009 魔王の片鱗

「しぶといわね。まだ生きてる」

『が、ぁは……』

「可哀想に。私の力がもう少し戻っていれば、そんな苦しい思いをさせずに殺してあげたのに」



 隕石が落下した後のようなクレーターの中央。

 死にかけて仰臥ぎょうがしている麒麟のそばで、しゃがみ込む紫色の女は傷口を指でなぞった。



「あるいは、あなたが本来の力を発揮していれば、死なずに済んだのかしら?」

『……さあ、な』

「フフ。ねえ、お互い苦労しているわね。似たもの同士」

『一緒に、するな。我は貴様とは違う』

首輪付きペットとなって弱体したあなたと、肉体と魂を切り離され封印された私。似ているようで、とっても似てるとは思わない?」

『思わん。そもそも、だ』



 喉から血を吐きながら、麒麟は女をめつける。



「封印されているのにどうして表に出てこられるのか、って?」

『………』

「私が出てさえこなければ、勝てたと思ってるでしょ?』

『………』

「図星? この神獣、ボクちん賢いですみたいな顔してるけど考えてること読みやすいのよねえ。――なに怒ってんの。殺すわよ」



 最後の余力で雷を生成し飛ばすも、傷口に指を突っ込まれた痛みで軌道がズレる。

 女の肩口を抜ける白銀。女は瞬きひとつせず、涼しい顔で笑みを浮かべた。



「こっちの世界に来てからとても退屈だったわ。そう、たとえるなら消化不良。そこらに魔力が存在しないから彼と会話をすることもできないし、夢の中で遊んであげることもできない。ただただ、身動き一つできない鎖に繋がれた状態で、彼の平凡な日常を眺めるだけの生だった」



 死ぬことも許されない、永遠の牢獄。

 何をどうしたって解き放たれることができない地獄の中で、奇跡が起きた。



「魔力の流出。どういうわけかこちらとあちらが繋がって、あちら側の法則がこちら側を塗り替えた。その尖兵として低級魔獣を送り込み、あなたは私たちを殺しにきた。いったい誰の差金かしら。

 たしか向こう側は千年の時が経っているのでしょう? 私の側近は皆殺されちゃったし、人間種はそもそも長寿じゃない。古い魔王と勇者なんてそれこそ神話の領域。よもや別世界で生きていることを知る由もない、と思うのだけれど……」



 と、そこまで言って気が付いた。



「あらあら。訊いておいてこの子、死んじゃってる」



 息絶えた麒麟にため息を吐いて、女は手をかざす。



「まだまだ色々と訊きたいことがあるし、魔力が全快したら吐かせてやるか」


 

 女の手のひらに吸い込まれていく麒麟。

 完全に消えたのを確認して、女は二本の指を立てた。



「魔力全部使っちゃったから、溜めに入るわ。次にあんな情けない戦いを見せたら、逆に封印して乗っ取ってやるから覚悟なさい」


「――っ、ハ……ッ!?」



 入れ替わる。それと同時に姿形も変わっていき、元の男性体――百女鬼湊どうめきみなとの姿に戻る。



「乗っ取られた……体も元に戻ってる……」


 

 致命的に破壊され尽くしたはずの肉体は、何事もなかったかのように再生されていた。

 切り落とした右腕も元通りになっている。



「何故……なぜ、俺に体を返した。アドルフォリーゼ」



 その気なら、湊と今の立場を入れ替えることだってできたはず。

 なぜそうしなかったのか?

 湊が致命傷を負い、封印が弱まったという絶好のチャンスだったはず。

 それを、どうして……。



「答えろよ。どうして俺を――」


「そこを動くなッ!」



 問いかけは、怒声によって遮られた。





「地面に手をつけ。早くしろッ」

「………」



 気がつくと、俺は逃げ道を塞がれていた。

 複数の銃口がこちらに狙いを定めている。

 引き金に指をかけ、少しでも妙な真似をすれば撃ち殺すことも辞さないという圧を感じる。


 ……自衛隊か。

 迷彩の戦闘服にフル装備を整えた男たちが、親の仇がごとく俺を睨みつけている。

 

 なぜ魔物でもない一般人な俺が敵視されているのかはわからないが……いや、おおよその予想はついている。しかし、


 

「悪いけど、今はそういう状況じゃ――」

「手をつけと言っているだろッ」

「……正気か、おまえ」



 足元に銃弾が突き刺さる。

 


「一般人の俺に、引き金を引いたな?」

「一般人がこんなところにいるわけがないだろう!?」

「……確かに」



 周囲を見渡してみる。

 麒麟とアドルフォリーゼの常軌を逸した戦闘痕が見て取れた。

 学校ひとつ消し飛んだその場所で、上半身裸な俺がいればそりゃ警戒するのもよくわかる。


 それに、彼らの顔色を見る限り、先の戦闘を遠くから見ていた節がある。

 人間同士の戦争すら経験したことのない一兵卒に、遠目とはいえあの戦闘は異次元だ。


 加えて、こんな世界だ。精神的に参っていても仕方がない。



「誤解されてそうだから先に言っておくが――」

「だから手を地面につけと言っているだろうがぁッ!?」



 乾いた音が鳴る。



「――俺は敵じゃない。むしろ味方だ」

「ひ、ヒィぃぃッ!?」


 

 発射された銃弾が、足を一歩前に踏み出した俺の肩口へ消えていく。

 それでも止まることなく距離を縮める俺へ、今度は複数の銃口が轟いた。

 しかし、



「弾が……止まった……!?」

「違う。正確には、低速だ。中村二曹」

「な、なぜ……名前を……!?」

「ここにネームがついてる。そんでもって、俺は元自だ」



 つい最近まで勤めていたのだ。勤務先は札幌で、深江市ではないから知り合いはほとんどいない。さらに付け加えて、俺は自衛隊が嫌いだ。


 中年の男……中村の肩に手をおいて、もう片方の手で銃口を下に向けさせる。

 

 


「なんだ……何なんだ、おまえは……何が起こってるんだ、この世界は!?」

「俺にもわからない。けど、少なくともあなたたちより知ってるつもりだ」



 指を立てて寄法の印を構える。



「聞きたいなら話してやるから、場所を移動しよう」

「いったい、なにを――」



 言葉よりも先に、俺は転移を発動させた。 



 

「ふぅん。いいねえ。手伝ってあげようと思ったけど、一人でやっちゃったよ。

 湊にはもう少し頑張ってもらいたいとして……あれが前魔王か」



 深江女子高等学校だった場所から少し離れたビルの屋上で、彼は口角を釣り上げた。

 


「想像以上だ。きっと愉しい世界になるよ。キミたちがいればね」




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