この日、私は女神になった

新田光

女神の真実

 私は死んだ。


 突然の出来事だった。いつも通りひとり図書室に入り浸っていた帰りに、足がもつれて階段から落ちた。


 最悪な事に打ちどころが悪かったらしく、即死。地面に叩きつけられた時の鈍い音が、私が最後に聞いた音だった。


 生きていた時の感覚は一瞬で消え去り、自分でも何が起きたのか最初は理解できなかった。


 これからどこにいくのだろうか。天国という場所はあるのだろうか。地獄には落ちたくないな。


 この世への未練がないと言ったら嘘になるが、あの最悪な家族達から解放されるのであれば、今の状態もありがたいと思えるのだろう。


 そうして、私の意識も徐々になくなっていき……



「やったー! 成功しました!」


 次に私は一切の汚れを感じさせない澄み切った声を聞いた。


「って、そんなわけあるかー!」


 私──たちばなすみれはこの異常事態にツッコミを入れていた。


「うるさいですね」


「いや、私死んだの! し・ん・だ・の!」


 眼前に映る人物は、耳を塞ぎながら大声を遮断している。


 性別は女。そこそこ整った顔立ちで、すみれと同い年の高校生。茶色に染まった髪の毛は後ろでひとつ結びにしていて、うなじがくっきりと見える。かなりセクシーだと感じる。


「まぁ、一旦落ち着いてお茶でも飲んで」


 指を鳴らしてティーセットとテーブルセットを用意する。それを見て、


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 すみれは用意された椅子に腰を下ろしていこうとする。が……


「って、そんな余裕あるかー!」


 無意識にノリツッコミをしてしまい、後で恥ずかしい気持ちになった。


 ティーセットを用意した女は、自分で用意した椅子に腰をかけ、ティーをすすり、その後言葉を紡ぐ。


「落ち着きなよ。驚きなのはわかるけど、気持ちは整理したほうがいいよ」


「それができたら苦労はしてないよ……」


 ようやく冷静に物事を見れるようになり、女の言葉に答えた後、すみれは辺りを見渡した。


 何もない空間だ。背景はオーロラのようなものに囲まれているだけ。景色が良いかと言うとそうでもなく、ただっ広い空間があるだけ。


「あのー、アナタは誰で、私はどうなったんですか?」


 そろそろ本題に入りたいすみれは質問をしていた。この状況に驚きはあるが、元の世界に戻れないのであれば、前に進むための方法を探すしか他ない。自分が生きている事だけは確かなのだから。


 すみれの質問に女は椅子から腰を上げ、口を開いた。


「ここはね、天界よ」


「天界?」


「そう。で、私はローズ・フェルナンドス。ここで女神をやらせてもらってました」


 満面の笑顔を浮かべながら自己紹介する。あまりにきらびやか過ぎる笑顔は、すみれの目には刺激的すぎ、顔を逸らしてしまっていた。


「これが女神……笑顔ひとつで人の心を掴むとは……」


 フィクションでしか触れた事のない女神。だが、その神々こうごうしさは本物だった。彼女は今日、新たな価値観を植え付けられたのだ。


 少し脱線したやりとりがされたが、話は本題へと戻っていく。


「アナタが女神でここが天界なのはわかっただけど……一体ここで何してるの?」


「よくぞ聞いてくれました!」


 口と口がくっつく程の距離に迫られてすみれは困惑する。この時、先程の価値観は撤回しようと思った。


「近いです!」


 相手の顔に手を当て、引き剥がしていく。ローズは自分の行為に無頓着で話を進めていってしまう。


「単刀直入に言うと、アナタは死にました。そして、新たな命を授かる権利を得たのです! そう! 俗に言う異世界転生です!」


 無邪気な子供が親に嬉しさを報告するかのように、和気藹々わきあいあいな口調で話す。そのローズの言葉にすみれは、


「本当!」


 同じくらいのテンションで返した。


 と言うのも、彼女は異世界マニアだ。特に大好きなのはハーレムもの。いつか女の子に囲まれて生活したいと思っていた。だが、彼女は同性愛者というわけでは決してない。恋愛対象は男だし、男も大好きである。


