冥想抒情録 ~華胥之夢の項 - Nostalgic Daydream~

カランカラ──ン………。


「……いらっしゃい。」

 私は頬杖をつきながらたった今入って来た客を眺める。踊り子と神使しんしが融合されたような服が特徴的な女の子だった。

「やってる?」

「やってなかったら店を開けてないわよ。」

「いいや、私は開いてなくても入るよ?」

「迷惑極まりないわね………。」

 私は呆れ気味に目の間を薄くした。彼女はお構い無しの様だ。

 『惺想庵せいそうあん』。私が切り盛りしているお店だ。大樹の近くに店を構え、古い物から新しい物も取り揃えている。

「相変わらず、ここにあるのはあんまり見た事ないのが多いね………。」

 ……逆に言ってしまえば、この店には“当世風”な物は置いていない。私の店ほど商売論、すなわちMAYA理論に反したお店は無い。

「冷やかしに来たなら帰ってくれる?」

 私は店にやってきた彼女にそう言い放つ。私は頬杖をつきながら、空いた片手の平を空に向けていた。

「冷やかしじゃないわ。お茶くれない?」

「そう言うのを冷やかしって言うの、うちは茶屋じゃないのよ?」

「あれ、違うの? 店名に“庵”が付いてるから茶屋だと思ってた。」

「だったら、お金払ってよ、この無賃飲食常習犯。」

「サービスでしょ? 私を誰だと思ってる?」

 髻華孁うずめ 栖雲すくも。それが彼女の名だ。彼女の職業は祓魔師ふつましで、端的に言えば、妖怪と人間の共生を促す者の職業だ。妖怪は人間を襲う。人間は妖怪を畏れる。これはこの世の理であり、もしこれが崩れれば世の中は混沌と化す。ただ、妖怪が人間を襲い過ぎても世は乱れる。人間側の対抗手段こそが祓魔師の役割なのだ。

 ただ、彼女の性格は“怠慢”気味である。彼女の沽券、安寧を邪魔しない限り殆ど動こうとしない。舞踊が得意で、それさえすれば食べて行けるのにそれをしないから、日々口に糊する生活を送っている。

 物が多く薄暗い店内では、店の扉からの光が強く栖雲の背後を差す。

「…………怠慢神使?」

「う、五月蝿うるさいわね…。第一私は神に仕える気は無い。勿論アンタらにも。」

 栖雲は私に指を指しながらその言葉を釘刺す。

「それは残念。まあ貴女はこっちについては行けない。」

「そっちに付く気は無いけど、どうして?」

「だって…………つまらないでしょう?」

 私は肘を机につき、手を組んで言の葉を漏らす。人間側にも強い者がいないと困る。人間側が弱すぎては妖怪達も滅んでしまう。その事に気が付いている妖怪があまり居ない。自分の首を絞める方法も知らない。妖怪は極めて自分中心だ。

「酔狂な事ね。やっぱりアンタらは狂人だわ。」

 栖雲は彼女が訪れた時の私のような心持ちになったのだろう。両手を左右に放り出した。その後、ツカツカと私の座るカウンターの近くの椅子に座った。私は店裏でお茶と二つの湯呑、そして幾つかの茶菓子をお盆に乗せて再びカウンターに持ってきた。

「何だ、アンタも飲むんじゃん。」

「休憩よ休憩。シエスタって言うのよ。」

「仕事が休憩みたいな癖に。」

 私の店は人の生活圏からやや離れているところにある。それに加え、大樹の近くでは妖怪達が宴会を開くから此処ここに近づく人間は少ない。妖怪の宴会を肴にしてお酒を口で転がして見るのも微笑ほほえましい。

