第85話 師匠と弟子

 お昼までの時間、たっぷりとキリーにしごかれたマオ。

「はぁはぁはぁ……」

 息も絶え絶えにその場に座り込んでいた。汗もかなりかいている。

 それだというのに、キリーはまったく涼しい顔で平然と立っていた。これが経験の差というものだろうか。

「なんで、あなたは、平気な、の?」

「このくらい慣れましたから。もうどれだけ師匠の弟子でいると思われてるんですか」

 苦しそうな表情で見上げるマオに、キリーはけろっとした顔で答えた。

「でも、マオさんも筋はいいと思いますよ。ただ、まだ力が入っちゃってるみたいなので、それだけ疲れちゃったんだと思います。午後はもう少し楽に構えて大丈夫だと思いますよ」

「ご、午後もするの?」

 キリーは純粋にマオのいいところは褒めてくる。しかし、午後も特訓をするらしく、マオは驚いた表情をしている。

「はい、師匠からは今日一日特訓するように仰せつかっています。マオさんが疲れているなら、午後は考え直しますが」

 キリーは可愛い顔をしていながら無表情で話してくる。そのせいで、マオはちょっと恐怖を感じてしまっていた。

「うーん、マオさんの様子を見るに、午後も同じ内容は無理みたいですね。というわけで、午後は師匠の魔導書を読んでもらいますね。たくさんありますから、気の済むまで読んでみて下さい」

 手を合わせながら笑顔で語るキリー。ところが、なぜかその笑顔を怖いと思ってしまったマオ。すっかりトラウマを刻み込んでしまったようである。

「僕はお昼を作りますので、マオさんはホビィと一緒にお風呂にでも入って汗を流して下さい」

 キリーはそう言ってホビィを呼ぶ。

「ホビィ、マオさんの事をお任せしました」

「任されたのです」

 元気よく返事をするホビィは、畑仕事で泥だらけだった。その姿に驚くマオに構わず、キリーは食事の準備のために家の中へと入っていった。

「さぁ、一緒にお風呂に入るのです」

「えっ、ちょっと?!」

 マオはホビィに手を握られて、お風呂場へと連れ去られてしまった。

 お風呂場でも驚きは待っていた。ホビィがお湯を出す魔法を使えたのだ。水魔法に火魔法を作用させてお湯にする。簡単なようで調節が難しい魔法だが、ホビィは難なく使っていた。

「えっ、魔物が魔法を使えるなんて聞いた事ないんですけれど?」

「ホビィは特別なのです。ご主人様の魔力の影響で、魔法が使えるようになったのです」

 なんとまぁ、ホビィはキリーの影響でホップラビットから兎人という獣人になっただけではなく、魔法まで使えるようになったというのだ。キリーから駄々洩れする魔力の影響とはいえ、こんな事が起こるなんて普通にあり得ない話である。

 マオは驚き固まっているうちに、ホビィとのお風呂タイムが終わってしまった。

 出てきて着替えた服は、ホビィはいつものキリーのお出かけ用に買った服だが、マオはやむなく購入した冒険者用の服だった。持ってきた服は全部汚して洗濯に回ってしまったから仕方がない。

「うう、この服は恥ずかしいのですわ」

「外に出ないなら大丈夫なのです。慣れるのです」

 普段のワンピースも翼のせいで背中が大きく開いているが、冒険者の服は普通にお嬢様が着るような服装ではないのでマオは恥ずかしがっている。しかし、強引にホビィに手を引かれて、マオは食堂へと向かったのだった。

 食堂に着くとキリーが食事の準備を終えて待っていた。机の上を見ると、手の込んだ料理もあるのだが、お風呂に入っているような時間で仕上がるようなものだなのだろうか。疑問が出てくるばかりである。

「お二人の着替えを準備して台所に来たら、師匠が既に作り始めてましたので手早く準備できたんです」

 キリーが理由を説明してくれた。マオが驚いた顔をしていたので、どうやら察したらしい。

「あっ、昨日買った冒険者用の服装ですね。マオさん、似合ってますよ」

 キリーが笑顔のままで言うものだから、マオは顔を赤くしてしまった。

 はてさて、これはどういう反応なのだろうか。この様子を見ていたヴァルラは首を傾げてしまった。

 食事の後は、マオはキリーに言われた通り、ヴァルラの持つ魔導書を読み漁る事になった。ヴァルラが言うには、魔力の扱いの基本を踏まえた上で読まないと難解なものばかりらしい。なので、午前中に魔法の練習をしたのは間違いではなかった。魔法への向上心があるマオは、魔導書を読みふけった。

「どうだい、キリー。マオの様子は」

「はい、まだ魔力から魔法への変換に無駄が見えますけれど、だいぶ良くなったと思います」

 ヴァルラから様子を聞かれたキリーは、マオの事をそう評価した。午前中だけの短時間である程度の改善が見られたのは、さすが魔法に長けた悪魔という種族なだけはあるという事だろう。更なる成長は本人次第だ。

「キリーから見て、マオはどう評価する?」

「そうですね。魔力量で僕に敵わなくても、魔法では上回れると思います。ですが、どうも焦っている感じがしますので、このままではそこそこ魔法がうまい人で終わっちゃう気がします」

 キリーからの評価は厳しかった。どこかほんわかした感じのするキリーだが、こういう時の目はやけに鋭いのだ。

「ふむ。概ね同感だな」

 ヴァルラも同じ意見のようだ。こういうところはすっかり師匠に追いついてしまっているキリー。ヴァルラもちょっと危惧するレベルである。

「とりあえず、段階を踏んで鍛えるべきだろうな。キリー、君に任せてみるよ」

「分かりました、師匠。僕に任せて研究に打ち込んで下さい」

「ははは、本当にキリーはしっかり見ているな。実に頼もしいよ」

「やだなぁ、師匠。照れちゃいますよ」

 マオが魔導書に食い入る中、師匠と弟子の会話は盛り上がっていた。

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