 ただ単に、自分にはない多種多様な可愛さに触れてみたいだけというただの好奇心から来るものだった。


「じゃあ、早速冒険ファンタジーにしゅぱーつ。チート頂戴」


 手を差し出してローズにおねだりしていく。この場所に連れてこられた意味がわからない時とは打って変わった様子だった。


「無理よ」


「へ?」


「だから無理だって言ってるじゃない」


 ローズに否定される。意味がわからず、すみれは変な声が出てしまっていた。


 「?」を浮かべているすみれを置き去りにして、ローズは続けていってしまう。すみれの頭に手を置き、何か呪文のような言葉を発した。すると……


『継承完了しました。今日こんにちより橘すみれ様を女神として歓迎します』


 謎のアナウンスがすみれの頭の中だけに流れた。


「どういう事ー!」


 叫ぶしかできなかった。その傍でローズは白い光に包まれていく。そして、


「じゃあ、詳しい事はじいやに聞いて。新しい人生を謳歌おうかしてくるから、後は頼んだよ」


 それだけ伝えて、ローズ・フェルナンドスは異世界転生を果たしたのだった。


 この日、私は女神にさせられた。



 あれからどれだけの時間が経ったのだろう。


 時間という概念がないこの空間では、どれだけの時が経過したのかもわからない。昔の人のように日の光で判断しようとしても、朝昼晩というものすらもないのだから地獄でしかない。


 娯楽もない。気分転換に掃除をしようとしてもほこりひとつない天界ではやりごたえがない。それどころか……


「あの娘、ティーセットも消してっちゃったし……」


 唯一の頼みすらもなく、お腹も空かない。人間の本能を全て奪われ、勝手に女神を押し付けられたのは苦痛でしかなかった。


「はー、念願の異世界転生だと思ったのに……」


 ため息を吐きながら愚痴を溢していく。その後、


「なんであの娘が転生するのよ!」


 イライラを口に出して紛らわそうとした。


「それは規則に則ったからじゃよ」


 彼女の怒りが聞こえたのか、誰かが反応した。


 声からして男。かなり歳をとっているようで、すみれから見たらおじいちゃんだと推測が立った。


 推測した人物が目の前に現れる。


 杖はついていないが、髪の毛はほぼ抜けている。白髪で身長も低い。おそらくだが、百四十センチ後半だろう。


 口元には白い立派な髭が生えていて、目がくりくりしていて少し可愛かった。


「ほっといてください」


 誰にも干渉されたくないすみれは暗い口調でおじいさんを追い払おうとした。


「よいのか? ワシならお主もローズと同じようにしてやれるというのに」


「えっ!」


 突然の救いの言葉に、すみれは前のめりになってしまっていた。


「どうすれば良いんですか!」


「簡単じゃ。女の転生者がまた現れればその者が女神になる。それを繰り返してこの天界は回っておるんじゃ」


「なんだ。じゃあ、運じゃん」


 せっかく希望が見えたのに、実力でどうしようもないと言われたも同然で、すみれはまたも希望を失った。そんな彼女におじいさんは、


「そんな事はないぞ」


「本当に!」


「あぁ、実力で女の転生者をこっちの世界に呼べるんじゃ。現に、お主をこの場所に呼んだのはローズ自身じゃ。お主、現実で大変な思いをしておったじゃろ? だから、彼女が助けてくれたんじゃよ」


 その言葉ですみれは現実での苦労を思い出した。


 英才教育を強いられた。テストでは満点以外は許されない。将来は医者以外認めない。誰かの役に立つ人になりなさい。誰かの役に立つ仕事をしなさい。そんな教育を押し付けられたからだ。父も母も妥協を許してくれなかった。


