第2話

 ジャージの授与式が始まり、龍太の同級生が次々と呼ばれて前へ出ていった。みんな緊張と歓喜の入り混じった表情で、監督の激励とともにジャージを受けとる。

 龍太はどこか覚めた気持ちでそれを見守っていた。

 自分の名が呼ばれる可能性はゼロなのだ。

 龍太だって、去年までは当然のように先発メンバーに入っていた。チームのみんなに頼りにされるフルバックだった。

 今年の春、選抜大会の予選で、膝の前十字靭帯を損傷するケガを負った。担当の医師に、完治まで半年はかかると宣告された。その時点で秋の活躍は夢と消えたのだ。

 夏のあいだは、治療とリハビリのため、せっせと通院した。秋になってやっとグラウンドへ戻ってくることができた。しかし、みんなと走ることはまだ許されず、片隅で上半身を鍛えるための専用メニューをこなすだけだった。ときには、マネージャーたちに混じってチームのために雑用もした。

 グラウンドに響く仲間の声を聞きながら、鉄棒にくくりつけたゴムチューブを腕に通して引っ張っていると、監督が芝生を踏みしめて龍太のほうへにやってくる。

「今日はどうだ? 寒いから痛むか? でも可動域は広がってきてるんだろう?」

 膝の調子を細かく確認する。

「あいかわらずっす。……そんな、突然よくなったりしませんよ」

 少しあきれた口調で龍太が返すと、監督は太い眉を下げて、ちょっとだけ恥ずかしそうにあごを指でかいた。

「うん、わかってる。でも、お前には期待するんだよなあ。なんとかして奇跡が起こらないかなって」

 奇跡――。

 ある朝、奇跡が起きる。ベッドから起き上がると、右膝は痛みもハリもなく、昨年と同じように走れるようになっている。龍太は部活の時間が待ちきれず、歓喜の叫び声をあげながら朝露で濡れたグラウンドへ駆けだしていく。

 そんな妄想を何度思い描いただろう。――現実の右膝には、まだ装具が付いたままだ。

 まるで翼をもがれた鳥。龍太はそんな自分が急に憐れになって、喉が詰まったような感じがした。

 監督は難しい顔をして黙ったまま、龍太の使うゴムチューブを調整してくれている。

 現実はままならない。それでも奇跡を期待しているのは、自分だけじゃない。叶わないと知りながら、自分の復帰を心待ちにしてくれる人がいる。

 それは龍太の心の支えになった。

 用意されていた全てのジャージが選手に授与され、主将の川内による決意表明が終わった。

 選手たちは解散し、マネージャーたちは、試合に持って行く荷物の最終確認をしている。

「龍太、応援旗たたむの手伝ってくれるー?」

 マネージャーのひとりに声をかけられて、三メートルほどの横断幕の端を持った。

 ヒモのついた部分を持ち、旗をピンと張って、マネージャーが反対の端から巻いてくるのを待つ。年季の入った応援旗は、いつもはグラウンドのフェンスにくくりつけられているが、明日は応援席の最前列にかけることになっている。

 ラグビー部のOBで構成される後援会から贈られた旗は、濃紺の地に『臥薪嘗胆』と筆文字で染め抜かれている。長年、グラウンドで風雨にさらされたおかげで、地色は褪せ、生地もところどころ傷んでいる。龍太が持っているところも端がほつれていて、少し乱暴に扱ったら、そこから裂けていってしまいそうだ。

 監督は「今夜は全員、早く寝ろよ」と言い残して、クラブハウスのほうへ歩いていった。

 龍太が旗をたたみ終わると、さっと三人の仲間が集まってきた。大島、酒井、神田。全員三年生だ。そして全員が、明日の試合のメンバーから外れていた。龍太と同じように、ケガで出られない大島。残りの二人は自分のポジションにもっとすぐれた選手がいたため、レギュラーからはじきだされた格好だ。

「決行するか」

「やるしかない」

「今夜な」

 緊張の面持ちで、ひそやかに言葉を交わした。

 龍太を含む四人は、その後ほかの部員と一緒に、クラブハウスでシャワーを浴びて、着替え、学校の最寄り駅まで歩いてから、さりげなくはぐれて引き返してきた。

 もうすっかり暗くなって人気のない校門を、体格のいい高校生四人が入っていく。

 それぞれの表情が、強い使命感を帯びている。

 このあと、監督のいるクラブハウスに突撃する。

 四人はスポーツバッグを背負い、無言のまま、明かりの灯るクラブハウスに向かっていった。

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