 私はお茶を一口含んで、ある事が頭を過ぎった。

「そういえば貴女、ほこらの清掃はちゃんとしなさいよ?」

 その言葉を聞いて、栖雲は眼を逸らす。

「え? ……………あぁ、追い追いね。」

「ちゃんとしないと駄目よ、あれは大切なものなんだから。」

 私の言う祠というのは、この店の近くの大樹の根元にある祠である。あの祠は代々祓魔師によって保護されているのだが、私の見た中で彼女ほどあれをほったらかしにしている者は居ない。

「…………なんで必要なのよ。」

 彼女は頭をかきながら、面倒臭そうに口をへの字に曲げる。

「───質量保存の法則を壊す為。」

「はぁ? 何それ、どういう事?」

「秘密。」

 私は口元で人差し指を立てる。彼女はより眉をひそめた。

「はぁ………これだからアンタみたいなよッ…。」

 私は口の前で構えていた人差し指をそのまま栖雲の口に押え、その言葉を遮る。

「それ以上は駄目。人に聞かれたら面倒でしょ? 貴女の沽券もね。」

 そう言って指を口から離す。

「………ッは。勘違いしてる様だけどね、私は何処どこにも属してる気は無いよ。」

「それは貴女にしか通用しない常識。それに勘違いが一般常識になることは良くあるのよ。硫黄の匂いとかね。」

 私は茶菓子の包みを開けて、少しかじった。それに続いて栖雲も茶菓子を摘み取って封を切る。

「硫黄? あぁ、確か温泉の所にあるやつ?」

「そうそう。黄色いやつね。」

「温泉いいわねぇ。地獄でも巡ろうかしら。」

 思想の海に浸りながら、栖雲は手に持った茶菓子を齧かじる。

「地獄なんて巡らない方がいいわよ。暑いと思ったら急に寒いんだから。それに広いし。」

 地獄にも種類がある。有名な八熱地獄、所謂いわゆる八大地獄の他に、八寒地獄というのも隣合わせである。それに地上より圧倒的に広い土地がある。管理が大変そうで仕方無い。

