004 創法
「あ、ありがとうございました……! 本当に、ありがとうございます!」
絶命したミノタウロスの前で、俺は助けた女性から何度も頭を下げられていた。
とても綺麗な女性だった。
歳は二十代後半だろうか。長い黒髪を腰あたりで揺らしている。胸も大きい。
テレビや雑誌でしかなかなか見る機会のない清楚系美人に頭を下げられ、俺はコミュ障が爆発した。
「え、え、えと、と、とんでもないです、ハイ……っ」
十年ぶりくらいに女性に話しかけられたなと苦い感動を味わう。
どう喋っていいのか、どんな顔をしていいのか本気でわからない。
ニヤけてて気持ち悪いとか思われたらどうしよう。
と、内心でヒヤヒヤしたり心臓をバクバクさせている俺に、女性はハンカチを取り出してグイグイ近づいてくる。
「あの、頭から血が出てますよ!?」
「え? あ、だだだダイジョブですからっ」
「きゅ、救急車を! 今すぐ救急車を呼びますから!」
「い、いやそれほどじゃないですって……!」
ハンカチで俺の額を拭いながら、もう片方の手で救急車に電話をかける女性。
香水のいい匂いがした。
「どうしましょう、全然繋がりません……」
「そ、それもそうでしょうね」
俺、息臭くないかな?
一応顔を背けながら言う。
「どこも似たような状況だと思いますよ。今も遠くの方で悲鳴が聞こえますし」
「悲鳴……? 私には聞こえませんが――って、そもそも、これ……何なんですか!?」
思い出したかのようにミノタウロスの死骸を見遣る。
今にも卒倒しそうな表情だった。
「俺もよくわからないんですけど……」
「で、でも、倒したのはあなた……でしょう?」
「俺も色々と混乱してるんで。まずは――」
「あ、どうしましょう!?」
「へ?」
ここを離れましょう、と言いかけたその時。
女性は今にも泣きそうな表情で、俺の手を取った。
暖かくて、やわらかい女性の手。
久々に握ったその感触に、俺は息を呑む。
「え、えと、手……っ」
「お願いがあるんです! どうか聞いていただけませんか!?」
「な、なんなりと……」
上目遣いで、しかも涙目ときた。
この状態で頼み事を断れるほど、俺は女慣れしていない。
「本当ですか!? では今すぐ深江高校に一緒に来てください!」
「こ、高校? どうして……」
「娘がいるんです!」
「む――」
娘が……いるんですか、お姉さん。
軽い、いや決して軽くはないショックを受ける。
そりゃ、ワンチャンくらい狙うだろ。男だもん。
「早くしないと、かわいい一人娘なんです! どうかお願いします、あの子を守ってあげられるのは私だけなんです!」
「お、落ち着いてください」
「でも、もしこんな怪物が娘の高校にもいたら……っ」
「まずは娘さんの前に、あなたの身の安全を考えましょう」
「私のことなんて――」
いいかけて、声が固まる。
異様な気配にどうやら気が付いたらしい。
「魔力を感知して魔物が集まってきてます。ブランクのある俺じゃあ、あなたを守りながら戦うのは難しい」
「……っ」
遠くからこちらへやってくる複数の影。
おそらくゴブリンの集団だ。
一体一体は弱いが、塵も積もればってヤツだ。
集団の規模にもよるが、物量で一国を滅ぼすこともできる。
決して舐めてかかってはいけない魔物だ。
「とは言っても、野放しにはできない」
ゴブリンに襲われるのは悲惨だ。特に女性が相手なら尚更。
だから――
「娘さん、深江高校……って言いましたよね?」
「え、ええ……」
「名前は?」
「
文枝さん、か。
こんな綺麗なお母さんだったら、娘さんもきっと美人に違いない。
……いや、こっちをワンチャン狙ってるわけじゃないけれど。
「じゃあ文枝さん。俺が助けに行くんで、安全な場所で待機しててください」
「あ、安全な場所? それってどこに――」
「絶対に部屋から出ないようにしてくださいね。俺が帰るまで」
「待ってください、何を言ってるのかわからないです」
困惑する文枝さんに、俺は二本の指を立てる。手印。
「絶対に部屋から出ないでください。部屋にいる間は、安全ですから」
最後にそれだけ告げて、俺は恐れ多くも文枝さんの肩に手を置く。
「ぁ――」
瞬間、彼女はその場から姿を消した。
続いて印を結び、地面に両手を置く。
「今はこの程度の結界しか作れないか」
俺の住むマンション全体に結界を施した。
久々に術を使ってみたが、問題なく発動したようだった。
「簡単な認識阻害の結界だから耐久力はほぼない」
けれど。低級魔獣なら感知することはできないし、侵入することもできない。
時間稼ぎ程度の術だが、今はこれで十分だと思う。
「……さて、掃除をしつつ向かうとするか」
両手で〝創法の印〟を結ぶ。
イメージするのは黒鉄。
触れれば裂ける冷気のような刃。
硬く、鋭く、そして何より最強を。
「
自嘲気味に呟いて、俺は右手におさまったソイツの感触を確かめる。
「けど、この懐かしさは悪くない」
ソレを簡単に表現するなら、黒い剣。
刀身からグリップまで全てが深淵のような黒で塗り固められた西洋風の剣。
俺がかつて、対魔獣用に使用していた武器だ。
六法の一つ、創法によって創り出したただの剣。
特に能力が備わっていたりするわけではないが、頑丈さと切れ味は気に入っている。
「ゴブリンが相手ならちょうどいいか」
概算して三〇はいるであろうゴブリンの群れと目が合う。
深緑色の小汚い格好をした小鬼たちが標的を俺に見定めた。
『ギィッ!』
先頭で仁王立つゴブリン・コマンダーによる号令で、一斉にゴブリンが駆け出した。
俺もまた、ヤツらと同じようにコンクリートを蹴る。
『ぎ――』
『が――』
『げ――』
闘志に燃えた顔つきのまま、跳ね上がる三つの首。
百メートルほどの距離を一瞬で詰めた俺の動きに、一匹たりとも気付いていない。
続け様に二匹のゴブリンを同時に斬り倒し、再度地面を蹴り上げる。
肉体の隅々にまで充満した魔力が、俺の身体能力を底上げしていた。
体が軽い――いや、これが通常だったんだ。あの世界では。
今までの俺が遅すぎた。あるいは、怠けすぎていた。
『ギギ――ッ!?』
「逃げられると厄介だからな、先に潰させてもらうぜ」
未だ仁王だちの余裕ぶったゴブリン・コマンダーの眼前に躍り出る。
驚愕に歪むゴブリン・コマンダーとその周囲を巻き込んで、黒剣の暴威が轟いた。
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