第37話 八百屋の婦人

 キリーが婦人に連れられてやって来たのは、さっき野菜と果物を買った露店の裏。驚いた事に、実は自宅の軒先に露店を出していたのだ。平民が自宅兼店舗を構えている事は稀である。鍛冶屋などの場合でも、自宅と工房が離れている事の方が多い。

 婦人がキリーを家に招き入れると、

「あっ、さっきのおねーちゃん」

 中から姉弟が飛び出してきた。どうやら、キリーの事を見ていたらしい。

「あれ、おねーちゃん、どうしたの?」

 どこか浮かない顔のキリーを心配して、姉の方が声を掛けてきた。

「ちょっとさっきトラブルに巻き込まれたらしくってね、それでちょっとショックを受けてるんだ。悪いね、そっとしておいてくれないかい?」

「そうなの?」

 心配そうに見る我が子に、婦人は唇に人差し指を当てながら言う。そして、

「すまない、あんた。もうちょっと子どもたちと店を見ててくれないかい?」

 と、外に向かって大声で叫んだ。

「あー? 分かったよ!」

 納得いかないような感じを含んだ返事が戻ってきた。

「じゃ、お昼でも食べようかね。キリーちゃんもお腹空いてるだろ?」

 キリーはお腹に手を当てると、黙ったままこくりと頷いた。この様子に婦人はくすっと笑うと、そのまま台所に移動して料理を始めた。この間もホビィはキリーの頭の上でおとなしくしたままである。頷いた時も、落ちないようにうまく体重移動をするくらい器用だ。もはやただのホップラビットではない。

 10分くらい経つと、婦人は料理を手に戻ってきた。

「ほら、温かいうちにお食べ」

「はい、いただきます」

 ぽつりと言うと、キリーは黙々と食べ始めた。婦人はその姿をにこにこと眺めている。食べ始めてしばらくすると、キリーは食べる手を止める。

「あの……、僕たちの事怖くないんですか?」

「なんで? 魔物の様子見ててもそんな風に思わないよ。それよりも、そのホップラビット、だいぶ頭がいいのね」

 一瞬驚いたような反応を見せたが、すぐに婦人はにこにこの笑顔に戻った。

「っとごめん、その子の分を忘れていたわ」

 婦人はそう言って、少し小さめのお皿にキリーと同じ食事を出してきた。ちなみに食事は野菜を煮込んだスープである。

「キュイ♪」

 ホビィは嬉しそうにキリーの頭から飛び降り、スープを飲み始めた。

「なんで怖くないかだけど、あたしも昔は冒険者でね。キリーちゃんみたいに魔物のパートナーが居たんだよ」

 突然始まる、婦人の昔語り。

 婦人は昔、剣士として冒険者をしていたらしい。その時に、ケガをしていたウルフを発見して、どういうわけか手当てをしたらしい。ウルフは通常なら討伐すべき魔物であるが、見つけたウルフはまだ子どもだったせいで同情してしまったのかも知れない。

 婦人は見つけたウルフを相棒として飼う事にし、バウと名付けた。バウとの息はぴったりで、ソロで活動していた時に比べ、効率的に討伐依頼をこなしていった。

 だが、それも長くは続かなかった。

 ある依頼を受けた時に予想外の事態が起き、強力な魔物に襲われ、婦人のためにバウは魔物を引き付け必死に戦い、そして死んだのだった。相手もその抵抗ゆえに深手を負って退散しており、婦人はバウの最期を看取る事が出来たのだそうだ。

 その時の事が元で、婦人は冒険者を引退し、結婚をしてスランの街に落ち着いたのだそうだ。

「私の身に着けてるこの髪飾り、これがあの子の形見なのさ」

 長い髪を縛っているふさふさの髪飾り、それがバウの尻尾だったものなのだそうだ。

「湿っぽい話になっちまったけど、あたしにも魔物と仲良くなった過去があるから、キリーちゃんたちの事を怖がるわけがないんだよ。むしろ、あの子との事を思い出して、……泣けてくる……って感じかな」

 しばらく涙声になっていた婦人を、キリーは黙って見ていた。

「ふぅ、もう大丈夫だよ」

 婦人はひと息つくと、すっかり表情が戻っていた。

「パートナーとなった魔物は、相棒となる人物と魔力を共有して強さが格段に変わるんだ。そのホップラビットも、キリーちゃんの影響で強くなって、キリーちゃんを思うあまりにあの筋肉だるまを伸しちまったんだろうね」

 ただのウルフが格上の魔物を蹂躙していた過去から、婦人はホビィの強さをそのように分析していた。

 婦人の家でしばらく話をしていたキリーは、すっかり落ち込んでいた気持ちがなくなって回復していた。という事で、家に帰る事にした。

「魔物に関しては分からない事も多いからね。あたしでよかったら、いつでも相談に乗るよ」

「ありがとうございます。本当に今日は助かりました」

 そう挨拶をしたキリーは、ホビィを頭に乗せたまま軽やかに走り出した。

「やれやれ、あの子は将来が楽しみな子だね」

 婦人はしばらくその後姿を見送っていた。横からは旦那が「早く代われ」と叫んでいたが、婦人の耳に届くのはしばらく後の事だった。

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