 私は茶菓子の最後の一口を含んだ。

「そうなの? 服装の調整が大変そうね。」

 栖雲はいつの間にか食べ終えた茶菓子をさらに摘んで早くも封を切る。適当に乗せてきた茶菓子はそれを最後に無くなっていた。暇を持て余し、私は栖雲を眺めることにした。

「………何? あげないよ?」

 栖雲は持っていた茶菓子を私から遠ざけて目を細めた。眉間が僅かに寄っている。

「取らないわよ、子供じゃないんだから。」

 私は手を振って否定の意を表す。そうすると何故か栖雲は更に不服そうだ。

「…………はぁ。」

 栖雲は重いため息をついた持っていた茶菓子を二つに割った。そしてその片方を私の手を掴み、掌に乗せた。

「アンタが欲しそうにするからあげるわ、感謝してよね。」

「あらそう、ありがとうね。」

 二人は二つになった茶菓子を片方ずつ咀嚼した。八つ時も過ぎて入口から差す光は徐々に傾いてきた。その色は徐々に朱に染まって来た。

 いつの間にか貰った茶菓子もお茶も無くなった時、栖雲がある言葉を漏らした。

「ねぇ、アンタ。」

「うん? どうかした?」

 私は暮れゆく日を見ながら栖雲の言葉を待つ。

「────私が死んでからどう?」

 え? そう言葉を漏らす前に視界が歪む。栖雲の方を見る前に深い海に堕ちる感覚を憶える。視界は漆黒に塗りつぶされていった。



───────────────

────────────

──────

───



 カランカラ───ン………。


 聞き慣れた鈴の音が店内に響いた。その音と共に眼を覚ます。どうやら寝てしまっていたようだ。

「…………いらっしゃいませ……。」

 半覚醒な意識を起こす為に目を擦る。扉の外から差し込む光が眩しい。空いた手で差す日を遮る。

「お、今日はやってる………って、もしかして秘影ひかげ寝てた? というか眼が濡れてるけどもしかしてふて寝?」

 秘影。私の名前が耳の中を反芻する。外の光がはまだ激しくて若干訪問主が見えないが、声でそれが誰か識別する。それは聞き慣れた声だった。

「いいやちょっと夢見ててね。」

「仕事中に寝てていいの?」

 突如入ってきた子は開いたままの扉に少し凭もたれたまま苦笑気味な口調で語る。

「休憩よ休憩。シエスタって言うの。」

「シエスタってここが家なんじゃんか。」

 そう言って、扉の前の子は私の発言に黄色い声を漏らす。そうして、キィ───と音を立てて扉が閉まる。かなり古くなっているのか、近いうちに取替えないと。

「それでまた遊びに来たの、庵琳あんり?」

 栁樹やなだ 庵琳あんり。それが今店内を物色している女の子の名前だ。ここ日本のある学校で『素粒子幻創学』、言うならば妖怪や幽霊を研究する学問を専攻している極々普遍的な人間だ。現代では妖怪の存在は証明されている。但し今の所観測はされて居ないらしい。妖怪なんて再びそこら中に居るようになったんだから簡単に出来そうな気がするけれど。

「相も変わらず、ここにあるのは古めかしいのが多いわね。興味深い。」

 庵琳は眼を爛々らんらんと輝かしている。研究者にとってはここにあるのも価値があるらしい。

 『惺想庵せいそうあん』。私が切り盛りしている都市郊外にある骨董屋だ。ここには古めかしい物しか置いていない。色々置き過ぎているせいか店内は何時も何処か薄暗い。

「何か欲しいならお金払ってね。」

「私達親友でしょ? 友達料金ってことでおまけしてよ。」

「現金な奴ね………。」

 私は呆れ気味に頬杖を突いて空いている片手の平に天を仰がせた。

「いいでしょ別に、世渡り上手なだけ。」

 そう言って、庵琳はカツッカツッと靴の音を鳴らし、私のカウンター横にある椅子に座った。その間に私は店裏で適当なお菓子と飲み物を持ってきた。

「あら、気が利くね。」

「嘘つきなさい、期待してた癖に。」

「あらら、バレてた?」

「いつもの事だしね。貴女の扱いには慣れてるわよ。」

 私はお菓子の袋を開け、中身を摘む。庵琳もその中身をひょいっと掴んで口に含む。

「にしても秘影、ずっとこんなとこに居て暇じゃないの?」

 彼女の視線は一点を見ているがこれと言って何か決まったものを見ていないようだった。どうやら無垢に出た質問であったようだ。

「そうねぇ…………外に行ってもつまらないからかしら……。」

 首都の実質的崩壊に日本の景色はどこに行っても殆ど一緒になってしまった。外をつまらなく思うのはこれも一因である。

 首都が正式に京都に遷都された時。厳密に言えば、日本の首都は端から京都であって、東京は首都にはなり得なかった。確かに東京が首都の時は須臾[しゅゆ]の時だけあったがすぐに廃止され、日本の首都は曖昧あいまい模糊もことなり、いつの間にか共通認識的に東京が首都となった。首都の遷都が円滑に行われたのは首都を明確にしないという逃げ道を作っていたからかもしれない。

 遷都が行われた当時世間は流行というものに疲れ切り、『流行と華美の時代』から『不易ふえきと産業の時代』の転換期となっていた。大量生産が続き、もう発展しなくなった『流行』そのものの衰退、それと同時に超統一場理論の証明、常温核融合の成立。京都遷都は時代の決定的な別れ目であり、今では『結界遷都』と呼ばれることもある。