 だが、すみれは将来アイドルになりたかったのだ。彼女が女の子を好きなのもそれが理由なのだが……父と母はアイドル毛嫌いしていた。


 あんなものは役に立たないと。踊って歌うだけで誰を救えるのかと。医者である両親は心の充実などは考えない人だった。


 そんな彼女の救いだったのが異世界転生。その願いをローズは叶えてくれようとしていた。


「私もそんな人を救えば異世界に行けるわけですか?」


「そうじゃ。だがそのためにはやってもらう事があるぞ」


「やってもらう事……」


 おじいさんの言葉の後に、背後に超巨大なフラスコが現れた。


「なんですかこれ?」


「これはお主の女神レベルを表す物じゃ。今は白色じゃが、レベルが一上がるたびに、黄、緑、ピンク、水色、金色と変化していく。これを最大レベル五にすれば、お主は天界に好きな娘を呼べるわけじゃ」


 おじいさんの言葉に喉を鳴らす。


「どうじゃ、これで運などとは言えなくなったじゃろ?」


「はい! 私やります! 絶対に女神レベルを最大にして望んだ生活を手に入れてみせます!」


 そう宣言して、この日から彼女の女神としての生活が始まった。



 とは言ったものの……


「誰も来ない」


 説明を受けた日からとんでもない月日が経ったはず。はるか昔に決意した心は歪みそうになっていた。


「どうじゃ、順調か?」


「それもう百回以上言ってますよ。誰も来ないんだから順調なわけないでしょ?」


「そうかそうか。それは災難じゃな。でも、めげてはいかんぞ。ローズの元に最初に人が来たのは二百年経った後じゃった」


「二百年!」


 人生を二周しても誰も来ない状態を経験したと言われ、すみれの心は更に崩れそうになった。


 安易にやると言ってしまったが、これはどんな事よりも苦行だったからだ。それ程、異世界転生というのは簡単な事ではなかった。


 落ち込む彼女をみて、おじいさんは励ましの言葉をかける。


「お主はまだ五十年じゃろ? そんな凹むでない」


「って言われても……」


 五十年あったらどれだけの人生を体験できるのか。このジジイは何もわかっていない。それに……女神と言っているからには寿命はないのだろう。このまま誰も来なかったら、一生ここで生きていかなければならない。しかも不老不死でという事だ。 


