014 沢奈柚佳
「なに……なんなのよ、どうなってのよ――いったいこれはぁぁっ!?」
どうしてこんなことに……頭の中で巡るのはそんな言葉と、付随する赤い光景。
その日は、久々にテレビのロケだった。と言っても、一部の地域でしか放送されないようなちいさな番組のロケ。スープカレーの特集で、五つのお店を梯子するというどこにでもありそうなロケだった。
近頃人気の芸人とグラビアアイドルである柚佳、カメラマンなどのスタッフを入れて五名で、三つ目のお店を後にした、直後。突然空の色が赤くなり、カメラマンの体が潰れた。
突如として空から落ちてきた巨体に、カメラの機材ごと潰され、飛び散った眼球が柚佳の足元に転がった。現れたソレは、歪に口角を裂いて咆哮をあげる。それを皮切りに、各地で似たような現象が続いた。
辛うじてその場から逃げ切り、近くのレンタル倉庫内へと逃げ延びたはいいものの、これからどうしていいのかわからない。警察もダメ。消防もダメ。事務所にも連絡はつかないし、一緒に逃げてきた男三人は役立たず。
柚佳は髪の毛をかきむしりながら、自分の不幸を恨む。
「こんなはずじゃないのに、こんなはずじゃないのに……! ようやくテレビに戻れたのに……!」
スマホから放たれるライト。その眩しさが、かつて浴びていたフラッシュを彷彿させた。
人生の絶頂。一番輝いていた日々。金も名声も何もかもが、この沢奈柚佳に集まっていた日々を。
「あんた、まだテレビにしがみついてんのかよ」
「な……なに?」
「もう終わったんだよ、あんたの時代は。いつまで過去の栄光にしがみついてんだよ」
「っ……!」
倉庫の隅で膝を抱えていた芸人が、呆れたように言った。その対角線にいたスタッフが、彼の言葉を継いだ。
「ゆ、柚佳さんはもう二六ですし。わ、若くて可愛くてスタイルのいい子はま、毎年現れますからねえ。す、スキャンダルで干されちゃったら、も、もうおしまいですよ」
「そ、そんなことない……! コアなファンだってたくさんいるし……! 地道にずっと仕事がんばってるし、マネージャーだって営業がんばってくれてて!」
「それでも事務所があなたを売ろうとはしないでしょ。だってあんた、三人の男と不倫してたんだから。忘れたの? それでCM三本潰してるんだよ。違約金だってまだ半分も返せてない」
「そ、それは……これから、またテレビに出て、雑誌の表紙だって飾って、また……!」
「無理無理。おまえみたいな尻軽、AVでしか活躍できないって」
「―――」
下卑た笑い声が響いた。その場の空気感が変わる。
重く、生々しい感じ。
柚佳は続く嘲笑に堪えきれず涙を流して唇を噛んだ。
「バカな女だよな。莫大な契約金を蹴っちまったんだから」
「グラビアもAVも変わらねえだろ。どうせやってんだろ、撮影中に」
「そういやさっきよぉ、助けてやったお礼がまだだぜ柚佳ちゃんよぉ」
近寄ってきた芸人の手が肩に触れる。
「っ、触らないでっ!」
「どうせ風俗堕ちが関の山なんだし、今のうちに慣れといた方がいいんじゃないの?」
「お、それなら俺も手伝うよぉ」
「ぼ、ぼくも協力しますよ」
「ひやぁっ!?」
抵抗する間もなく羽交い締めにされる柚佳。男の荒い息が髪の毛を揺らす。スマホのライトで照らされた男たちが、下卑た笑みで詰め寄ってくる。
必死に抵抗するも、華奢な肢体ではもはやどうすることもできなかった。大声を出しても倉庫内で反響するだけ。
涙が溢れた。嫌がる声すらも男たちを悦ばすだけだった。ならせめてもの抵抗で声を押し殺す。唇を噛み締め、睨みつける。男たちが柚佳の柔肌に手を触れた、その瞬間。
『———グギご』
耳をつんざく金属音。背筋をナイフで裂かれるような反響と共に、光が差した。赤い光。倉庫の扉が、角から捲れ上がっていく。
やがて隙間から顔を覗かせたのは、のっぺりとした緑色の巨人。それの大きな手のひらが、力任せに扉を捲っている。
「ぁ、ぁ……っ」
ここは、地獄だ。
その巨大な絶望を前にして、柚佳は己が死を悟った。へたり込んだ冷たい金属の床に、生暖かい液体が流れる。羞恥やプライド、気勢は等しく無に帰した。
もはや悲鳴を上げることすらできず、目の前で巨人の蹂躙をただ眺めていた。
『ジジジ、ジグ、グジジジ』
ものの数分で三人の男たちは巨人の口へと消えた。嘲笑と罵声を浴びせた彼女に助けを乞いながら、哀れに。
けれど、それを笑うことはできなかった。ざまあみろと中指を突き立てることもできない。なぜなら、次は彼女の番だったから。そして、男たちのようにあっさりと殺されたりしないことも、なんとなく感じていた。
「……っ」
巨人の手に捕まる。握り潰さないように、しかし逃げられないようキツく手のひらに押さえつけられる。緑色の巨人から漂う腐臭や血の匂いが吐き気を誘う。圧迫されていなかったら、きっとゲロまみれ。
「ぅぐぅ、うぅぅぅっ」
巨人の五指が動く。柚佳の体を堪能するように、握ったり緩めたり、指圧を加えたり擦ったりを繊細に、死なないように。
体中の骨が折れ砕け、すり潰されながら内臓と攪拌され、血反吐が逆流し息を吸えない。
「おぉご、んごぉぉぉぉ、ぉぉぅ」
このまま、嬲り殺される。
視界がだんだんと虚ろになっていく。
痛みも感じなくなってきて。
変わりに、寒さが襲ってきた。
『ジジジグじじ、じ』
手の中で遊ぶのに飽きたのか、巨人は柚佳の頭部をつまんで口を開けた。
ぬめりとした唾液が渦巻く深淵の穴。
あの中で咀嚼され、流し込まれて死ぬんだ。
ぼんやりとした意識の中でそれを悟り、柚佳は最期に笑った。
最悪な人生だった。
閉じていく瞼。薄い皮の裏で、なぜか甦ってきたのはあの日の光景だった。
気になっていたクラスメイトの背中に勇気を出して抱きついてみたら、顔面をグーで殴られた、あの日の光景——
「間に合ったか? いやギリギリ? おい死ぬな、助けに来たぞ——え、も、もしかして……沢奈さん……? いやそんな偶然あるはず……ってその前に手当か。あまり得意じゃないんだけど、やるしかないか」
優しく抱きとめられた感触と、そんな声音を最後に柚佳は意識を失った。
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