第90話 優秀ゆえの間違い

 マオは身構える。魔法の詠唱中にという場面設定だが、そんなものは一瞬で吹き飛んだ。

「さーて、軽くいくなのです」

 ホビィの放つ気迫が凄まじかったのだ。

 いかんせん、マオは実戦経験がない。それがゆえにホビィにこれだけの気迫を出されてしまえば、身構えるしかなかったのである。

 そういう状況ゆえに、キリーは詠唱中という設定を諦めた。普通にホビィと格闘の練習をしてもらう事に切り替えたのだ。

「マオさん、ホビィには手加減してもらうので、しっかり受けたり躱したり、身を守って下さいね」

「わ、分かりましたわ」

 改めてマオは身構える。しかし、そこはさすがの素人である。構えが全然なっていない。

「ふっふっふー。最初だから、どこから攻撃するのか教えてあげるのです」

 ホビィは余裕である。元々が魔物なので、相手の力量は本能的に察知できてしまうのである。

「マオは、確かに魔力はすごいのです。ご主人様には敵わないまでも、確かに多いのです。でも、技術が全然ダメなのです。だから、ホビィが叩いて鍛えてあげるのです」

 ホビィからの評価は高いようである。わざわざ口にしてくれるあたり、ホビィは優しいのである。

「さーて、まずは正面から踏み込んで蹴り上げるのです。手加減しても蹴り上げるスピードはあるから気を付けるのです」

 ホビィはトントンとその場で軽くステップを踏みながら宣言する。そして、大きくトンと跳ねると、マオに向かって一気に距離を詰めた。

 軽く沈み込んだと思ったら、宣言通りの素早い蹴り上げが放たれた。マオは分かっていたにもかかわらず、反応が遅れる。それでも精一杯体を後ろに下げて躱そうとする。

 だが、蹴りは体には当たらなかったが、蹴り上げた風圧でマオは軽く吹き飛ばされてしまった。

「きゃんっ!」

 尻餅をついたマオは、何とも情けない悲鳴を上げた。

「おやおや、ここまで弱いとは思わなかったのです。大丈夫なのです?」

 とりあえず尻餅だけで済んだマオに、ホビィが手を伸ばす。

「だ、大丈夫ですわ。ちょっと運動が苦手なだけですわ」

 ホビィの手を取って立ち上がったマオは、ちょっと強がってみる。だが、ここまでの弱さとなると、キリーからしても予想外だったようだ。自分が基本的な事ができていたので、マオもできると思っていたようだった。これは完全に体力作りから始めた方がよさそうである。

「うーん、フェレスからスランまで距離がありますから、体力は大丈夫だと思ったんですが、これは思ったより危なっかしいですね」

 キリーは腕組みをして悩み始めた。しばらく悩んだ結果、

「ホビィ、マオさんを連れて街を走ってきて下さい」

 ホビィに街を案内ついでに走り込みをさせる事にしたのだった。

「任せてなのです。おいっちに、おにっちになのです」

「夕方には戻って来て下さいね。お風呂と夕食はちゃんと用意しておきますから」

「分かったのです。さあ、行くなのです」

「え、ええ?!」

 というわけで、マオはホビィに連れられてジョギングをさせられる事になった。その姿を見送ったキリーは、ヴァルラにその事を報告する事にした。


「……というわけなんです、師匠」

 報告を聞いたヴァルラは、なんとも困った表情をした。いくら箱入りで育ったとはいえ、そこまで身体能力が低いものなのだろうかと。ヴァルラの知る悪魔のイメージともだいぶかけ離れていたようだ。

「どうやら私たちは上から物を見過ぎていたようだな」

「と、仰られますと?」

 ヴァルラの言葉に、キリーがこてんと首を傾げる。

「うむ、自分たちができるばかりに、相手にも知らない間に同じレベルを求めてしまっていたのだろう。その結果がいきなりホビィとの組み手だろう? ホビィだって銀級相手にまともな勝負ができる魔物だからな」

「ああ、なるほど」

 ヴァルラの指摘にキリーは納得がいったようである。

「基本的な事から順番に教えていかなければならないと、そういう事だな」

「なるほど師匠、勉強になります」

 尊敬するように目を輝かせているキリー。果たしてどこまで理解できたのか、少々判断に困る。

「そういうわけだ。私も見直さなければならないところだが、キリーもちゃんと相手をよく見て判断できるようにな。私のより精度の高い鑑定魔法も持っているのだからな」

「分かりました、師匠。肝に銘じておきます」

 キリーはそう言って、約束した風呂と夕食の準備のためにヴァルラの研究室を出ていった。

「はぁ、元が奴隷だった事もあるし、もう少し常識を教えておくべきだったな」

 ヴァルラはちょっぴり後悔しながらも、再び研究へと手を戻した。

「それにしても、マオは種族が悪魔というだけで私たちとそう変わらんな。さすがはあのチュマーの子孫なだけはあるな」

 そう言って、ヴァルラは思い出したかのように笑っていた。


 陽が傾き始めた頃、家にまだまだ元気なホビィと、へとへとに疲れたマオが戻ってきた。

「もう無理ぃ……」

 音を上げてしまっているので、ホビィがあちこち連れ回した事は容易に想像がついた。ホビィの元気具合から、マオの体力は一般人程度くらいだという事が分かったのだった。魔法の訓練にはついてきていたが、だからといって体力がついていたわけではないらしい。魔法のレベルが上がったとはいえ、これでは強力な魔法は数発発動できるかどうかといったところだろう。

 問題点が浮き彫りになった事で、これからしばらくの間、マオの訓練は体力づくりに重点が置かれる事になったのである。

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