008 VS麒麟

『腹立たしいことこの上ないが、そういう契約を結んでしまったのだから仕方があるまい。現存する勇者を殺せ――その命に従い、我は今この奇妙な世界に立っている』



 麒麟は校舎の一番上、屋上にある給水タンクの上から周囲を見渡した。

 


『脆い。この世界は酷く脆い。我を前にして恐れ慄くのならまだわかる。しかし、下級の虫ケラ共にすら腰を抜かし、助けを乞うている者が大半ときた。

 低俗、凡夫の群れ。そこらに積み上げた石の塊が見事に虚栄を表しているな。いや凡才であることを非難しているわけではない。我からすれば九割は底辺だ。しかし、気に食わんのはその精神だ』



 憤慨。

 呼応して、逆立った毛並みが帯電を始めた。



『立ち向かう気概くらいみせろよ、人間。向こうの世界では、虫とそう変わらん凡夫ですら我に啖呵を吐いたぞ』

「随分とおしゃべりだな。こっちは聞きたいことが山ほどあるんだ。無駄話はその辺にしてもらいたいね」

『フン、時間を与えてやっていることに気付け。我が饒舌なうちに、その右腕をどうにかしたらどうだ?』

「……お優しいことで」



 どういう風の吹きまわしかは知らないが――いや、元来あいつはそういうタチなのかもしれないが、その気遣いは無用だ。

 なにせ、

 

 

「今が一番気分がいい」



 自らの右腕を切り飛ばす。

 地面に落ちた腕が、風に攫われて消えていった。

 元から使いものにならない腕だ。治癒系統の術に適性のない俺では、復元するのに半日はかかる。

 だから使えないものは切り捨てる。そして、支払った対価に応じたリターンを得る。



欠陥オメトラによる能力向上か』

「今は少しでもあの頃に近付きたいからな」



 欠点だと思っていた部分が長所に転ずるように、俺は右腕を失った代償として六法の増強を図った。その行いを愚かだと断ずるように、麒麟が魔力を昂らせた。




『笑止、全盛であれば我に勝てるといった物言いだな』

「少なくとも、負けることはないだろ」

『おもしろい。その切れ味、噂に違わぬかどうか我が試してやろう。しかし――』



 言葉の途中で麒麟の姿が消える。

 


『うつけたなまくらならば一瞬で終わるぞ』

「――それはもう視たぜ」



 押し潰されそうなほどの威圧感と共に、背後から放たれる白銀の閃光。しかし、振り向きざまに放った魔力の斬威が稲妻を掻き消した。

 舞い上がる魔力の残滓。ダイヤモンドダストのような幻想的な粒子を裂いて、放った黒剣が麒麟の頭部を掠めた。


 うまく躱したか。

 しかし、こちらの攻撃はまだ続いている。


 投擲時から疾走を始めていた俺は、片手のみで印を結ぶ。


 創法そうほうの印〟――六法において、イメージした物質を創り出すための技法。

 想像するのは今し方手放したばかりの黒剣だ。


 そして続け様に結ぶのは〝戟法げきほうの印〟。

 六法において、殺傷力を高めるための技法。

 取り込んだ体内の魔力を消費し、己の攻撃力を跳ね上がらせる。


 最後に結ぶのは、耐久性を司る〝剛法ごうほう陰印おんいん〟。

 耐久性を上げる通常の印とは異なる、裏の印。

 即ち、触れた標的の耐久を下げる効果に他ならない。

 

 それら三つの法を乗せた斬撃を麒麟へと叩きつける。



「らぁぁッ――!」

『六法の同時展開、それも三つか。加えて熟練度もなかなかに高い。欠陥オメトラの相乗効果もあいまって、なるほどそれなりには効くようだ。が……』



 斬撃はあっさりと麒麟の胴体に吸い込まれた。

 しかし、まったく手応えがない。それどころか切り傷一つ見当たらない。

 俺の全力を喰らって、無傷。

 冷汗がどっと湧き出してきた。 

 剛法の練度が俺の戟法を上回った——その事実に追い討ちをかけるように、麒麟はそれを告げた。

 


『所詮、千年も前の話か。勇者とて人間だ。それだけの時も経ては錆びる』

「は?」



 その落胆した声に俺は耳を疑った。

 千年?

