007 死地


「——わぁっ!? び、ビックリした……って、希空のあっ!? 無事だったのね! どうやってここまで——っひゃあああ腕がっ!?」



 〝寄法きほうの印〟による転移が間に合い、俺は希空ちゃんと一緒に自室に戻ってきた。


 突然なにもない空間から跳んできた俺たちに、先に跳ばされてきた文枝ふみえさんがおもしろいくらいに表情を変える。


 炭化した腕を見るのははじめてなのだろう。いや、普通はそうか。俺だって、こっちの世界に戻ってきてからは映画の中でしか見たことがない。



「お……おか、あさん……?」

「の、希空、大丈夫!? どうしたのそんな顔をして――ってそれよりも救急車よねっ!?」

「落ち着いてください、文枝さん」

「で、でも! 私、ごめんなさいどうしていいのかわからなくて……!」

「とりあえず希空ちゃんを頼みます」

「は、はい……!」


 

 傍に抱えたままの希空ちゃんをゆっくり降ろす。呆然自失といった様子でへたりこむ希空ちゃんに文枝さんが寄り添う。


 文枝親子のほかにも、救出した十五人がなにか言いたげに俺をみていた。

 わかってる。言いたいことも、聞きたいことも。

 しかし、今がそんな状況ではないのを、なんとなく察しているようでもあった。


 俺は、それに甘えることにした。



「皆さん、ここに居ればしばらくは安心です。食料も、そんな多くはないですけど自由に食べてください。あっ、あと布団が俺のベッドしかないので……嫌でなければ使ってください。あとキャビネットの中身は絶対に見ないでくださいね」

「あ、あの、どちらへ……?」

「俺は戻ります」

「え……」



 俺の言葉に希空ちゃんが反応する。



「そんな……ダメだよお兄さん! あんなの……あんなの、無理だよ!」

「わかってる」



 今の俺じゃ、かなりキツい。

 たとえ全盛期の俺であったとしても、万全の状態で……そう、魔王と戦った時のようなコンディションでなければ挑めないような強者だ。


 着実に元の力を取り戻しているとはいえ、それでも未だ三分の一程度。

 戦闘の感や体の動きが追いついていない。



「だからと言って、アレを放置しておくにはあまりにも危険すぎる」



 これは勝率云々の話じゃない。誰かが——俺がやらなければいけないことだ。


 放っておけば、数日と経たずに日本が消える。

 あの魔王ですら御しきれず放置するほどの怪物だ。アレを止められるほどの実力を持つ者は、あちら側の世界ですらごく少数。こちら側の世界では、それこそ核を使うぐらいしか対抗策が俺には考えつかない。



「もし一日しても帰って来なかったら、すみません。助けておいて無責任なんですが、すぐに自衛隊だったり避難場所だったりを探して逃げてください」

「ダメだよ、お兄さん! 行ったら死んじゃうよ!? いくら強いからって、不思議な力を使えるからってあんなの……!」



 麒麟の姿を思い出したのだろう。希空ちゃんはガクガクと全身を震わせた。

 一般人にヤツの威圧は猛毒だ。心臓の弱い者なら、近づいただけであの世行き。こうして震えるだけならまだマシな方だ。


 

「他の誰かに任せようよ……きっと誰かがやっつけてくれるから……!」

「その他の誰かが来てくれる前に、アレはこっちの居場所を見つけてしまうかもしれない」

「っ……」

「どのみち、アレに目をつけられた時点で詰んでるんだよ」

 


 まったく、やれやれと苦笑する。

 

 

「それに、責任を果たしたいんだ」

「……責任、ですか?」



 文枝さんが困ったように首を傾げる。



「そう、責任。力を持っていることに対しての責任と、人を助けたことに対しての責任」



 それはいわば、税金のようなものだ。

 給料を貰えば所得税だったり住民税だったりを引かれてしまうように。

 貰う額が高くなればなるほど、税金も高くなる。


 現時点で俺の力は、給料換算すれば……ちょっとわからないが、たぶん国家公務員くらい。いやもっと高くてもいいか……? 


 なんなら給料じゃなくて報酬とか。法人税? 


 ――ああ、なんか何を言いたいのかよくわからなくなってきた。そもそも、なんの話してたっけ?



「ええと……とどのつまり、俺が守りたいと思ったから守る。そして一度助けたんだから、これからもずっと俺が守る。それが責任ってこと!」



 話の整合性が取れているかとても不安だが、紛れもない俺の素直な気持ちを伝えた。

 しかしうまく伝わらなかったのか、文枝親子は顔を赤くして互いに見合わせていた。



「これからずっと守る……それって、一生……ってこと、かな?」

「わ、私、未亡人だけど……いいの、かしら……?」

「ま、待ってよお母さん。たぶんそういうつもりで言ったんじゃないよ? たぶん」

「そ、そうよね。……べ、べつに期待なんてしてないわ。希空こそ、ちょっとだけお似合いな気がするけど、どうなの?」

「と、歳の差! 歳の差考えてよ、まだ十六だよそれこそお母さんはどうなのさ!」

「お、お母さんだってもう三十七だし……おばさんだし……」



 ヒソヒソと俺をチラチラみながら何かを話し合う親子。

 とても申し訳ないんだが、全部聞こえている。しかし、文枝さん。あなたその見た目で三十七ですか……?



「ていうか、助けたのってわたしたち以外にもいるよね……」

「か、勘違いよ、私達の変な勘違いに決まってるわ……!」



 文枝さんはどっからどう見ても二〇代後半にしか見えない。

 シワやシミなんてものとは無縁の美麗な肌に、清楚感と同居する大人の色気。

 とてもタイプだった。


 比べて、希空ちゃんは一言でいうとギャルだ。

 文枝さんとは対照的な短い髪に鮮やかな金。

 いわゆる遊んでいそうな見た目をしていて、耳にはオシャレなピアス。


 正反対の容姿だがスタイルは二人ともとてもいい――って、これから死ぬかもしれない戦いになるっていうのに、緊張感のカケラもなく何を女性の体を舐め回しているんだ、俺。



「うっし! じゃあ行ってくるんで!」



 気合いを入れるために頬を張って、俺は寄法の印を片手で結ぶ。



「その前に、訊いてもいいですか?」

「何をです?」

「あなたのお名前です」



 ああ、そういえば自己紹介をしていなかったっけ。

 


「俺は百女鬼湊どうめきみなとです。名字は呼びにくいので、湊って呼んでください」

「では、湊さん。私たちはあなたの帰りを待っています」

「お兄さん……絶対に帰ってきてね」

「はい。死ぬ気、ありませんから。俺」



 それだけ告げて、俺は印を発動した。


 一瞬にして風景が変わる。

 場所は深江高校の正門。すでに左手には黒剣を握っている。



『やはり戻ったか。なんとなく、そんな気はしていたのだ』

「一つ訊いてもいいか?」

『いいだろう』

「どうしてこっちの世界にいる?」



 オークやミノタウロス、ゴブリンたちと違い麒麟は知能が高い。そこらの人間よりも頭がいいし、長寿だ。


 ざっと千年前くらいから生きているらしい。

 故に対話は可能。だからこそ、俺は思う。



「なぜ、俺の命を狙う?」

『それが我に与えられた命令だからだ』

「命令……だと?」



 命令――即ち、あの麒麟が誰かの下についたということ。

 魔王にすら膝を折らなかった神獣が、なぜ? 


 いや、一体誰に?


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