「それに…………。」

「それに?」

 庵琳は摘んだお菓子を唇で咥えながら私の言葉を待つ。

「…………家に居れば、何処かの暇人が来てくれるしね。」

 私は頬杖を突いてその暇人を眺めた。

「さぁて誰の事? 店を開いてても暇人さん?」

 庵琳はどこか満足げな表情を浮かべ、持っていたお菓子を口に放り込んだ。ぶらついた脚が愉快げだ。

「………………やっぱり人間と話すのは楽しいわね。」

「あぁ? どうしたのよその隔世的な発言は。」

「別に何でもないわ〜。」

 私は椅子を後ろに少し傾けながら振り子の如く前後に揺れ、のらりくらりと返事をする。

「相変わらず、秘影は何処か掴めないわね……。」

 庵琳は苦笑気味に言葉を漏らす。その手は菓子を摘んでは口に運ぶ動作が反復されている。

「……………久しぶりに祠の掃除でもしようかしら。」

「祠? ………あぁ、ここの近くの山の中にあるやつ?」

 ここの近くにある山にはある大樹がある。その根元には人々には何時からあるか分からない祠がある。そうして何時しか人々はその存在を忘却していた。

「そうそう、誰も彼処の掃除しないからね。」

「どっかの寺社の人がやってくるんじゃないの?」

「昔は居たけどね、今はどうだか。久しくあっちには行ってないし。」

「でもなんで秘影が掃除するの? ただの慈善?」

「────質量保存の法則の法則を壊す為よ。」

 私は頬杖を突いて何処か遠くを眺める。夢に見た情景を懐古するかのように。

「はぁ? どういう事?」

「秘密。」

「秘影って時々掴めない時があるわねぇ………。」

「それも私の個性よ。」

 私は顔の正面で手を組んで顔の綻びを感じた。扉の小窓から漏れ出る光は朱に染まってきた。

「あら、そろそろ暗くなってきたわね。」

 庵琳は手に持つ菓子を口に含み心地よい音を鳴らす。そうしてストンッと椅子から降りて私の方を見る。

「じゃあ私帰るから、また今度ね。」

「どうせまた明日も来るくせに。」

「まあね。」

 庵琳は荷物に溢あふれた細道を手馴れた足捌あしさばきで扉に近づく。庵琳は軽く私の方に手を振って店から出ていく。

「…………さてと、私も出る準備しようか。」

 そう言いつつお菓子の袋に手を入れる。但し、そこには何も手の感触を刺激するものは無かった。

「…………相変わらず何でも行動が早いんだから。」

 私は苦笑に顔をほころばせ、一旦店の外に出て、店前の『あきない中』の看板を裏返し『準備中』に変える。店内裏に入り、エプロンを脱ぐ。これを脱ぐと一日の仕事が終わった感覚が身を包む。そうして、ずっと仕舞っていた懐かしい服を取り出し、身につける。その後、店の外に出て店の近くの祠へ向かう。天は既に漆黒に塗りつぶされていた。月がその黒を唯一跳ね除けて白く輝いている。

 祠に着くと、深緑の苔がしている。それは忘却されたという形容が最も正しい姿であった。

「あっちに行くのも久しぶりね。」

 妖怪達の存在が認められるようになってから、妖怪達はあっちへ行く必要は無くなった。あっちの妖怪達徐々にこちらに生活圏を取り戻している為、わざわざ私があちらに行く必要は無くなった。

「×××××××××××××××───。」

 私は現代では決して表記も発音も出来ない言葉で、そっと呟く。すると、祠にある小さな扉の内が浅葱あさぎ色に光る。そうしてその光は辺り一面に広がり…………。

 空気は山奥の冷風から、ほのかに酒の香りの混じる暖かい空気に変わった──────。


 眩まばゆい光が収まった後、辺りはまた別の光で照らされていた。

 此処、風叢邑ふそうえんにある大樹を照らすのは妖怪たちの宴会の光だった───。


◆❖◇◇❖◆◆❖◇◇❖◆◆❖◇◇❖◆


───その目で見るは夢か現か───

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極東幻鵺蒐 ~the Short Story of Dreamy East Night 幻滅極東社 @unphantom_shrine

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