が……」

 「境夜にゃん……?」

 「ねえ! 空を見て魅傀。アレ青空じゃないわよ!」

 「え⁉ 何⁉」

 悲しそうな声を出した境夜を心配していると、日緋色に声を掛けられた魅傀がまた空に向き直る。だが、見上げた空は未だ青い。何が違うのか分からずに目を細めて「む~?」と空を観察する。だが、いくら見ても青い空。まるで人間が汚さずに美しさを保った大海原の真ん中を見ているようだ。ほら、あの辺なんてこの島と同じカタチを…………。

 「…………何でお空に学校のある島が映ってるにゃ⁇」

 「あ、あの島……少しずつアップになってない?」

 「ああ。なっているんだろうな。おそらく、あの空に映っている島は、別の次元の……――」


 ズオオオオオオッ……‼


 空気抵抗に抗う愚を咎めるが如く重低音で鳴り響く星の嘶きと共に、突然天空に島が現れる。

 今いるこの島を三角形と評するのであれば、天空から大地に降下するあの島は、逆三角形。山の山頂であろう場所から、学園のあるこの島を貫く裁きの鏃のように降りてくる。このまま行けば、島の崩壊は言うに及ばず。隕石が落ちた大地のような凄まじい衝撃が起こり、地震と津波の大災害で日本列島や隣国が飲み込まれかねない。

 「――な、何これ⁉ なんなのよ⁉」




 突然起こったリアリティをかなぐり捨てた超展開に、日緋色はパニックを起こす。否、日緋色に限った話ではない。

 境夜によって脅威を排除され九死に一生を得た二年生達。

 「な、なんだよアレ! あんなデカい隕石が来るなんて聞いてないぞ⁉」

 「じょ、冗談じゃねえぞ! あんなもの落ちてきたらこの島どころか星が滅ぶぞ‼」

 「もう嫌あああああああああああああーー‼ せっかく生き残ったのに、こんなの酷いよおおおおおおおおおーー‼」

 「お母さーーん‼」

 異常すぎる異音に危機を覚えて外の様子を確認した教員、一年生の生徒たち。

 「お、おい! アレは一体なんだね⁉ あんなものが墜ちてくるなんて聞いていないぞ!」

 「きょ、教頭先生! とにかく生徒の避難を!」

 「60人だぞ! しかも二年生は今日は例のダンジョン実習だ。間に合うわけが無いだろ‼ こんなところにいられるか、私は今すぐ逃げるぞ‼」

 「教頭――‼」


 「せ、先生! アレなんですか‼」

 「んー?――何だアレ⁉ 隕石か⁉」

 「せ、先生! あんな隕石が落ちてきたらこの学校ヤバいんじゃない⁉」

 「おおおおおおおおおち、おちけつお前ら! たしか今日は二年のダンジョン実習での怪我に対応するためにフェリーが来てたはずだ! お前らとにかく走れ‼」

 「は、はい‼」


 島の外の人間達も。落下してくる島のあまりの大きさに多くの人が気付き、カメラを向けてSNSに投稿する災害時のジャパニーズマストを遂行するべく愛国心を露わにしている。政治家は六年前の【大神災】を想起して無力に怯えている。

 「どういうことだ……⁉ アレは?

まさか、六年前の【大神災】が再び起こると言うのか⁉」

 「総理! すぐに森羅継國に連絡を取ります‼」

 「急ぎなさい‼ あの老獪が何を考えているのかすぐに調べなさい‼」

 (私は今のうちに逃げるけどな‼ )




