第10話 ヴァルラの葛藤

 その日の夜、キリーは見事にヴァルラの期待に応えてみせた。ヴァルラは出てきた料理に度肝を抜かれたものだ。

「うむ、ちゃんと調理されているな。味付けも申し分なし。合格だ」

 満足そうに言うヴァルラの姿を見て、キリーはこの上なく情けない顔をして安堵していた。

「よかったぁ。味見はしましたけれど、師匠の口に合うのかとても心配したんです」

「レシピ通りに作っていれば私には合うよ。なにせ、そのレシピ集は私が実際に作って書いたものだからな」

「ええっ、そうなんですか?」

 意外な事に、キリーが手渡されたレシピ集は中身まですべてヴァルラのお手製だった。さすがは長きを生きる魔女、知識と経験の量が違う。しかし、その膨大な知識と知恵を、キリーはあっさりと吸収していっている。ヴァルラは目の前のメイド服の少女に、無限の可能性を感じていた。

「というわけだ。ご褒美に明日からは魔法の練習だ。キリーの器量なら魔力の扱い方を覚えれば、すぐにでも魔法が使えるようになるぞ」

「ほ、本当ですか! 僕、もう役立たずじゃないんですね」

 ヴァルラが魔法の練習をすると言えば、キリーは嬉しそうに叫ぶ。「ああ、そうだ」とヴァルラが返せば、キリーは拳を握って鼻息を荒くしていた。

「こらこら、女の子がはしたない。まぁ、キリーほどの見目なら多少がさつでも美しいだろうがな」

 鼻の穴を大きくして奮起している姿は、確かにどうかと思われる可能性がある。しかし、メイド服を着て、足はX字の状態うちまたで立って張り切っているキリーは、本当にただの美少女だった。元々が少年であった面影など、もはやどこにも存在していないのだ。

「役立たずかどうかの結論はまだ早いな。魔法の練習をしてからの話になる。覚悟はよいな?」

「はいっ、もちろんです、師匠!」

 怪しげな表情で覚悟を確認するヴァルラだったが、魔法を使える喜びに満ちれたキリーに、その脅しはまったく通じていなかった。

「やれやれ、不安とかそういうものは無いのかね、キリーは……」

 その場でぴょんぴょんと跳ねるキリーを見て、ヴァルラは呆れて不安を覚えた。魂に合うように肉体を変化させたとはいえ、本当に魂の持つ能力を使いこなせるかどうかは別の問題である。記憶力は格段に上がっているので大丈夫とは思いたいが、いざ魔法ともなると今までとはわけが違うのだ。ヴァルラの不安も当然である。

 だが、当のキリーは純粋に魔法が学べる事に喜びを感じていた。

 その夜、キリーをお風呂に入れて寝かしつけた後、ヴァルラは自室で色々と考え事をしていた。キリーにああ言った手前、どうやって魔法を教えていこうか悩んでいたのである。

(今のところは、天真爛漫で無垢で無邪気な子どもといった感じだが、いずれはここを出る事にはなるだろう。その時も今の状態が続くとは限らんし、悩ましいところだな)

 ヴァルラはキリーの将来を案じているのだ。キリーは人間、自分とは違う。そう考えると、いつまでも自分の手元に置いておくわけにもいかない。

(キリーの方が私より先に死ぬのは、分かり切った事だからな。あの子の朽ちていく姿など、私が耐えられるかどうか分からぬ……)

 ふぅっとため息をついたヴァルラは、椅子にもたれかかって天井を見上げる。

(しかし、会ったばかりの子にこれだけ執心するとは……。キリーには不思議な魅力があるのだな)

 椅子にもたれた状態のまま、ヴァルラは悩みに悩んだ。その葛藤は、結局夜が明けるまで続いたのだった。

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