 これがどれだけ生き地獄か人間だったすみれにはわかる。


「わかった。慈悲をやろう」


「もしかして! 誰か連れてきてくれるとか!」


「違う。時天じてんをやると言っておるのじゃ」


「時天?」


 専門用語を述べられるが、すみれには理解できない。それを見て、


「そうじゃったな。お主達の世界では時計と言うんじゃった。これは悪い悪い」


 と、言い直した。


 背後に大きな時計が現れる。人間の世界と違って数字は一から百まで書かれていた。


「これは年単位の時天じゃ。一の数字で一年という事になるな」


 今の説明から一周で百年。二周で二百年と言う事になる。


 今は人間界の時計で言うと六の位置にあり、こちらの世界で言うと五十年経過した後だと確認ができた。


「じゃあ、頑張るんじゃぞー」


 呑気におじいさんは去っていってしまった。その直後、学校のチャイムのような音が聞こえてきた。音が鳴り止むと、ひとりの男が目の前に現れる。


「来た!」


 見た目は高校生くらい。パッとしない人物ですみれのタイプではなかった。しかし、やっと来客がきたのだ。大量の経験値を貯め、一気にレベルアップしようと画策する。


「ようこそいらっしゃいましたー。私、女神のす……ラファエルと言います」


「ふーん。あんまり可愛くない」


 今の言葉ですみれは頭の血管が切れかけた。だが……


「我慢よ……我慢……私の異世界転生のために」


 呟きながら感情のコントロールをしていく。


 キレかけのすみれを無視して男は続けていく。


「本当にアンタ女神なの? 服も制服だし。威厳を感じないんだよね。だから、僕の言う通りにしてもらうよ」


 この言葉で完全にブチギレた。


「お前のチートは星で! 後はそれだけでなんとかやってきな!」


 某有名ゲームから着想を得たチートを適当に付与させて、適当な谷底にリスポーンさせた。チートがあるし、どうせ死なないだろう。


「ふー、ひと仕事終わり! これで経験値が……あれ?」


 何も変わらない。異常事態にすみれはフラスコを叩いていた。


「はー、やってしまったな」


 突然おじいさんが現れてため息をついた。


「意味わかんなんだけど……だって、転生させれば経験値が貯まるんでしょ? それに、レベル一ならすぐに上がるはずじゃ」


「説明しんかったワシも悪い。まさかこんな事するとは思わなかったんじゃ」


「何よ。何かまだルールがあるの?」


「そうじゃ。この経験値は転生者達の感謝の結晶じゃ。だから言ったじゃろ? 困っている人を助けろと」


「つまり……適当に転生させたから感謝されなかった。それで経験値が貯まらなかったって事?」


「そうじゃ」


 頷きながら肯定する。


 そんなバカな事があってたまるかと思う。あの男は丁寧に扱ってあげていい人ではない。それに自分は慈愛の神ではないのだ。ただ転生さえさせていればいいはずだ。


「そんな考えでは到底転生までは遠いな」


「私の心が読めるの!」


「あぁ、ワシはこう見えても全能神じゃからな。名前は適当にゼウスとでも言っといてくれ」


 可愛いおじいさん──ゼウスがそう言い残してこの場から消えた。


 またあの長い年月を過ごさなければならない。すみれは今した行いをすごく後悔し、次からはしっかりと転生させてあげようと心に誓った。



 あれからたくさんの人達を転生させてきた。


 時天こと時計は軽く二十周を越え、彼女の女神レベルは三へと上がっていた。


 レベルを一上がるたびに能力が付与される仕組みらしく、一の時は物を顕現させられる力を得た。これにより、娯楽には困らなくなった。


 レベル二では人の心が読めるようになっった。これで、相手の気持ちに寄り添って転生をさせてあげられるようになり、経験値も溜まりやすくなった。


 レベル三では、転生者の資質が在るものを見極められるようになった。この時に初めて知ったのが転生者としての資質という概念だ。ゼウスによると転生者の資質は普通と呼ばれる人間にしか備わっていないらしい。


 才能のある人間は言わずもながだが、劣っている人間もこれに該当しないのだとか。なぜなら、世の中はプラスとマイナスで調整が取れているようになっているから、劣っている人間は何かしらプラスの要因がどこかにあるからだそうだ。


 しかし、普通の人間はそれがない。プラスマイナスで調和が取れている説が本当であるのであれば、普通とはゼロという事になる。そんな人間の救いがこの資質というわけだ。


「早く来ないかな! 楽しみだなー」


 すみれは業務をこなして経験値を得るようになってから、女神という仕事が楽しいと感じるようになっていた。


 やはり成長が目に見えるのは心地が良い。


 またも彼女の元に転生者が現れる。


「ようこそおいでくださいました。私はラファエルと申します」


 前とは違う真の笑顔で相手を虜にする。たまに口説かれるようになり、女としても磨きがかかってきたような気がする。


「あのー、ここはどこでしょうか?」


 眼鏡をかけた少し弱々しい男が今回の相手らしい。


 今までの女神経験を踏襲して、この子に寄り添っていことする。


「天界です。アナタは選ばれました。なので、次の人生を得られるんですよ」


 まずは相手を安心させるところからだ。そして、満足してもらえる場所を提供する。


 相手の心を読んで、この男の子がどんな人生を歩んできたのかを見る。そして、


「こんな場所はいかがです?」


 歴史好きの彼に、和の世界を提案してみた。


「ここって江戸時代ですか!」


 案の定、食いついてきた。


「えぇ、江戸ではないですが、それに似た場所です。アナタはこの世界で英雄となるのですよ」


「英雄……」


「そうです。ゼロから人生をやり直せるのです。しかも、記憶は継いだまま」


「ゼロから……」


 男の子が苦しそうに胸を押さえた。


「どうかしましたか?」


「いや……」


 泣きそうな声で言葉を紡ぐ。


 彼女はこの子が現実でどれだけ苦労したかを察したため、敢えて心読しんどくは使わなかった。


 すみれにも彼の気持ちが痛いほどわかったから。


「では転生の準備をします。チートは何になさいますか?」


「じゃあ、一流大学生と同じくらいの頭脳で」


 男の子の提案にすみれは目を丸くした。確かに強情な願いだが、それだけではピンチは切り抜けれないと思ったから。だが、それでも彼女は男の子の要望に沿ってチートを付与してあげた。そして、男の子は新たな人生へと足を踏み入れ、彼女のフラスコには大量の経験値が付与された。