 「り、りり――装填完了リロード・オン! 非殺傷設定崩壊リミッターブレイク! 魔力充填レディ‼ リーサルガン、砲撃バスターー‼」

 ヤケクソも同然の勢いでREXを構えた日緋色が、島に向けてリーサルガンを撃ち放つ。しかし、殆どオゾン層と同じ高度に存在している島までまるで届かない。

 「はぁ……! はぁ……! と、届かない……ッッ‼」

 一秒先にも迫ってきそうな圧倒的死を前に蒼白した表情で呼吸を乱す。

 「……境夜にゃん。あの島はなんなのにゃ?」

 「アレは、この次元とは別の次元の、同じ方位にある島だろうな」

 「同じ……次元?」

 「ああ。魔術を学ぶなら、その根本……宇宙を創生する際に生まれた魔術の四台元素は習ったんじゃないか?」

 「う、うん。奇跡って書いてまほうって読むやつにゃ。え~っと……」

 こめかみを両手人差し指で刺激しながら、難しい顔をして記憶を引きずり出す。

 「一年生の最初の頃にちょっと勉強しただけだから自信が無いけど、たしか……。

 第一奇跡まほう。宇宙が存在するための空間を生んだ【次元】の奇跡。

 第二奇跡まほう。存在が移ろうことを可能にした【時空】の奇跡。

 第三奇跡まほう。空間と時が途切れることが無いように供給されるエネルギー元。【無限】の奇跡。

 第四奇跡まほう。空っぽの空間にあらゆる中身を生み出す想像力。【夢幻】奇跡。

 この四つにゃ」

 「その通り。魔術は奇跡まほうの完全劣化互換であり、あらゆる魔術は第一から第四までの奇跡のいずれかの力の残りカス。人間の技術力で実現できる事象を魔力専用の方程式に当て嵌めて、エネルギーに魔力を使うことで実現する、文字通り魔の技術。

 そして奇跡まほうは、人間には実現不可能な宇宙の法則を用いて世界を己の手の平で転がす……宇宙全体を巻き込む悪戯だ。

 そしてあそこに出てきた島も、紛れもなく。【次元】の奇跡によって空に繋がった平行世界の穴から出てきたものだ」

 「アレも、悪戯ってことなのにゃ⁉」

 「ああ。奇跡の力をほんの一部でも手にすることが出来たなら、面白半分で地球の環境を変えるくらい造作も無い。一秒後に世界地図を嘘にすることも出来るし、粘土みたいに地球平面説を主張するやつらの望むカタチにすることだって出来る。それら全ても、ただの悪戯だ」

 ただしそれをして元に戻せるのは【時空】と【夢幻】だけだけどな。と言いながら、境夜は自分の首に巻かれているネクタイを解く。

 「【次元】の奇跡にはそれは出来ない。つまり、この悪戯をしかけた奴は、この学園と日本列島を滅ぼしてやるつもりで、こんな真似をしているんだ……気持ちが理解出来ないわけではないがな」

 「何それ⁉冗談じゃないわよ! 悪戯なんかで殺されるなんてふざけんな‼ 」

 あまりの馬鹿馬鹿しさと理不尽に怒り心頭な日緋色は、再度島の破壊を試みてREXを構えて発射する。今は余裕で命中する距離まで落ちて来ている。だが、殆ど壊れている様子はない。悔しさと死にたくない気持ちで歯噛みしながら憎々しい目で眼前に迫る圧倒的な死を睨むが、空しいだけ。近くに接近してきたことで、落下してくる島の大きさや質量が更に如実になって、全身が震える。あんなものが落ちてきたら、人間の抵抗でどうにかなるわけがない。ほんの小さな隕石だってオゾン層から地上に着弾すれば、家一つ壊すことが出来る。まして、自分がいまいる島と同じ大きさの、同じ重さのもなら、想像すら出来ない被害が及ぶだろう。

