第87話 魂と感情の葛藤

「キリー、ちょっといいかい?」

「何でしょうか、師匠」

 昼食が終わると、ヴァルラがキリーに話し掛ける。

「午後は特訓をお休みにして、キリーにお使いを頼みたい。私がマオと話をしたいんだ」

「なるほど、分かりました。何を買ってくればいいですか?」

「うん、メモを渡そう。頼むぞキリー」

「分かりました、師匠」

 というわけで、午後はキリーはお使いに出る事になった。ホビィが収穫したアレーケ草を使った中級ポーションの試作品もできたので、それを商業ギルドに届けるのもそのひとつだった。

 さて、ホビィもキリーについて行かせて、家の中にはヴァルラとマオだけになった。ヴァルラは自分の研修室にマオを招き入れた。

「あの、一体何の用があって私を呼んだのでしょうか」

 マオが警戒している。

「いやなに、天の申し子の事で悪魔に伝わる伝承を聞きたいだけだよ。キリーは状況から言って違うとは思いたいが、あの魔力に関しては何かと説明が付き難いからね」

 ヴァルラはあっさりと目的を話した。それを聞いて、マオの警戒は解けたようである。

 天の申し子。それは悪魔が恐れる神の尖兵とも言える存在なのだそうだ。

 その特徴としては、とにかく魔力量が多く、特に悪魔が苦手とする光属性の魔法を存分に操れるらしい。見た目は人間と変わらないために、外見だけでは分からない。だが、悪魔たちにはそれを感知する特殊な技能が備わっているという事なのだそうだ。

「ふむ、君のお兄さん、ビラロといったかね。彼はスランに行商人のフリをしてやって来た時に、キリーに気が付いたという事でいいのかな?」

「はい、兄さんが言うにはそういう事らしいです」

 ヴァルラが確認を取ると、マオはそれを肯定した。

 確かに、少女となったキリーの魔力量は、ヴァルラをも凌ぐとんでもない量だった。しかし、キリーは光属性の魔法をそう得意にしている様子はない。目覚めたばかりだからとか、元は魔法がまったく使えない体質だったという状況だからかも知れないが、そこは天の申し子の特徴とは大きく異なっているのだ。ヴァルラがキリーを天の申し子ではないとする根拠の一つである。

 だが、マオの見解はまた違っているようだ。

「私は、キリーさんは天の申し子であると感じていますわ。何と言っても、私の中の勘がそう告げておりますもの」

 どうやら悪魔としての本能が、そうであると告げているらしい。能力として種族に根付いてしまっているので、これを否定する事は確かに難しそうである。

 そう言っている割には、マオの表情は厳しいものではなかった。

「ですが、キリーさんとは仲良くできそうな気がしますの。不思議なんです。私たち悪魔は天の申し子を憎むようになっているはずですのに、キリーさんには不思議とそういう感情が湧きませんの」

 どちらかと言えば困惑、そういった表情である。

「おかしいですわよ。キリーさんの事は天の申し子だと認識していますのに、敵視するどころかまったく逆の感情を抱くなんて……」

 明らかにうろたえているマオだが、さすがのヴァルラもなんて声を掛ければいいのか分からなかった。

「うむ、何と言っていいのか分からんが、マオとキリーは相性がいいのかも知れんな。今のところ、キリーも楽しくしているようだし、魔法の修業をしながら真剣に向き合ってみるのがいいと思うぞ」

 苦し紛れだが、ヴァルラはマオにそうアドバイスをした。

「そうですわね。キリーさんの教え方は分かりやすいですし、昨日と今日だけでもだいぶ上達した気がしますわ」

 マオは自分の両手を見ながら、素直に喜んでいるように見える。

「ふむ、それはよかったな。人に教えられるくらいには、キリーも立派に成長したというのは師匠としては実に喜ばしい事だ」

 ヴァルラはそう言いながら、紅茶を淹れ直している。

「それにしても、天の申し子とはよく分からん存在だな」

「私もそう思いますわ。私の一族では神に反逆する意思などもうとうに失せておりますのに」

「まぁ、絶対に反逆しないという確約はないというのが、神の言い分だろうな。もしかしたら一人だけではなく、各地に点在している可能性もあり得る」

「それはそれで恐ろしいですわね」

 冗談っぽく言ってはいるが、二人揃ってあり得ると思ってしまった。

 実際、マオの家でも悪魔は各地に散っているという話は出ていた。悪魔があちこちに居るなら、それに対して天の申し子があちこちに居ても不思議ではないのだ。

「平和が一番なんだがなぁ……」

「まったくですわね」

 ヴァルラとマオは何とも言えない気持ちになる。そして、ため息を吐くと、紅茶を一気に飲み干していた。

「ヴァルラ様」

「何かな、マオ」

 突然声を掛けられたヴァルラは、少し微笑みながら反応する。

「天の申し子の事で不安になる事はありますが、キリーさんと一緒にここで魔法の修業を続けようと思います。兄さんたちには、監視とでも適当な理由を付ければ納得させられるでしょうし、これからもよろしくお願いします」

 マオの表情は真剣そのものだった。マオは自分の魔法の腕前が下手だという事をしっかり認識できたので、うまくなりたいという気持ちは本物なのである。

「そうか。だったら、これからはどんどん厳しくしていくぞ? ついてこれるかな?」

「はい、食らいついて行きます!」

 自分の気持ちにある程度整理のついたマオは、本気で魔法の勉強に打ち込む決意をしたのだった。

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