 またも月日が流れる。時天は百周を周り、女神レベルは四へと上がる。しかも……


「あと一回で五になるじゃん!」


 念願の転生が目の前にまで迫ってきて喜びを声に出していた。


「まさかここまで早くやるとはのー。お主、女神としての資質があるようじゃ」


 ゼウスが現れ、すみれを讃えた。


「資質?」


「そうじゃ。千年、しかも歴代最少転生記録でレベル五までいくとは……天晴あっぱれじゃ」


 ゼウスが鼻高々に告げる。そのあと、「できれば一生女神でいてほしいがのー」と言っていたが、


「それは御免です。目標があったから頑張れただけ。それがなかったら、ここまでできませんでしたよ」


「それはそうじゃな!」


 二人は笑い合った。そんな時……フラスコの経験値が急にレベル五に上がり、色が金色へと変わっていく。


「あれ? 誰も転生させてないよ」


「これはワシからのサービスじゃ。言ったじゃろ、これは感謝の気持ちの具現化じゃと」


「おじいちゃん……」


「まぁ、おじいちゃんはやめてくれ。ゼウスと呼んで欲しいのー」


 二人またもは笑い合う。そして遂に……


「お主が誰かを救う番じゃ」


 真剣にゼウスの目を見て……すみれはレベル四で取得したスキルで下界を見下ろした。


 しっかりと顔も判断でき、声を聞こえる。この中から自分が転生者を選ぶのだ。


「もし選んだら……そのは死ぬってわけよね」


「そうじゃ。選ばれた人間は運命の引力により死ぬ。他の転生者達も別の神によって慈悲へと導かれた者じゃ」


 ゼウスの真っ直ぐな言葉を聞いて、すみれは急に恐怖が湧いてきた。


 すみれが直接手を下さなかったにしても、間接的に殺した事になるのではないか。誰かの命を操るなどして良いのだろうか。そんな感情が彼女の中で渦巻いていく。それを心の読めるゼウスは……


「心配するな。そのための女神じゃ。責任を持って転生させてやれ」


「でも……」


 決意が揺らいでいた彼女の視界に、ひとりの女の子が目に入った。


『もう嫌だ……誰か助けて……』


 公園の土管の中に入り、ひとり呟いている。声は苦しそうで、震えている。まるで何かに怯えているようだった。


 何時間も、何時間もその場に留まり続ける。


 結局、その子は家に帰らず土管で寝泊まりをしようとした。しかし……


『こんなところにいたのか!』


 ひとり男が女の子を見つけてしまう。年齢は彼女と変わらなく十八くらい。無理やり引っ張り、家へと連れて行ってしまった。


『父さん、蘭のやつまたあの公園だったよ。ご飯ができたのに、帰ってこないなんて……そんなに家族が嫌いなの?』


 先程の威圧的な口調をやめ、優しく席へと案内させるが、やはり女の子──蘭は震えていた。


 父にも母にも震え、地獄のような食事は終わりを迎えた。


 蘭は震えながら自室へと向かっていく。その姿は急いでおり、何かから逃げるようだった。


 自室に入ると鍵をかけ、布団へと入る。だが……


『蘭!』


 先程の男──蘭の兄貴が得意のキーピックで部屋を無理矢理こじ開けて中に入ってきた。そして……蘭を布団から引きずり出した。


 その後は暴行を加え、自分の鬱憤うっぷんを晴らしていこうとする。腹を、顔を、足を、手を、ありとあらゆる部位を叩きつけ、彼女を苦しめていった。


『助けて……誰か……』


『誰も助けてくれねぇよ。これだけ大きな音なのに気づかねぇって事は、親父もお袋も見て見ぬふりなんだよ!』


『なんで……なんで私だけ……』


『お前がバカで、親父達の期待に応えられてねぇからだろ! 受験はどうだった。わざとランクを落としただろ? 親父達は俺と同じエリート校に行って欲しかったのに、お前は普通の高校を選んだ。それがあの二人を裏切った事になってるのも気づいてねぇのかよ!」