 「ちくしょう……! 畜生‼ こんなところで、悪戯なんかで、死にたくない……っっ。まだ、あの人みたいに成れてないのに……っ!」

 「ひひろにゃん……よしよしにゃ」

 「魅傀……なんであんたそんなに冷静なのよぉ……死ぬの怖くないのお?」

 「にゃあ。多分、大丈夫だと思うにゃ」

 「何がよ⁉ あんな大きな島が落ちて来て何が大丈夫だって言うのよ⁉ あたし達、死ぬしかないのに‼」

 泣きじゃくって叫ぶ日緋色を、それでも抱きしめてよしよしと頭を撫でる魅傀。その表情には、死にたいする恐怖も、死ぬ前にやり残したことに対する未練も無い。

 「大丈夫にゃ。ひひろにゃん。

 だって、魅傀達は六年前の【大神災】の時だって絶望の淵に落とされてたけど、助けてもらってたんだから」

 「え……?」


 ガバッ


 唐突に、境夜は着ているスーツを脱ぎ捨てた。


 「……神条くん……?」

 バキボキと両手を鳴らして、コキコキと首を鳴らす。その姿は、喧嘩前の不良そのもの。違うのは、体格が人間の規格外であること。そして……背中全面に刻まれた彫り物だ。

 色鮮やかな桜の花びらが舞い、肩には三頭を持つ猟犬。そして背中の中心には十字架に吊るされた女が一人。背後の二振りの死神の鎌に看取られながら眠るように焼かれている。

 「そのタトゥー……そのタトゥーは……‼」

 「思い出したにゃ? 六年前にも魅傀達は、境夜にゃんに助けてもらってたにゃ」

 「わ、忘れてたわけじゃないけど、でも魅傀、あなたいつからそれに気づいてたのよ⁉ あの人どう見ても年上の人だったじゃない‼」

 「にゃあ。知らない人が魅傀とひひろにゃんと境夜にゃんを見比べてたら、今でも境夜にゃんの方が年上に見えるにゃ」

 「そ、それはそうだけど」

 「それに、みんなは境夜にゃんの身体が巨大おおきいところとか、表情が険しいところばっかり見てるけど、今も昔も魅傀はすぐ分かったよ。肩まで伸びた金糸みたいに綺麗な金髪。まるで天使の羽みたい。六年前も、半年前も。綺麗で、綺麗で、境夜にゃんの心みたいに輝いてるよ」


 「其は悉く罪を犯し、ソレを重ねる者。我、罪人つみびとなれば


 今の言葉は……そう呟いた日緋色は、記憶の奥底を刺激されて、当時の様子が鮮明に浮かんでくる。


 (同じだ。あの時あたしたちを護ってくれた背中だ。絶望の淵から拾い上げてくれた、あの男の子だ……)

 「ハァっ‼」

 水を掻き揚げるように腕を振るう境夜。視線の遥か先にあるのは境夜よりも背の高い校舎。落ちてくる島に真っ先に潰されるであろうソレが、まるでダルマ落としの下の階からすっぱ抜かれて行く。

 「…………???」

 その異常な光景に、日緋色は表情を無くした顔で宇宙を感じている。奇跡とは宇宙だ。なら宇宙を感じることは奇跡を感じることに他ならない。

 「ふっ! はっ‼」


 スコーン。スコーン。


 ダルマ落としのようにすっぱ抜かれた校舎は、昔の長屋のように一列に並び、全部一階になった。

 「にゃあ。何してるの? 境夜にゃん」

 「ん。あのままにしておくと島に潰されるから、あらかじめカットしておいたんだ。身長を伸ばしておくことも出来るが、伸ばすと戻せないから不便でな」

 「そうなのかにゃ。大変だにゃあ。境夜にゃん」

 「ああ。大変なんだ」

 「…………???????」

 「良し。あとは、あの島を受け止めて、邪魔にならないところに捨てれば良い」

 「なるほどにゃあ。たしかにそれがベストにゃ!」

 「……………………」

 両腕を広げて準備した境夜。それから少しして、落ちてきた島。まかり違っても人類が一人で支えるだの持ち上げるだのと関わりの無いそれは、まるで神話のように受け止められ、ていっ。とゴミでも捨てるかのように投げられた。

 「良し」

 「良しにゃ!」

 「…………がおー」

 そんな光景を見て正気を保つことを止めた日緋色は、恐竜の形の自分の武器をつかってお人形遊びをし始めた。

 「ひひろにゃん。もう大丈夫だよ。魅傀たち助かったにゃ」

 「あ、はい。そうですね……」

 「どうしたんだ。何か元気がないが」

 「あ、はい。そうですね……」

 「ひひろにゃんが壊れた……」

 「ふむ。戦場でも過度なストレスで精神を病んでしまう兵士はたくさんいた。この戦いが終わったらカウンセリングをしよう。これでも俺は一流の戦士であり、一流の軍医でもあるんだ。無免許だが」

