闇雲に塗れた閉ざされし光 ~Perpetually Gloomy Furture
下の人間はこちらに弓を向けてくる。無謀な事だと私はその人間を嘲け笑った。私の周りには
私は威嚇するかの如く雷を轟かせた。下の人間達は神の怒りと悲鳴を上げる。神だって?冗談じゃない。私は神なんて到底及ばない大妖怪だ。彼奴らにも病をかけてやる。所詮人間どもだ。あの神と
下の人間は私に矢を放った。当たるはずが無い。いや、当たるはずが無かった。人間の放った矢は私の体に命中した。私は
そして、私は死んだ。
そう、人間達は思ってるらしい。能天気な奴らだ。確かに私に矢は命中した。だが、その程度で私が人間に敗れる程、落魄[おちぶ]れるわけない。私は変幻自在の大妖怪『
だが、私が不覚を取ってしまったのは事実だ。私はばつが悪くなり、京の地を離れた。人間達が勝利したと思われるのはとても屈辱的だった。
「おやおや? 鵼殿どうした、手酷くやられたなぁ? まあこの池が紅く成りだした辺りから何かしらあったんだと思ってたけど。」
私が矢を打たれた胸を抑えながら伊予国[いよのくに]の
「誰だアンタ?」
「なんだい? 僕のこと忘れたっていうのか? 京に行って暫くしか経ってないのに忘れるなんて、
切り株の上に座った
「本当に何なんだお前は、さっさと出てけ、ここは私の
「
私を小娘と嘲る女は、私に指を刺しながら偉そうなことを言ってくる。神をも
そう思い、周りに黒い霧で取り巻こうとすると矢の傷口が痛み、思う様に力が出せなかった。
女は切り株から降りて、僅かに苦しむ私に言い放った。
「
樵の
脅しているつもりなのだろうか? この私を?
「……アンタのへっぽこ斧で死ぬ程私は雑魚じゃねぇぞ。」
「この状況でも物怖じしないとは、一応は大妖怪としての誇りは棄ててないんだな。」
女は斧を下ろし、そのまま再び切り株の脇へと突き刺した。そしてまた切り株の上に座った。
座った女は
「アンタ、本当に何者だよ」
私がそう言い放つと、再び筒を咥え、夜空へと白い煙を吐きながらこう応えた。
「……僕は
「亡霊だって? ここは私しか居なかった
私の記憶のある内に、少なくともこんな亡霊は居なかった。だとすれば、私が此処を離れて京の地に行っている間に取り憑いたに違いない。
私は打たれた傷を抑えながら、女への視線を尖らせた。
「そんな警戒するなよ、僕等の仲だろう? んや、それは一方的かもしれないな。」
「アンタ、何時から此処に取り憑いてる?」
「ずっと前にさ。それこそ鵼殿が此処で生まれる…いや、死に変わると言った方が正確か? まあ、それ以前より僕は此処に居るよ。」
「死に変わる? それってどういう……。」
「それより、僕は名乗ったんだ。アンタも名乗れよ、それが礼儀ってやつだろう?」
「は? アンタは私のこと知ってるんだろ?」
古杣と名乗った女は、再度白い煙を吐き、一拍置いてから言葉を紡いだ。
「昔の事はな。だけど今の鵼殿は何も知らない。名前も、目的も、心情も、何もかも。」
昔の事という事を聴いて、私は過去を顧みた。
私にある最初の記憶。それはこの池、
苦しくは無かった。何故かその当時、人間すら見た事がなかった私は、本能的に私は“人間では無い”とすぐに理解した。妖怪の本能なのかと、今想えばそう想う。
妖怪であった私、取り分け鵼だとわかった私は、何でも出来る気がしていた。その夜が満月であった事も一因かもしれない。
月は妖怪達に力を与える。月には
逆に、昼間は
この世は神によって、人間と妖怪が丁度対立するように作られている。この世は神によって調和の取れた、いや、調和を“取らされた”世になっているのだ。
それなのに人間は
水底の私に最初に現れた意志は、京の地に赴[おもむ]くことだった。何故そう想ったのかはわからない。けど、行かなければならないと感じた。京に着いて、
やはり、記憶のある内に古杣は居ない。此奴[こいつ]も、私の今を何も知っていない。
気味が悪い。自分の知らない自分を此奴が知っていることに、腹の
「…………なぁ、何時まで黙りこくってんだよ。」
その言葉に我に返った。古杣は切り株に腰掛けていた体勢から、いつの間にか
「え? あぁ、名乗れっての?」
「そうだよ。ったく、最近の奴は自己中心的な奴が多いな。いや、アンタは元々そうだったか。」
古杣は溜息と同時に
「元々? まぁそれは後で聴かせて貰おうか。私は
「若造が大妖怪ねぇ。これじゃあ世も末、いや、世はもう末か。」
「……なぁ、さっきから吸ってるその白い煙みたいなの何だ?」
私が追憶に想いを巡らしている間も筒を咥えては煙を吐くというのをさっきから繰り返している。一体何をしているのだろうか?