 兄貴は妹をバカにする。でも、彼女にも言い分はあるのだ。だって……


『中学の時の成績は一番だった! あの高校を選んだのは私があそこに行きたかったから……』


『そんなのが聞きたいわけじゃねぇんだよ! 俺たちの言う事を聞けねぇからバカなんだろ!』


 あくまで子供を支配しようとする親。楽をしていると思っている兄。彼らからの脱却が蘭の望みだった。


 この家族の一部始終を見ていたすみれは……


「酷すぎる。こんなの酷すぎるよ……」


 自分の家庭環境と似ていた彼女に同情してしまっていた。


「私、この子を助けたい。どうすれば助けられる?」


「覚悟は決まったようじゃな」


 ゼウスの目を真っ直ぐに見つめる。


「じゃあ、レベル五の力を使うんじゃ。『異世界召喚』をな」


「『異世界召喚?』」


「そうじゃ、それであの子を救ってやれる」


「うん!」


 他の力を使うのと同じ容量で、すみれは『異世界召喚』を使った。これで、彼女を救ってやれる。自分と同じように女神の役割を担わなければならないけど、あの生活から脱却できるのであれば、どんな苦でも彼女なら乗り越えられると思う。


 そうして……『異世界召喚』の効果で、蘭と呼ばれていた人物はこの世界にやっていきた。



 私は死んだ。


 突然の出来事だった。いつも通りひとり図書室に入り浸っていた帰りに、足がもつれて階段から落ちた。


 最悪な事に打ちどころが悪かったらしく、即死。地面に叩きつけられた時の鈍い音が、私が最後に聞いた音だった。


 生きていた時の感覚は一瞬で消え去り、自分でも何が起きたのか最初は理解できなかった。


 これからどこにいくのだうか。天国という場所はあるのだろうか。地獄には落ちたくないな。


 この世への未練がないと言ったら嘘になるが、あの最悪な家族達から解放されるのであれば、今の状態もありがたいと思えるのだろう。


 そうして、私の意識も徐々になくなっていき……



「ここは一体どこ……」 


 私──白雪蘭は謎の空間に飛ばされていた。全面オーロラのようなものが張り巡らされている。ただっ広い空間だけがあり、娯楽などは一切存在しない。そんな中で、私の視界にひとりの女が入ってきた。


 制服を着ていて、私と同い年くらいだ。ここにいる唯一の人で、私達人間とは一線を画す雰囲気を纏っている。


「ようこそ。アナタは選ばれました」


 そう言って女神──橘すみれは彼女を抱きしめ……


「辛かったね」


 耳元でそう一言呟いた。


 彼女の澄み切った声を聞いた途端に私は涙が出ていた。無意識だった。でも、感情のコントロールができない。ましてや、


「うん、辛かった。苦しかった。もう逃げ出したかった。私は自分の意思を尊重してもらえなかった。兄貴が怖かった。痛かった」


 今まで胸の内にあった本音をボロボロと口にしてしまっていた。


 やっと認めてもらえた気がした。彼女の言葉が嬉しかった。救われた気がした。


 しばらくして私はぐちゃぐちゃだった感情が整理できるようになった。


 女神様の制服を鼻水やら涙やらよだれよごしてしまったが、彼女は何も言わなかった。私はその姿に感動し、いつかこの女性のような人になりたいと思った。


「では、アナタにこれからの任務をお伝えします」


「はい!」


 心して待った。あの苦痛の後であれば、どんな事でも苦には思わないだろう。


「私の代わりに女神になってもらいます。そしていつの日か第二の人生を歩めるよう頑張ってください」


 女神様が頭に手を当ててくる。


『継承完了。今日こんにちより白雪蘭を女神として認証します』


 頭の中にだけアナウンスが流れてきた。その後、女神様だった女性──すみれさんは白い光に包まれていき……第二の人生を歩むために異世界へと転生した。


「ありがとう。すみれさん」


 流れた涙を拭き、私は彼女のようになれるようがんばる事を決意する。いつの日か夢見る幸せな日を。


 この日、私は女神になった。

 



 

 

 

 


 

 

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