 いったい、なんの話をしている?

 いや、違う。俺はそれを、認めたくない――

 

 そして露骨なその隙を見逃してくれるほど、相手は優しくない。

 稲妻を孕ませた前蹴りが、文字通り雷速で俺の胸を打った。



『その程度で狼狽えるなよ』

「ぐぁッ!?」

『まあ、しかし底は視えた。このまま魔王もろとも滅する』


 

 グラウンドに直撃し、クレーターを形成した俺へ容赦なく白銀が迫る。

 先のダメージで体が動かない俺は、ありったけの魔力を消費して剛法を発動した。

 刹那、クレーターをさらに押し潰す勢いで稲妻が俺を穿ち、灼熱と電光が体を駆け巡った。


 全身の細胞が焼け焦げていく。

 炭化した右腕のように、俺の全身が焦がされていく感覚。

 明確な死。

 それは一瞬のはずなのに、とても長く蝕むように俺に痛みを与え続け――



「――接続アクセス

 


 全身の毛穴という毛穴から血を噴きこぼし、発狂寸前の俺は、女の声を聞いていた。

 


「我が地獄アビス





 疑う余地もなく勝利を確信していた麒麟は、それを感じて総毛を逆立てた。

 まさか、もしや、いやしかし――。

 考えるよりも先に、体が動いていた。

 

 ツノに収束されていく白銀の球体。

 極限まで圧縮されたそのいかづちは、先に放った一撃とは比べ物にならない威力を高めていく。

 着弾すれば半径二キロ範囲は消し飛ぶほどのそれを、麒麟はグラウンドに向けて放つ。

 

 世界の終わりじみたその極光を瞬かせて、球体は――刹那のうちに裂かれた。



「まったく、情けない」

『!?』


 

 呆れが過分に含まれたその声色は、地響きのような爆音の中でも鮮明に聞こえてきた。



『貴様……何者だ……ッ』

「私?」



 まるで超新星爆発を間近で視ているかのような、凄まじい光景だった。

 真っ二つに割れた球体が、その内に秘めた暴威を空中で轟かせている。

 校舎は一瞬で消し飛び、グラウンドは抉れその範囲を引き伸ばしていく。

 しかし、円形に広がっていくはずの被害は、あろうことか半円でとどまっていた。


 

「白々しいわね。呼び出しておいてそれを問うの? 随分と頭が硬くなったわね、麒麟キーラン。まあ? 千年も経てば流石に老化が進むか」



 まるでそこに視えない壁が展開されているかのように、天災のごとき雷威は彼女から先を越えられない。


 突風に揺らめく紫色の長髪。

 病的なまでに白い肌。その上に覆い被さる、漆黒の外套。

 そして、禍々しく鮮烈で美しい、紅の双眸そうぼう――

 


「じゃあ、この一撃をもって名乗りとしましょうか」

『―――!』


 

 嗤う。

 突如として発生する漆黒が、螺旋を描いて彼女の右手に収束していく。



『黙って見過ごすと思うかよ』

「なら止めて見せなさいよ」



 帯電する白銀の雷。放出された稲妻の数は、百を越えていた。

 それでも彼女に届かない。

 濃密に色濃く収斂しゅうれんされていく漆黒の魔力に阻まれて、攻撃が届かない。



『ならば――ッ!』



 届かないのであれば、届かせるのみ。

 この身の全霊をもって、アレを討つ。

 

 麒麟は遙か上空へ向かって飛ぶ。

 赤い空を背に、迸る白銀の雷を纏った麒麟が咆哮を上げた。



「へえ」



 まるで神話を夢想する絵画のような、神々しい姿だった。

 やがて光となって降下する様は流れ星のよう。

 ただし、そんなメルヘンの入り込む余地なんてないのは明白で、それが地上へ落ちた時の被害は計り知れない。



『——星墜——』



 最悪、深江市が更地になるであろう流星を前に。

 迎え撃つ女の表情は悪魔的に歪んでいた。






穢法えほう魔道螺マドラ



 


 

 流星は、地に堕ちず――。

 雷光は濁流のごとき黒に呑み込まれた。



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