「これかい? これは鴉の欠片を
「妖怪に人間の薬が効くのか?」
「確かに言えてるね。まあ物は試しに吸ってみるかい? 傷も丁度あるし。」
そう言って、古杣は煙管と言った筒をこちらに向けてくる。私はそれを跳ね除け、池に浸かった。
「要らない。人間の物なんかよりこっちの方が治りが早いから。」
「あらそう。まぁ私も酔狂な事をしているだけだけど。」
そう言いながら古杣は、咥えていた煙管と言ったものを切り株の淵にカンッと打ち付け、中身を棄てた。
「それより、アンタの話をするか?」
「知ってるなら聴かせてもらおうか、知らない自分を知ってるアンタが、私はどうも嫌いだがね。」
「おやおや、悲しいね。まあその判断は一理に正しい気もするけど。」
そう言って、古杣は昔話をし出した。私は水に浸かりながらその話に耳を傾けた。
私はその話を聴いていて、複雑な気持ちになっていった。
此処の池には昔、ある女の人間がいた。その人間は京の都に住む息子の昇進と発展を願っていた。そいつはとても息子想いの母親だった。
ある満月の夜、三十三夜目の祈祷時に変化は現れた。
「やあやあ、毎夜毎夜健気なこったい。」
「誰ですか!?」
人間は悲鳴めいた声を上げ、咄嗟に身を引いた。声を掛けた女は持っていた斧を肩に担[かつ]いだ。
「おいおい、そんな
人間は気が付いていた。人間の様に振舞っている目の前の女は“人間では無い”と。
「わ、私を喰う機会を狙ってたんですか? それとも非常食ですか?」
「んなわけないだろ。僕は古杣だよ? 人を驚かすことで腹を満たすんだ。まあさっきの御前さんの驚きは美味かったよ。」
古杣と聴いて人間は再び驚いた。古杣と言ったら、夫から聴いた音しか聴こえない妖と聴いていたからだ。体が存在していた事に恐怖心を募らせた。
「あれ? また何かに驚いたね。何に驚いたかは知らんが。」
妖が悠長に話す間も、人間はどう逃げようか思索を巡らした。走り出したくても脚が
「そんなに怖がらないでよ、今夜は満月だ。此処の池の主も献身な御前さんのお陰で力を取り戻した。今なら御前さんの願いも叶えられるってさ。」
それを聴いて、人間は僅かに緊張が解れた。人間の願い、息子の昇進と発展を叶えられると想うと
「だがね、力を取り戻したって言っても完全では無いんだ。何か貢物が無いと力が発揮できないらしい。」
「……わ、私に…何をしろと?」
妖を目の前に震える声で応える。
「御前さんは、自分の願いの為なら身を捧げることが出来るかい?」
人間は言葉の意味を深く理解出来なかった。いや、理解しなかったのが正しかったのかもしれない。我が子のためなら何でもしようと想っていた。
「我が子のためなら……私は何でもします。」
その言葉を聴いて、古杣は懐から煙管を取り出して、火皿に鴉の欠片を詰めた。そしてに火打石を響かせ、火を落とした。煙管を咥え、中身から吸い出した白い煙の様なものを人間に吹きかけた。人間は思わず
「僕は以外に情があるからね、恨むなら此処の池の主を恨めよ。まあ人間側につく気は無いけど。」
煙を吸った人間は不思議な高揚感を得た。妖にすら畏れない
「じゃあな、此処の龍神と仲良くしろよ。」
そう言うと、古杣の持っていた斧に風が
そして、人間の首は宙を舞った。身体から四肢は離れ、人間“だった”ものは水底に沈んで逝った。
「これがあの人間の望んだ事なのかねぇ…。」
古杣は煙を吐き出しながら、池を離れていった。
「とまあ、ここまでが僕の知ってる事だよ。どうだい? 想い出したかい?」
「あぁ、想い出したよ。全部。」
人間の頃の記憶が思い出され、私の心は随分煩雑になっていた。我が子のためなったと言う人間的な感情と、人間に負けたという妖怪的な感情が入り乱れている。両立の自分がとても面倒臭く、煩[わずら]わしかった。どちらかに偏った方が楽だと想った。
「………なあ古杣、鵺に打ち勝った称号って欲しくないか?」
「おいおい、今の話を聞いてそっちを選ぶのかい? 僕なら昇天する方法も知ってるよ?」
「人間は面倒なんだよ。自らで争う事しかしない。あっちで生きるだけ無意味なんだよ。」
古杣は、はぁと溜息を吐いた。古杣は斧を持った。再びその斧に風が纏った。
私は、完全に人間をやめた。
「鵺塚ねぇ……。」
私は京にある、神明神社の社を眺めていた。風の噂でこんなものがあると聞いていたが、まさか本当にあるとは。
「っけ、人間共が。大妖怪の私をこんな小さな社に祀りやがって。」
私は鳥居を蹴ってその社を後にした。
世の中は夜を徐々に克服しようとしていた。今では人の活発化する昼ではなく、妖怪が活発化する夜を主に行動する人間も増えているらしい。人間共は夜を、妖怪を克服したと勘違いし出した。科学などと訳の分からないもので私達を消滅させようとしているらしい。科学は自分達によって、都合のいいようにこじつけられたものとは気付かずに……。
人間達は今こそ平和だと思っている。だが、それは表面上の話で、水面下では何時、他者を支配しようかと画策している。
何時しか自分たちがこの世の頂点だと思い始めた。この世は神によって支配されていることも忘れて。
今は到底平和とは言い難い世だった。妖怪の方がよっぽど平和に暮らしていた。人間は歳を重ねるごとに愚かで、馬鹿で、醜悪になっていった。人間をやめた私が正しかったようだ。
私は煙管の火皿に細切れになった葉を詰めて、マッチで火をつけた。最近はどうもこの葉高くて困る。金を化かして作るのも大変だ。
私は雲が掛かかった満月の下を歩いて、高い建物の並ぶ毳々しい街中へと入って行った。
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姿亡きはずの斧を携えし亡霊
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