 「もうこれ以上設定を生やすんじゃないわよおおおおおおおおおおおおおおおおーー‼」

 「おお! ひひろにゃんが戻ったにゃ! さすが境夜にゃん!」

 「少し腑に落ちない気もするが、結果さえ良ければ問題ないか」

 「無いにゃ!」

 「ムカつく……この真面目にすっとぼけた性格が本当にムカつく‼」

 「魅傀はすっとぼけた性格なのか? 」

 「おおおおおおおおおおおおおまあああああああああえええええええええだああああああああああああーー‼」

 ボカッ‼

 「いてっ」

 「痛いことあるかぁ‼ あたしの手の方が痛いわ石頭‼ ああああーーもう本当に痛いよおおおおーー‼ 岩を殴ったみたいだー!」

 「泣いたり怒ったり叫んだりと、小さい身体に元気がつまっているな日緋色は」

 「誰がチビだ人外の巨人が‼ だいたいアンタ何で呼び捨てなのよ⁉ あたしは先輩なのよ! ちゃんと年上を敬いなさいよ!」

 「急に色んなことに文句を言われるようになったな……魅傀、彼女はどう対処したらいい?」

 「簡単にゃ。ひひろにゃんは容量が限界を超えるといつもこうなるから、気にしなくていいにゃ。放置&スルー。これがベストにゃ」

 「なるほど、そうなのか。では、彼女のことは諦めて、俺はあの島の送り主にちょっとお返しをしてくる」

 言いながら境夜は、さきほど校長室でしたように、何もない空間を見据えて拳を構えた。すると、重みとも言えない重量が、境夜の肩に乗った。

 「…………何をしているんだ? 日緋色」

 「何が起こったのかは全然分かんないけど、あの島を送りつけてきた奴のところに行くんでしょ? 連れて行きなさい。先輩命令よ」

 「えー……」

 「何よ! やられっぱなしでいられないのよ。一発ぶちかましてやらなきゃ気が済まないわ!」

 その行動がどうと言うより、冴羽日緋色の情緒はどうなっているのかと、ツッコミたくなる。戦場で兵隊をやっていれば、色んな人間に出会う。だが、そんな境夜でも、彼女の感情の振り幅は理解の範疇を超えている。

 「あの……魅傀」

 助けを請うべく魅傀の方を見れば、頼みの綱は明らかに「ズルい」と言いたげな表情で日緋色を見ている。

 「…………魅傀も来るか?」

 「行く‼」

 ニッコリ笑顔で元気よく返事が返ってくる。

 (……なんかもう、どうでもいいか。さっさと行って、さっさと帰って来よう……)

 「あー! いたー‼」

 「今度は何だ……⁇」

 境夜が魅傀を空いている肩に座らせると、どこか間の抜けた声が聞こえた。声の方を見れば、そこにいたのは水色とピンクのツートンカラーヘアの女。星川銀河(うちゅう)だ。

 「あら、銀河うちゅう。サボりはもう良いの?」

 「サボろうと思って保健室にいたらもうそれどころじゃなくなったんですけどー! ひひろんに分かる⁉ 意味の分かんないバケモノと命がけで戦わされて、死にかけのクラスメイトと後輩君をどうにか助けてようやく一休み~とか思って冷蔵庫にあったジュース飲んでたらいきなり保健室が文字通りぶっ飛んでダルマ落としされてたことを知ったうちゅうの気持ちが‼ 四百文字以内で答えてください。配点は百点満点です」

 「サボってた報いよ! あたしなんて真面目にしてたのに『島』が落ちてくるわ、離れた場所から腕振って校舎をダルマ落としする(?)わ、落ちてきた島をボールでも受け取るみたいに「おっと」とかいって受け止めて「ていっ」て投げる神話の神みたいな行動目の前でされて正気を全部持っていかれる思いをしてたのよ! 気持ちわかるか⁉」

 「楽しそうじゃん!」

 「ふざけんな‼」

 ピーチクパーチクあーでもないこうでもないと出るわ出るわ言葉がセリフが。女三人寄れば姦しい。否。二人で充分喧しい。

 「いつもこうなのか? 魅傀」

 「いつもこうだよ。境夜くん・・

 「?」

 呼び方が変わった違和感で魅傀の顔をみると、世界中を包んでしまいそうな包容力のある笑顔を浮かべていた。少なくとも境夜には、今の魅傀の顔がそう見える。まるで、歳の離れた姉のようだ。

 「さあ二人とも! 喧嘩はもうおしまいにゃ。早く行こうよ、次元の向こうへ!」

 「え? 次元の向こう? 何それ魔法少女っぽい! うちゅーも行くー!」

 「ええ。こんな事件を引き起こしたヤツがいるって言うなら、ショックガン撃ち込んで身体の自由奪って海に沈めてやるわ!」

 「ひひろん怖っ⁉ せっかくそんなところに行くんだからもっと楽しいこと考えようよ⁉」

 「……(遊びに行くわけじゃ、ない)」

 「あははははっ! やっぱりみんなと一緒だと楽しいにゃ!」

 「うん。そうだね!  ゾンビみたいなバケモノと命のやり取りした時はどうなるかと思ってたけど、今は全然怖くないや」

 「それじゃあ行くわよ!魅傀、銀河うちゅう、境夜! この事件の犯人をブッ倒しに!」

 「「れっつごー!」」

 「…………ふぅ。まあ、いいさ。笑顔なんだから」

こうして、次元の壁を叩き割り、一柱の巨人と、三人の少女たちは異次元の向こうへ足を踏み入れたのだった。




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